認知症
マコト達にはすべき事が山ほどあった。それは彼等がしなくてはいけない使命的な物と、自分達の身を守るために行わなくてはいけない、しなくてはならない事の二つに分かれたのだが、そのどちらに比重が置かれたのかと言えば言うまでもない。圧倒的に保身の為の方だった。
まずなによりも何とかしなくてはいけなかったのが親衛隊員達だった。彼等は言ってみればマコト達が何をして来たのかを知る生き証人でもある。彼等をそのまま解放する事は即ち、マコト達が村での生活を追われることになると言う事でもある。そんな事は誰一人として望んでおらず、使命を達成させるにはまず自分達の身の安全だという見解は少なからず一致していた。解放する事も出来ず、殺す事も出来ない。そんなどうしようもない状況下の中、明確な打開策が見当たらないまま下された決断は保留と言う名の現状維持だった。親衛隊員達はそのまま小屋に縄で縛られたまま監禁されることになった。鬼人とセットで今まで通り三交代制のシフトを敷いて。
しかし一方で嬉しい誤算もまた一つあった。カヤブキの発狂だった。ミサキに剣を指し向けられ、獰猛な殺意と真っ黒に塗りたくられた復讐心にほだされた彼はまるで魂を抜きとられたかのように呆けてしまっていた。今ではもう何を喋っても「ああ」とか、「うう」としか答えない木偶人形と化してしまっている。
一日中起き物の用に座っているカヤブキも同じく小屋の中での監禁を継続し、鬼人を入れて述べ八人の者達が縛りあげられ収容される事となっていた。これがとても正常な事だとは思えないマコト達だったが、活力を失ってしまったミサキを筆頭に声を大にして代案を出す者はいなく、現状がそのまま維持される事となった。
結局の所保たれたのは束の間の安定と見せかけの安心だけだった。そしてもう一方で推し進めなければいけない『使命』と言う物がある。それがあるせいでマコト達は今を蔑ろにしながら前に進みつつ、それでも後ろを振り返っているのかもしれない。
マコト達が向かった先はカツラギの家だった。鬼人の解腹作業をしてくれたあの医者の元へ彼等は向かわなければいけなかった。カツラギの家に向かっている途中、小屋の見張りを担当しているタケユキを除いた四人の間にあったのはどうする事も出来ない、気不味い沈黙だった。この沈黙が一体何故生まれたのか、どのようにしてそれぞれの各人に作用しているのか、皆それぞれ分かっているようだった。マコトも歩いている途中に視界の端に入ってくるミサキを見つめながら思うのだった。三日前に放ったあの言葉の意味を。
テツヤとコズエがミサキの、あの涙に何を見出したのかは定かではない。しかしマコトは、マコトだけは違う事でひたすら悩んでいた。結局の所見えて来たのは自分の矮小さとそれにもとずく自己嫌悪で、自己犠牲の上にミサキの未来を守ろうとした自分の行動全てがウソ臭く見えてしまっていたのだ。
『俺はミサキの事が好きだ』
三日が経った今、未だにその言葉の返事をもらえていないマコトは後ろを振り返りたくなる様な気まずさの中、ミサキと共に時間を過ごし、カツラギの元へと使命を果たそうと歩いているのだった。
「結果から言わせてもらおう」
待ってましたと言わんばかりにマコト達を迎え入れたカツラギは四人を広間へと通し椅子に座らせると直ぐに口を開いていた。
相変わらずカツラギの右背後にはタテヤマが守護霊のように直立不動で立っているが、余り気にはしない。いつもの風景。いつもの事だった。それよりも特筆すべきだったのはカツラギの興奮だった。普段から老人とは思えないような目の輝きをしているカツラギではあったが、今日はいつにも増してそれが激しく、一回りどころか何重にも回ってその瞳に称えられていた。その色は正に少年そのものだった。まるで世紀の大発見をしてしまったかのような無垢さがそこにはあった。
「あいつらの腹の中を見させてもらって分かった事がある。それは奴等にもちゃんとした内蔵、つまり肺、心臓、腎臓、胃、膵臓、小腸、大腸が一式揃っていたって言う事だ」
カツラギの言葉にマコト達は怪訝に顔を見合わせる。マコト達には医学的な知識は一切無いのだ。心臓どころから内臓という言葉すら知らず、脳味噌には医学の欠片すら存在していない。あるのは野戦の中で培われた止血と骨折時の添え木位の物である。
そんな頭の中にそのような単語を直接埋め込まれても何一つ分かる訳がないのだ。
釈然としないマコト達の顔にカツラギはもどかしさを覚えたのだろう。彼は白髪だらけのフサフサした頭をワシャワシャと搔くとこう言うのだった。
「奴等の身体は殆ど人間と変わらないって言う事だよ」
鬼人がどこから生まれて、どのようなルーツを辿り、どうやって生きて来たのか。分からない事はたくさんあったはずだが、しかし今のカツラギはある一定の可能性を見いだしているようでもあった。
「もしかしてあいつらが人間だって言うんですか?」
コズエの言葉にカツラギは躊躇いなく頷いた。そして更に、もっと深くまでその発言は及んだ。
「そもそも私が鬼人の開腹にまで至った経緯を話すと、そこにはもう一つの可能性も生まれてくる」
そう言うとカツラギは手元から一冊のノートを取り出した。そしてもう一枚紙を出す。そこには擬人病患者、つまり認知症発症者の症状が事こまかに記載されていた。ノートの方はマコト達が一週間かけて観察した鬼人の記録のようで、カツラギはページをめくるとおもむろにその一節を読み上げた。
『十月二十五日。蛍が鳴く時。鬼人はいつものように目を覚ますと、まるで今が昼であるかのように振る舞おうとする。しかし手足を縛られているせいで身動きが出来ずその事に興奮しイラつく様子もあり、激しく自分の頭を壁に打ち付けて怒りを露わにする様子も見られた。また一方で自分の頭を打ち付けた後、その衝撃で床に転がった籠をみて子供をあやすかのような優しい言葉を出す所も確認される』
マコト達は皆沈黙する。それを切り裂くようにしてカツラギは声を出す。
「認知症発症者の症状の中にある昼夜逆転と自傷行為、そして幻覚だ。他にもまだある」
カツラギは更に観察ノートをめくり読み上げる。
『十月二十六日。ミミズが鳴く時。今日の鬼人はいつもより体の調子が悪そうだ。その証拠に縛りあげられている手足が小刻みにぶるぶると震えている。それになにかの音に怯えているかのように体を竦ませる事も何度も見られる。それが一晩中続いた後、やっとの事で眠りにつくのかと思ったが、今度は失ったはずの右手右足を痛がる仕草を見せた。既に片側の手足が失われてからかなりの日数立っているにも拘らず。しかし一時間程してその痛みも消失したらしく、夜明けとともに入眠する』
カツラギはノートをパタンと閉じ、そして再び紙を見てこう言った。
「今のは認知症発症者に見られる幻聴、幻視、震戦、パーキソニズムだ」
マコト達は思わず顔を見合わせていた。それはここ数日なかったマコトとミサキの、久しぶりとなるコミュニケーションでもあったのだが、互いに気まずさや気恥ずかしさ等は一切感じる事は無かった。というより感じている余裕すらなかった。
「なにが言いたいんですか?」
ミサキの最もな質問に誰もが同意を含めた視線をカツラギへと向けていたが、彼はそれを意にも介さないかのようにこう言うのだった。
「私の見立てでは鬼人の正体は擬人病発症者なんじゃないかと思っている」
マコト達にはそれが衝撃的な発言というより素っ頓狂な言葉に聞こえて仕方がなかった。何もかもがおかしく、全ての事に対して疑問と指摘を入れたくなる様な事柄にどこから言葉を紡いでいいのか分からなくなる。
「最初に君達から鬼人の様子を聞いた時はまさかとは思った。私としても科学的に医学を行って来た身だ。決して村の呪術めいた民間伝承療法に屈した訳でもないし、それらに意味を見いだしている訳でもない。しかし君達の観察日記を見て、開腹をして中を調べて、そして確信した。鬼人が擬人であると言う事を。何かの変異によって生まれた新たな種であると言う事を」
カツラギの言っている事はいくつもの大きな穴があった。
それは一々あげつらうほどの物ではないくらいに大きく無数にあり、言ってみれば突然人間が空を飛べるようになったと断言しているような物でもあった。だがカツラギにはその幾つもの大穴を飛び越えてまで結論を確定させる何かがあるようだ。それがマコト達には分からなかった。
「いくらなんでも話しが奇抜すぎませんか? そもそも……私達には医学的な事なんて何一つ分かりませんけど、でも、その体の中が人間と一致したからと言って、鬼人の行動が擬人の症状と同じだからと言って、だから鬼人は人間だなんてちょっと単純すぎると思うんですけど。それに」
コズエは遠慮がちながらも、ハッキリと疑問を投げかける。
「もし仮にあれが人間だとしたら、なんであんな化け物みたいな力が出せるんですか? 生命力だって普通の生物とはかけ離れてるし力や素早さだって、何もかもがでたらめでおかしいんですけど」
コズエの疑問にカツラギは言葉を返さなかった。いや、返せなかったのかもしれない。なにしろ理論的な裏付けなど一つもなさそうなのだから、出てくる言葉が無いに等しいのだろう。マコトにはそんなカツラギの姿が大きな発見に目が眩んでしまった金の亡者のように思えて仕方がなかった。
「それに鬼人が擬人っていうんならその擬人はどこにいるんですか? 村には擬人なんて一切いません。いるとしたら魂送りの儀で送られた施設にしか――」
「だからその施設から奴等はやってきてるんだ」
カツラギは再び目をらんらんとさせて言った。その瞳に宿っていたのは医学に携わる学術的な光では無い。少年のようなつぶらな眼差しだ。
「既に見捨てられた施設。擬人病発症者を斬り捨てる為の姥捨て山。そこから奴等は来てるんだ。自分達を見捨てた村人に復讐する為に。だから私達の村しか鬼人が来ない」
「でも……」
コズエが口ごもる。それでもなにかがおかしかった。擬人病発症者の施設は各村によって建てられている。つまり姥捨て政策はどこの村にだって存在するのだ。それなのに何故鬼人の発生は自分達の村にだけ留まっているのか、その疑問がカツラギによって解消される事は無い。
不意にマコトは恐怖を覚える。祖父のトミジの事が頭を過ぎって悪寒が走った。
施設で劣悪な環境のもと生きているトミジ。擬人病を発症して自分が誰だかも分からなくなっているトミジ。そして鬼人になって森の中を駆け回っているトミジ。
どこにあるのかも分からない施設を頭の中で追い求めマコトは心をどこかに飛ばしていた。皆の心の中に燻る一末の、もしかしたらという不安が浮き彫りになり沈黙が生まれる。
擬人がどのようになって鬼人へと変化したのか。変異とは一体何なのか。ただ体の構造と、行動と症状が一致したからと言ってそれを確定的に断定してしまうカツラギの強い声にマコト達はあり得ないと言う思いと、もしかしたらと言う不安を抱えながら現実に絡め取られていた。
沈黙が不安を生み、不安が奇妙な想像力をかき立てていた。
しかしその時だった。
不意にその沈黙を破る出来事が起きた。それは考え、感じ、不安を覚える事を主としていたマコト達の頭を見事に切り返させまた違った、もう一つの現実へと引き戻していた。危機と言う名の言葉にまぶされた現実へ。
「大変だ!」
カツラギ家のドアを勢い良く開けて入ってきたのはタケユキだった。丘の上の小屋で監視の任務に当たっていたタケユキが何故? 皆の顔に疑問が生まれている中、彼は顔面を青白くさせながら大量に汗を流し、こう言った。
「鬼人が逃げ出した」
瞬間、誰もがその言葉にわが耳を疑っていた。




