記録
まず最初に向かったのは三階東側のフロアに併設してある記録倉庫室だった。時折り現れる盲目の鬼人と眠りに耽っている鬼人をなんとかやり過ごしながらたどり着いた先にあったのは思った以上に大きな、観音開き式のドアだった。予想していたより倉庫内は広いようで、ドアの向こう側からでも幾つもの鬼人のうめく声が聞こえてくる。
「……ホントにここ入るの?」
マコトの声にミサキは力強く頷いた。
「当たり前じゃん」
ドアに塗りたくられた血の痕から想像するに、このフロアで激しい戦いのような物でもあったのだろう。もしかしたら後から送られてきた老人達が逃げまどい、この倉庫に辿りついて立て篭もったのかもしれない。しかし何故かその彼等も鬼人へとなってしまった。未だに進行の遅い、鬼人になりきれていない鬼人が良い例といってもいいだろう。一体何故そんな事になってしまったのか。どうして人が擬人から鬼人へと変化してしまったのか、それは謎でしか無かった。この先に本当にカツラギがいるのか、鬼人の正体を解き明かす謎が隠されているのか、幾つもの不安と疑問が渦を巻きマコトの右手を剣へと導いていた。
「開けるよ」
ミサキの言葉と同時に右手に力が入る。観音開き式のドアがゆっくりと開く。音もなく侵入し、音もなく詮索をするつもりだった。しかしいきなり誤算が舞い降りる。扉が錆びによって滑らかな動きを忘れていたのだ。ギギギと、フロアに響き渡るような不快な音をとどろかせながらマコト達の入室を許可してくれた。
「…………」
二人の間に緊張が走り、そして案の定倉庫の奥から聞こえてきていた鬼人達のうめき声がドンドン近くなってきた。
「マコト、こっち」
その場で凍りつきそうになったマコトの手を引いたミサキは速やかに倉庫の中へと入ると幾つも並んでいる棚の隙間に身を隠すようにしてしゃがみこんだ。
「あいつらは目が見えないんだから音のした所にいなきゃいいんだよ。ただそれだけなんだから」
マコトは自分の顔から血の気が引いている事に気付き、再三となる情けない気持ちに襲われるのだったがもはやこれはどうにもならなかった。タケユキが前に言ったように、これはマコトの性質なのだろう。きっと自分はこう言う事に向いていないのだ。そしてこういう時に、こういう場面でそれを認めてしまう事事態がマコトの弱さを露わしている証拠でもあった。認める事によって、言葉にして形にしてしまう事によって、逃げようとしている。言葉を利用し、すがって、従属するように。言霊の力を借りるように。
鬼人達がゆっくりと、不気味な動きをしながらドアの方へと向かって歩いて来た。数は四体程だろうか? マコトとミサキはそれを傍から見ながらその場を後にした。
倉庫は他の部屋よりも天井が高くなっており、幾つもの棚が天高く立ち並んでいた。中には棚が倒されそのままドミノ倒しのようになっている所もあったが、基本的にマコト達は棚が立っている、壁側に沿うようにして歩いた。一目で見渡す事が出来ないほどの広さを誇る倉庫だっただけに、彼等は慎重に慎重を期してカツラギ達を探した。しかし一向にカツラギ達の見つかる気配は無く、時間と神経ばかりがすり減っていく。
「いない」
鬼人達の合間を縫うようにして小声で放ったミサキに、マコトは辺りを挙動不審に伺い続けながら言った。
「もう出よう」
正直な所ここにはもういたくなかった。今まで確認した所、少なくともこの倉庫内だけでも鬼人が六人はいる。他の部屋や廊下と比べて驚くべき程の密集地帯だ。
「カツラギさん達がいないんじゃもういても意味ないよ。さっさと出て四階に行こう」
「待って」
それでもミサキにはまだすべき事が有るかのように、マコトの言葉を遮るのだった。そしておもむろに棚にぎっしりと詰まっている冊子を手に取る。紙がこすれる音が倉庫内に響き渡り何冊かの冊子がパタンと乾いた音を響かせた。それを感知した鬼人の声が徐如に近くなっていく。マコトとミサキは急いで別の場所に移動し、息をひそめ自分達の意場所を確保すると冊子を開いた。
そんなのどうだっていいじゃないか。
不意にそんな言葉が出てきそうになっていたマコトではあったが、既にぼろぼろになって今に破けてしまいそうな冊子の中身を見た時、そんな言葉は吹き飛んでしまった。
『認識番号102.突如として攻撃性を増した102は他の発症者と同じくして一度盲目になった後、体中を一気に黒ずませ視力を回復させた。その途端に体中に宿る膂力が人間のそれとは比較できないほど向上し、生命力自体が生命のそれを凌駕するまでに至るようになる。102も他と同じく監房へと隔離したがいつまでそれが続くかも分からない。じきに監房も奴らで一杯になり限界地を超えてしまうはずだ。中央に救援と調査を依頼しても未だ返事は返ってこない。所長の考えでは発症した人間は全て監房の外から弓で射殺しろの意見が上がっているが私にはどうも、それだけでは事態が解決しないように思える。私が思うに、この件には黒幕がいるのではないかと考える。なにか超越的な力を持った黒幕が、そう。入所者達のリーダー的存在となっている099が私は怪しいと思っている。発症者達は以前、みな099とよく一緒にいる所を確認している奴らばかりだ。それなのに099には同じ症状は見られず、そして周囲の者達に症状は拡大しているように思える。奴だけが正常で、他の入所者達はおかしくなりつつある。このままではこの施設が限界を迎える事になってしまう。だからこそ根本的な解決を望むしか他にないのだ。直ぐに099を拘束し、殺すべきだ。そうしないと後になって後悔する事に……』
不意に大きな音が響いた。それはミサキが棚から冊子を引き抜いたせいなのか、それともここで冊子が朽ち果てて棚の中に存在しているバランスと言う名の運命を狂わせただけなのか、実際の所は分からなかった。しかしそれは大きな音を響かせ雪崩のように冊子を地面にたたき落とし、うろたえたマコトの身体を挙動不審に動かさせ、棚にぶつかった彼の衝撃で自分達の姿を隠し、音を吸収してくれていた壁を破壊するまでに至ってしまった。
まるでドミノ倒しのように幾つもの棚が倒れて行き倉庫内の視界を開けたものへと変えた。そしてその結果に生まれた事態がどのような物になったのか、想像には難くないだろう。
鬼人が八人いた。どれもまだ進行途中の、未完の鬼人だったが真っ直ぐマコト達へと向けて走って来る。完璧に位置を把握しているようで物凄い勢いだ。
やるしかない。
マコトは剣を抜き、ミサキは冊子を捨てた。
「絶対に死ぬんじゃないよ」
状況は絶望的だった。しかしその中でもミサキは希望を捨てていない様だった。生きて帰る。ただそれだけを見つける為に、彼女は自ら鬼人へと向かっていった。だがしかし、マコトは対照的に襲いかかる鬼人の中に思いもかけない者を見つけていた。
それは忘れていたい筈だった者。気付いてはいけない筈だった者。何事もなく通り過ぎてしまえばいい者の筈だった。ただの勘違いであってほしい。マコトはそれを切に願いながら、トミジとよく似た鬼人から視線を外し違う鬼人を標的へとして剣を振るのだった。




