待ち伏せ
「準備は出来た?」
小屋の中央には左目と左手を包帯でぐるぐる巻きにした親衛隊員の男、コグレが相変わらず縄で縛られ椅子に座らされていた。その背後には未だに絶命する事無く剣で腹部を突き刺され、磔にされたままの鬼人が不可解な物でも見るかのような目でマコト達を見つめている。コグレを取り囲んだマコト達は皆それぞれの表情を顔に張り付けながら哀れな男を見下ろしていた。
「準備もクソもないだろ」
既に光を失った左目に、指先の感覚を無くしてしまった左手。満身創痍名その体に出来る事などそれほど多くは無かった。
「一体この俺に何が出来るって言うんだよ」
だがそんなコグレの不満を無に帰すかのようにミサキは言うのだった。
「別にそんな気張らなくたっていいから」
まるで見当違いな言葉も、次の一言を受けた瞬間印象はがらりと変わる。
「ただあんたのご主人様をここに呼んでくれればいいだけ」
そう。それはミサキが考案した、もはや後戻りどころか脇道にそれる事も出来ない、ただ直進のみを選び取ることしかできない一方通行の道のりだった。
「もう手紙は出してるんだし、ちゃんと渡った所は確認してるから大丈夫でしょ」
「……祈祷師様がこんな一個の近衛兵だけに一人で足を運ぶ筈が有る訳ないだろ」
コグレの言っている事は最もだった。しかしマコトは知っている。マコト達は知っている。鬼人の名前をチラつかせれば奴がやってくる事を。痛い程分かっている。村に降りかかってきている鬼人の襲来を呪いと言って断定してしまう事に、彼等に何かしらのメリットが有る事は確かだった。少なくともデメリットが無いからこそ呪いと言う言葉を用いて現実から目を背けさせようとしているのだろう。だからこそカヤブキにとって鬼人が村内にいると言う事はそれだけで一大事の筈だった。
コグレの拷問から三日後の事だった。
マコトは目の前に繰り広げられている、もう既について行けていない事態の推移を思い返し、冷静さを少しでも取り戻そうとするのだった。
「祈祷師を呼び出して」
ミサキの放った言葉は衝撃的だった。そしてかつ、合理的でもあり、同時に冷静さを欠いているようでもあった。
「今からあんたに筆と紙を渡すから、それを使って手紙を書いて頂戴。内容はこう。祈祷師様の言われたとおり村はずれにある丘に建つ小屋へと向かった所、鬼人を発見した。と。そしてこうも付け加えてちょうだい」
ミサキは左目から血を流し続けているコグレを見降ろしながら言った。
「私は鬼人の事に関してとある秘密を知ってしまいました。直接会って話しがしたいので一人で、鬼人のいる小屋まで来てくれませんか?」
「ちょっと待って」
ここでついにコズエも黙ってはいられなくなったのだろう。突き進みつづけるミサキの過激な行動に楔を打ち込もうとしていた。
「いくらなんでも早まり過ぎじゃない? ミサキ、自分のやろうとしてる事分かってる? これってもう立派なテロだよ?」
「そんなのもう今更じゃん」
ミサキはコズエを見つめ返しながら、真っ直ぐに言う。
「もう既に鬼人はかくまうわ親衛隊員は殺しちゃうわで、もう後戻りなんか出来る訳ないじゃん。コズエさ、今更怖気づくのやめにしない?」
だがコズエもここばかりは負けられなかった。ミサキの事を怖いと称した彼女ではあったが、さすがにこれ以上の暴走は容認出来なかったのだろう。
「ミサキさ、そもそもの話しなんだけど、これ何のためにやってるの?」
コズエの質問に、あからさまに挑戦的な首の傾げ方をしたミサキに畳みかけるように言う。
「なんかさっきの話しを聞くとさ、もう後戻りできないから前に進むしかないみたいな感じなんだよね。確かに今の状況を考えればそれもそうなんだけど、でもさ、ちょっと冷静になってみようよ。親衛隊員の人を殺して、拷問をして、それで得たかった事って何なの? これから祈祷師様を呼び出して拉致して、それでどうしたいの? なんか降って湧いて来た幸運に乗っかるようにしてどんどん事が進んでるみたいだけど、そんなのに乗っかった所で結局は何にも上手くかないと思うよ。そもそもさっきの手紙の内容だって上手くいく保証なんてないじゃん。普通に考えて祈祷師様はこれが罠かもしれないって言う考え方だってするだろうし、一人で来るなんて保証もない。もしかしたら親衛隊を大勢引きつれて武装してやって来るかもしれない。そういう事ちゃんと予測した上で言ってるの? それにこんな急ごしらえの策で前に進むぐらいだったら引き返しちゃった方がまだマシだと思う。少なくとも前に進んだ結果失敗しちゃった場合より、全然そっちの方がいいと思う」
コズエの消極的な物の言い方は殆どマコトの意見と合致していた。しかしマコトの中にあるのは何故かミサキの感情を理解しようとする努力のような物だった。理解できない筈なのに納得しようと努力をしている。そんな自分の気持ちの中に存在するミサキへの想いに、マコトは甚だ疑問を覚えていた。
「コズエ」
ミサキは相変わらず強かった。決して相手から眼を逸らす事も、受け流す事もせず直立して立ち向かうのだ。
「コズエは私のしている事をテロだと思ってるんだろうけど、でも私はそうは思ってないよ。私が思ってるのはこれが切っ掛けで鬼人の盗伐が少しでも早く、上向きになれば良いって思ってるだけから。今まで犠牲になって来た人達、これから犠牲になるかもしれない人達、その全ての人達に対して私は戦士として責任があるから、だから行動をしているだけ。なにもやましいことなんて一つもしてない。むしろ胸を張りたい気分なんだけど」
「でも」
コズエもそう簡単には引き下がらなかった。恐らくこのままの展開が突き進んだ結果待ち受ける恐怖と、ミサキに反論の意を示す恐怖を比較しながら手探りで言葉を探しているのだろうが、出てくる物はどれをとってもミサキを非難する者でしか無い。
「でもそれがなんで村の内側に向かうの? 確かに祈祷師様は何かを知っているのかもしれないけど、だからってこんな暴力的なやり方って無いと思う。これじゃ鬼人と変わらないと思う」
「じゃあどうすればいいのさ」
ミサキは挑みかかるかのように、ギラギラとした目をコズエへと叩きつける。まるで鞭に幾つもの鋲を括りつけたかのような、そんな目つきだ。それに対してコズエは真っ白で重たい、水分を充分にすったかのような真綿を連想させる視線で対応する。
「……耐えるしかないんだと思う。今はじっと黙って耐えて、時が来た時に動けばいいんだと私は思う。だからそれまで――」
「それまで待てって言うの?」
水分を含んだ真綿は鋲のついた鞭にびしばし削り取られていく。
「コズエは未来の為に今を犠牲にすればいいって、本気でそう思ってるの? 今泣いているのは私達なんだよ? 今村に住んでいる全ての人達が夜に不安を感じて、怯えながら生活をしているんだよ? 今まで一体何人の人達が血を流して命を落としてきたか分かる? それでもまだ足りないの? 今を生きる私達は未来に生きる人達の犠牲の為に生きているの? ねえ、耐えるってどういう意味? もっと死傷者が一杯出た方が、その結果を理由に村を叩きやすいから耐えろって、そう言いたいの? 結局私達の命って数でしか無い訳? 私達は今、鬼人に命を脅かされそうになっている。そしていままで散々の命と血を流し続けて来た。それだけでもう充分じゃん。疑問が、不安が、不満が有るんだったらそれを表に出さなきゃ。そしてこれは、今回の事はチャンスなんだから。これを逃す事はしちゃいけないと思う。綺麗事だけじゃダメなんだよ。だからもう耐えている時じゃないんだと思う」
「でも……」
ミサキの言葉に激しく同調を示したのはタケユキとテツヤだった。まるでどこぞの国威に掲揚されたかのように彼等は気分を盛り上げ、ミサキの言葉に拳を握りしめていた。
一方当のコズエは未だに納得が言っていない様でもあった。というより実際マコトの見立てでは、やはりコズエのほうが分が悪いという印象はあった。何故なら、きっと彼女二人の胸の内の中にある本心を透かして見れば、そこにあるのは純然たる保身と犠牲、或いは貢献による違いだったからだ。
実際の所コズエは今からミサキが行おうとしている事に対して、自分の保身を危ぶんでいる節がある。だからこそ言葉のキレも悪く、誰の心にも響かないのだろうが、しかし対してミサキの中にあるのは保身ではなく純粋なる鬼人に対しての復讐心と、村へと向けられた怒り、村民に宿る優しさだったからだ。そこに付随すべき保身へのリスクは一切無い。だからこそコズエにとってそれは脅威となっているのだろうが、このお互いの両者の意見、どちらがヒトを惹きつけるかと言えばそんな物は一目瞭然だった。
「俺はミサキの作戦に乗るぜ」
テツヤがミサキの背中を押すように、いや、掌を使って彼女を高く掲げるようにそう言い、タケユキもそれに倣う。
「いつまでもこんな事を続けて立って意味なんかねえよ。誰だって村のやり方には不満を覚えてたんだ。ここらで行動したって何も問題なんかねえって」
とある一定の方向へと向かって流れ始めた言葉が、停滞していた風を急速に流していく。勿論風の発生源はミサキだ。流れに乗った風は勢いを付け、多くの風車をクルクルと動かす。
「マコトはどうなんだよ?」
沈黙する事を生業とし、一人胸の奥で物を語り何一つ発信してこなかったマコトに風が指し向けられた。その風車を回すかどうかはマコト次第でもあった訳だが、しかしその指し向けられた風をどうするのかなんて事は、もう既に決まっていた。
「……俺もそれでいいと思う」
コズエを見ずに言った言葉。ミサキを見つめ言った言葉。そして自分の心の奥にある保身を黙殺して言った言葉。一体どれが本当の自分の言葉なのかマコトには分からなかった。しかし事実として一つだけ分かったのは言葉を口に出した瞬間、それが本当の自分の気持ちだったんじゃないかと思えてしまう事だった。
言霊。古来から存在するその概念の用途に、マコトは逃げ込み、それこそ自己防衛に走るのだった。
既に時刻は夜の十時を回っていた。鬼人の襲来が無い事を祈りながら小屋の内部に身を潜めたマコト達はいわば一つの賭けに勝ったと言っても良かったのかもしれない。虫の音ばかりが鳴り響く丘の上で彼等は息をひそめ、小屋の中央で相変わらず縛られているコグレと、その後ろの壁に張り付けにされている鬼人を見ながら全神経を研ぎ澄ませていた。
約束の時間は十時で、既にその時は刻まれていた。
人員の配置は小屋の内側の両四隅に四人。適度に散乱し、角に追いやられたカゴ等の影に隠れるようにして身を潜めていたのがマコト、ミサキ、コズエ、タケユキで、そして屋根の上に一人。小屋に訪れる敵を観察する為と、中へと入った祈祷師、カヤブキを逃さない為の役を任されていたのがテツヤだった。
単純かつシンプルな配置ではあったが、小屋の周りには灯り一つない。暗闇が幅を利かせ我がもの顔で丘を支配している。小屋の中にある灯りはランプがたった一つだけだ。闇に乗じて事を推し進めるにはピッタリの、最高のシチュエーションでもあった。
結局の所強制参加を命じられたコズエは、それでもその場からふける事無く小屋の角の、一つの場所に位置し自らのすべき事を全うしていた。
頭上から屋根を叩く音が六回鳴り響いた。テツヤが叩いた物だ。事前の打ち合わせで叩いた音の数だけ人数を表わす事になっていた。コズエの中にあったミサキの作戦に対する弱点を突いた形が露わになった瞬間だった。音が響いた直後、ミサキも含めたマコト達の表情に色めきが立つ。音が六回ということは、祈祷師を含めたとして来訪したのが六人であると言う事だ。どういう人員構成であるのかまでは分からないが、少なくとも向こうが律儀に約束を守ってきた訳ではない事は確かだった。
マコトの中で短槍を持った親衛隊員達の姿が思い浮かぶ。確かに彼等は役場内にコネや血縁を持つ特権階級の身分でもあるエリートだが、実際その戦闘力は通常の戦士よりも平均的に見て優秀である事は確かなのだ。
守備力の高い防具を装備し、剣の倍以上の間合いを持つ短槍を持ち、そしてその技量はどれも洗練されている。戦闘とサバイバル、そしてチーム戦を重点的にたたき込まれてきたマコト達に対して彼等は村内にある専用道場で対個人戦の修練を積んでいる。言ってみれば村の中にある不穏分子を抹殺する為に訓練を積んでいるのだ。鬼人と闘うのとはわけが違う、別種の専用能力を持った人間達。それが五人もいるのだ。
マコト達にとってそれが何を意味するのか、分からない訳がなかった。戦闘に自信のない戦士たちが頼りにしなくてはいけないのは仲間との連係プレーと遠方からの精度を上げた弓術による射手だ。
しかしそれはあくまで鬼人との戦いにおいてのみで、対人戦においての話しでは無い。それにこんな小屋の中で、よしんば外に出て戦いになったとしても弓を用い戦いが出来る訳など無いのだ。戦闘の選択は剣とナイフを用いた近接戦一本で、闇に乗じての暗殺に失敗すればそれは正々堂々とした白兵戦の様相を呈す事となるだろう。それをどうしても避けたいマコトとコズエは手に汗を握りながら、ナイフをギュッと掴んだ。
扉が開き中に何人かが入って来た時が勝負だった。足を忍ばせ呼吸を殺しナイフを振りかぶれ。或いは夜目の利いたその目で相手の首に手を回しナイフを横に引け。
もしマコト達に一つでも有利な物が有るとしたらそれは夜目だった。常に夜の、森の中での戦闘を経験してきたマコト達には暗がりの小屋の中でも充分に周囲を見渡す事が出来る。その一点にマコトは掛けるしか無かった。
ドアがドンドンとたたかれる音がした。次いで聞こえて来たのは村で一番声の大きい、誰よりも影響力を持つ人物の物だった。
「コグレ。いるのか?」
祈祷師、カヤブキだった。ドアのすぐ横に陣取っていたミサキがナイフを構え、戸が開いた瞬間に襲いかかれるよう準備をしていた。コグレの口には布を巻いており声を出せないようにして置いた。何の反応も返ってこない現状に不信でも感じたのか外で何やら話し声が聞こえてくる。何を話しているのかは分からなかったが、少なくとも最初に足を踏み入れるのがカヤブキでない事だけは確かだった。
「カヤブキ以外は全員殺すよ」
ミサキの小さな声に緊張が走った。
「コグレ。入るぞ」
声がした直後、そして戸が横に開いた瞬間だった。
ミサキは動いた。態勢を低くしながら月明かりが入り込んで来た戸口に立つ一人の男目がけて膝のばねを使いながらナイフを上に斬りあげた。ナイフの軌跡は綺麗に男の首元目がけて紡がれていたが間一髪でそれは交わされた。男の頬に鮮血が舞い一秒にも満たない細かな時間だけが切り取られたかのようにスローモーションになった。
初撃を交わされたマコト達にとって、それは命取りになりかねない事実だった。しかしミサキは構わなかった。
「何者!!」
初撃を交わした男が叫ぶのと同時に胸倉を掴み左足を相手の足へと引っ掛けたミサキはそのまま体落としをしかけようとした。しかしミサキよりも体躯のある男にそんな力技がすんなりと入る訳もない。態勢を崩された男ではあったが、残った足をそのまま踏ん張らせて体をミサキの背中に残していた。
「舐めるなよ」
男が片方の手で持っていた短槍の柄を使ってミサキの頭を殴打しようとした瞬間だった。闇から飛び出してきたタケユキが剣を突き立て男に向かって突進した。
「あああああああああああ!!」
剣は男の脇腹へと突き刺さりそのままミサキを下敷きにしたまま崩れ落ちる。だがまだ敵は四人もいる。
「襲撃だ!」
「テツヤ!!」
親衛隊の緊張が極度に高まった瞬間だった。タケユキが頭上目がけ叫び、そいてテツヤが呼応した。現場から逃げようとしたカヤブキの道を阻むようにして地面に降り立ったテツヤはすぐさま突進をした。カヤブキを殺す為ではない。彼を小屋の中に入れる為にだ。そうする事によって他の親衛隊員達も小屋へと入れて戦闘を運ばせるのだ。彼等の装備が短槍である以上、それは鉄則とも言えた。
後ろに吹き飛ばされたカヤブキはそのまま小屋の中で倒れこんだ。途中入口で倒れていたミサキと親衛隊の男に足を取られて派手に転んだカヤブキはコグレの足元まで転がり、そして止まった。
「貴様ら一体――」
「かかれ!!」
タケユキが叫んだのと同時にコズエとマコトも親衛隊員達目がけてナイフを振りかざし、走った。
最初の一撃で仕留めるんだ。
カヤブキの周りを取り囲んで周囲を伺う親衛隊員にマコトは突進した。怖さで足がすくんでしまうのではないかと思ったが、意外なほどに足はスムーズに動いてマコトの身体を前へと押し出していた。人間達の殺し合いに興奮した鬼人が喚き、囚われの身のコグレは事態の推移に慄き、そしてマコトはカヤブキの右脇を守護する親衛隊員めがけてナイフを突き立てた。
闇打ちは成功した。計画通り親衛隊員達は暗がりの中の戦闘に慣れておらずマコトのナイフが体に突き立てられた瞬間、第四、第五の刺客に気付くのだった。しかしそれ以上に誤算だった事もあった。
それはマコトの闇打ちに関しての技量の無さだった。
極度の興奮状態にあったマコトがナイフを突き立てた先は首では無く肩だった。それはもう勢い余ってとか、狙いを外したとかそういうレベルでは無く、ただ単純にナイフを刺す事だけで頭の中身が一杯だったマコトの限界だったのかもしれない。
ナイフを肩に突き立てられた親衛隊員は小屋内に響き渡る他の阿鼻叫喚、戦闘音に紛れて苦渋の声を出していた。しかし肩を刺されただけで戦闘不能になる訳がない。得意の短槍を封じただけでまだ彼には攻撃の選択肢も残されていた。
「お前……」
剥き出しになった殺意と敵意がマコトへと注がれる。マコトは怯みそうになりながらもナイフから手を離すと剣を腰から抜き構えた。
「……くそ……」
出てくる言葉はたった一言だけでしか無かった。
「くっそおおおおおおおおおおおおおお!!」
剣を振りあげ真下に降ろす。目一杯振り下ろした剣は床へと突き刺さり鈍い衝撃を手に残した。
斬撃を間一髪で交わした親衛隊員は肩に刺さったナイフを抜く暇もなく攻撃へと転じて来た。まだ動く左手の拳が真っ直ぐマコトの頬へと目がけ飛んでくる。正にクリーンヒットだった。マコトは頬を殴られそのまま床に転がった。口の中が切れたらしく血の味が一杯に広がる。痛みの余りその場でうめき倒れたい衝動に襲われたが、そんな事を許してくれる時間も無ければ余裕もない。
仰向けに倒れたマコトに馬乗りになった親衛隊員はナイフの刺さっていない左手で、全身全霊の力を込めてマコトの首を締めあげようとして来た。
「……が……あああ……」
醜い呼吸音が喧騒の中漏れ、意識が遠のく。両手で男の手を払いのけようとしたが、みるみる内に力を失わされて行くマコトにそんな事が出来る訳など無かった。視界がどんどん不明瞭な物となり明滅していく。しかしそんな中でも見えたのは右肩から生えているかのように突き刺さったままのナイフだった。
咄嗟だった。まるで崖から落ちた時、たまたまそこに突起物があってそこを掴むかのように、反射的に、本能的にマコトの手は右肩に突き刺さったナイフへと延び、掴んでいた。
「!!」
親衛隊員の男が驚き、対応をする間もなくマコトはそのナイフを一回転させる。
「がああああああああああああああ!!!」
男がのたうちまわり首を絞めていた両手を離した。しかしマコトはナイフを離さない。苦しみの余り咽せ返りながらもひたすらナイフを回し、傷口を広げながら、切創を弄り回した。
そして親衛隊員が余りの痛みで泡を吹き、白目を剥きながら気絶したのを境にナイフから手を離した。瞬間的にミサキの「殺せ」という言葉が思い返されたがとても自分には出来そうもなかった。そして今はそれよりも周りを見る事の方が優先されると思った。
周囲を見渡すとそこはまさに地獄絵図だった。そしてその地獄の中で懸命に戦っている少女が二人いる。一人は剣を操り、大男と対等に渡り合い、そしてもう一人は丸腰で短槍の切っ先を喉元へと突き立てられていた。更にもう二人の少年は互いに腕から血を流し、満身創痍で戦っている。一体自分はどうすべきなのか。どう行動をすればいいのか、マコトが最も苦手とする瞬間的な判断を求められた一瞬でもあった。しかし幸いな事にこの状況下ではマコトの臆病さが功を奏す事になる。
「動くな!」
マコトの目の前にいたのは殺し合いの輪の中で一人、ポツンと立っている男だった。怯えながら所在なさげに、まるで自分の存在を消し去ろうとしているかのような弱者に対して、マコトが取るべき行動は弱さから来る結果論でしか無かったが、しかし実際の所その判断が全てにおいて正しかった。
「全員動くな!」
倒れ込んだ親衛隊員からナイフを抜きとりコグレの前であたふたしているカヤブキの背後に回り込むとそれを首へと押し当てた。
「動くとこいつを殺す」
もう誰とも戦いたくない事から飛び出した行動だったが、それは戦況を一変させるのだった。
「貴様……」
コズエの喉元に短槍を突き立てようとしていた男が歯軋りを奏でながらマコトを睨みつけ、他の親衛隊員達も標的をマコトへと目がけ鋭い視線を投げ付けていた。しかし彼等の行動を制したのは他の誰でもない、マコト自身でも無ければ彼等自身でもない。人質に取られたカヤブキ自身だった。
「お前等……妙な事はするなよ!」
震える声。怯えた瞳。たじろぐカヤブキ。
村一番の影響力を持つカリスマの声に威厳は無かった。あったのは権威をかさに来て保身ばかりに気を遣う為政者の声だけだ。
「お前等が動いたら私が殺されるんだ……いいから黙って武器を捨てろ!」
親衛隊員達に最後通牒を渡したカヤブキに呆れでも覚えたのか、今し方まで命のやりとりを繰り広げていたミサキは冷笑するかのように息を吐くとこう言うのだった。
「ほんと最高だよ。最低なのに最高なんて、こんなの生まれて初めてだ」
程なくして親衛隊員達が武器を床に投げ捨てたのは仕方のない事だった。




