12
春奈はアパートに着くと、急いで霧人を連れて街へ出た。
相変わらず華やかな領域だった。
輝くネオンに引き寄せられ、人々で溢れている。
なぜか、以前の心地よさはなくなっていた。
居場所が出来た者には、街は冷たくなるのだろう。
私は走り続けていた。
霧人も後から付いて来ている……と思う。
後ろを見る時間さえ惜しかった。
もう逸れたのかもしれない。
その時、誰かの声がした。
「おーい霧人ぉ、女のケツ追っ掛けて仕事休みかぁー」
「うっせー、また飲みに来いよー」
まだ逸れてない。
いつもながら愛嬌のいい奴だ。
私は道に迷って、足を止めた。
追い付いた霧人に腕をつかまれる。
「やっと捕まえた。そんなに急がなくても、ちゃんと予約してるからゆっくり行こうよ」
「居酒屋中止。……どっちだったかな?」
「え?じゃあ、どこへ行く気なの?」
「『ルブック』っていう洋食屋なんだけど」
「あそこ高いよー」
「でも……でも私、行かなきゃ。静音さんが一人で待っているの。知ってるなら場所教えて」
「ちょっと待ってよ。俺のことを忘れてない?俺だって今日楽しみにしてたんだぜ。そんなに行きたきゃ、一人で行けばいいだろ!」
その場を立ち去ろうとする霧人の腕を、春奈がつかむ。
「待って。霧人のことも大事だよ。でも静音さんも同じくらい大事な人なの。おねがい……」
静音さんとは距離を感じていた。
私なんかと親しくなれない人だと思っていた。
でも、彼女はそんな目で私のことを見てなかったのだ。
今、会わなかったらずっと彼女に近付けない……そんな気がした。
私の方が、彼女を避けていたのだ。
「ったく、『ルブック』だったよな。付いて来いよ」
「ありがと、霧人……」
大理石の壁に刻まれた『ルブック』の文字が、
オレンジ色の照明に照らされ浮かんでいる。
店内は薄暗く、黒で統一されていた。
ホールの中央にある庭が心を和ませる。
階段を上がった窓際の席に、やっぱり静音さんは一人で食事をしていた。
私に気付く。
「あら、あなたこんな所で何してるの?」
「ご一緒してもいいですか?」
「構わないわよ。ちょうど友達も用事で来られなかったから」
私たちは向かいの席に座り、霧人を紹介した。
静音さんは店員を呼び、耳打ちをする。
霧人が私にメニューを見せた。
「もう頼んだわよ。これと同じ物を二つ」
呆れる私。
焦る霧人、ゆっくりとズボンの財布を触る。
「気にしないで、あなたに払えなんて言わないわ」
値段を知っている霧人は、密かにホッとする。
「それにしても驚いたわ。あなたに彼氏がいたなんて。どこで知り合ったの?えー、同棲してるの?」
静音さんは普通の女の子だった。
おしゃべり好きで、恋愛に興味津々で、
流行り物に敏感で、甘い物には目がない。
「静音さんはピアノを弾いている時、何を考えているの?私は……」
私たちは食事が済んでも話し続けていた。
ほったらかしにされていた霧人が、
堪らず明日のコンクールの話を持ち出した。
私たちはやっと会話を止め、重い腰を上げた。
静音さんは外へ出ると、月を眺めていた私に、
「松風が迎えに来るけど乗っていく?」
「私たち近くなんで歩いて帰ります」
「そう、なら明日会場でね。おやすみ」
静音さんは大通りに向かって歩いて行った。
「あの料理うまかったな。初めて食べたよ」
「……だ、だよね」
私があの手の料理を静音さんの屋敷で、
何回も食べたことは内緒にしておこう。
二人の円満の秘訣だ。
「あのコース料理は何日も前から予約がいるんだぜ。注文してすぐ出て来るなんて普通ありえないよ。さすがお嬢様だよな」
「へー、そうなの……え?」
もしかして、静音さんは予約していたのでは……。
ロペスさんたちとの食事を、何日も前から楽しみにしていたのでは……。
そんな静音さんをますます好きになっていった。
「霧人、ちょっと待ってて、すぐ戻るから」
私は走ってその場を離れた。
歩いている静音さんの前に回り込み、
「静音さん、明日はがんばりましょう」
「何?そんなことわざわざ言いに来たの?」
「はい!」
春奈は自信満々に笑顔で返事をした。
静音は少し呆れ顔で、
「そうね、私の優勝が決まっているけど、あなたもがんばってね」
初めて静音と握手をした。
この時、二人を隔てる壁が無くなった。
「ねぇねぇ、彼女たち何してるの?俺たち、これからクラブ行くけど一緒に行かない?」
二匹の虫が近寄って来た。
街に害虫は付き物で、美しい花にはたかって来るもので、
無視するのが一番だ。
「なんならカラオケでもいいよ。ねぇ行こうよ」
と、男の一人が春奈の肩に腕を回してきた。
静音は反射的に男の顔を「パーン」と叩いた。
「イテッ。なんだ?人がやさしくしてたら、お高くとまりやがって……コラッ」
静音が男に突き飛ばされ、地面に倒れる。
「痛っ!」
春奈は男たちに向かって言い返していた。
「何すんのよ。謝んなさいよ!」
昔の春奈には絶対できない行動だった。
「面白れぇ。謝らなかったらどうなるってんだ?」
詰め寄ってくる男の顔を思いっきり殴ってやった。
逆上した男が春奈に襲い掛かる。
しかし、少しも怖くなかった。
だって、その男の後ろには霧人がいたから……。
霧人は男の襟を捕まえ、蹴り倒す。
「春奈、何やってんの?ちょっと目を離すと、すぐこれだ」
「目を離してなかったくせに……」
「うっせーよ。静音さん、大丈夫?」
静音は、左手を押さえながら、
「ええ……」
霧人は振り返り、男たちに構える。
「今晩のフルコースの恩、果たさせていただきます」
その日、霧人がそこそこ強いことを知った。
すぐに周りは野次馬で溢れた。
「あれ、『スティン』の霧人じゃねーか」
「霧人君がんばって〜」
「よう霧人ぉ、手伝ってやろうか?」
霧人は口の血を拭いながら、
「いらねぇつーの」
静音は立ち上がり、服の汚れを払っていた。
そこへ松風が慌てて駆け寄って来る。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
「心配ないわ、転んだだけよ」
霧人は辛くも害虫を撃退した。
「霧人君、ありがと、助かったわ。春奈さん、明日は遅刻しないでよ。それじゃね」
静音は迎えの車に乗り込み、足早に帰って行った。
春奈も霧人の腫れた顔を笑いながら、二人でアパートへと帰って行った。




