人魂
マコトにとっての現実は辛く、厳しく、目を背けたくなる様な事の連続だった。何故自分ばかりが。どうしてこんな事になってしまったのだろう。自分は何も悪くないのに。どうして誰も助けてくれないのだろう。
幾つも浮かび上がる後悔と転嫁の言葉。それらがマコトの中で醸成され、練りあげられ、形作る事によってマコトと言う人間を形成していった。次第にマコトはそれを誰かに向かってぶつけるのではなく、自分の胸の内で秘め、想いを言葉としてではなく、言葉を想いとして認識するようになり、それが現実としての全て、認識なのだと思うようになっていた。
言ってみればそれは癖みたいな物であり、想いを伝える為に言葉を使うのではなく、想いを自分の都合の言い様にかたどる為に言葉を使うようになっていた。
故にマコトは歪んだ現実認識をするようになっていた。ヒトはそれを一言で、逃げと言う言葉で括りつけるのだろう。しかしマコトの住む村では違った。言葉に現実を支配され、想いを安易にゆがめられ、目の前の事実から都合の良い物に飛び付き逃げてしまう。
言葉を安易に操りそれによって現実の認識を改変してしまう事を村では、言霊を操る人間。人魂と呼んだ。
人魂は呪われし存在の人間で。百年に一度。村に現れると言う。人魂が村に現れるとそこに降り立つのは災厄だった。何故なら人魂は人を憎み、現実に歪んだ認識を持ち常に周囲に対して劣等感を抱いているからだ。そして言葉を操り他者を攻撃する。古来から言葉には霊的な力が宿ると言われていた。しかしだからこそ村の人間達はそれを封印するかのように、言葉に頼っていては、すがっていてはいけないという教えを古来から、人間として生きて行く為に生物的に学んでいたのだ。しかしそんな理も弱い人間には、ヒトには関係がなかった。マコトの中で人間と言うの名の倫理が壊れ、ヒトと言う名の新たな別種の生命体が誕生したのは、この状況下では仕方がなかったのかもしれない。
何故ならマコトは元々弱かったからだ。それを懸命に押しとどめてくれていたのがミサキだったから、自分を恥じ、嫌悪し、比較する事によって辛くても現実を直視する事が出来ていたのだ。しかし今は違う。もう、既に遅かった。ミサキが襲われ、彼女の死をイメージした瞬間、マコトは純粋なヒトに生まれ変わった。そして人魂として言葉に従属する事により、何もかもを捨て去ってしまった。
「お前等ああああああああああ!!!!!」
マコトが叫んだと同時に全ての鬼人が彼に集中した。ミサキに覆いかぶさって喰いつくそうとしている鬼人達も、食事を中断してマコトを見据える。マコトはそんな鬼人達を睨みつけ、憎悪の対象とし、叫んだ。
「燃えろ!!」
まるで地の底から這い出て来た魔人を思わせるかのような低い声だった。空気が震え、床が振動し気温が上がる。マコトの頬がチリチリして、熱が顔を覆った。
「全員燃えろ! 死ぬまで燃えろ! チリになるまで燃えろ! 後かたもなく消え去れ!」
その瞬間だった。マコトが放った言葉の直後、鬼人達の身体が突然発火したのは。
まるで地獄の業火に焼かれたかのように鬼人は火だるまになり、その場でのたうち回った。マコトはすぐさまミサキの元へと駆けより鬼人を彼女から引きはがすとその場で膝まずいた。直視しなくてはいけない自分が招いた結果にマコトは目を見開き、全てを鬼人のせいにする事によって怒りを爆発させ自分の存在を保っていた。それが人間を捨てると言う事になっている事にも気付かず。
「ミサキ……」
ミサキの身体は無残にも、幾つもになって千切れていた。鬼人の爪によって引き裂かれた胸は衣類などお構いなしに引き千切られ、えぐり取られていた。今まで触れる事すらできなかったその白い肌は真っ赤に染まり、腕が根元から妙な方向へと曲がって手首から先が無くなっていた。それに腹からは腸が抉りだされており、まだ微かに残っているミサキの息に合わせて静かに、ゆっくりと上下に動いている。
「ミサキ!」
マコトは叫んだ。が、喉を喰い破られているミサキの口が声を発する事は無い。空気が抜ける音だけが彼女の口から聞こえてくるだけだった。
マコトはミサキを抱いて泣いた。こんな時に限って言葉が出て来ない事に絶望しながら、何も思い描く事が出来ない自分の頭の中の怒りを見出しながら、マコトはただミサキの事を見つめる事しか出来ない自分に無力感を覚えていた。
鬼人にしてみればこれは復讐なのだろう。自分達を捨てた、老人を姥捨て山に切り捨ててきた若者たちに、村人達に対する復讐なのかもしれない。しかしミサキにはそんな事関係なかった。今、目の前で命を落とそうとしている彼女には何の非もなかった。ただそれだけがマコトの中で輪唱し続け脳味噌を刺激していた。
「マ……コ……ト」
ミサキの口から洩れた三文字の言葉がマコトを苦しめた。既に聞く事の出来なくなってしまった告白の返事。今更彼女を強く抱きしめた所で何かが帰ってくる訳ではない。マコトにとってミサキは全てだった。しかしそれが今、正に失われようとしている。それも絶望と痛みに悶えながら、死ぬよりも苦しい一時を迎えながら。それがマコトには何よりも許し難く耐え難かった。
「ミサキ」
マコトはミサキの身体を強く抱きしめ、耳元でお別れの言葉を告げた。そして彼女を床にそっと寝かせると立ち上がり、三歩下がって、涙の膜が張ってある瞳をじっと見つめながら言うのだった。
「燃えろ」
マコトは静かに、優しみこめながら言う。
「優しく燃えろ。苦しまずに逝け。途中で迷わないように。空に舞いあがれるように。灰となったミサキを風が極楽へと連れて行けるように」
マコトの言葉を聞いたミサキは炎に包まれながらも、穏やかな表情で彼を見つめ続け、そして発する事の出来ない言葉を、口にする事の出来ない意思を、ありったけの力を振り絞って動かしていた。
ありがとう。
ミサキが最期に放った言葉がマコトにとってのお別れの言葉となった。ミサキを包んだ炎はあっという間に業火へと変わり、彼女のカルマを優しく、温かく包みこんでくれるかのように燃えがって、あっという間に消えた。白く残された灰だけが床の上に堆積し、一陣の風が吹いた。施設内で吹く筈のない風が灰を窓の外へと連れ出し、ミサキを天へと連れて行ってくれた。
それを確認したマコトは剣を抜くとミサキの逝った場所に突き立て、弓をかけた。
そしてしばらく瞑想をした後、トミジが絶命した場所へと行き彼の残した黒い灰の中から勾玉を摘みあげ、ギュッと握りしめた後、首へとかけた。
「行こう」
マコトは窓から見える空を見上げながら言った。
「全てを終わらせてやる」
誰も返してくれないその言葉に涙を浮かべながら、マコトはその場を後にするのだった。




