第24話『散らばったあとがきと、空白の地図』
本日は連投ですので、ご注意ください。
閉架書庫の冷たい空気の中で、僕たちは先生が残した最初の「座標」を確認した。
『>> 289.3 - K - 24』
「200番台は歴史・伝記のコーナーだね。行こう、リナさん。先生の『言葉』の破片を集めに」
僕たちは埃っぽい書庫を出て、放課後の静かな閲覧室へと戻った。
窓の外はまだ雪が降り続いており、室内の暖かなオレンジ色の照明が、窓ガラスに滲んで映っている。
僕たちは迷わず、歴史書の並ぶ重厚な木の棚へと向かった。
指定された番号の場所に収まっていたのは、革表紙の古い本だった。
「えっと、タイトルは……『極地探検家アムンゼンの生涯:氷原に挑んだ魂』?」
リナさんが不思議そうに首を傾げる。
「先生の小説と、探検家の伝記? 全然関係なさそうだけど……」
「いや、まずは中を見てみよう」
僕は本を手に取り、パラパラとページをめくった。
すると、ちょうど真ん中あたりに、場違いな薄い藁半紙が挟まれていた。
栞のように挟まれたその紙には、震えるような手書きの文字で、物語の断片が綴られていた。
『昔々、音のない国に、若い王がいた。 王は、国の秩序を守るため「沈黙」を法と定めた。 しかし、王の胸の中には、誰にも言えない言葉の嵐が渦巻いていた。 王は、自分の弱さを知っていた。だからこそ、氷のように強く、冷徹な仮面を被るしかなかったのだ』
「……これが、先生のあとがきかしら。でも、これは『沈黙の王と、一羽の蝉』そのものに見えるけど?」
「なるほど。先生はこの本に、自分を重ねたんだ」
「どういうこと?」
「これが挟まれていたのは『極地探検家アムンゼンの生涯:氷原に挑んだ魂』。極寒の氷原に挑んだ探検家の伝記だ。その不屈の精神と『勇気』。……若き日の先生は、自分にもその勇気が欲しかった。だから、自分の弱い心を綴った物語の始まりを、この偉人の伝記に隠したんだよ」
リナさんが、悲しそうに目を伏せる。
「勇気が欲しかったのに、自分じゃどうにもできなかったんだね……」
「うん。言葉にできなかった、あとがきに書きたかった思いを、先生は隠し場所で表しているんだ」
断片の最後には、次の行き先が記されていた。
『>> 482.99 - A - 05』
「次は400番台……自然科学だ」
***
僕たちは図書室を横断し、理系書のコーナーへ移動した。
指定された本は、図鑑の棚にあった。
『深海生物図鑑:光届かぬ闇の住人たち』
「今度は深海?」
リナさんが顔をしかめる。
「うわ、ちょっとグロテスクな魚がいっぱい……。こんなところに隠すなんて」
僕は分厚い図鑑を開き、再び挟み込まれた藁半紙を見つけ出した。
『ある日、王の庭に、一羽の蝉が迷い込んだ。 蝉は、自分が一番美しいと思う歌を歌おうとした。 しかし、沈黙の国では、その歌声は「雑音」でしかなかった。 蝉は、声を押し殺した。深海の底に沈んだ石のように、冷たく、重い圧力に耐えながら』
「……これは、『自由創作棚』の生徒たちのことだ」
僕は呟いた。
自由に歌おうとした蝉。
それを「雑音」と断じなければならなかった王。
それは、声を押し殺すしかなかった自分自身の投影。
「先生は、この『光の届かない深海』に、自分の『挫折』と、生徒たちへの『罪悪感』を隠したんだね」
僕の肩の上で、パピエが悲しげに翅を震わせた。
断片の最後には、また次の場所を示している。
***
その後も、僕たちは図書室中を巡った。
『倫理学入門:義務と感情の対立』の棚からは、王の葛藤を描いた断片を。
『古代遺跡の崩壊』の棚からは、やがて訪れる破局を予感させる断片を。
先生は、自分の物語をバラバラに解体し、その場面ごとの感情に最もふさわしい「本の隙間」に隠していたのだ。
それはまるで、図書室という巨大な知の迷宮を使った、孤独な巡礼のようだった。
そして、僕たちの手元には、7つの断片が集まった。
カウンターに戻り、それらを順番通りに並べてみる。
「……物語が、繋がった」
リナさんが息を呑む。
『沈黙の王は、蝉の歌声を愛していた。 けれど、王としての義務が、それを許さなかった。 王は涙を流しながら、蝉の翅を自らの手で折った。 国には再び、完璧な静寂が戻った。 しかし王は知っていた。自分の心が、もう二度と歌うことはないだろうということを』
それは、あまりにも悲しい結末だった。
自分の手で大切なものを壊し、永遠の沈黙を選んだ王の物語。
「これが……先生が破り捨てた『あとがき』の正体……」
リナさんの目から、一筋の涙がこぼれ落ちる。
「こんなの、悲しすぎるよ。先生、ずっとこんな気持ちを抱えて、一人で……」
僕は黙って頷いた。
あの厳格な歩く校則の仮面の下には、翅を折られた蝉を抱いて泣いている、一人の少年がいたのだ。
彼は物語の形を借りて、30年間ずっと謝り続けていたのかもしれない。
「でも、ノア君。最後の7枚目……これ、何も書いてないよ?」
リナさんが不思議そうに声を上げる。
最後の本――『虚数と無限のパラドックス』から見つかった紙片には、物語の続きが書かれていなかった。
『>> [ ]』
代わりに、紙の少し下の方に次の場所を示す記号が記載されているのと、本来場所が記載されているべき部分が切り抜かれているだけだった。
それは小さな窓のように穴が空いている。
「……あるのはこの切り抜かれた穴と、その上に、ルビのように小さく書かれた言葉だけ」
四角い穴の縁に、極小の文字でこう書かれていた。
『失われた年の道標に、この窓を重ねよ』
「失われた年の……道標?」
僕は腕組みをして考え込んだ。
「失われた年というのは、間違いなく『30年前』のことだ。でも、道標とは何を指す? 時計塔? 正門のプレート? ……どれもしっくりこない」
僕はカウンターの上にある、先ほど見つけた『図書室利用統計年鑑 XXXX年度』を手に取った。
この年鑑自体が「30年前」の遺物だ。
「もしかして、当時の配架基準が今と違っていたのかもしれない。もしそうなら、この断片が示す座標の意味も変わってくる」
僕は確認のため、年鑑の巻末を開いた。
そこには、当時の図書室の「館内見取り図」が折り込まれている。
「……ん?」
僕はその見取り図を見て、ハッとした。
「……これだ。図書室において、本を探す人を導くもの。それが地図だ」
「あ! そっか!」
リナさんも身を乗り出す。
僕は震える手で、穴の空いた紙片を見取り図の上に重ねようとした。
紙片の外枠と、見取り図の外枠のサイズは、あつらえたようにぴったりだ。
「行くよ」
僕は紙片を、見取り図の上にそっと重ねた。
中央の「四角い穴」が、地図上の特定の一点を切り取る。
そこに何が描かれているか、期待を込めて覗き込む。
しかし――。
「……え?」
リナさんが拍子抜けした声を上げた。
「ノア君……何も、ないよ?」
穴の中に映っていたのは、地図上の空白だった。
棚のマークもなければ、部屋の名前もない。
ただの白紙の空間。
南側の壁沿いの、何もない場所が切り取られているだけだ。
「位置がズレてるのかな? それとも、やっぱり違う紙に重ねるのが正解だったの?」
リナさんが不安そうに僕を見る。 だが、僕は静かに首を横に振った。
「ううん。……これで合ってるんだ」
僕はその空白を指差した。
「リナさん。この年鑑は公式記録だ。学校側は、あの棚を撤去した後、その存在自体を記録からも消し去ったんだよ。だから、地図上には何も描かれていない」
地図には載っていない。
公式には存在しない。
けれど、この穴が指し示している座標は、物理的には確かに存在する。
「30年前の地図にはすでに消えているけど……ここには確かに『自由創作棚』があったんだ」
僕は顔を上げ、現実の図書室の南側を見た。
穴が示した位置。
そこは、僕たちが最初に見つけた不自然に分厚い壁の場所と完全に一致している。
「『何もない』ことこそが、答えだったんだ」
僕たちは立ち上がり、ゆっくりと南側の壁へと歩み寄った。
窓の外は完全に日が落ち、雪明かりだけがぼんやりと壁を照らしている。
冷たい石の壁。
叩けば、重く詰まった音がするだけの、ただの壁。
しかし、あの穴あきの紙片は、確かにここを指し示していた。
「先生が隠した本当の結末は、この中にある」
僕は確信を持って言った。
「先生は、自分の言葉の最後だけは、他の本に挟むことができなかったんだ。だって、その結末は……『自分の手で創作の場所を埋めてしまった』という事実そのものだから」
先生の隠されたあとがきは、未完のまま、この壁の中に物理的に封印されている。
この壁こそが、物語の巨大な栞であり、同時に墓標なのだ。
「……ねえ、ノア君」
リナさんが壁に手を触れて、静かに言った。
「あたし、先生の最後の言葉を知りたい。王様が、また歌えるようになる結末を、見届けたいよ」
「ああ、僕もだ」
僕は隣に立ち、同じように壁に手を当てた。
肩に乗っていたパピエが飛び立ち、僕と同じように壁に手をかけ、停まる。
「……パピエも同じ気持ちなんだね」
冷たい石の向こう側から、30年分の沈黙の叫び――いや、行き場を失った大量の物語の気配を感じたような気がした。
「開けよう、リナさん。この壁を越えないと、先生の時間は30年前で止まったままだ」
僕たちの視線が交わる。
静寂の図書室で、最後の謎解きが始まろうとしていた。
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