「運命の人」
うーん、出ない。出ない。
「ベル……」
少女は薄暗い一室にいた。
彼女の前にはガラス玉のようなものが置かれていた。拳四つ分並べて重ねたほどのそれは茶色の布の上に半ば威厳たっぷりに鎮座しているようにも見える。
一見すればその少女の黒髪と真剣な顔を映し出すだけのガラスの玉だが、水晶でできていた。
少女には見えていた。
水晶球に「ベル」という文字と、その後に続くであろう文字になり損ねた難解な文字が。
少女は溜息を吐いた。今日も駄目だった。
事の発端は昨年の夏ぐらいに、少女が興味本位で、自分の運命の人の名を占ったことが始まりだった。
少女は魔術師でも薬師でもあり占い師もして日々の糧を得ていた。
そして最近好調の兆しを見せている占いで自分を占った結果、出たのだ。
近々運命の待ち人来る。と。
そしてその名前は「ベルなんとか」らしい。
自分を連れ出してくれる王子様は果たしてどんな人物か。少女は憧れ、時折妄想し、恋い焦がれていた。
そして少女は町の入り口に立って入ってくる若い旅人に片っ端から声を掛けていた。
何故、若い旅人を選ぶかは言うまでもない。少女を連れ出してくれる王子様だからだ。それでも時には素敵な紳士にもちゃっかり声を掛けていた。
「シルキーちゃん」
冬が終わり雪が解け始めた頃、彼女と顔見知りのハーフエルフの少女が姿を見せた。
「リルフィスじゃない!」
リルフィスは相棒のレイチェルと共に北へ、闇の者との戦の傭兵として出向いていた。
既に闇の者、長らく西北部一帯に脅威を齎していたヴァンパイアロードは討たれた。そう噂でだが知っていた。
リルフィスは他の連れと一緒だった。
嫉妬するほど綺麗な有翼人の少女と、自分よりも年下のすばしっこそうな少年。そして同業者の中年の魔術師に、背の高いゴブリンだった。
長らく敵対してきたゴブリンだが、既に討滅対象からは外されていた。今は亡き前線基地の総司令クエルポの御触れによるものだ。人とゴブリンは今後は互いに手を携え合って生きてゆく。程なくして中央からも使者が派遣され、そういう旨を示す掲示物が貼り出された。
それにしてもレイチェルはどうしたのだろうか。姿が見えない。彼女が不思議に思っていると魔術師の背にその姿はあった。
彼女は眠っているようだった。
「二人とも無事でよかったよ」
シルキーが言うと、リルフィスは表情を暗くした。
そして聴かされた。レイチェルがずっと目覚めないのだと。これからひとまずウディ―ウッドに戻り、そこからエイカーの大きな療養施設にレイチェルを連れて行くことを。
「そうなんだ。私に何かできることがあれば良いんだけど。無理よね」
「気持ちだけ頂いておくわ」
凛とした素晴らしく羨ましい声で有翼人の少女が言った。
「シルキーちゃんの方はどうなの? 運命の人見つかった?」
リルフィスの問いにシルキーは頭を振って苦笑いした。
「ううん。でも、私、諦めない。レイチェル、早く目が覚めると良いわね」
「うん、ありがとうシルキーちゃん」
そこでリルフィス達とは別れた。
見送りながらレイチェルが親切だったことを思い出した。見世物としてつい調子に乗って、使役しきれないほどの、雪のゴーレムを召喚し、暴走させてしまった時、ゴーレムを止めるのを無償で手伝うと彼女は言ってくれたのだ。まるで自分のことの様に必死な顔で。
「神様、レイチェルが一日も早く良くなりますように」
シルキーは春の初めの柔らかな日差しを見上げてそう祈ったのだった。
二
キノコの笠のような赤いツバ付き帽子と、同系色の魔術師の衣装を纏い、シルキーは今日も町の入り口で運命の人探しを始めた。
「すみませんが、あなたのお名前、ベルなんとかさんじゃありませんか? え? 違う? あ、すみませんでした」
そうして来る日も来る日も町の入り口に立ち、夜は精神の限界まで占いに没頭した。
ふと、ある時、どうして気付かなかったのだろうかと、彼女は自分を責めて、日中の人探しを中断すると、脱兎の如く小屋のような家に駆けこんだ。
迂闊だったわ。
彼女は椅子に座ると卓の上にある水晶球に向かい合い、両手を翳した。
「水晶球よ、私の運命の人の姿をお見せなさい!」
すると水晶球に映る自分の顔が歪み、二人連れの背中を映し出した。
もっと、もっと手掛かりを頂戴。彼女は全身全霊を込めて力を降り注いだ。
すると男の横顔が映った。
途端にその端正な顔に彼女の胸はときめいた。
長い金髪に落ち着いた切れ長の目。
私はこの顔を忘れない!
水晶球が何も映し出さなくなると同時に彼女は卓に突っ伏して寝息を立てていた。
三
翌朝からは彼女は旅人に声を掛けることは無くなった。
瞼の裏に焼き付いている王子様の顔を見付ければ良いだけの話だ。
朝から夜まで彼女はコロイオスの町の入り口でひたすら待ち続けた。
春が過ぎ夏に差し掛かろうというときになって、彼女は「あっ」と声を上げた。
旅人達の間に金色の髪をした若い男の姿を見付けたからだ。
まだだ。まだ分からない。金色の髪の若者なんて大勢見てきた。
彼女は注意深く様子を観察した。
白い神官の衣装を着ている。腰の左右に一つずつ剣を提げている。どれも水晶球では分からなかった特徴だ。もしかしたら別人なのかもしれない。
旅人達が佇む自分の左右を通り過ぎて行く。
そして問題の男が目の前を通り過ぎようとした時に、彼女はその横顔を見て確信し、久々に声を弾ませて尋ねた。
「すみませんが、あなたのお名前にベルという文字はつきますか?」
と、切れ長の目が一瞬険しくなり右手が剣の柄に伸びていた。
「え!? いや、怪しい者じゃないです!」
「では、何故俺の名を知っている?」
相手は睨みながら静かに尋ねてきた。威圧感のある冷厳な眼差しだった。シルキーは負けじと声を上げた。
「う、占い! 占いよ! 私、占い師なの!」
「占い師だから何だというのだ? この世界で俺の名を知る者にロクな奴は……いや、そうでもないか。姉上達がいたな」
すると気味の悪い笑い声が聴こえ連れが姿を見せた。
「ヒッヒッヒ、占いで人の名を知ることは可能ではあるな」
老人だがその黒い魔術師の衣装から同業者だと分かった。シルキーは少し安堵した。案外、誤解を解く手間が大幅に省けたかもしれないからだ。
シルキーは言った。
「それに私、あなたのお顔を見ました。見間違いではありません!」
「俺の名はベルハルト。俺の顔と名を知り、どうしようというのだ?」
相手が剣の柄から手を放した。
シルキーは言った。
「あなたが、私の運命の人だからです! 私をこの町から連れ出してください! ベルハルト様!」
長かった。ずっと内に秘めていた。だが、少女はついにその言葉を述べたのだった。