第27話『観測者の卒業と、書き手のプロローグ』
図書室の窓から差し込む光が、柔らかくなった。
長く厳しかった冬が終わり、私立ステラ・マリス学園にも春が訪れていた。
「見て見て、ノア君! また新しい冊子が増えてるよ!」
リナさんが弾んだ声で、南側の棚を指差す。
復活した『自由創作棚』は、連日大盛況だった。
最初はモルトン先生とアーサーさんの共著『沈黙の王と、一羽の蝉』、そして30年前の物語たちだけだった棚も、今では色とりどりの背表紙で埋まりつつある。
生徒たちが書いた詩集、クラスの冒険日誌、拙いけれど情熱的なファンタジー小説。
セドリック先輩が置いた『騎士フィデリスの物語』もある。
かつて「ゴミ」として隠された場所は、今や学園で最も熱い情報の交差点になっていた。
「すごいね。みんな、書くことを楽しんでいる」
僕は棚を眺めながら、心からの称賛を送った。
けれど同時に、胸の奥でチクリと小さな痛みが走った。
「あれ? ノア君、どうかした?」
「……いや、なんでもないよ」
僕は誤魔化して笑った。
その痛みは、焦燥感だった。
リナさんでさえ、最近は「使い魔観察日記」を書き始めて、棚の一角に置いている。
モルトン先生も、アーサーさんと文通をしながら次回作の構想を練っているらしい。
みんな、「書き手」になっている。
それなのに、僕だけがまだ「読み手」のままだった。
放課後のカウンター。
僕はいつものように本を開いていたが、活字が頭に入ってこない。
視線は無意識に、肩の上で休んでいるパピエに向く。
「……ねえ、パピエ」
パピエが触角をピクリと動かし、僕を覗き込む。
(・_・?)
出会った頃はただの白い魔核だった彼女も、数々の本を食べ、ロジという人格を宿し、今ではかけがえのない僕の相棒だ。
僕たちはこの一年、色々な謎を解いてきた。
図書室の怪談、封印された歴史、その他にも様々な日常の謎を。
そのすべてが、僕たちだけの物語だ。
もし僕が書かなければ、この記憶はいつか風化して消えてしまうだろう。
誰かの本を読むだけでは、僕自身の物語は残せない。
「……僕も、書きたい」
自然と、言葉が漏れた。
「僕たちのことを。君と出会って、リナさんたちと謎を解いて、先生の壁を壊した、この日々のことを」
その言葉を聞いた瞬間。
パピエはくるりと宙返りを一つして、僕の鼻先に止まった。
そして、どこか得意げな顔文字を浮かべた。
(  ̄ー ̄ )
まるで「やっとその気になったのね」とニヤリとしているようだ。
「……ははっ、見透かされてたか」
僕は鞄から、真っ白なノートを取り出した。
ペンを握る。指先が震える。
謎解きならいくらでも言葉が出てくるのに、創作となると、最初の一行が恐ろしく重い。
『マスター。……難しく考える必要はありません』
ロジの冷静な声が響いた。
『あなたは今まで、数え切れないほどの物語を本体に食べさせ、構造を分析してきました。あなたの頭の中には、すでに膨大な言葉の蔵書があります。……あとは、それを並べるだけです』
「……並べるだけ、か。簡単に言ってくれるね」
『そしてあなたには、私が付いています。何でも相談に乗りますよ』
僕は苦笑したが、肩の力がふっと抜けた。
そうだ。僕には最強の相談役がついている。
僕はペンを走らせた。
まずはプロットからだ。
冒頭の出会い。日常の謎解き。リナさんとの会話。そして、訪れる春の予感。
***
一気に書き殴ったメモを破り取り、パピエの前に差し出した。
「パピエ、ロジ、意見を頂戴。……僕の処女作の、最初のレシピだ」
パピエは優雅に宙を舞い、紙片に停まる。
『いただきます』とロジの声が響き、流した魔力がパピエに吸われる。
しばしの沈黙。
僕は、先生に答案を提出した生徒のような気分で、その反応を待った。
やがて、パピエがふわりと翅を広げ、うっとりとした表情を浮かべた。
( *´ω`* )
続いて、ロジの音声が響く。
『論理構造にやや甘さが見られます。比喩表現も、少し糖度が高すぎますね』
「うっ、手厳しいな……」
『ですが』
ロジの声に、柔らかなノイズが混じった。
『……悪くありません。とても懐かしくて、温かい味がします。……おかわりを所望します、マスター』
その言葉が、僕の背中を押した。
僕はノートを捲り、再びペンを構える。
推敲を重ねてプロットの精度を上げる。
ついでにタイトルも書きだそう。
大丈夫、それはもう決めてある。
僕は白い紙の真ん中に、インクを落とした。
『精度が上がりましたね。マスター、執筆に移りましょう。書き出しはいかがいたしますか』
「そうだね……」
僕は、あの日のことを思い出しながら、最初の一行を綴った。
【今日の放課後の図書室は、奇跡的なほど人が来ない。】
春の風が吹き込み、ノートのページを優しく捲った。
読み手の季節が終わり、書き手の季節が始まる。
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引き続き、図書室でお待ちしております。




