観察
何故カツラギが突如として鬼人を見てくれる事になったのか、その詳細な理由は結局誰にもわからなかった。七十七歳の足とは思えないような歩きで村はずれの丘の上にある小屋まで辿りついたカツラギは戸を開けて鬼人を見た瞬間顔をしかめたが、それでもそれ以上の何かを感じ取っているようだった。
時刻は夜の八時を回っており、鬼人も昼に比べて活発になっている様子が見受けられていた。片方ずつの手と足がないにもかかわらず、ろくに食料や水も与えていないにもかかわらず壁に鎖で貼り付けにされた鬼人は部屋に入ってきたカツラギ達に対して穏やかな唸り声を上げていた。特徴的な真っ赤な瞳に宿っていたのは攻勢のそれではなく、まるで愛おしい物でも見るかのような慈愛だった。
その証拠に鎖で繋がれながらもわずかに動かす事の出来る左手で、まるで小さな子を呼ぶように手招きをしていた。
「……ミサキさん」
カツラギは鬼人を真正面から食い入るように見つめ続けている。
「この鬼人を捉えてから何日くらい経っているんだ?」
カツラギの言葉にミサキは素早く答えた。
「五日ですけど」
「五日間ずっとなにも食料や水は与えていないのか?」
「はい」
どことなく非難をされているような感覚に陥るマコト達だったがそれも仕方のない事だった。少なからずマコト達だって鬼人が鎖を引きちぎって外に逃げ出す事は恐怖していたのだ。だからこそヤツに力を取り戻させるような事はさせたくなかった。それに水を呑まずとも、食料を得ずともそれなりに生きる事の出来ている鬼人にその必要性は感じられなかった。
体中の皮膚が木の幹のように黒ずんでいるその様子は傍からみても何も分からなかったのだろう。どこを見ているのかわからない瞳も、ただ顔の下部に設えられたポッカリとした穴も、全てがカツラギにとっては未知で、観察するには情報不足だったようだ。
「鬼人に触れる事は出来るのか?」
カツラギの言葉に一同は目を剥いた。そんな行為は考えた事もなかったからだ。
「とりあえずヤツの健康状態を調べたいんだ。脱水の状態もみたいし、どれだけ体が弱っているのかも、触診で診てみたい」
「危ないですよ」
テツヤが冷静に言った。それはまるで人がトラを危険と示す言い方とは別に、汚物を指し示すニュアンスも含まれた言葉の様でもあった。
「いきなり何をしでかすか分かりませんし、いくら鎖で繋がっているとはいえまだ口は動かせるんです。咬みつかれる可能性だってあります」
「…………」
テツヤの言葉にカツラギは考え込むようにして黙り込んだ後、ぱっと顔を上げて鬼人の目の前まで歩いて言った。
「カツラギさん!」
ミサキが声を出すのと同時にカツラギが鬼人の肩に手を触れる。すると鬼人はさっきまで見せていた穏やかな顔を一転させて牙を剥いて来た。触れられた瞬間に見せたのは身体をビクッと震わせた、小動物のような反応の良さだった。
すかさず手を引いたカツラギはその場で立ち尽くしたまま数秒間鬼人を見つめた後、またしばらく沈黙してからマコト達へと振り返った。
「しばらく観察をしたい」
カツラギの顔は今まで見せていた凛とした者とは違っていて、どこか冷静さを感じさせる、冷たさを抱かせる物だった。
「少し私の中で確かめたい事が有るんだが、一度時間をかけて観察をしたい。だからその為に少量で良いから水と食料を与えてほしいんだが、いいかな?」
マコト達はミサキを筆頭に顔を見合わせていた。鬼人の恐ろしさはその身を以って嫌と言うほど知っている。奴等が回復した時に得る事の出来るその身体能力は脅威と言っても良いのだ。
「確かに不安なのはわかる。さっきまでと言っている事が違うじゃないかと憤りを覚えるのも事実だろう。しかし確かめたい事があるんだ。その上で最終的には身体を開いて中を調べてみたいと思っている。もちろん殺しはしない。麻酔が効けばの話しだが」
「確かめたい事って何ですか?」
コズエの遠慮がちな言葉にカツラギはしばらく黙りこんだ。恐らく言うか言うまいかを選択しているのだろうが、どうやら後者を決め込んだらしい。
「まだ何とも言えない。本当に、ただの可能性でしか無いから。ただだからこそ事こまかに観察して欲しい。一日の様子を、そうだな。ノートにでもまとめて記録して欲しい。排泄はどうしているのか、何時に寝ているのか、何に興味を示すのか、音に対してどのような反応を示すのか、視線はどこに向かわせているのか、声を上げる時の周囲の反応やその種類、全てを事細かく観察して、記録して欲しいんだ」
マコト達は頷くしか無かった。いくら鬼人に食料を与える事に拒否感があろうとも、それが専門家の意見による物ならば仕方がない。彼等は指示を与えてくれる存在を求めていたのだから、それは当然の事だった。だがやはり気になるのはカツラギの一変した態度だった。
カツラギは鬼人に対して一体何を見出したと言うのだろう?
「もし私の予想が当たっているのだとしたら、これは大変な事になるぞ」
カツラギの見据えている先が遠く彼方にある事。ただそれだけしかマコト達には分からなかった。
その後の一週間は観察と持久の日々だった。今まで小屋の外から二交代制で監視をしていたのを廃止し、シッカリと小屋の中に入って鬼人を目の前にして監視する体制へと変更したのだ。
二交代制も集中力持続の困難や疲労の蓄積による理由から三交代制へと変え、少ない人員を補う為にカツラギの護衛を努めているタテヤマもマコト達のシフトの中へと組み込まれる事となった。
カツラギの護衛に関しては大丈夫なのかと、真っ先にミサキが問い質したがタテヤマはともかくカツラギはそんな懸念を吹き飛ばすかのように、あっさりと首を横に振った。というよりもその案をまず最初に出したのがカツラギだったのだから、それは意外というより驚きと言っても良い事だった。若干、タテヤマが不満そうな顔をしていたのが印象に残っているがそれも今からしてみれば無駄な話しでしか無かったのだろう。
何故そこまでしてカツラギが鬼人の観察に入れ込んだのか、一体何を見出したのか、誰もが首を捻り続ける中、それでも時は刻々と過ぎて行った。
一週間の内に二度、鬼人達の襲撃もあったが、その際小屋を留守にする代わりに監視してくれたのはタテヤマだった。何故彼が戦闘に参加しないのか、どうやって成人の儀をくぐり抜け戦士としての道を踏み外したのか、その詳細は未だ謎に包まれたままだったが、そんなタテヤマの功績もあってか、一週間でカツラギから渡されたノートは一杯に満たされつつあった。
まず最初に分かった事と言えば鬼人が夜行性だと言う事だ。
これは元々予測されていた事柄の範囲内ではあったが、しかし実際にノートを取って情報をまとめてみるとその習性は如実にハッキリと現れていた。
夕方の五時頃から起き始め、夜の八時にはその赤い瞳をランランと輝かせる。よくよく観察してみると起きてる間中、何かを口走っているがそれが何を露わしているのかは定かではない。
一週間分のノートを繰ると誰かと会話をしているようにも見え、幻覚、幻聴の類が常に見えているのではないかと思われる所もある。
元々自分達の頭で考え、情報を収集してまとめる作業をしてこなかったマコト達だけにノート内の整合性はひどい物だった。
項目ごとに情報を分けてはいるが話題があっちに行ったりこっちにいったりとせわしなく、全くと言って良いほどまとまりがない。
その余りにも酷い状態に口を差し挟んだのがタテヤマだった。
このままではカツラギ先生に申し訳なさすぎる。
タテヤマはそう言って無愛想な顔をいつも以上にむっつりさせながら、それでも尊敬するカツラギ先生を煩わせない為と、黙々と作業をするのだった。その姿はマコト達との間に奇妙な連帯感のような物を共有させ、結果誰もが抱いていたはずのタテヤマに対する疑問を解消する事にも繋がった。それが一体今後どのような作用を六人の間にもたらすのか定かでは無かったが、少なくともこの時点でマコトはタテヤマに対してこれと言った悪感情を覚えていなかったのは事実だった。
昼夜逆転を毎日のように繰り返す鬼人は他にも様々な習性が診て取れた。
幻覚、幻聴、幻視、震戦、暴力性。
細かい所まで列挙していけばそれらの数に暇はないのだろうがカツラギの指示通り、マコト達は事こまかに鬼人の観察を行った。一日のタイムスケジュールまで作成し平均睡眠時間から水分摂取量、食事の摂取速度に至るまで、全てを網羅した。その中でも特に印象的だったのがまるで自分の子をあやすかのように、優しい声と表情を見せる柔の部分と、そして夜間の深夜に入ると垣間見せる攻撃的で可逆的な面だろう。
鬼人は覚醒している時、基本的に幻覚を見ているようで常に何かしらの物体に対して自分だけの現実を作りあげてコミュニケーションを取ろうとしている。その最たる例が籠や箱などを赤ん坊に見立てて抱こうとする母性愛を露わした行動だった。
コズエが為しに毛糸で出来た人形を渡したらしいが、人形を受け取った鬼人はより一層の愛情を注ぐように人形を大切に抱え、そして対照的に視界に入っているマコト達人間に対して攻撃的かつ威圧的な態度を取るようになった。
これにもとずいてノートは一つの疑問に辿りつく。
果たして鬼人は子を生む事が出来るのだろうか。
だからこそ子をあやすと言う習性が幻覚の中でも垣間見えるのだろうか? だとしたらどうやって鬼人は子を産むのであろうか? オスとメスに差異はあるのだろうか? 産んだとして、このような重度な幻覚幻聴の中、本当に子を育てる事が出来るのだろうか? または幻覚幻聴はこの鬼人に限った話でしか無いのだろうか?
結局の所ノートが行きつく先はカツラギに対して投げかけるしかない疑問ばかりだったが、それはそれで無事一つの任を終えたと言っても良いのだろう。
一週間。
約束通りノートを手渡したマコト達に帰って来たのは満足そうな顔をしたカツラギの笑顔だった。
「お疲れ様」
一週間前に会った集会所ではなく、カツラギの自宅で面会となったマコト達は所在なさげに椅子へと座り肩を狭くしていた。村の影の指導者となりつつある名医の家は思っていた以上に小さく、貧相な造りだった。
しかしそんなマコト達の狭い肩身等は気にした様子もなく、ノートを受け取ったカツラギは勢いよくページをめくり興味深そうにその内容へと視線を投じていた。
一体これらの情報からどれだけの事が分かるのか、マコト達は息を呑んでカツラギを見守っていたが、結論は思いの外早く、あっけなく導き出される事となった。
「……やっぱり」
あっという間にノートをさらったカツラギは嘆息混じりに声を出すと、更にもう一息大きく深呼吸してからこう言った。
「少し……中を開いてみようかと思う。確認したい事が有るんだ」
マコト達五人の間で幾ばくかの沈黙が生まれる。
「……開く?」
テツヤが恐れ多い言葉でも聞いたかのように復唱し、そしてカツラギは冷静に説明を始めた。
「解剖をしようと思うんだ。ただ解剖といっても心配はしないでほしい。ただ腹を開くだけ、殺しはしないから。せっかくの研究材料だからね。そんな簡単に殺しても勿体ないだろう。だから細心の注意を払って行うから安心してくれ」
安心してくれと言われても、マコトだけでは無い。ミサキすらも含めた五人全員が顔をヒクつかせている。
「とりあえず鬼人にも効く麻酔を調合するからしばらくの間待っててくれないか。そんなに時間はかからないだろうし、あと解剖の手伝いはタテヤマに行ってもらうから。君達はその間は小屋のお外で待っててくれないか。無理に立ちあう必要はないから」
中央でもかなりの数の解剖を経験して来たのだろう。カツラギは淡々と言葉を紡いでいた。そこには生き物を捌くという事務的な概念しか無いかのようで、命をかけて鬼人に対して刃を突き立てるマコト達とは全く違った種の感情が由来しているように見えた。
命をかけて刃を立てるのではなく、未来をかけてメスを立てる。
それがカツラギ達研究者にとっての刃を振るう理由なのだろう。だからこそマコト達にとってのカツラギは異種としか感じようがなかったのだ。
しかしミサキも負けてはいなかった。彼女自身、村に対しての疑念もそうだがそれ以上に、何より前提としてあるのは兄を殺した鬼人に対する憎しみなのだ。鬼人を滅ぼす為ならと、少しでもその為に役立てる事があるのならばと、消極的な姿勢を見せる訳がなかった。
「私にも手伝わせて下さい」
結局手を上げて解剖の立ちあいに立候補したのはミサキだけだった。マコトを含めた他の四人は皆伏し目がちにカツラギから視線を外し続けていた。誰もその事柄に触れたがらないように。無かった事にしてしまいたいかのように。
「じゃあ準備が出来たら声をかけるから。それまで観察は今まで通り続けててくれ」
カツラギの声だけが家の中に響いた。マコトにはその声がどこか嬉々としているような感じがして、なんとなく嫌な気分になった。




