プロローグ
プロローグ
言葉。
それはいつの時代も変わらず常に、ヒトがヒトとして生きる為に存在し続けて来た一つの道具だった。ヒトが培ってきた何千何万という歴史もその土台にあるのは言葉だ。ヒトは言葉なくしては生きて来れず、その存在を後に伝えることすらできなかった筈だ。
記録。記憶。思い。想い。誓い。行動。情動。激情。怒り。悲愛。
言葉の持つ多様性は常に豊富で、ヒトの生きるという行為に積極的に、親密に関わって共存していたと言っても良いだろう。また、ヒトが自分と他者と言う存在を明確に区分けできる者だという点についても言葉は大いにその役割を全うしていると言っても良かった。言葉はこと対人関係においても必要不可欠と言っても良かった。それはある意味、言葉が有るからこそ生まれた隔たりなのかもしれないし、跨がなければいけない事象でもあったのかもしれない。
言葉が人間を繁栄させたのか、ヒトを脆弱化させたのか、それは定かではない。
それこそこの問題は後の世に存在しているであろう人間達が言葉を用いて、その意義を推し量ろうとするのかもしれない。
矛盾していると思うだろう?
しかし結局ヒトが人間として生きて行く以上、思索的活動を言葉に由来させてしまっている以上、それは逃れる事の出来ない輪廻のような束縛でしか無いのだ。
言葉は確かにヒトを人間として象らせて来た。言葉がヒトとヒトを繋げたのか、それとも隔たりを確たるものにさせたのかは判然としない。しかしその功績はしかるべき物として評価はしなければいけないのだが、だからといって言葉が万能、と言う訳でもない。
言霊。
その言葉を知っているだろうか?
言霊。それは言葉によって己が思いを支配された哀れな霊を指す。霊。つまりはその人の魂と言い換えても良いだろうか?
人魂。
世の人々は言葉の限界と言う物を知っている。何故なら言葉はウソをつく事も出来るからだ。だから相手の想いを慮る時や、自分が誰かに対して何かを露わにする時、そこに付随させるのは行動なのだ。言葉ではなく想い。想いの伴った行動。それがヒトでヒトであるが由縁なのかもしれない。
しかし古くからの言い伝えとしてこんな物が有る。
『想いが言葉を形どり、言葉が行動を表わし、行動が結果を生む』
それがヒトとしての、生きて行く上で順守しなければいけない模範的な倫理として定着している考え方でもあった。しかし時にはそれを全うできないヒトもいる。それがこれだ。
『言葉が想いを縛り、行動を導き出して結果を生む。即ちこれを弱者と呼ぶ』
ヒトは言葉を駆使するべきであって、服従させられてはいけないのだ。
ヒトは言葉の支配者であれ。決して支配されてはいけない。
古くから伝わる偉人の言葉にあるように、言葉に支配された人間を温かく見守る風習はこの世にない。あるのは辛く厳しい現実的な世界だけだ。言葉に支配をされてきたヒト達、依存をしてきたヒト達は社会的弱者として蔑まれる。それは差別と言うよりも人間間で起きる能力を理由とした劣等的な視線から生まれているのかもしれない。
今の言葉から分かるように、結局人間が言葉の支配から逃れられていない事は明白としているのかもしれない。強者と弱者によって隔てられている世界もまたヒトと人間によって隔てられている世界となんら違いはないのだから。
しかし言葉を軽視する一方で、こんな伝説が各地に残っていることもまた事実だ。
人魂。
先ほども話したように言葉には霊的な何かが宿っている。それは言葉単体が持つ、この世に具体的な何かを影響させる一つの要素みたいな物であるのかもしれないし、また違った別種のものでもあるかもしれない。
しかし古来からその言霊を操れる人間がいたと言う事実もまたそこにはあった。
ことさら言葉に深く依存し、言葉によってのみ想いを縛りあげられて、盲目者のように行動を起こし、結果を導いた人間にはすべからく特殊な力が宿ると言う。
言葉によって支配された人間が辿りつく先にあるのが言葉による従属とそれにもとずく影響力、なのかもしれない。
言葉の盲信。
それがそんな力を生みだし言霊を利用し、人魂として自らを弱者と言う存在から異端者というイレギュラーな存在に発展させたのかもしれない。
それは生物学的にしてみれば明らかな突然変異なのかもしれないが、しかしそれは確かにいた。
言葉が生まれてからの長い歴史の中で、言葉を盲信し、縛りあげられ、言葉によってのみ生かされて来た人間が、そのような超常的な力を持つ事が、許された存在がいたのかもしれない。
しかしそれもまた言葉によってのみしか記す事の出来ない、盲信しない者にしてみたら信じきる事の出来ない情報でしかないのだが、しかし。
言葉とは裏腹に、自然として存在している物理的法則の中に記録された世の中に、それは確かにいた。
人魂。
言葉を操り、盲信した哀れな人間の姿が。現実を否定し、自分の中で世界を作りあげそれにすがっていた人間の姿が。
そこには確かにいたのだ。




