表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おかえり  作者: スタンドライト
3/25

疑惑

             ●

 初陣にて見事な勝利を上げたマコト達新成人はささやかながらも、村にしては盛大な祝杯を交わしていた。もっともそれが村人達から注目を集めるような、誰もが笑顔で語る事の出来る場であるかと言えば、それはまた別のなのだろうが。

祝杯の会場となったのは村長の家だった。決して無礼講を許される事の無い、非常に堅苦しい酒の席だ。招かれたのは新成人達とそれを指導してきた教官、そして実際戦いで指揮をとっていたカツマタだった。対してマコト達を迎えうつのは村長を筆頭にした役場の助役と、村の精神的支柱でもある祈祷師のカヤブキだった。

マコト達の村において祈祷師と言うのは単なる祭事をまつわるだけにとどまる限定的な職では無かった。村が中央からの分離を突きつけられてから長い年月が経った。その間に村を襲ったのは鬼人の襲来、病魔の伝染、飢饉の襲来だ。それら天災が人間の叡智なしに淘汰される訳もなく、原理すら理解される事が無いのは自明の理と言っても良かった。もちろん村にも医者はいたし学識のある物はいた。しかし中央という強大な力、都市から切り離されてしまった人間達が次々に襲いかかってくる恐怖に対して明確な結論を見いだせる訳が無かった。だからこそすがるべき物が欲しかった。そんな村人達の心の隙間を縫うようにして台頭してきたのが祈祷師だった。

何にも出来ないようで何でもできる。

何の仕事もない様でいながら、常に存在している事だけが必要とされている、マコト達の村の祈祷師とはそんな存在なのだ。

言ってみれば村の祈祷師は事実上のナンバー2、いや、村長と双璧を成す違った主の権威と言っても良かった。人心を取りまとめる事に長けた祈祷師、カヤブキ。確かに彼がここにいると言う事はそれをよくあらわしていると言っても良かったのかもしれない。

およそ二十畳ほどはあるだろう畳敷きの部屋。そこで祝杯は交わされた。

宴の形式は各一人ずつに用意された御膳に座り、円を作るような形となった。マコトの両隣りにはミサキとタケユキが、その反対側にはコズエとテツヤが並んで座っていた。五人の中央に座っているのは当然ミサキである。今日の鬼人討伐の最大の殊勲者が彼女である事は火を見るよりも明らかだったからだ。

初陣での二体の撃破。

それは言ってみれば新成人の初陣史上最大の記録とも言って良かった。

「いやあ、御苦労さま」

乾杯を終えた後、対面に座る村長が主にミサキへと向けて話しを振った。現村長は村人達から余り評判が良くない。その理由の一つが高飛車にヒトを見るからだ。どことなく村人達に序列を付けて、序列の高い順に手厚く接するような、そんな様子が見受けられる。だからこそ村人達からの評判は良くないし、そして今もその通りの対応なのだろう。

「それにしてもミサキさん、だっけ? 君は凄いね。まさか初陣で二体も倒してしまうなんて。ねえカシワギさん。これは快挙としかいいようがないよな」

カシワギさんとはこの村で長年戦闘教官をしてきた老夫の事である。小ぶりな体躯と禿げあがった頭、顔から出過ぎてしまった目はどこか近寄りがたい雰囲気を感じさせるが教師としての腕は一流で、今まで数々の戦士を育て上げて来た。

「おっしゃる通りです村長。初陣での二体撃破はこの戦いが始められて以来の快挙です。それにミサキは訓練時代から大変優秀な成績を残し続けていた数少ない生徒なのです」

マコトの隣りにいるタケユキがムッとしたのが分かった。どうやらミサキばかりがもてはやされるのが面白くないのだろう。正直マコトも同じ気持ちだったし、それにテツヤとコズエだって同じ感情を持っている筈だった。

「どうだいミサキさん」

藪から棒な村長の質問。周囲から刺さるように向けられている視線。ミサキに向けられた視線はいつもそのような物ばかりだった。高すぎる能力。さっぱりとした強気な性格。見る者誰もが美しいと認めざるを得ない容姿。きっと気に入らない人が見たら気に入らないと思うのだろうなと、マコトは分かっていた。だけど実際自分はその内の一人にはなれない事も分かっていた。何故ならマコトはミサキに恋い焦がれているからだ。

「今日の戦いを終えての感想は?」

村長のぶしつけな質問にも動じることなくミサキは口を開いていた。

「どうもこうもありません」

それはいかにもミサキらしい一言でもあった。

「最悪の気分です」

場の雰囲気が一瞬にして沈黙へと向かって走った。予想外の事を言われた村長はキョトンとしていたし、教官のカシワギと先輩のカツマタは険しい顔をミサキへと向けていた。同じく新成人のマコト達は相変わらずのミサキ節にやれやれと言った感じでもある。

しかし一人だけ、周囲の者達とは少し違う表情をしている者がいた。祈祷師のカヤブキである。

カヤブキだけミサキの言葉を受けると口元を動かさずに目だけでニヤリと笑っていた。

それを目の端で捉えたマコトはどこか気味の悪い感覚を覚えるのだったが、それもミサキの次の一言によって遮られた。

「あの、村長」

意外な事を言われて思考を停止させていた村長ではあったが、いつまでも呆けている訳にもいかない。ミサキの声によって我に返った村長は自分の権威を取り戻そうとするかのように威厳に満ちた声を出した。

「なんだい? ミサキさん。なんでも聞いてくれていいよ」

だがミサキにしてみたらそんな村長の事などどうでもよかったらしい。彼女は彼女で、真剣に考えていたのだ。

「村長はこの戦いについてどのような考えをお持ちなのですか?」

それは誰もが考えていた、持たざるを得なかった疑問なのかもしれない。静まり返った宴の中でミサキの明確な意思だけが場を支配しているかのようだった。

新成人になったばかりのマコト達は小さい頃からこう教えられていた。大人になったら悪い敵と戦わなければいけないんだからね、と。そうしないと村は全滅してみんな死んじゃうんだからね、と。確かにそれはその通りなのかもしれない。実際鬼人達は攻めてくるし過去に何度も防衛網を突破されて村人が殺され、喰われた事もあった。だからこそ守らなければいけないのも分かっていた。しかしそれと同時にマコト達はこうも思っていた。

大人達は、自分達に何かを隠しているんじゃないだろうかと。それは子供時代からマコト達が持ち続けた一つの疑問でもあった。

一体何があって、どうしてこうなったのか。

村で習う勉強に歴史の授業は一切無い。あるのは基本的な文字の読み書きと計算、そして農作業の技術講習と、戦闘訓練だけだ。

マコト達はこの村の事を何も知らない。それなのに守れと命令されて命をかけなくてはいかない。しかもマコトに限って言えばまだ他にも疑問を投げかけたい事が直近にあるのだ。もしマコトがミサキのように、声を大にして疑問をぶつける事が出来るのだったらこの場は更に、また違った物へと変遷していたのだろうがそれが出来ないのがマコトでもあり、出来るのがミサキでもあるのだ。だからこそマコトはミサキが好きなのかもしれない。

「これだけ何十年にもわたって鬼人が村に襲いかかってくると言うのになんで村長は何も対策を講じようとしないのですか?」

教官のカシワギがミサキを睨みつけて制止の声をかけようとした。しかしそれを口に出す事は叶わなかった。祈祷師のカヤブキが制したからだ。何故彼がそのような行為をしたのかは分からない。しかしカヤブキは皆の疑問を余所にミサキの言葉を促す。

ミサキも少し驚いた様子ではあったが、それを受けると素直な視線を村長へと向けて再び口を開いていた。

「そもそも鬼人ってなんなんですか?」

ミサキの質問に場がざわついた。村長の隣りにいた助役が鋭い視線をミサキへと投げかけるが、彼女はそんな事などまるで意に介していない様だった。マコトはそんな助役の視線を見てどこか奇妙な違和感を覚えるのだったが、他の者達が注目していたのは助役などではなく村長の方だった。

ミサキの唐突な質問に村長はあからさまなうろたえを見せていた。額から迸っていたのは明らかな冷や汗で、視線が定まらず中空を漂っていたのは質問に対する焦りからだった。

明らかに何かがおかしい。

誰もがそう見なくてはいけない状況の中でも、それでも村長は口だけは達者に、いやかろうじて動かす事が出来ていた。

「……それに関しては未だに調査中だ」

何を言うかと思えば、言うに事欠いて調査中と言う言葉が出てくるとは、正直マコトは驚いていた。しかしミサキにしてみればそれは違ったのかもしれない。

帰って来た言葉はミサキにとって予想通りでもあり、そして落胆を促す物でもあったらしい。ミサキは深いため息を一つついた後、再び口を開いた。

「じゃあ中央との関係はどうなってるんですか?」

既にミサキの目線は見据えると言うより睨みつけると言うスタンスで村長へ視線を送っている。

「なんで中央の直轄領であるこの村に軍が助けに来てくれないんですか?」

それは聞き方を変えてみれば助けを求める悲痛な声であったのかもしれない。しかしミサキがそれを言えば、それは村長に向けた糾弾にしか聞こえなかった。彼女が何か間違った事を言っている訳ではない。正しい事を言っているのは誰にでもわかる事だった。きっと村長にだってそれ位の事は分かっていたはずだ。しかし彼が持ち合わせている言葉は既に村人の周知の事実となっている物でしか無かった。

「見捨てられたからだ」

中央は鬼人に襲われたこの村を見捨てた。何故かは誰も分かっていない。しかしそれは揺らぐ事の無い、明確な事実だった。これは村人なら誰もが知っている歴史。授業では習わない口伝によって伝えられた、中央に対する村人達の認識と言っても良かった。しかしそんな事はミサキだって分かっていたはずだ。彼女が聞きたいのはきっとそこから先の話しなのだろう。

「見捨てられた、そんな事はもう分かってます。村の人達みんな知ってる事ですからね。それは分かってるんですよ。だけど私が知りたいのはそこじゃないんです。なんで見捨てられてしまったのかって言う事を知りたいんです。村の大人達にその事を聞いても誰も答えてくれません。みんな曖昧に頷いた後中央の悪口を言ってそれで終わりなんです。ですからこの際村長に聞いておこうと思ったんです」

村長はミサキの失礼な物言いにカチンと来る物があったのと、それに加えてまた彼の中で答えづらい何かの琴線に触れでもしたのかもしれない。しどろもどろながらも般若のような形相を作りあげた村長が勢いよく立ちあがっていた。

しかし言葉を発する事はなかった。ただの一語もミサキに対して返す言葉を見つけられなかった村長が立ったまま何をしていたかと言えば、それは単純に呆けていたと言った方がその場を露わしていたのかもしれない。何故ならここでバトンタッチがあったからだ。お飾りとしてしか機能していない村長の無能さに、サジを投げたかのように口を開いたのは祈祷師のカヤブキだった。

「この村は呪われているんですよ」

村長とは対照的な、良く通る声と威風堂々としたその雰囲気から彼は村では影のトップと言われている。まるでヒトをまとめる為だけに生まれて来た能力を持つ男なのである。

「そもそも不思議に思いませんか? 中央を囲む各村は私達だけではありません。数十、数百と言う集落が存在するのです。それなのに鬼人が襲ってくるのは私達の村だけなのです。誰か、他の村に行った時鬼人の噂を一言でも聞いた事が有りますか? 鬼人に襲われて、喰われて死んだと言う話しを聞いた事が有りますか? いませんよね? 正にそういう事なんです。私達の村にしか、何故か鬼人は襲ってこない。そしてだからこそ呪われていて、中央からしてみれば気味が悪いんです。税を徴収する為に必要な村落は数百とあります。そんな中で、たった一つの村を切り捨てた所で中央にしてみればなんら痛くもかゆくもありません。だから」

「だから切り捨てたって言うんですか?」

ミサキは納得していない様だった。まるで世の中に存在する全ての言葉に対して疑いの目を向けているかのように、そんな視線をカヤブキへと向けながらそれでもなお、食ってかかっていた。

「呪いってどういう事ですか?」

ミサキの言葉は最もだった。少なくともマコトにもそう思えた。

「司祭様は一体何を言ってるんですか? まさか本当に呪いだなんて言葉を、本気で使ってる訳じゃないですよね? さっき言った全ての言葉がどれも、一つも説明になっていない事は分かっていますよね?」

「分かっていますよ。その通りです」

カヤブキの即答にあったのは素直すぎる首肯だった。そこにあるのは気負いでもチンケなプライドでも、祈祷師としての体裁でもない。純粋なる事情の説明でしか無かった。

「しかし説明のしようが無いのです。何故鬼人達がこの村しか襲わないのか、全く以って分からないのです。ですから説明のつけようもないのです。ただ一つだけ分かっている事としたら、それは奴等がこの村しか襲わないと言う事だけです。そしてそれを説明出来ないから私はこれを呪いと呼んでいます。ただそれだけの話しなのです」

「ただそれだけの話しって……」

ミサキはカヤブキの答えに、答えになっていない回答に怒りよりもまず先に落胆を覚えているようだった。中央からの切り捨て。何故襲われているのかすらわからない現実。

ミサキにとってそれが絶望の道しるべとなる解答だったのかどうか、推し量る事は出来ない。しかしマコトにしてみればそれはある種の、カヤブキにとっての都合の良い解釈にも思えて仕方が無かった。

実際鬼人達の恐怖から不安を訴える人達が心のよりどころにしているのはカヤブキの大きな声だったし、それによって自分の懐を潤わせていたのは動かぬ事実でもあった。お布施と称して社殿に入る為徴収されるそのお金がどれだけの莫大な物になっているか、この場にいる全ての物が分かっていない訳が無いのである。だからこそマコトにはカヤブキの言っている事が全てだとは思えなかった。しかし声が大きく、口も上手いカヤブキがいつまでもミサキの言葉に受け身な態勢を取っている訳もなかった。

まるで戦いにおける攻守交代を体現したかのように、カヤブキはミサキへと向けてこう発していた。

「それにしても一体どうしたんですか?」

カヤブキはわざとらしい声を作りだしながら周囲を一瞥して、そして言った。

「今日は初めての戦いを見事に勝利で飾れた記念すべき宴だと言うのに、何故今更になってそんな事を聞くんですか? 今はとにかくこの場を楽しもうじゃありませんか? それともなんですか? なにかまだ言いたい事もあるんですか? まだ聞きたい事が? それだったら何でもお答えします。酷く偏った意見で、なおかつ私の知っている情報全てに留まっている物でしか有りませんけどね。それでよかったらいつでも聞いて下さい。それにしても……」

カヤブキはミサキの目を食い入るように見つながら言うのだった。

「そもそもなんでそんな事にこだわっているんでしょうねえ?」

その質問にミサキは何かを返そうとしたが黙り込んでしまった。そしてうつむき、もう何も喋らなくなってしまった。しかし周囲の人間達は、マコト達は知っている。

過去にミサキの兄が鬼人に食い殺されてしまったと言う事実を。だからこそミサキが必死だと言う事を。マコト達、いや村人達は痛いくらいその当時の事を知っていた。そしてそれは勿論カヤブキにしたってそうだった。

だからこそ、それを知ってて尚ミサキへとそんな言葉をかけてくるカヤブキに対して、マコトは明らかな敵意を覚えるのだった。



宴が終わって帰宅したマコトはすぐにでも布団の中に潜りたい気分だった。人生の中で最も長い夜を過ごした気分だった。十六年間かけて積み上げて来た戦闘の訓練。それが今日、実戦で使用されたのだ。マコトが倣って来たことのどれだけが役に立ったのかは分からない。実際彼がした事と言えば弓を雑に射った事と剣を抜いてそれを振りあげ、降ろしただけだった。死止めてくれたのはミサキなのだ。まるで鬼人をも恐れないその狂気に満ちた顔は今でも忘れられない。彼女が今にも鬼人になり変わってしまうんじゃないかと、そんな連想すら一瞬でも過ぎってしまうほど彼女の戦いには鬼気迫る物があった。マコトに馬乗りになってきた鬼人に対して、塹壕の上から剣を振りかざし舞い降りて来たミサキ。鬼人の腹に剣が突き刺さって抜けないと判断するとすぐさまナイフを抜いてそれを頭蓋へと突き刺したミサキ。

一瞬の迷いも、逡巡もない彼女の一つ一つの動作は歴戦の戦士のようでもあった。そして彼女をそんな優秀な戦士に仕立て上げているのも、彼女自身の過去に由来しているのだろう。

兄の死。八年前。鬼人達が二十人くらいの群れで襲撃に来た時の事だった。その余りの人数の多さに村は甚大は被害を出していた。ミサキの兄だけでは無い。他にも何人もの人間が殺され、彼等の食いものとされていたのだ。だからこそミサキには村の責任者でもある村長や祈祷師にあのような視線を向けるのかもしれない。鬼人だけではない。向けるべき怒りの矛先は村井の内部にもあるというように、彼女は責任の所在を探しているようでもあった。

「お帰りマコト」

いつもの聞きなれた声が響いて来た。戸を開け土間で戦闘足袋を脱いでいると、心配そうな表情を顔に貼りつけたマコトの母が迎えてくれた。

「ただいま」

マコトは初陣を勝利で飾った興奮もなく、また宴で酒を楽しんで来た余韻も見せず、ため息を漏らす事だけを必死に我慢しながら短く挨拶だけを交わした。今日はもう寝たい気分だった。祝杯や賛辞の言葉なんかいらないと思った。ただもう、何も考えたくないとそう思ったのだ。

母もマコトの気持ちを察したのか、「お疲れ様」と短く言った後は初陣の事については何も言ってはこなかった。しかし彼女は母として、まだマコトに言わなければいけない事があった。

「マコト」

そう。それこそマコトが直近で抱えている、この村の風習にまつわるもう一つの側面でもあった。

「おじいちゃんと話してあげなさい。疲れてる所悪いけど、今日が最後でしょ?」

帰ってきて早々、とは思わなかった。最初から日取りは決まっていたのだ。もう何年も前から、何十年も前から、それは決定されていたのだ。

最期の一仕事だと、マコトは自分の腿をパチンとたたいて祖父の部屋へと向かうのだった。

そう。マコトにとって今日は別の意味でも特別な日だったのだ。



 村には新成人が成人の義のほかに、もう一つ特別な風習があった。これは成人の儀よりもずっと後、後年になって作られた物なのだがそれにしても歴史はかなり古い。村に残されている書物から類推するにざっと百年は続いている風習でもあり、また慣習と言っても良い物でもあった。

魂送りの義。

これを村の人々はそう言う。現世を全うし残す所余生のみとなったその魂を、道に迷わないように送ってあげる。それが魂送りの儀なのだ。

具体的に何をするのかと言うと、それは言葉にしてみれば驚くほど単純である。短絡的でかつ直結的ですらある。

年齢が七十歳を迎えた老人達を村の外にある施設へと送るのだ。言ってみれば姥捨て山のような、そんな意味合いともとれる政策が魂送りの儀等として大層な名前を付けられ風習として村人から認知されている事事態、彼等がその風習に対してどこか後ろめたさのような物を覚えている事は確かなのだが、しかしそれは仕方のない事でもあった。

擬人病。

七十歳を過ぎたあたりから発症されるその病気はヒトをヒトならざる物としてしまう、そんな性質があった。突然の奇声に奇行、人格の変異、他者に対する暴力的な行為に症状が末期へと移行すれば自分が誰かも分からなくなり言葉さえ忘れて何も出来なくなってしまう。ヒトでありながらヒトで無くなってしまう。それが擬人病の主たる症状だった。しかし擬人病は以前から、魂送りの儀が始まる前からそれは確かに存在していた。しかし村の人達もそれは仕方のない事なのだと、擬人病に対して寛容な気持ちで日々の生活を過ごしていたのだ。しかし百年前のある事件をきっかけに、擬人病に対する風当たりは強くなった。一言で言ってしまえば擬人病罹患者を統制、管理しようという機運が高まったのだ。百年前に起きた事件。それは簡単に言ってしまえば殺人だった。擬人病中期の七十三歳を迎えた男性の老人が、家族が寝ている所に包丁を突き立てたのだ。生き残った家族からの証言によると家の台所に包丁を出しっぱなしにしていたのと、家族が寝静まる前、老人がご飯を食べたにもかかわらず食べていないと言っていたと言う事実がそこにはあったらしい。

元々誰もが抱いていた擬人病患者に対する鬱屈とした思想はそれを境に歯止めが利かなくなった。当時まだ中央とも交流があった村は擬人病患者の収容を求めた施設を建設する事を嘆願。これに中央は快く応じ、マコト達だけの村では無い。他の村でも同じような症例が見受けられる事から全国に幾つもの施設が中央の手によって出来あがり、擬人病の患者を施設へと収容した。

当初は擬人病を発症した老人のみが施設へと送られる仕組みとなっていた。しかしいつ擬人病を発症するかも分からない、とりわけ七十歳を迎えた老人達は自分の身を置いている場所の肩見の狭さに耐えきれず自分から施設へと行く事を望む者も増えるようになっていった。それが今の魂送りの儀と繋がることになっていたのだ。村役場では成人の儀の翌日を、七十歳を迎えた老人が新たなる成人に送られる日として魂送りの儀と称し、大々的に老人を施設へと収容する事を公然と行うようになった。

最初の内は反発もあった。擬人病にもなっていない人間を施設へと送るなんて、という意見があったのは確かだった。しかし医療体制もろくに整っていない村で老人達が生き抜いていくには息子夫婦、娘夫婦に寄生するしか無くそうでもないと生きていけない以上、彼等の存在がヒトの心の奥底に邪魔者であると言う射式は拭いされなかったのだろう。

その証拠にそれ以降、大々的に魂送りの儀に対して文句を言う者もいなくなったし、なにより誰も送られた先の施設がどこにあるのかを聞く者さえいなかった。

恐らくではあるがマコトの知る限り、魂送りになった老人を訪ねに施設へと向かった者は誰もい無い。

それが何よりも動かない現実だった。

 「じいちゃん」

戸を叩いたマコトは部屋にはいった。部屋の主、祖父のトミジは明朗快活なヒトでまだまだ現役で有る。しかし今年で七十を迎える事から、明日行かなければならない。

部屋は既に片されており施設へと持って行く手荷持だけが風呂敷に包まれ床の間に置かれていた。

「おお、マコトか。成人の儀はどうだった?」

トミジはいつもと同じように、同じ調子でマコトに声をかけて来た。とても七十歳とは思えない、元気な男である。対してマコトは伏し目がちに、曖昧な返事を返す事しか出来なかった。何故自分がこんな気持ちになっているのか、マコト自身よく分かっていたからだ。そしてそれはトミジを前にして更に強くなるから性質が悪かった。

最期のお別れ、を言う筈だった。トミジは明日の早朝に出てしまう。魂送りの儀に出る老人達は朝の六時に村役場の前に集合させられ、何台もの馬車の荷台に乗せられてひっそりと村を後にするのだ。魂送りの儀などという大層な名前がついているのに盛大さの欠片もない出立としているのはそれが村人達の後ろめたさに由来しているからなのかどうか、マコトには分からない。

しかしただ、一つだけ言える事、分かっている事が有るとするのならばそれは臭い物には蓋、見たくない者は目を逸らす、そういった感情だったのかもしれない。

「そんな顔するな」

マコトの胸の内でも読みとったのか、それとも今まで何度もそういう光景を見て来たから分かる事なのか、どちらかは分からないがトミジの顔には確かな覚悟のような物があった。

「わしゃこれでも納得しとるんだから、そんな顔はしないでくれ。なにも奴隷として身売りされる訳でもあるまいに」

「それはまあ……そうだけど」

それでもマコトはどこか納得が出来ていなかった。七十と言う画一的な基準の設定にもそうだし何より、自分の祖父、トミジは擬人病などではない。それを予兆させる諸症状すら確認されていないのだ。それなのに何故祖父が施設へといかなければいけないのか、マコトには分からなかった。

「まあ、そう考え込むな。今までだって何度も送ってきただろう? 隣近所の爺さん婆さんが年ごとに消えて行くのなんて毎年の事だったじゃないか」

それは確かにその通りだった。たかだか二百人位しか人口がいない村でも、毎年七十を迎える老人は四、五人はいる。それを毎年送って来たのだ。それが親しい存在だったなら出立の前の日には家族で挨拶に行って、トミジが次は自分だからといって笑いを引き、そして二度と会う事は無くなった。それがこの村における、年を取ると言う事でもあり、必要とされている一つの祭事でもあったのだ。

そう。村の守り手を誕生させる成人の儀と同じ程に。

「わしらは施設にいった方がいいんじゃよ。擬人病云々では無く、のちのちお前等に迷惑をかける事は分かってる。自分の命、自分の創り出した家族、大切な人を守る為だけでも必死なのに老い先短い老人がなにも危険な所で殻潰しになる事もなかろう」

「でも」

「でもじゃない」

トミジはぴしゃりと言う。その強い眼差しは七十歳の者とは思えないほどである。ほんの二十五年前、戦士を引退するまで鬼人達との戦いに明け暮れていた歴戦の猛者を連想させるその雰囲気は今でも衰えていなかった。しかし現実として今は長時間走る事はおろか、弓を引く事も、剣を振る事も出来ない。それが逃れようのない、どうしようもない現実なのである。この村は絶えず戦闘状態に置かれている。それが一体何を意味するのか、それはもう明白だろう。

動けなくなった者、生産が出来なくなった者、そしてその状態でも生きなければいけない者。それら全ての物が擬人病のお題目の名の元に施設へと送られるのだ。魂送りの儀として。

マコトも分かってはいるつもりだった。頭の中では理解しているつもりだったが、それでも祖父と過ごしてきた十六年間が擬人病の名の元にあっさりと片付けられてしまうのは悔しかったし、悲しかった。しかしトミジはそんなマコトの思いを優しく包み込んだ上で否定するかのような視線を向けて来るのだった。

もうどうしようもない事は明白だった。

「じいちゃん。これ」

マコトは首から下げている、成人の儀でもらった緑黄石で出来た勾玉をトミジへと渡した。

「さっき記念品で貰った奴だけど、じいちゃんにやる」

「いいのか? これはお前が成人になった証となる物だぞ」

「いいんだ」

マコトはトミジの首に手を回し引っ掛けた。

「それをずっと掛けててくれ。そして……」

もし擬人病になったとしても、僕の事を忘れないでくれ。

思わず出そうになった言葉は寸での所でひきとめられて、呑み込んだ。トミジが擬人病になる訳なんかないと言う思いを胸に強く首を横に振った後、マコトは涙を見せない様懸命に堪えながらその薄く、細くなった背中を抱きいうのだった。

「また今度遊びに行くから」

トミジはマコトの頭をポンポンと叩き、ゆっくりと頷いてくれていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ