エピソード⑧
結婚して約1年が経った冬の日、私たちは久しぶりに夫の実家を訪れることになった。年末年始が近づいていたこともあり、「そろそろ顔を見せに行かないと」と夫が言い出したのがきっかけだった。これまでも何度か一緒に訪問していたので、特に緊張することもなく、むしろ「義母の手料理が楽しみ」と前向きな気持ちで出かけた。
道中の車の中では、いつも通り会話も弾み、最近の仕事の話や友人の結婚式の話など、リラックスした雰囲気だった。夫も「今日は母さんが得意の煮物を作るって言ってたよ」と嬉しそうに話していた。しかし、実家の近くに差し掛かると、夫の様子が少しずつ変わり始めた。会話が減り、ハンドルを握る手にも力が入っているように見えた。
「どうしたの?」と聞くと、「ん?何でもないよ」と答えるものの、表情は硬くなっていた。
実際に夫の実家に到着すると、玄関のドアを開ける前にふと立ち止まり、夫が大きく深呼吸をする姿が印象的だった。「いただきます」と義父母の前に座ったとき、私は驚きを隠せなかった。普段はあんなに陽気で冗談を言い合う夫が、まるで面接を受けるかのような緊張した表情をしていたからだ。言葉遣いも丁寧になり、時々私の方をチラチラと見ては、何か確認するような素振りを見せる。
食事中も同じだった。義母が「最近どう?仕事は順調?」と尋ねると、「はい、おかげさまで」と短く答え、それ以上の会話を広げようとしない。私が「先月、○○プロジェクトでチームリーダーになったんですよ」と話を膨らませると、少し困ったような表情を浮かべた。義父が「それはすごいじゃないか、うちの息子も頑張ってるんだな」と言うと、照れくさそうに「そんなことないですよ」と俯き、私の目を見ようとしない。
リビングでくつろいでいる時も、夫は常に少し緊張した面持ちで、私が義母と料理の話で盛り上がると、そっと席を外して台所の片付けを手伝い始めた。こんな姿、家では見たことがない。普段は「明日やればいいじゃん」と皿洗いさえ後回しにする人なのに。
そして、決定的だったのは、夫の父親が「最近の若い奴らは根性がないよな」という話題を振ったときだ。普段なら「それは違うと思いますよ」と自分の意見をはっきり言う夫が、「そうですね」と頷き、意見を合わせる姿を見て、私は内心「この人、誰?」と思わず目を疑った。
帰り際、義母から「また来てね」と言われると、夫は「はい、また近いうちに」と礼儀正しく答え、玄関を出るまで背筋を伸ばしていた。しかし、車に乗り込み、実家が見えなくなった途端、大きなため息をついて肩の力が抜けていった。
「疲れた?」と聞くと、「うん、ちょっとね」と言うだけで、それ以上は何も語らない。帰りの車内では、行きとは打って変わって沈黙が続いた。夫はときどき携帯を見ては、メールをチェックするような素振りを見せていた。
帰宅してから、思い切って「今日、なんだか様子が違ったけど、どうしたの?」と尋ねてみた。夫は少しだけ考え込むような表情をした後、「実家に行くと、つい緊張しちゃうんだ。大したことじゃないよ」と言って、話題を変えようとした。
その夜、一緒にベッドに入っても、夫は何か考え事をしているようで、いつものようにスマホを見ながら冗談を言い合うこともなかった。翌朝になると、普段通りの夫に戻っていたが、実家訪問の話題には一切触れなかった。
このエピソードは一度きりではなく、その後の実家訪問でも似たような光景が繰り返された。私は少しずつ「実家での夫」と「普段の夫」のギャップを受け入れるようになったが、それでも心のどこかで「どうして?」という疑問と「私たちの関係は大丈夫?」という不安が、小さく残り続けている。




