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「サラ」

 森から帰って数日後、少女は誰にも告げず故郷を飛び出した。ここには何もない。彼女は力を求めて、幽鬼のように街道を流離っていた。

 時折、通り過ぎる人々が、一人旅の俯きがちに歩いている彼女に奇異の目を向けているのも知らなかった。もっとも少女の目にも何も映ってはいなかった。眼は景色とは違う別の物を見ていた。見えているのは彼女の意識に繰り返しよぎる鮮烈な惨劇の一部始終だった。

 彼女が慕っていたマンティーコアが黒一色の冒険者に首を落とされるところを彼女は何度も何度も思い返していた。

 冒険者を殺し尽したい。

 彼女は己の掌を見た。こんなに綺麗なままじゃ駄目だ。もっともっと血で汚れていないと、あの黒い男には、冒険者には勝てない。

 怪物マンティーコアは彼女にとっては祖父も同じだった。大きく異形な外見に最初は驚いたものだが、まさか言葉が通じるとは思わなかった。マンティーコアは、森で迷い、狼どもに囲まれていた自分を咆哮を上げて助けてくれた。それが最初の出会いだった。そして脚を挫いた彼女を食べもせず、ただただ語らった。面白おかしく様々なことを語らった。



 二



 彼女は充分知っていた。己の非力さをだ。

 時折出くわす冒険者達は自分よりも遥かに強そうだった。

 力が必要なのは分かるが、それでも奴らに勝てるとは思えなかった。

 しかし、何か手段があるはずだ。手段が無ければならないのだ。何かが……。

 ここがどこの町か村だろうか。どの方角へ進んでいたのだろうか。そんなことはもはや分からなかった。

 彼女はふらりと昼間の酒場に立ち寄った。節約に節約を重ねたが、路銀も底を尽きそうだった。このままだとのたれ死ぬだけだ。彼女は一抹の焦りを感じ始めていた。

 その時だった。居合わせた客の声が耳に入った。

「暗殺だとよ」

「また盗賊ギルドが動いたか」

 暗殺! これだ。彼女は人知れず喜んだ。大の大人に、冒険者にも勝てる、非力な自分でも勝ち目のある手段、それは暗殺を置いて他にはない。

 


 新たな町へ辿り着いた。ただ大きくて賑やかで華やかな町だった。それだけだったが、ここになら盗賊ギルドとやらもありそうな気がした。

 彼女は道行く女に盗賊ギルドの所在を尋ねたが、相手は驚愕に目を見開き、知らないと言って去って行った。

 そこで彼女は気付いた。華やかな表の世界では盗賊ギルドという言葉はタブーなのだと。

 彼女は裏通りへ入った。物乞いが一人壁に背を預けて座り込んでいた。

 サラは最後の銅貨を石畳に五枚置き、盗賊ギルドのことを尋ねた。

 物乞いの男は言った。

「この通りを真っ直ぐ行けば、黒塗りの扉がある。そこだ」

 サラは言われた通り歩き続けた。そして黒塗りの扉を見付けた。

 彼女は緊張などしなかった。内心歓喜した。そして扉に手を掛け開いた。

 中は少し薄暗かった。煙草のにおいが充満している。広くも無く狭くも無く、数人がただ距離を置いて屯していた。サラが入って来ても顔を上げる者はいなかった。彼女は思い切って言った。

「私に暗殺を教えて下さい! 私のおじいちゃんは冒険者に殺された! その仇を討ちたいの!」

 彼女の声が虚しく響いた。顔を上げる者はいなかった。

「帰りな。ここは小娘の来るところじゃない」

 ようやく誰かがそう言った。ここで引き下がっては駄目だ。サラがもう一度声を上げようとしたとき、一人の影が彼女の前に現れた。

 色の抑えられた服を着たスラリとした若い女だった。と、言っても一見して最初は男かとも思った。物静かで端正な顔立ちをしていたからだ。

「……教えてあげても良いわ」

 相手がそう言った。薄い紫色の髪をしている。

「おい、エメルダ!」

 手近なテーブルに居た男が声を上げたが、エメルダと呼ばれた女は片手を上げて制した。

「物好きなこって」

 男はそう言うと煙草を吹かし、こちらから目を離した。

「本当に私に暗殺を教えてくれるんですか?」

 サラが尋ねると相手は応じた。

「ただし、一度踏み込んだからには途中で逃げる様なことはできない。血反吐を吐こうが、嫌になろうが、もう盗賊ギルドからは逃げられない。それでも良いのね?」

 青い瞳がこちらを静かに見つめる。サラは頷いた。

「冒険者を殺せるなら、おじいちゃんの仇を討てるならば、私やるわ! 私を弟子にしてください!」

 エメルダはジッとこちらの眼を凝視した後に、頷いた。



 三



 エメルダの家は町の中でも寂れた、スラムと呼ばれるところにあった。浮浪者や、物乞い、貧しい人々が静かに暮らすところであった。

 サラはエメルダに手解きを受けながら彼女と生活を共にした。

 そして彼女の言うことに疑いも無く従った。街の外周を走ることと、地味な腕立て伏せなどの修練をやり続けた。筋力と体力をつけた。だが、その回数が尋常では無かった。毎度毎度エメルダはサラをしごき続けた。もう駄目だと疲労と身体の痛みに諦めそうになると、刃がその首に向けられた。「盗賊ギルドからは逃げられない」毎度の如くエメルダはそう言った。浮浪者や物乞いが興味深げに彼女の様子を見て囃し立てた。

 サラはその度に、マンティーコアの首が落とされるところを、あの黒い冒険者の戦士のことを思い出し憎悪を燃やして力を振り絞った。

 そして一年ほど経ったある日、サラはエメルダに一振りの短剣を渡された。ようやく彼女が待ち望んでいた暗殺の演習が始まったのだ。

 サラは狂喜した。



 既にサラは盗賊ギルドの一員だった。あの日、エメルダに教えを乞うことを決意した日からそうだった。

 盗賊ギルドには様々な情報と依頼が舞い込んできた。それは暗殺の他に、とある富豪の経営する運送会社の荷がどこを通るかなどであった。そうなった時には盗賊達は集団で動いて、現地へ赴き、身を潜めて待ち伏せた。無論、目的は金目の物だった。そうして隊商を度々襲った。サラも付き合わされたが見ているだけに留められた。隊商の護衛に冒険者が雇われることもあった。仲間が死ぬこともあったが、今のところサラは生き延びていた。

 そんなある日、例によって隊商を襲い皆殺しにした時、サラはエメルダに呼ばれた。

 茂みからサラが出て行くと、エメルダは足元で事切れようとしていた護衛の冒険者の男を殺すように命じた。

 男は首から大量の血を流し、その上で呻いている。放っておいてもすぐ死ぬだろうとサラは思った。

 だが、冒険者だ。その瞬間、サラの身体が震えた。それにエメルダに逆らうことはできない。心を冷たくし短剣を抜き放つ。そして男の左胸に刃を突き付けるところまではできた。

「早く始末して」

 エメルダが冷たい声で言った。

 サラは心臓が早鐘を打つのを感じていた。そして憎い冒険者だというのに、手が振り下ろせずにいた。

 その時だった。サラの手にエメルダが自分の手を重ね力強く剣を下ろした。

 肉を突き破り抉る感触が伝わって来た。冒険者は断末魔の呻きを上げて動かなくなった。

「次からは一人でやるのよ」

 エメルダはそう言った。

 男の小さな断末魔の声が、剣越しに伝わる皮を突き破り肉を抉る感触が、怯えるほど不快だった。

 だが、とサラは頭を振る。ついに自分の手で冒険者を一人殺すことが出来たのだ。

 死体から短剣を引き抜く。真っ赤で粘り気のある血がボタボタと滴り落ち地面を染める。

 手に残る嫌な感触を、耳に貼り付く断末魔の声を半ば振り払う様に狂喜の笑みを浮かべ仲間達と共にその場を離れて行った。

 それからはサラも隊商を襲う際には参加することになった。護衛の冒険者と剣を交えた。力量や技量では劣るところもあったが、エメルダや仲間が助勢し、サラはとどめを刺し続けた。

 何人もの冒険者を殺した。

 そのうち、エメルダの助けが無くてもサラは冒険者を血祭りにあげることができるようになっていった。

 彼女は暗殺業に、人殺しに慣れ親しんでいった。

 自分が冒険者を一人殺す度に、善良な魔物の命が脅かされなくなる。そう信じ続けた。


 四



 闇の中に身を潜め、標的を待った。サラの隣にはエメルダもいる。

 これは依頼では無かった。エメルダの命令だった。相手は貴族だという。

 だが、平素から冷静なエメルダの様子が今日は浮ついているようにサラには見えた。いつも氷の様に冷静な彼女からは尋常ではない殺気を感じていた。その一際鋭い目が、柄を握る力の籠った手がそれを示していた。

 程なくして馬車が一台、姿を見せた。灯りが点っている。エメルダが動いた。短剣を投擲し、素早く御者を殺害した。異変に気付いた何者かが、馬車の扉を開けて下りて来た。

 エメルダが飛び出した。ハヤブサの様だった。

 エメルダの必殺の一撃を、豪勢な身形をした相手は素早い動作で回避した。

「ワシの命を狙いに来たか! 依頼者は誰だ? グラーミソン派の刺客か?」

 標的の貴族はそう言い剣を抜こうとしたが、エメルダが襲い掛かった。しかし、貴族は場慣れした様子で剣を抜いて受け止めた。

 そしてエメルダを弾き飛ばした。

 エメルダは軽快な動作で距離を取るや、稲妻の如く斬りかかった。

 剣と剣がぶつかり合う。

 エメルダと貴族は競り合った。

 長剣と短剣の応酬が続いた。

 エメルダが距離を取ると貴族は場慣れした動作で斬り込んできた。

 敵の攻撃を受けエメルダの短剣が左右へ流される。

 あのエメルダが押されている。

 その時だった。エメルダの剣が弾き飛ばされ、繰り出された凶刃は彼女の身体を貫いていた。

 エメルダは仰向けに倒れた。その身体から剣が引き抜かれる。

「エメルダ!」

 サラは思わず声を上げてしまった。

「まだいたか!?」

 貴族がこちらを見る。サラは飛び出した。

 エメルダが横たわっている。

 サラは咆哮を上げて襲い掛かった。

 標的は赤子をあしらう様にサラの一撃一撃をいなしていった。

 サラは舌打ちし、悔し涙を流しながら、憎悪の一撃をぶつけた。

 不意に彼女の脇を何か影が横切り貴族の身体に体当たりしていた。

 影はエメルダだった。刃が貴族の左胸に突き立っていた。その手に握られている剣がグルリと回転する。

 貴族は喉の詰まった様な呻き声を上げた。そして倒れた。それはエメルダもだった。

「エメルダ!」

 サラが屈み込むと相手は言った。

「この男は私の家族の仇だった。ずっとずっと殺してやりたかった」

 口から血を溢れさせ、エメルダは言った。

「後はアンタ一人でやるんだよ。修練も仇討ちも……私はもう見てやれないからね……」

 それが彼女の最後の言葉となった。

 涙が零れ落ちる。サラはエメルダの遺体を抱え上げ、その場を後にした。



 五



 サラは長らく居ついた城下町を出て行った。

 そして行く先々で修練と称し冒険者を暗殺し、腕を確かなものとしていった。

 昼間、街の噂で自分のことが話題になっていることを知った。各地で冒険者を標的にする暗殺者がいると。

 そろそろ頃合いかもしれない。

 腕前だけでなく年を積み重ねすっかり大人になったサラは、久々に城下町へと戻り、ギルドに顔を出した。

 すると顔見知りの男達が話してるのを耳にした。

「あの黒剣のオザードがここに来てるらしい」

 オザード。かつて神官の少女の口から出たその名前も、剣も鎧も黒ずくめだった姿も忘れるわけが無かった。全身が熱くなる。憎き仇がここにいる。

 ついに見つけた。黒剣のオザード。

 サラは短剣の刃の具合をそれぞれ一瞥すると、ギルドの黒い扉を開けた。

 街はそろそろ夜の帳が降り始めるころであった。その宵闇の中へ彼女は静かに消えていったのであった。

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