第8話『不器用な貢ぎ物と、蜘蛛の薬学』
季節は春から夏へと移ろい、図書室の空気も少しずつ重たくなってきた。
窓の外では紫陽花が色づき始めているが、僕の体調は逆に下降気味だった。
「――ごほっ、ごほっ」
マスク越しに、乾いた咳が出る。喉の奥がイガイガとして、唾を飲み込むのも少し辛い。
『警告。マスターの断続的な咳き込みを確認。呼吸器系に軽度の炎症が発生していると予想します』
ロジが涼やかな声を響かせ、本体のパピエもバタバタと落ち着きなく翅を震わせる。
彼女は僕の頬に触角を押し当てたり、マスクのズレを直そうとしたりと、甲斐甲斐しく動き回っている。
その翅には、今にも泣き出しそうな顔文字が浮かんでいた。
( ;ω; )
「大丈夫だよ、パピエ、ロジ。そんなに心配しないで」
『推奨します。即時の帰宅、および栄養価の高い食事と十分な睡眠を。……マスターの健康維持は最優先事項です』
「ありがとう。……たぶん、季節の変わり目の風邪か、あるいは……」
僕はチラリとカウンターを見た。
そこではミリア先輩が、新しく持ち込んだ『くしゃみ草』の世話をしている。
あの草、嬉しいと黄色い花粉を撒き散らすのだ。たぶんアレが原因だ。
「はぁ……。喉が痛いと、本の読み聞かせも辛いな」
僕はのど飴を舐めながら、ため息をついた。
***
そんなノアの様子を、本棚の隙間からじっと見つめる視線があった。
リナ・キャンディポップだ。
「……ノア君、辛そうだし」
彼女は眉を寄せ、痛ましげに呟いた。
その頭上には、今日も定位置に紫色の蜘蛛――モコが鎮座している。
リナの胸中には、もどかしい想いが渦巻いていた。
(あたしに何かできることないかな……。のど飴あげるとか? いや、いきなり渡しても変だし……)
彼女はまだ、自分のこの感情に名前をつけていない。
ただ「放っておけない」という純粋な善意だけが、彼女の中で膨らんでいた。
「なんとかしてあげたいなぁ……ねえ、モコ?」
リナが何気なく頭上の使い魔に問いかけると、モコは無表情なまま、複数の瞳をギラリと光らせた。
主人の「治してあげたい」という深層心理は、確かに受理された。
***
翌日の放課後。
本日の僕は図書当番で、カウンターの席に着こうとすると、そこには「異様な光景」が広がっていた。
「……なに、これ」
机の上に、見覚えのない物体が置かれているのだ。
一つは、毒々しい紫色をした「干からびた葉っぱ」。
もう一つは、紐で括られた「トカゲの干物」。
そして、謎の「黒い粉末」が入った小瓶。
『――警告。黒魔術による呪詛の儀式です』
ロジが冷徹に分析結果を弾き出す。
『これらは一般的に、対象に不幸をもたらす、あるいは緩やかに死に至らしめるための触媒です。マスター、貴方は何者かに命を狙われています』
( ゜д゜)
パピエの翅には、あんぐりと口を開けた顔文字が浮かんでいる。
「うわぁ……」というドン引きの感情がありありと見て取れた。
「い、いやいや。呪いなんて大げさだよ」
僕は引きつった笑みを浮かべつつ、机の上の物体を観察した。
確かに見た目は禍々しい。トカゲの干物なんて、どこから調達してきたんだ。
でも、誰かがわざわざ僕の机に置いたのには、理由があるはずだ。
「……あ」
遠くの書架の影から、ガタッという物音がした。
見ると、リナさんが顔面蒼白でこちらを見ている。
その頭上のモコちゃんは、どこか誇らしげに胸(?)を張っていた。
***
(ちょ、モコ! なにあれ! 毒じゃん!)
リナは心の中で絶叫していた。
昨夜、リナが寝ている間にモコがゴソゴソと動き回っていたのは知っていた。
まさか、あんな「魔女の鍋に入ってそうなアイテム」を収集していたとは。
(あたしが「治してあげたい」って思ったから!? でもアレは違うでしょ! 人間用じゃないし!)
リナは焦った。ノアがアレを口にしたら大変だ。
あるいは「嫌がらせをされた」と誤解して、傷ついてしまうかもしれない。
止めなきゃ。弁解しなきゃ。
リナは意を決して、ノアの席へと早足で向かった。
***
「あ、あのさ! ノア君!」
「うわっ、リナさん」
僕が振り返ると、リナさんは肩で息をしながら、机の上の「謎の貢ぎ物」を指差した。
「そ、それ……! な、なんか変なもの置いてあるね!?」
「うん。……不思議な贈り物だよ」
僕はトカゲの干物を持ち上げた。リナさんが「ヒィッ」と息を呑む。
「誰かが僕のことを……その、恨んでるのかな?」
僕が不安げに呟くと、リナさんはブンブンと首を横に振った。
「ち、違うと思う! たぶん……その、間違えちゃっただけ! ほら、その葉っぱとか、色はヤバいけど……匂いはミントっぽいし!」
「え?」
言われてみれば、紫色の葉からは、スーッとする清涼感のある香りが漂っている。
ロジが再確認する。
『……訂正。視覚情報の再照合の結果、こちらは紫蘇の変異種、およびこちらは乾燥サンショウウオです。毒性はありませんが、視覚的嫌悪感を催す組み合わせです』
「……そっか。毒じゃないんだ」
僕はホッとして、葉っぱの香りを吸い込んだ。
鼻の奥がスッとして、喉のイガイガが少し楽になる。
「すごい。これ、喉に効くやつだ」
「へ……?」
リナさんが目を丸くする。
僕は黒い粉末の小瓶も開けてみた。
中身はただの炭の粉のようで、脱臭・殺菌効果がありそうだ。
トカゲ(サンショウウオ)も、古来より滋養強壮の薬として使われている。
「これ、全部お薬だね。……見た目はちょっと怖いけど」
僕はトカゲの干物を、そっとハンカチに包んでポケットに入れた。
葉っぱも丁寧に本の間に挟む。
「誰だか分からないけど、僕の咳を心配して届けてくれたんだ。……優しい誰かだね」
僕がそう言って微笑むと、リナさんは口をパクパクさせた後、茹で上がったように顔を赤くした。
「……そ、そうかもね。……きっと、その人も、不器用なだけだし」
「うん。ありがたく使わせてもらうよ」
頭上のモコちゃんが、満足げに脚をワキワキとさせている。
リナさんは、そんな使い魔を隠すようにしながら、ボソッと言った。
「……早く、治るといいね」
「ありがとう、リナさん」
彼女は逃げるようにその場を去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、僕は改めてポケットの中のトカゲに触れた。
ゴツゴツしていて、少し温かい気がした。
『……理解不能です』
ロジがつまらなそうに呟く。
『なぜマスターは、あのような不審物を「善意」と断定できるのですか? リスク管理能力の欠如を疑います』
パピエは不思議そうに、ちょこんと小首を傾げている。
「だって、悪い人がわざわざ『喉にいい匂いの葉っぱ』なんて選ばないだろ?」
僕は喉飴を口に放り込んだ。心なしか、さっきよりも甘く感じた。
図書室の窓から差し込む西日が、紫色の葉を綺麗に透かしていた。
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