私のカウント
意味のない話し。深く考えないのがベスト。彼女は、彼は不思議な人である。
ある惑星が地球に近づいてるらしい。何十年に一度接近してくるそうだ。ニュースではそんな惑星の特集なんか組んでる。肉眼で認識できるまで後二日、アナウンサーの透明な声が脳内に響いた。
「後二日」
わたしの頭からその数字が離れない。カウントダウンには昔から弱いらしく、迫り来る日数に意識を向けると心拍数の上がる感覚がするのだ。今日もそう。鏡をみれば自分の顔にその文字が書いてるようにさえ見える。
「重症」
惑星のことだが、学校でも話題に上がっていた。しかし誰もが惑星と言えば伝わるので名前はしらない。それでも、友人は面白そうに話していた。
「惑星接近だよ!ドキドキするね」
そうだね、ドキドキする。
「何十年に一度なんでしょ、七夕より奇跡だよね」
「七夕?」
「一年に一度より、何十年に一度のほうが奇跡に思えるもん」
人間からしたらの話だよ。なんて言えないから口をつぐんだ。
「あやちゃん、テンション低いよ。想像したらどきどきしない?私の頭のなかは、宇宙一色。初恋のようなの」
きゃっきゃと、楽しそうに話す彼女。
「幸せそうだね」
「あやちゃん冷たい」
それが私の朝の出来事。その後いつも通り過ごしたが彼女の言葉がいまだに気になっていた。初恋気分が本当なら、私は数字に恋でもしてるんだろうか。とても変な話だ。笑えて言葉もでない。考えるのも無駄だ。もう取ってる授業もないのだからと、私の足は軽やかに教室を出て進む。
「後二日」
言葉にする。ドキドキする。バカみい。
「後二日」
廊下を歩く。
「後二日」
階段を下りる。
「後二日」
同じリズムで、同じ速度で。
「後二日」
学校の敷地を出る。
「後二日」
言葉が甘く口内で溶けた瞬間だった。
「とても楽しみにしてるんですね」
少し低く優しい声色が聞こえた。ちらりと横を見ると、歳上だろう男の人がいる。にこやかに此方を見ていた。知らない人に話し掛けられたことと、何故か同じ速度で横を歩かれてることで、顔が赤くなるのを感じた。とっさに顔を反らしたが、沸々と熱は上がるばかりで恥ずかしい。
「何かを待つことはとても楽しいことだと思いますよ」
彼はそう言うと、早々と通りすぎていった。後ろ姿をじっと眺める。何だったんだろう。
「後二日」
家に帰れば、ますます気になりだす。カウントダウン。もう数時間で一日がなくなる。後一日になる。二が一に、一がなにかに変わる。
「後二日」
ご飯を食べよう。柔らかな豆腐にはしをさそう。熱いお茶を口に含もう。
「後二日」
湯船に浸かり、目をとじよう。
「後二日」
布団に入り、眠りにつこう。もう来ない今日に、一日になる。
「後一日」
「おはようございます」
またあの人だ。軽く会釈するが、なぜ私だとわかったんだろう。
「後一日ですね」
惑星楽しみですよね。彼は嬉しそうに笑った。
「俺思うんですよ。今回逃すともう見ること出来ないんじゃないかって」
「そうですね」
「また次があると知ってるとさらに、そう思いませんか?」
学生らしき人達がただ前を向いて歩くなか、ふと足を止めてしまっていた。視界で彼が大きく動き、不思議そうな顔をして覗きこんでくる。彼の瞳が揺らめき、中にはなにも考えてなさそうな私が映っていた。目線をそらし再び歩き始めるも、何か突っ掛かるものを感じる。
「よろしければ一緒に観察しませんか?明日の惑星」
「遠慮しときます」
「絶対楽しいです。田んぼだらけのあの場所で望遠鏡で見るんです。もっと近くに感じれますよ。後一日、明日しかないんです」
そう言って彼は私を通りすぎ先を急いでいった。不思議を通り越して変な人だ。
「後一日」
望遠鏡で見るのもいいもんかもしれない。星粒がちらちらと見れるのだろうか。明日しか見れない、その言葉に心が踊る。明日のことを考えると胸が痛い。後一日と思うと切ない気持ちになる。過ぎ行く日に、毎日に、未来に、私は恋をしてるようだ。そして初恋でもある。今日がいなくなる前に、明日のことを考えよう。明日は惑星接近日だ。特別な日なのだ。
「今日は明日のためにある」
朝のニュースでは期待に満ちたアナウンサーの声が聞こえた。カウントが0になった日でもある。夜に近づくにつれ私が、そわそわしだしたのは仕方がないことだと思う。あちこちに後何時間、なんて言葉が飛び交うのだ。ドキドキしてしまう。
「空も暗くなってきたな」
自分の部屋から見ていたが電信柱や屋根が邪魔で空が狭い。こんなんでは特別な日と私が特別な日になくなってしまう。考えることはなかった。ただそうあるべきのように私は家から出たのだ。夜の電灯の下を歩きながら目指したのだだっ広い田んぼ道。遮るものもない最適の場所である。案の定歩いてると、ちらほら同じような動機の人が集まっていた。皆、それぞれ距離をとりながら居合わせた知人らと小さなお喋りに勤しんでいる。
「見つけた。くると思ってましたよ」
変な人がいる。
「此方に来てください。小さいですが望遠鏡もありますよ。友人などは呼ばす一人で来てたので遠慮なさらずに」
彼はくるりと方向を変え歩きだした。これはついてこいと言うことだろうか。このまま一人でもいいのだが、彼のなかで私は一緒に観察することは決定事項のようで、このままにするのも良心が痛む。しばし付き合うことにした。
「あの惑星にも動きのパターン、周期きがあるのです。不思議じゃありませんか?地球にも宇宙にもルールがある。何かがあることを前提に考えないと、なかなか新しい発見にはたどり着けないものですしね」
「ルールですか」
「あの惑星にも何かしらあるんですよ。貴方の目にはどう見えますか」
ドーム状の空に青白い光がみえる。大きな星に小さな星、目で認識していくと大きさの違いから奥行きを感じてしまい頭がいたくなる。
「淡く見える。ガラス玉が浮いたみたい」
「でも本来はそんな見た目じゃない。遠く離れた宇宙の何かを地球から見るとそんなんに見えてしまう。そこにはちゃんとした理由があるんですけど、それもルールに入ると思いませんか?」
私には分からなかった。彼の言いたいこと、なぜそんなに楽しそうなのかも。惑星の名前も。
「貴方も見るといい、ほら望遠鏡のここから覗くのです」
肩をを引かれ、少ししゃがみながら望遠鏡を上から覗きこむ。そこには肉眼より光が近くにいた。はぁっと息が漏れ、それを見る。私の中のカウントが0になった。このためだったのだ。
「綺麗ですよね、ちょっと現実味のない視野だから体が宙に浮いた気がしませんか?」
私が夜空を見下ろしてる。とても近い光。背中越しに伝わる彼の体温。彼の手が肩から滑るように下がり私の手をつかんだ。温かい。
「宇宙を見下ろしてる気分です。見上げても光、見下ろしても光」
「楽しいですか?」
「はい」
私は迷いなく答えた。
「惑星、見てしまいましたね。もう何十年もみれないと思うと切ないです」
望遠鏡から顔を離し夜空を見上げるが、彼の手が腰から離れない。その手に手を添え離そうと考えたのだが、悲しげに話し出すため手を止めてしまっていた。
「それ昨日も言ってましたよね」
「そうですね」
回された腕がぎゅっと力を込める。遠目で見れば、恋人同士に見えそうなこの雰囲気。しかし、そこには甘さより水飴のようだと思う。
「もう会えないと諦めることもできず、何十年も待たなければいけないのですよ」
「なんで諦められないの?」
「貴方もいつかわかります」
きっと知れる。彼はそう言った。しかしその言葉は私にと言うより、彼自身に言い聞かせてるように思えた。
「今から30秒間数え終わるまで目を瞑ってていてください」
「30秒間」
「ええ、スタート」
30秒がカウントされる。私の心臓がトクントクン動く。肺は空気で満たされ、その冷たさに身震いをする。星が1秒瞬いて、人工衛星が点滅を繰り返す。接近した惑星は、ただ此方を見つめていた。
「30秒」
ゆっくり、優しく目をあければ望遠鏡は片付けられ彼は遠くの方を歩いていた。振り替えることなく、一定のペースで歩いている。なぜ一人で帰ってしまったのだろうか。一声かけてくれればいいのに。振り回され、ポイと投げ出された気分だ。今走れば追い付ける。かと言っても追いついたとしてどうするのだ。私も彼とは反対の方向に足を進める。家に帰ろう。
「昨日はどうでしたでしょうか。皆さまの中で惑星をご覧になったかたは多いと思われますが……」
あれから私は彼と話してはいない。次の日、彼の後ろ姿を見かけたのだか声をかけるほどでもないと思いやめた。その次の日もちらりと見かけた。日にちが過ぎるにつれ、確実に彼と会わなくなった。追いかけても見失う。同じ場所にいるのに会えない。ついに目にすることがなくなった。探そうと大学内をうろついたが、無駄。名前も学年もわからないのだから難しい。あの日からカウントがスタートしてまだ止まらない。着々と数字は重なりあい、重くなる。
「こんな感情なのかな」
彼と彼女の言葉が巡る。彼との距離が確実に遠い。唐突に接近してきたのに今ではこの距離だ。ゆっくりと動いてくこの感覚は少し苦しい。彼はあの惑星のようだった。あの瞳に映った私にもう一度会えるのだろうか。あと何年、何十年すれば会えるのだろうか。何故か会える確信があるのに、年月が私を縛り付けるのだ。だから新しいルールを発見しよう。おはよう、こんにちは、今晩は、お休みなさい。皆が少し幸せになれるルール。彼がそばいる。またカウントがスタートした。そして愛しい数字が耳元でささやくのだ。
いつか会えると約束されている二人は、その時間の大きさを余所見する隙もないまま、それを身に染みるほど感じ、生きていく。