第3話『窓際の迷子と、消えた十五番』
図書室の窓から差し込む放課後の光は、古い書架の背表紙を優しく撫で、空気中を舞う埃を黄金の粒子に変えていた。
受付カウンター当番の僕は、手持ち無沙汰だった。
今週の課題は昨夜のうちに終わらせてしまったし、パピエへの定期的な魔力供給――という名の読み聞かせも先ほど完了したばかりだ。
「……平和だね、パピエ。誰も来ない」
僕の肩で、パピエが退屈そうに翅をパタパタと動かしている。
( ˘ω˘ )
『肯定します。現在の図書室内における来館者数はゼロ。マスター、この時間を有効活用し、未読の魔導工学論文を私に摂取させることを推奨します』
「えー、今はいいよ、ロジ。さっき魔力供給したばかりだしいいでしょ。たまにはこうして、何も考えずに図書室を眺めるのも、図書委員の特権なんだから」
僕は苦笑しながら、閲覧コーナーへと視線を投げた。
整然と並ぶ机と椅子。その一角、南側の窓際の席に、一匹の小さな影があることに気づいた。
「……あれ?」
そこには、一匹の子犬型の使い魔がポツンと座っていた。
犬種には詳しくないので分からないけれど、愛らしいフォルムをしている。
けれど、その周囲には主人の姿が見当たらない。
僕はカウンターを出て、その席へと近づいた。
足音に気づいたのか、子犬はくるりとこちらを振り返った。
その瞳は、何かを待ちわびるように、けれどどうしようもなく困惑しているように見えた。
「どうしたの? 君の主人はいないのかな」
僕が問いかけると、子犬は「クゥ……」と短く鳴いた。
首を傾げるその仕草は、主人が近くにいないことを否定しているのではなく、「わからない」と訴えているように僕には思えた。
「パピエ、少し図書室内を飛んでみてくれるかな。この子の主人がどこかにいないか」
パピエが返事代わりに翅を震わせ、青白い光の尾を引いて書架の間を滑るように飛んでいく。
数分後、戻ってきたパピエは、僕の前で力なく翅を伏せた。
( >_< )
『報告。図書室内の全ての区画を確認しましたが、人の姿は見当たりませんでした。当該個体は、現在単独でこの席に滞留しています』
ロジの声が、その事実を淡々と告げる。
僕は子犬の首元にある小さなドッグタグに触れた。
表面には、素朴な筆致で『ポチ』と刻印されている。
けれど、主人の連絡先や所属が書いてあると思われた裏面をひっくり返すと、そこには何も書かれていなかった。
最初からそこに文字など存在しなかったかのように、滑らかで、不自然なほど真っ新なのだ。
「放っておけないな……」
僕は一時的に窓口を離れることを決め、ポチを連れて学園内へ向かった。
図書当番の業務を放棄することに悪いとは思ったけれど、この「迷子」の目が、僕の胸をざわつかせたからだ。
***
一学年から三学年の教室、あるいはラウンジを回って聞き込みをしてみたが、結果は芳しくなかった。
「可愛い使い魔だね」とは言われるものの、ポチに心当たりのある者は一人もいない。
しかし、三年生のフロアで、妙な噂を耳にした。
「知ってる? 3年C組にさ、誰もいない席があって、でも今日なぜか人がいたように教科書やノートがあったんだって」
「出席番号の15番だけが抜けてて、名簿には空白があるらしいよ。呪いかな?」
「午後の授業で念のため教科書の所持を確認されたんだけど、クラス全員持ってたから、その席の教科書は誰のなんだ、ってみんな面白半分で気味悪がってた」
その噂を耳にした瞬間、僕の背中に、氷の刃を突き立てられたような悪寒が走った。
足元でトテトテと歩くポチを見下ろす。
ポチは、自分が誰なのか、誰の使い魔なのかを、世界から忘れ去られてしまったのではないか――。
「……戻ろう、パピエ。図書室に」
僕は逃げるように、静寂の聖域へと引き返した。
***
「……失礼します。席を外してしまっていて、すみませんでした」
図書室の扉を開け、僕は声を上げた。 誰か来館者がいるかもしれないと思ったのだ。……あるいは、誰かにいてほしかった。
しかし、返事はない。
パピエに室内を一周させたが、やはり結果は同じ。
「誰もいないね……」
安堵と、それ以上の不安が混ざり合う。だが、その時。
ガタッ
『――待ってください。マスター、南の座席を確認してください』
ロジの警告に、僕は息を呑んだ。
そこは、さっきまでポチが座っていた窓際の席だ。
「……椅子が、動いてる」
僕たちが図書室を出る前、椅子は机の中にきっちりと収められていたはずだ。
それが今は、誰かが座っていたかのように、わずかに引き出されている。
「誰かいるのですか?」
僕は虚空に向かって問いかけた。
だが、返ってくるのは窓を叩く風の音だけ。
(……そんなわけないよね。きっと僕が席を外していた間に、誰か別の生徒が来て、用事を済ませて帰っただけだ)
自分に言い聞かせるように、心の中で呟く。 しかし――
視線を机の上に落とすと、そこには数瞬前には存在しなかったはずの、一枚の真っ白な紙が置かれていた。
「パピエ、これは……」
パピエが恐る恐る紙に近づき、その匂いを嗅ぐように触角を動かす。
( - 1 - ) ?
僕はその紙を手に取った。 何も書かれていない、ただの白い紙。 だが、その紙が「そこにある」という事実だけが、目に見えない誰かの叫びのように、僕の指先に重くのしかかった。
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