「残された者達」
肩が上がらない。息が乱れる。身体を巡る筋という筋が悲鳴を上げている。これが人間に戻った証か。ここまで踏ん張ったことは今までも一度も無い。戦場を駆け巡った、かつての血煙クラッドの時でさえも。
だがクレシェイドは剣を振るう。その剣の名は月光。本当ならば既に何百という屍が築き上げられるはずだが、ここで命を失った者達は姿が消滅するにすぎない。おそらくそのまま輪廻転生するのであろう。それがこの死後の世界、またの名をハザマの世界というところである。
オークが殺到して来る。
クレシェイドは雄叫びを上げ苦痛を、疲労を忘れさせ、夢中になって剣を振るい、突き出す。確かな手応えと共に幾つもの断末魔が木霊し緑色の血だまりが更に深みを増した池になる。
レイチェルは上手く行っただろうか。無事に地上へ帰れただろうか。
一瞬だが、背後にぽっかりと穴を開けた風吹きの洞窟を振り返る。
すると共に旅した有翼人の少女の気高く美しい横顔が脳裏を過ぎった。
分かっている、約束したからな。
矢を弾き、オークを斬り捨てクレシェイドはひたすらに戦い続けた。
その隣で傭兵ネルソンは疲弊した様を見せず同じく敵を斬り殺し、矢を弾き返している。
グレンの方は、若返った姿で紫色の髪を振り乱し、剣を手にし、敵を迎えっているが、クレシェイドよりも疲労が濃いようだった。
「グレン、下がれ、その魔術も力を消耗するのだろう?」
「そうだな、友よ」
グレンの姿が変わった。紫色の髪と凛々しい面立ちは消え、白髪頭の厳めしい顔をした老魔術師へと戻った。
「洞窟の入り口を頼む」
「分かった」
グレンが下がって行く。老魔術師は風吹きの洞窟の入り口の真ん中に陣取った。
と、オークの後方、ダークエルフの矢が狙ってきた。
クレシェイドはそれにどうにか追いついた。
レイチェルが無事に戻れば後は自分達が撤退する番だ。撤退と言ってもここは敵地。幾日かけて敵陣を突破しながら逃れるのだ。
それにしても。
クレシェイドはオークの斧を剣で受ける傍ら、ネルソンの様子を見て驚いた。
ネルソン・ライネック。奴は俺以上の力の持ち主だ。疾風の如く駆け、分厚い剣を振るう。そして息を乱さぬ無尽蔵の体力。素直に認めよう。血煙クラッドを超える戦士だ。そして彼を雇って正解だった。俺達だけではここまで上手く事は運べなかった。
「おう、戻ったぜ!」
待ちわびた声はデレンゴのものだった。洞窟の中からネリーにモヒト教授が続いて来る。
「レイチェルは!?」
一旦、ネルソンと共に仲間と合流し、背中越しに尋ねる。
「大丈夫、無事に帰ったわ」
最愛の人ネセルティー、ネリーの声がそう言い、クレシェイドは笑っていた。
「クククッ、ひとまずは俺達の勝ちというわけか」
体力を使い果たし、足も手も血流という血流が滞り棒になり果てそうな狂気の世界に彼はいた。
「しっかりしてクラッド、まだ終わってはいないわよ」
「そうです、皆さん揃ってここを抜け出し、光の領土へ戻らなくては!」
ネリーが言い、携帯武器にしてはやや大きいが、雷鳴砲を構えたモヒト教授が続いて叱咤した。
だが、森に囲まれた広場の前方にはオークが壁を築き、その後ろでダークエルフが長弓を構えている。
リーダーは俺だが、どうすべきか。
俺が敵を。
「駄目!」
ネリーが素早く言った。
真剣な両眼が兜のバイザー越しに強烈に見詰めている。
「あなたは自分を犠牲にしようとしている!」
では、どうすれば良い?
クレシェイドは腹を立てず考えた。
無言の間に仲間達の視線が集まり、敵も一歩一歩、同胞の流した緑色の血の池の中を歩んで来ている。
「こういうときこそ、魔術師を頼れクレシェイド、友よ」
グレンが言った。
彼とは戦士と魔術師の関係だった。いわば相棒だ。
「グレン、魔術を使える余力があるのか?」
「ああ、残っている。だが、問題がある」
「それは?」
クレシェイドが尋ねると、魔術師は言った。
「私が行おうとしているのは転移の魔術だ」
「なんでぇ、そりゃあ?」
無知を代表してデレンゴが尋ねてくる。
「転移。すなわち、身体をどこかに移動させる魔術ですね」
モヒト教授が解説する。
「その通り。いささか、時間を食うが、国境まで送り届けることができるだろう」
不意にグレンがクレシェイドに目配せした。
話を合わせろということか。
「全員帰れるんですか?」
ネリーが縋る様に尋ねてくる。
「ああ、皆、無事に帰れる。だから」
クレシェイドは言い、背後を振り返る。
「仲間が増えたところでいつまで立っていられるかな。ずいぶん腕が立つ様だが、質で追いつけないのなら数で決める。我ら闇の者達は、闇の領土を侵したお前達を必ずや殺さねばならない。斧にかけて、闇の神々にかけて」
大オークが言った。
「その通り、潔く降伏するなら虜囚にするだけと思ってはいたが、我らの護りし風吹きの洞窟を利用された汚名と屈辱を晴らすべく我らはお前達を殺すしかなくなった。弓にかけて、闇の神々にかけてな」
ダークエルフの首領が続いて述べた。
オークの雑兵がジリジリ迫って来る。その隙間にはダークエルフの構えた長弓の矢じりが光っている。
「グレン、任せた! 皆、行くぞ、あと少しだけ生き延びていてくれ!」
クレシェイドは咆哮を上げて緑色の血だまりを駆け、オークの雑兵の間に飛び込み、剣を大薙ぎに払った。
幾つもの新鮮な緑色の血煙が上がる。
再び戦闘が行われた。だが、レイチェルを返すという大任は果たした。今度の戦いは自分達が生き残るための戦いだ。
デレンゴもネリーも剣を持って一進一退の攻防を続けている。ネルソンは言うまでもない。
そして、久しく轟く爆音は以前よりも上だった。
地を走る稲妻に打たれ、オークとダークエルフが沈んで行く。
「マイナーチェンジをしてみました。ここは殺し殺される世界ですからね。大切なものを守るなら僕だって鬼になりますよ」
雷鳴砲を連射させながらモヒト教授が言った。
「そう言って殺しはやらねぇんだろう、先生?」
デレンゴが返す刃で敵に迫りながらチラリとこちらを見て言う。
「すみません、僕に殺しはできません」
「それで良いんだよ、先生。ネリーとアンタには殺しをさせたくねぇ。だから、クレシェイド、ネルソン、俺達が踏ん張るぞ! 気合を入れろよ!」
「分かった!」
クレシェイドは応じ、ネルソンは血風を散らしながら頷いた。
背後では唸るようなグレンの声色が旋律を詠んでいる。
敵の斧を避けその背中に切っ先を振り下ろす。新たな相棒となった剣、幾多にも血を浴びながらも月光は一つも切れ味が鈍らなかった。血はするすると流れ落ち、その名の通り月明かりのように輝く刀身が姿を見せている。そして刃の鋭さは健在だ。背中から敵の革鎧を貫通し、死滅させる。
「魔術師が何か企んでいるぞ! 奴を狙え!」
ダークエルフの矢が放たれるや、無防備な魔術師の前にクレシェイドは立った。五本、嵐の如く剣を動かし弾き返したが、一本が、かつては鋼鉄以上の強度を誇っていた鎧の腿に突き立った。
「クラッド!」
敵の刃を避けながらネリーが叫ぶ。
痛みは感じるが、疲労と覚悟の方が勝っている。この程度何でも無い。
「では行くぞ! モヒト教授!」
グレンが声を上げる。
「はいっ!」
端で雷鳴砲を展開していたモヒト教授の身体が薄いピンク色の光りに包まれる。
「皆さん、後で必ずお会いしましょう! お先に!」
そう言い残すと、モヒト教授の身体は光りごと消えた。
「デレンゴ!」
グレンが呼ぶと、トレードマークの不揃いの口ひげを揺らしながら剣士は拒否した。
「まずはネリーだ!」
「嫌です、私は最後で構わない。クラッド、あなたが行った後、追いましょう」
ネリーを説得せねばなるまい。
ネセルティー、愛する人が合流してくる。ネルソンと、デレンゴが戦線を支えていた。
クレシェイドはネリーの瞳を真っすぐ見下ろした。決然たる意思を示すがごとくネリーの視線は見上げて捉えて放さなかった。
「約束する。一日だけだ」
「一日だけ? それはどういう?」
「簡単なことだ。グレンの力が戻り次第追いつく」
ネセルティーを淡いピンク色の光りが包み込む。
「クラッド、必ず戻って来て! 待ってます!」
「必ず!」
ネセルティーの姿が消えた。
「おう、次は俺の番ってわけだな。本当はお前らと一晩過ごしたって良かったんだぜ。お前らにも俺様の力は必要だろう? 違うか?」
デレンゴが颯爽と合流してきて言った。ネルソンも続く。モヒト教授にネリーが離脱し戦線が保てなかった。
「いや、悪いがこれ以上は明日になるだろう」
応じた老魔術師がよろめく。
クレシェイドはその身体を抱き止めた。
「俺が背負う。潔く去るぞ」
ネルソンが言葉通り老魔術師グレン・クライムを肩に背負い上げ、洞窟の裏手へと駆け出す。
「よっしゃ、いくぞ、クレシェイド!」
デレンゴに呼ばれ、クレシェイドも頷き、茂みに飛び込んだ。
藪を掻き分け、枝葉の下を潜り抜ける。
背後からはオークとダークエルフの追撃の声が轟き、時折矢が掠めて行った。
決死の覚悟が身体中に活力を呼び戻す。
明日を迎え、生き残れば俺達の勝ちだ。
ハザマの世界の広大な闇の領域。地図で見ればそのほんの一粒の点にしかならないであろう密林をクレシェイドは駆けに駆けた。地上へ戻ったレイチェルの幸運を祈って。
ティアイエル、約束は果たしたぞ! サンダー、ライラ、ヴァルクライム、そしてゴブリンのガガンビ。来るべき時が来たら皆揃ってまた会おう!
茂みに消えるデレンゴ達の背を追い、彼は地上で共にあった、あるいは新たに加わった仲間達に向けてそう心の中で叫んだのだった。