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桜舞う季節をめぐる物語  作者: 九月 草次
17/24

17

 霧人はきれいに片付けられた部屋で寝ていた。

 チャイムの音が響く。

 目を半分開け、寝ぼけ声で返事をする。

 気だるく歩きながらドアを開けた。

「どなた?……あれ」

 霧人の弟の正人が立っていた。

「兄貴、久しぶり」

「……珍しいな、入れよ」

 正人は部屋に入りながら小言を言う。

「親父がたまには連絡しろってさ」

 霧人はジュースを入れながら、

「別に話すことなんかないよ。連絡しないのは元気な証拠だろ」

 正人は腰を下ろし、部屋の中を見回す。

「だから俺が確認しに来たんじゃないか」

 霧人は正人にジュースを渡すと、ベッドに座った。

「お前、ちゃんと高校行ってんのか?」

 正人がラックに置いてある写真を手にする。

「ああ……家を継ぐの俺しかいないじゃん。俺だって兄貴みたいに好きなことしたいよ」

「悪いな。……そうか、来年は医学部受験か。がんばれよ」

 正人は霧人と春奈の写っている写真を見ながら、

「へぇー、彼女出来たんだ」

「確か、お前と同じ歳だったかな。名前は……」

「この子、知ってる。島津……春奈だ」




 そのころ春奈は、

 練習が終って、静音と街中を歩いていた。

 二人で大通りに面したビルへと入る。

 オドオドしている春奈をエレベーターに押し込み、

最上階の五階まで上がった。

 廊下の突き当たりの部屋で静音は足を止める。

 春奈は落ち着かない様子で辺りを見回しながら、

 後を付いて行く。

「静音さん、ここどこなんですか?大丈夫なんですか?」

「怖がらなくていいから、早く来なさい」

 静音はバックから鍵を出し、扉を開け中へ入って行く。

「あ、待ってください」

 春奈も中を覗き込むように入って行った。

 何もない、ただの広い部屋だった。

 前にいた企業の物はすべて引払われ、

部屋の壁と床が見渡せれた。

 静音は窓に向かって歩きながら、ゆっくりと話し始めた。

「初めてロペスの病気を知った時、彼に聞いたの……」


 ある日の川原病院のピアノの部屋……。

 窓際の椅子に座っている静音。

 その横に立って外を眺めているロペス。

 二人でコーヒーを飲んでいた。

 静音はカップを両手で持ち、膝へと置いて話し出す。

「ロペス、大勢の人にもっと自分の演奏を聴かせたいとは思わないの?」

 ロペスは外を見たまま、一呼吸置いて口を開いた。

「それもいいと思うよ。でも限られた時間をどう生きるかって考えたら、人に教えることにしたんだ。そうすれば僕が死んでからも僕の演奏を聴くことが出来るだろ」

 静音は手に持つカップに視線を落とし、

「私はあなたではないのよ。あなたが描く音楽と同じものなんて私には弾けないわ」

「音楽は人の心に届いてこそ本物なんだ。それがたった一人でもね。何百人いても君が聴かせたい人だけに向けて演奏すればいい。それが僕の音楽なんだ」


 春奈は黙って静音を見ていた。

 静音の右手が窓ガラスに触れ、外を眺める。

「……だから、あの人の教室を作ることにしたの。何ヶ月も不動産を回って探したわ」

「買い物ってこのことだったの?このくらいの部屋ならすぐ見付かりそうなのに……」

「条件に合う所がなかったの」

「条件?」

「こっちへ来て、外を見て……」

 窓辺へと近付く春奈の顔が、夕日に赤く染まっていく。

 外を眺めて気付いた。

 同じく夕日に染まる桜の丘が、そこから一望できた。

「彼、この国へ来て桜を見た時、すごく感動したそうよ。死ぬまでに桜の曲を書くんだって言ってたわ」

「それが『桜舞う季節』だったのね。このことはロペスさんも知ってるの?」

「いいえ。後で話して講師として雇うつもりよ。あの人にはピアノしかないから……」

「ロペスさんのことが本当に好きなのね」

 静音、顔を赤くして、

「な、何言ってんの。そんなんじゃないわ。病気が進んでも食べていけるし……」

「じゃ、私が狙っちゃおうかな〜」

「は?あんたなんか相手にされないよ」

 私はムキになって言い返す静音さんがとても可愛らしく見えた。

 本当は純粋で素直な人なんだと思った。ちょっと好きになったかも……。

「がんばって下さい。応援しますから」

「何言ってるの?春奈さん、あなたもここで教えるのよ」

「え?」

「誰のおかげで優勝できたと思ってるの?あなたがいればいい宣伝になるわ。もう決めたことだから、あなたもがんばってちょうだい」

 私の嫌な予感が大当りしました。

 恐るべし川原静音。今だ理解に苦しむ性格有り。

 先程の「ちょっと好き」を保留にさせて頂きます。


 ……でも、これって?


「講習料はちゃんと払うわ。あなたの夢だったんでしょ?ピアノの先生になること……」

 私は静音さんに抱き付いていた。

 静音は困りながらも拒絶せず、次第に微笑んでいった。

 西の空は赤く、夕日は丘の向こうに消えていった。




 霧人は少し驚いた様子で、

「なんだ、正人と同じ高校だったのか。義理の母親とはうまくいってないみたいだな」

 霧人は春奈のことが知りたかった。

 今まで本人が何も話さないので、霧人も聞かずにいたのだ。

「父親は愛人作って家を出たんだ。今の母親はその時の愛人だよ。実の母親も交通事故じゃなく、自殺って噂だ。兄貴、この子は止めときなよ。面倒なことになるだけだ」

 正人なりに、兄を心配して言ってくれたのは分かった。

 だが、霧人には自分が逃げ出した家族の嫌な姿を思い出していた。

「お前たちは麻美の時も、そうやって理由を付けて反対したよな」

「家を出て同棲までして結果どうなったよ?親父の言ったとおり、うまくいかなかっただろ!」

 霧人は、正人と目線を合わせず立ち上がって、

「そろそろ仕事の時間だから、お前もう帰れよ」

「家に帰って来いよ。不住しなくていいんだぜ。こんな生活よく続けられるな。金持ちの娘もたくさん知り合えるぜ」

「正人……帰れと言ったんだ」

「最後に一人ぼっちになって悲しむのは兄貴なんだぜ」

 正人は、そう吐き捨てて部屋を出て行った。

「お前たちが人の気持ちを理解しようとしないのは、自分が嫌われていることを知りたくないからじゃないのか?」

 霧人は、春奈との写真を手に取り、見詰めながらつぶやいた。

「孤独になるのが怖いから、人は寄り添うんだよ」



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