おまけ:その3『放課後の守護者たち ――日誌と植物と、後輩の話――』
こちらはIFストーリーです。
ミステリー要素はなく、本編と関係がないことにご注意ください。
第17話の裏話のようなおまけ話です。
放課後の図書室。西日が長く伸び、舞い上がる埃さえも黄金の粒子に見える、穏やかな時間。
本来であれば、そこには紙とインクの匂いだけが満ちているはずだった。
「ノア先輩! 助けてください!」
「……とりあえず、案内してくれ」
静寂を破る切迫した声と共に、二人の男子生徒がカウンターから飛び出してきた。
一人は顔面蒼白の1年生、ルカ。そしてもう一人は、少し眉をひそめながらも、決意を秘めた瞳をした2年生、図書委員のノアだ。
彼らが入り口の扉を勢いよく開け放ったその時、ちょうど入室しようとしていた二人の影と鉢合わせる形になった。
「――おや。随分と慌ただしいな、アークライト」
冷静な声でそう言ったのは、眼鏡をかけた知的な風貌の男子生徒――図書委員長のキースである。
その隣には、おっとりとした微笑みを浮かべた同じく図書委員の3年生、ミリアも立っていた。
「あ、委員長! ミリア先輩!」
ノアは足を止め、焦った様子で頭を下げた。
「すみません、緊急事態のようで……。飼育小屋でトラブルがあったらしくて、少し席を外します」
この時はまだ、ノアは具体的な内容――絵本のドラゴンが暴れていること――までは知らず、一先ず緊急事態の旨だけを伝える。
キースは眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、その状況を一瞬で俯瞰する。
怯える1年生。飼育委員の腕章。そしてノアのポケットから覗く『定着ミスト』のボトル。
それだけで、通常の貸出業務の範疇を超えた事態であることは明白だった。
「……なるほど。飼育委員からの救援要請か」
キースは短く息を吐き、穏やかに告げた。
「分かった。ここは私たちが引き受けよう。行ってきなさい」
「あらあら、大変そうね。カウンターは任せて、気をつけていってらっしゃい」
ミリアもまた、動じることなく微笑む。
その言葉に、ノアの表情から強張りか解けた。
「ありがとうございます! ……すぐ戻ります!」
ノアはルカの背中を押し、廊下の向こうへと走り去っていった。
遠ざかる足音を聞き届けた後、残された3年生二人は顔を見合わせ、苦笑を漏らした。
「……やれやれ。彼はいつも『トラブルの解決』を図書委員の業務だと思っている節があるな」
「ふふ。でも、そこがあの子のいいところじゃない?」
二人は慣れた様子で、主のいなくなったカウンターの内側へと足を踏み入れた。
***
主が去り、再び静寂を取り戻した図書室。
キースとミリアは、それぞれの「定位置」に落ち着いていた。
「さて、今のうちにこの子の手入れをしてしまいましょうか」
ミリアはカウンターの下から、一鉢の植物を取り出した。
淡い黄色の花をつけた『歌う月見草』だ。
彼女がジョウロの水精霊・スイを使って葉に霧吹きをかけると、花は嬉しそうにフルフルと震え、微かなハミングのような音色を奏で始めた。
その心地よい環境音をBGMに、キースは引き出しから革張りの『図書委員長日誌』を取り出した。
万年筆のキャップを外し、インクの濡れたペン先を紙の上に走らせる。
「……『16時30分、ノア・アークライト、業務引継ぎのため一時退席』……と」
キースが文字を綴ると、彼の肩に乗っていた使い魔――銀灰色のコノハズク、セネカが「ホー」と低く鳴いた。
セネカは眠たそうに半眼を開き、インク壺の蓋が転がらないように片足で押さえている。
カリカリというペンの音と、月見草のハミングだけが響く空間。
キースはふと手を止め、窓の外――ノアたちが向かったであろう飼育小屋の方角へ視線をやった。
「……そういえば、ミリア。最近、セレスティアの使い魔を見たか?」
唐突な問いかけに、ミリアは葉を拭く手を止めずに答えた。
「ええ、見たわよ。ブランちゃんでしょ? とっても綺麗な、星空みたいな竜になっていたわね。以前のような、今にも暴れ出しそうな危うさはもう感じなかったわ」
「ああ。あんなに安らいだブランを見たのは、久しぶりだ」
キースは目を細めた。
彼はセレスティアとは古い付き合いだ。
彼女が完璧な生徒会長を演じる裏で、自身の溢れ出る空想と、周囲からの重圧との乖離に苦しんでいることを、薄々感じ取っていた。
彼女の使い魔であるブランが、時折黒いノイズを纏った不定形の怪物になりかけていたことも。
だが、今のブランはどうだ。
美しい星空の鱗を持ち、主人の隣で誇らしげに輝いている。
それは、主であるセレスティア自身の心が、「整った」ことの証明に他ならなかった。
「……夏祭りの『魔導書迷宮』。あれは見事だったな」
キースは独り言のように呟いた。
「誰にも理解されたくないと鍵をかけた物語を、無理やりこじ開けるのではなく……丁寧に紐解いて、一番美しい形に製本し直した。そんな手際の良さを感じたよ」
セレスティアが抱えていた、誰にも言えない秘密の物語。
キースでさえ踏み込めなかったその領域に、土足ではなく、編集者としての敬意を持って踏み込んだ後輩がいる。
「ふふ。きっと、腕のいい『編集者さん』が、散らかったページを綺麗に閉じてあげたのね」
ミリアが楽しそうに笑い、月見草もそれに合わせて音階を上げた。
「あの子はね、誰もが見捨てた『書き損じ』や『失敗作』の中に、輝く一行を見つけるのが上手なのよ。……植物の枯れた葉を落として、新しい芽を見つけるみたいにね」
「……違いない」
キースは再び万年筆を動かした。
日誌の備考欄には、本来なら『業務放棄』と書くべきかもしれない。
だが、彼は少し思案した後、流れるような筆記体でこう記した。
『特記事項なし。図書室の秩序は、今日も守られている』
本を整理するだけが図書委員ではない。
彷徨える物語の迷子たちを、あるべき場所へ導くこと。
それこそが、最も高度な「知の守護」なのかもしれない。
「彼のような『編集者』がいてこそ、この学園という本棚は豊かになるんだろうな」
キースがそう呟き、日誌をパタンと閉じた時だった。
クルッ。
肩の上で居眠りをしていたコノハズクのセネカが、突如として目を見開き、首を180度回転させて入り口の方を向いた。
その数秒後、人間の耳にも微かな足音が届き始めた。
少し疲れているが、どこか晴れやかな、軽い足音だ。
「……おや。戻ったみたいね」
ミリアは月見草に最後の水をやり、キースは眼鏡の位置を直した。
「さて、飼育小屋でどんな『物語』を見つけてきたのやら」
「ふふ。まずは『おかえりなさい』って迎えてあげなきゃね」
ガチャリ、と扉が開く。
西日を背負って、少し埃っぽくなった後輩が顔を出した。
「ただいま戻りました! すみません、長引いてしまって……」
申し訳なさそうに縮こまるノアに対し、二人の先輩は顔を見合わせ、温かな眼差しで頷いた。
月見草が、今日一番の明るい音色で、帰還した小さな英雄を歓迎していた。
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