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おかえり  作者: スタンドライト
7/25

考え

 実際の所そんな簡単に逃げられる訳が無いと思っていた。鬼人達の脚力は人間のそれをはるかに凌駕しているし、森の中は奴等にとってのテリトリーだ。草を踏みしめ倒木を跨ぐ行為など目をつぶるよりも簡単な事でしか無い。そんな人智を超えた存在達から集団で追いかけられるマコト達の精神状態が通常のそれでいられる訳が無い事は明らかでもあったし、それでも逃げなくてはいけない必要性に駆られていたのもまた事実だった。

もし鬼人達に対してマコト達が勝てる要素があるとするのならば、それは知恵と呼ばれるべき物だったのだろう。今はそれを結集してなんとかこの状況から脱する事だけを考えるのがなによりの最善だった。

「速く走って!」

流石のミサキもこの状況を前にしては冷静でいられなかった。額に汗をかき、全身全霊で走るその姿は正に絶体絶命を体で露わしているかのようでもあった。そしてそれはタケユキも同じであり、マコトにしてみても同一の事であった。

いや、マコトに関して言えばそれはもっと深刻だったのかもしれない。ミサキがこの状況に対してなんとか打開策を打とうとしている中、マコトはただ単純にこう思っていたのだから。やはりマコトはそういうタイプではないのだろう。

もう駄目だ。殺される。

情けない事にマコトの中にあるのは絶望感だけだった。助かる為に走っているのではなく、ただ純粋に怖いから走っているだけの、五歳の子となんら変わりの無い動物的本能のみによって突き動かされているに過ぎなかった。しかしそれとは対照的にミサキは必死に思考を巡らせこの窮地を脱しているかのようでもあった。

「タケユキ、煙幕!」

ミサキの言葉に改めて自分の装備を思い返されたタケユキは腰に提げた袋から煙幕を取り出した。しかし走りながらでは導火線に火をつけられない。

「時間を稼ぐから速くして!」

そう言った直後、ミサキは踵を返すと立ち止まり、剣を抜いていた。

「ちょ……ミサキ!」

余りにも滅茶苦茶なミサキの策にマコトも足を止めていた。しかしその実、マコトの足の裏は直ぐにでも地を蹴って村の方角へと戻りたい衝動に駆られていたのだが、ミサキの背中を見てそれをする事は出来なかった。

「時間稼ぎなんて何考えてんだよ! 無理に決まってるだろ! 速くしない――」

「だったら速く煙幕を投げて!」

鬼人はみるみる内にマコトとミサキまでの距離を詰めて走ってきていた。もう殆どその距離は無いと言っても良いのかもしれない。一足飛びに間合いを詰める事の出来る距離。その狭い空間の中にいたのはマコトとミサキ、そして十数体の鬼人達だけだった。

「構えて!」

剣を抜くミサキ。襲いかかってくる鬼人。どう考えても殺される想像しか出来ないマコト。

もう駄目だ……

マコトは剣を抜くことなく鬼人に、ミサキに背を向けていた。そして地につけていた足を浮かせ、その場から逃げようとしていた。それが一瞬の内で下したマコトの判断だった。ミサキがそれに気付いたのかは知らない。恐らく気付いていないのだろう。ミサキの目は襲いかかってくる鬼人達にのみ注がれていたからだ。しかしマコトは敵前逃亡の罪を、仲間を見捨てて逃げる罪を、負う事にはならなかった。それは本当にマコトにとっての救いだったのかもしれない。

「伏せろ!」

タケユキの言葉と共にマコトとミサキの間を縫って煙幕が投げられた。導火線につけられた火が煙幕の本体に触れた瞬間、小さな爆発と共に白煙を吐き出す。

鬼人達の驚く声が響き渡り一面は白い煙に包まれた。何も見えなく、何も視認できない状態の中、マコトは一瞬の内に恐怖を青ざめさせる。これでやっと逃げれる。身を隠す事が出来る。そう思った矢先だった。

ミサキの声が響いてきた瞬間、自分の認識が甘かった事に気付くのだった。

「伏せて!」

え?

「こいつら全員吹ッ飛ばすから、火薬玉を投げるからとにかく離れて! 考えがあるの!」

火薬玉? 吹っ飛ばす? 考えがある?

マコトはミサキが何を言っているのかサッパリ分からなかった。この煙に乗じて逃げるんじゃなかったのか? このまま隠れてやりすごすんじゃなかったのか? なぜ攻撃に転じる? 何故逃げようとしない? 考えとは一体何だ?

「離れて!」

ミサキの言葉の直後、白煙の中再び導火線に火がともった丸い物体が弧を描いて鬼人達がいた方向へと投げ出されていた。煙幕では無い。村でも秘蔵の、本当に窮地に陥った時しか使わない特性の火薬玉である。何故それをミサキが持っているのかも謎だったし、考えと言うのも謎だったが、今はとにかくこの場から離れることが先決だった。火薬玉の爆発範囲は直径二十メートルだ。その範囲内の物は根こそぎ吹き飛ばされる。

マコトは死ぬ気で走った。それこそ鬼人達に追われている時以上の危機感がそこにはあった。

どれほど走ったのかは分からないが、五秒程走った時点ですさまじい衝撃が背中を圧迫してそのまま吹き飛ばされた。蔓延していた白煙もあっという間に吹き飛び、鬱蒼としていた木々がきしみながら倒れて行く音が聞こえた。

鬼人達の叫び声が響き渡り、彼等の断末魔が阿鼻叫喚となり辺りに響く。なんとか意識を繋ぎとめたマコトが立ち上がり、そして後ろを振り返った先に待っていた光景は地獄絵図意外の何物でもなかった。

「…………」

絶句するしか無かった。まるで嵐が、竜巻が去った後のように草木が地面から根こそぎ消失していた。剥き出しになった土の上に散乱しているのは鬼人達の身体を構成していパーツ達だ。やはり人間のそれよりも体の耐久性は高いのだろう。爆心地から円状に飛び散った鬼人達は肉片とうよりも手や足、頭と言った具合にその原型を残したまま散乱していた。だが流石の鬼人達も火薬玉を直に食らってはただでは済まなかったようだ。十数体はいた殆どの鬼人達の姿がその場で散り散りとなって無残な物へと変貌していた。

「マコト! タケユキ!」

言葉を失い呆然と立ち尽くしていたマコトの耳に届いたのはミサキの声だった。我に返ったマコトが辺りを伺うと草の茂みから姿を現したタケユキが、爆心地の向こう側、十メートルほど先の木と木の間に立っているミサキが確認出来た。

「ちょっとこっち来て」

ミサキの声にどこか嫌な予感を覚えたマコトではあったが、何のためらいもなしにミサキの元へと向かうタケユキの行動に触発されたかのように歩を進めた。

考えがある。

ミサキは確かにそう言った。それが一体何なのかを確かめるべく、彼女の元へと向かった。するとどうだろう。それはマコトにとって、いやタケユキにとっても予想外の形で二人の目の前に現れた。

「見て。まだ生きてる」

ミサキの足元に転がっていたのは鬼人だった。それも片腕と片足を失った、もう自分では立つことすらできない状態の。意識はまだあるのだろう。自分のすぐ傍に立つミサキに対して牙を剥き攻撃の意思を表示しているがミサキは剣を鬼人の腹に突き立て串刺しにしている。これではもう何もできない。

マコトとタケユキが絶句しているとミサキは冷静に言った。

「多分こいついだけ少し離れた所にいたんだろうね。結局統制のとれた集団じゃないから、一番後ろを追ってたこいつだけ生き残った。ラッキーだったよ」

ラッキーと言う言葉が一体何に指し向けられているのかサッパリ分からないマコトはただ口を噤む事しか出来なかった。

鬼人の真っ赤な瞳がマコトを見る。まるで血で出来た底なし沼みたいな目だ。皮膚は垢で汚れているのか、それとも元々そういう色なのか、はたまな毛なのか、分からないくらいに黒い。触れてみれば分かるのかもしれないが、それをする気にもなれない。

フ―、フ―、という獣じみた荒い息遣いだけが森の中に響き渡る。

「どうすんだよ、こいつ」

タケユキの最もな質問にミサキはそれこそ、最もな事でも言ってるかのように答える。

「どうすんだよって、連れて帰る」

「は?」

流石のタケユキも驚いた。そしてマコトはもっと驚いて、固まった。

「連れて帰るってどういう意味だよ。村にって事か? 一体どうやって? つーか連れて帰ってどうすんだよ?」

タケユキの矢継ぎ早な質問にミサキは特になにも感じてないようで淡々と、それがまるで当然かのように答える。

「とりあえず連れて帰る方法としてはそこら辺に木が一杯落ちてるし、私のバッグとあんた達のバッグをかき集めて引き裂けばそれなりに大きい布代わりになるでしょ? そしたら急ごしらえでは有るけど鬼人一人くらい乗っけられる担架が作れるじゃん。それにこいつを連れて帰る理由だってそんなの単純じゃん。前にも私言ったと思うけど、あの村は鬼人の事何も知らなすぎる。だから何十年と同じ事を繰り返し続けてる訳。だから、まあ捕虜みたいなものかな。こいつらバカだから情報を吐くなんて事は出来ないけど直接身体をいじくってどういう構造をしているのかとか、どこか弱点なのかとか、それ位の事は出来るでしょ? まあ平たくいえば拷問の為に連れて帰るって事。っていうか、そんなの一々聞かないでくれる? 分かりきった事を何言ってる訳?」

これには思わずタケユキも目を丸くするしか無かったようで、鬼人を見て、ミサキを見て、そしてマコトを見て、しばし呆然とするのだった。

マコトは当然の如く固まったままである。いきなりとんでもない事を言いだしたミサキに対して、必死に自分の中で納得させる材料を探している最中なのである。今何かを口にして表に出す事など出来そうもなかった。だがタケユキにはまだ一つの懸念があったらしく、それを確かめるべく声を出していた。

「まさか、それがお前の言う考えって奴?」

「そうだけど。何か悪い訳?」

その言葉を聞いた瞬間、タケユキがホッと息をついたのをマコトは見逃さなかった。きっとどこかで安心したのだろう。これ以上何もいわない事を確約してくれたミサキの言葉に、安堵をおぼえたに違いない。それは勿論、マコトも同じだった。

「じゃ、さっさとやっちゃおうか。こいつらほっとくとすぐに回復するし」

ミサキの揚々とした言葉に急かされるようにして、マコトとタケユキはため息をつきながら担架を作る為適当な木を探すのだった。



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