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桜舞う季節をめぐる物語  作者: 九月 草次
13/24

13

 大会当日。

 朝から鳥の囀りをかき消す静音の大声が、屋敷に響いた。

「ああー、忘れてた!」

 一緒に朝食を取っていた父、川原雷蔵、

 母、和代の手が止まり、静音に視線を向ける。

 和代が尋ねた。

「静音、どうしたの?」

「お友達とデパートへ買い物に行く約束をしてたの。新作の発売が今日からなのよ」

「何言ってるの?今日はコンクールでしょ。あなたを出場させる為に、お父様がどれだけ苦労したと思っているの」

「どうせ、禿げパンダにお金を握らせたんでしょ」

「まあ、なんて口を利くの!」

 黙って食事をしていた雷蔵が口を開いた。

「私の顔を潰したいのなら、買い物に行きなさい。だが二度とこの家の敷居を跨がすわけにはいかんがな」

「さすが、権力者のお言葉ね」

 静音は飲みかけのスープにスプーンを放り、フキンで口元を拭いた。

「ごちそうさま!」

 と言って、席を立ち部屋を出て行った。

「あなた、静音に何かあったのかしら、様子がおかしいわ。それに食事中に手袋をしたままなんて……。松風、よく注意しておきなさい」

「はい、申し訳ございませんでした、奥様」

 雷蔵は何も言わず、また食事を続けた。


 桜の花もすっかり散った市民ホールへ、たくさんの人が入って行く。

 入り口に『第三十二回新人ピアノコンクール』の看板。

 会場にはロペスの姿あり、離れた席へ霧人も座っていた。


 ホールの地下にある待合室。

 出場者たちが緊張の面持ちで自分の出番を待っていた。

 一人を除いて……。

「松風、喉が渇いたわ。何か持って来てちょうだい。トマトジュース以外なら何でもいいわ」

 静音の華やかな衣装が一際目立つ。

 両手に白い手袋をしていた。

「コーヒーでよろしいですか?」

「それでいいから早くして」

 松風は持参したポットを出し、コーヒーを作り始めた。

 そこへ春奈が近付いて来る。

「ありがとうございました。ドレスまで貸していただいて……」

「気にしないで。私のお古なんだから」

 静音は松風からカップを受け取り、小指を立てて一口啜る。

 静音の横へ、春奈が腰を下ろす。

「あ〜、もう直ぐ出番だわ。あんなに大勢の前で弾くなんて……緊張しますね」

「こんなの、かぼちゃ畑の演奏会よ。さっさと終わらせて帰るわよ」

「かぼちゃ畑……?」

「あら、会場にはかぼちゃの集団しかいなかったわよ」

 コーヒーを啜りながら至って真面目に言う。

「コンクールなんか全然余裕って感じですね。なんだかとても楽しそう」

「それはあなただけよ」

 そう言って、席を立ち、

「ちょっとお化粧直して来るわ」

 静音は待合室を出て行った。

 入れ替わりに係りの者が入って来る。

 その姿を見て静音は足を止めた。次が誰の番なのか知っていたからだ。

「十二番、島津春奈さん……」

 春奈は返事をして、引率されて行く。

 廊下で静音と目が合う。

 互いに見詰め合うが言葉は交わさなかった。

 二人は別々の方向へと歩き出す。

 一人は希望を掴みに、もう一人は……。

 



 会場のアナウンスで春奈が呼ばれ、舞台の袖から出て来る。

 静けさの中、自分の足音だけが響く。

 その先には漆黒のピアノが次の挑戦者を待ち構えていた。

 椅子までがとても長く思え、やっとたどり着いた……そんな感じだった。

 正面を向き、一礼。

 それほど大きくない市民ホールでも、

満席の視線は春奈の鼓動を早くさせる。

 着席した時には、緊張がピークに達していた。


「こんなのかぼちゃ畑の演奏会よ」


 静音の言葉が浮かんできた。

 春奈の表情に笑みがこぼれ、

潮が引くように穏やかな気持ちが戻って来る。

 ピアノに向かってつぶやいた。

「よろしくね」

 スローモーションのようにそっと鍵盤に触れる。

 瞼を閉じて深く息を吸った。

 そして……、静寂を引き裂くように勢いよく指が走り出した。


「……始まったようね」

 静音はトイレの鏡の前にいた。

 バックから錠剤を取り出し一粒飲み込む。

 蛇口をひねって水を出す。

 手袋をゆっくり外し、腫れあがった左手を水で冷やした。

 昨夜、突き飛ばされたことが甦る。

 鏡の中の自分を見て、鼻で笑った。

「フッ、情けない顔ね……」

 ……もう一人は、絶望を確信していた。


 春奈の演奏は続く。

 霧人が見とれている。

 ロペスも目を閉じ、腕を組んで聴きながら、

「うん、いい感じだ」

 と、微笑む。

 春奈の繊細で美しい音色は会場を包んでいった。

 待合室に戻った静音は、また松風にコーヒーを頼み、

椅子に座って目を閉じて飲み始める。

「まあまあね」

「ありがとうございます」

「コーヒーのことではないわ」

 松風は気付いたように、

「ああ……はい、とてもきれいな演奏でございますね」

「誰に習ったと思ってるの?このくらい当然よ」

「十三番、川原静音さん……」

 静音が呼ばれる。外した手袋を松風に渡し、出口へと向かう。

「あの、お嬢様……」

 松風の言葉に振り向く静音。

「……」

「何よ?」

「私は執事でございますから自分の意見を言うべきではないと思っており、いつもお嬢様の意思を一番に考えております」

「松風、何が言いたいの?」

 松風は静音の手袋を強く握り締め、

「お嬢様……心行くまでお弾きください」

 その言葉を聞いた静音は、顔を反らして甲高く大声で笑った。

 部屋にいた出場者たちが振り返って、静音を見る。

 周りの視線など気にすることなく、

「松風、優勝して来るわ」

 と言って、静音は笑顔で待合室を出て行った。




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