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第25話『不器用な王と、空へ放たれた蝉』

本日は連投ですので、ご注意ください。

 南側の壁の前で、僕たちは立ち尽くしていた。

 先生のあとがきが『自由創作棚』にあると特定したまでは良かったが、そこから先へ進めないのだ。


「ダメね……。モコでもお手上げみたいだし」


 リナさんが首を振る。

 使い魔のモコちゃんが、壁の隙間や通気口、あるいは窓からの侵入ルートを探ってくれたが、結果は芳しくなかった。

 物理的な隙間がないだけでなく、壁全体が非常に高度な「拒絶の結界」で覆われているらしい。


「強引に破壊すれば中の本も無事では済まない。……鍵が必要だ」


 僕は腕組みをして唸る。

 しかし、鍵穴すらないこの壁を、どうやって開ければいいのか。


 行き詰まる沈黙の中、リナさんが手元の紙片――図書室中から集めた先生の物語の断片を、もう一度読み返していた。


「……ねえ、ノア君」


 ふと、リナさんが顔を上げる。


「あたし、ずっと気になってたんだけど。このお話、『沈黙の王』が『蝉』に語りかけるセリフがすごく多いの」


 『お前の歌は、ここでは響かない』

 『鳴くのをやめろ。お前の歌は、この澱んだ石壁の中で響くには、あまりに美しすぎる』


「これって、ただの小説の登場人物へのセリフかな? なんだか、特定の誰かに宛てた『手紙』みたいに聞こえるの」


「手紙……?」


「うん。王様がモルトン先生だとしたら、蝉も誰かモデルがいるんじゃないかな。さっきノア君は蝉を『生徒たち』って解釈してたけど、物語には『一匹の蝉』って書かれてる……先生が、この壁の中に閉じ込めるんじゃなくて、外へ逃がそうとした特定の誰かがきっと……」


 その言葉に、僕はハッとした。

 急いで30年前の日誌と、当時の生徒名簿を照合する。

 図書委員長・モルトン。

 その隣にいた人物。


「……いた。当時の副委員長、アーサー・ヘイズ」


 日誌の記述によれば、彼はモルトン先生の親友であり、一番の議論相手だった。

 しかし、卒業式の直前に自主退学している。


「『蝉』は彼だ。先生は、彼に何かを伝えたかったんだ」


「なら、そのアーサーさんに会えば、壁を開けるヒントが分かるかも!」


「でも……30年前に退学した人の行方なんて、どうやって探せば……」


 僕たちが頭を抱えた、その時だった。


「まだ図書室が開いていて良かったわ。……あら? ずいぶんと難しい顔をしているのね、お二人さん」


 鈴を転がすような涼やかな声が響いた。

 振り返ると、美しい長い髪を揺らして、生徒会長のセレスティア先輩が立っていた。

 本の返却にでも来たのだろうか。


「セレスティア先輩。……実は、人探しをしていて」


 僕は藁にもすがる思いで、名簿の名前を見せた。


「30年前の生徒なんですが、アーサー・ヘイズという方を――」


「あら」


 セレスティア先輩は、その名前を見るなり目を丸くした。


「ヘイズさん? ……ええ、よく知っているわよ」


「えっ!?」


「生徒会御用達の、街の高級文具店『ヘイズ堂』のご主人だもの。彼が扱う紙とインクは高品質だから、私も個人的にもよく注文に行くの」


 まさかの繋がりだった。

 そういえば以前、夏祭りの出し物に悩んでいた時に、拾った万年筆のペン先をそこで調査していた気がする。

 灯台下暗しとはこのことだ。


「……ふふ、あのおじさま、昔はこの学園の生徒だったのね」


 ***


 翌日の放課後。

 僕とリナさんは、セレスティア先輩に教わった住所を頼りに、街の大通りから一本入った路地裏を訪れた。

 そこには、重厚な扉のついた、品の良い文具店が佇んでいた。


 『高級文具・ヘイズ堂』


 カランコロン、とドアベルを鳴らして中に入る。

 店内は、紙とインクの心地よい香りに満ちていた。

 カウンターの奥で、白髪の上品な中年の男性が、眼鏡を拭きながらこちらを見た。


「いらっしゃい。……おや、ステラ・マリスの生徒さんかね」


 彼こそが、アーサー・ヘイズ氏だった。

 僕たちは単刀直入に用件を切り出した。

 モルトン先生のこと、そして30年前に消えた図書室の棚のことを。


 しかし――「モルトン」という名前を出した瞬間、彼の穏やかな表情は一変した。


「……帰ってくれ」


 彼は冷たく言い放った。


「あいつの話なら聞きたくない。……あいつは、僕たちを裏切った男だ。学校側の犬になって、僕たちの居場所だった『自由創作棚』を撤去し、作品をゴミのように処分した」


 30年間の深い恨み。

 アーサー氏の中では、モルトン先生は「敵」のまま時が止まっているのだ。

 彼は退学の日に見た、冷徹に棚を撤去する先生の背中を、今も許せていないようだった。


「違います!」


 リナさんが声を上げる。


「先生は捨ててなんかいなかった! 守ってたんです!」


 僕は鞄から、『図書室利用統計年鑑』から回収した原稿の数々を取り出し、カウンターに並べた。

 かつての仲間たちが書いた物語たち。


「先生は、学校側から廃棄命令が出ていた作品群を、独断で隠匿しました。……この30年間、ずっとバレないように、本の隙間に隠して守り続けていたんです」


「な……」


 アーサー氏の手が震える。

 彼はその内の一枚のページの断片を手に取った。

 それは、彼自身の筆跡だった。


「これは、僕が書いた……。まさか、あいつ……本当にこれを守っていたのか……?」


「そして、これを見てください」


 僕は、7つの断片を繋ぎ合わせた『沈黙の王と、一羽の蝉』の文章を彼に見せた。


「これは先生が書いた物語です。王は先生で、蝉は……あなたです」


 アーサー氏は息を呑んで文章を追う。

 そこには、友の才能を誰よりも認め、しかし立場ゆえに突き放さざるを得なかった少年の、悲痛な叫びが綴られていた。


「アーサーさん。30年前、あなたが学校を去る日……先生から何か受け取りませんでしたか?」


 僕の問いに、彼はハッとして顔を上げた。


「……ある。あいつが、無言で押し付けてきた封筒が」


 彼は店の奥から、古びた木箱を持ってきた。

 中から出てきたのは、茶色く変色した一通の未開封の封筒。


「どうせ退部届か、あるいは絶縁状だと思って……怖くて開けられなかった。これを読んだら、あいつとの友情が本当に終わってしまう気がして」


「開けてください。……それがきっと、本当に言いたかった思いです」


 アーサー氏は意を決し、震える指で封を切った。

 中から出てきたのは、絶縁状ではなかった。

 原稿用紙が一枚。そこには、物語の別の結末が記されていた。


 『王は、城門を開け放った。 「行け」と王は言った。 「お前の言葉は美しい。こんな石壁の中で響くべきではない」蝉は大空へと飛び立った。 その羽音は、遠く離れても王の耳に届き続けた』


 そして、最後には直筆のメッセージが添えられていた。


 『いつか外の世界で、その筆を振るってくれ。……一番のファンより』


「……馬鹿野郎……ッ!」


 アーサー氏はカウンターに突っ伏し、子供のように泣き崩れた。


「だったら口で言えよ……! 裏切り者のフリなんかして……ずっと一人で、こんな……! 不器用すぎるだろ、モルトン……!」


 30年分の感情が、店内に溢れ出す。

 文具店を営み、紙とインクに囲まれて生きてきた彼もまた、先生の願い通り「筆(言葉)」の世界で生きていたのだ。


 しばらくして、アーサー氏は顔を上げた。

 その目は赤く腫れていたが、憑き物が落ちたように澄んでいた。


「……ありがとう、君たち。この手紙を開く勇気をくれて」


「あの、アーサーさん。……鍵は、持っていませんか?」


 僕は恐る恐る尋ねた。


「壁を開ける鍵です。先生から、何か預かってはいませんか」


 しかし、アーサー氏は首を横に振った。


「いや、受け取ったのはこの封筒だけだ。鍵なんて持っていない」


「そうですか……」


 リナさんが肩を落とす。

 これで手詰まりかと思われた。

 しかし、僕はアーサー氏の顔を見て、思い直した。


 物理的な鍵はない。

 けれど、もっと確実な方法があるはずだ。

 あの頑固なモルトン先生が、30年間守り続けた壁。

 それを開けることができるのは、魔導具ではない。


「アーサーさん。……僕たちと一緒に、学校へ来てもらえませんか」


 僕は真っ直ぐに彼を見た。


「あの壁を開けられるのは、きっとあなただけです。あなたが直接行って、先生に『開けてくれ』と言えば……先生はきっと、断れないはずです」


 先生はずっと待っていたのだから。

 蝉が再び戻ってきて、王に語りかけるその時を。


 アーサー氏は少し驚いた顔をしたが、すぐに力強く頷いた。


「ああ、行こう。……文句の一つも言ってやらないと、気が済まないからな」


 その口調は、30年前の親友に戻っていた。

 雪解けの予感がする空の下、僕たちは学園へと急いだ。

 止まっていた時間が、今、動き出そうとしていた。

最後までお読みいただきありがとうございます!

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ストックが溜まったので、10分後に続きを投稿いたします。

引き続き、図書室でお待ちしております。

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