第20話『幻の本棚と、失われた物語の居場所』
本話から最終章です。
季節は巡り、学園を包む空気は凛とした冬のものへと変わっていた。
窓ガラスには氷の結晶の花が咲き、吐く息は白く染まる。
魔導暖房がフル稼働しているはずだが、石造りの図書室の底冷えまでは完全には拭えない。
そんなある日の放課後。
いつもより早く落ちた陽が、閲覧室に長い影を落とし始めた頃、リナさんが少し青ざめた顔でカウンターにやってきた。
「ねえ、ノア君……。聞いた? 最近の噂」
「噂? 新しい購買のパンの話かい?」
「あ! あれ、おいしかったよ!……じゃなくて、ううん、もっと怖い話。『開かずの書架』の幽霊の話だし」
彼女は声を潜め、図書室の最奥、哲学書のコーナーを指差した。
「あそこの突き当たりにある、ガラス戸付きの飾り棚。鍵がかかってて中は空っぽでしょ? でもね、最近……『夜になると、中にぎっしりと本が並んでいるのが見える』らしいの」
「……奇妙だね。本は生物じゃない。夜行性で増殖したりはしないはずだよ」
僕は首を傾げる。
あの棚は、確かに何年も使われていない。
鍵が紛失しており、中には埃ひとつない空洞が広がっているだけだ。
「でも、目撃者が何人もいるの! しかも近づくと消えちゃうんだって……。ねえ、確かめてみない? もしかしたら、成仏できない本の霊かも……」
「本の霊か。……もしそうなら、図書委員として未練を聞いてあげないとね」
怖がりなくせに好奇心には勝てないリナさんに押し切られ、僕は閉館後の図書室に残ることにした。
***
時計塔の鐘が鳴り響き、完全に日が落ち薄暗くなった。
照明を落とした図書室は、昼間とは全く違う顔を見せる。
静寂が重くのしかかり、窓の外で風が唸る音だけが響く。
「さ、寒いね……」
リナさんが僕の制服の袖をぎゅっと掴んでくる。
ただでさえ低い気温が、恐怖心でさらに下がって感じられるのだろう。
僕たちは哲学コーナーの影に身を潜め、件の「開かずの書架」を見張っていた。
今のところ、ガラス戸の向こうは空っぽのままだ。
闇の中に、黒い木の枠だけがぼんやりと浮かんでいる。
『マスター。私が記憶する記録の中で、このような非論理的現象の観測事例はありません。時間の浪費では?』
ロジが冷めた声を上げる。
一方で、パピエは僕の肩の上で楽しげに触角を揺らしている。
彼女は本好きであり、またオカルト的な気配を怖がる様子も微塵もない。
むしろ、これから何が起こるのかとワクワクしているようだ。
「静かに、ロジ。……ん? 待って」
その時だった。
窓の外を流れる雲が晴れ、月明かりが差し込んだ瞬間。
「……ひっ!?」
リナさんが息を呑んだ。
空っぽだったはずのガラス戸棚の中に、突如として「それ」は現れた。
古びた背表紙。
革張りの重厚な装丁。
数えきれないほどの本が、棚板がたわむほどぎっしりと並んでいる。
それは確かに、そこにあった。
「で、出たぁ……! ノア君、やっぱり幽霊だよぉ……!」
「……落ち着いて。よく見るんだ」
僕はリナさんを背に庇いながら、冷静にその本の霊を観察した。
ロジに視覚情報の確認を命じる。
『本の霊に実体なし。しかし、視覚認識においては「本」と定義されます。論理矛盾発生』
「実体がないのに見える。つまり、光のイタズラだ」
僕は携帯用の魔導ランプを取り出し、スイッチを入れた。
淡い魔法の光がガラス戸を突き抜け、棚の中の空っぽの空間を照らし出す。
すると――
フッ、と本たちは掻き消え、元の空っぽの棚に戻った。
「え……消えた?」
「やっぱりね。これは『ハーフミラー効果』だよ」
僕はリナさんに、そのカラクリを説明した。
「このガラス戸は古いけれど、磨き上げられていて反射率が高い。外が暗くなって、ガラスの向こうが闇に沈むと、ガラスは鏡のように振る舞うんだ」
僕は指をさして、僕たちの背後――ちょうど通路を挟んで向かい側にある本棚を示した。
「見てごらん。あそこの棚にある本の並びと、さっき見えた幻影。……完全に一致するはずだ」
リナさんが恐る恐る振り返り、そしてガラス戸を二度見する。
「あ……本当だ。向かいの本棚が映り込んでただけなんだ……」
「昼間は外からの光が強くて透過してしまうから気づかない。夜、特定の角度で月明かりが入った時だけ、鏡の世界が現れる」
僕は納得して頷く。
「最近になってこの噂が出てきたのは、冬になって日が早く落ちるようになり、この現象が多くの人の目につくようになったからだね」
「なーんだ……。びっくりさせないでよぉ」
リナさんは力が抜けたようにへたり込んだ。
パピエも「なんだ、つまんないの」とでも言いたげに、( -ω-) とため息をつく。
「さて、謎も解けたし帰ろうか。……でもその前に」
僕は「開かずの書架」に歩み寄った。
映り込みだとしても、なぜこれほど鮮明に見えたのか。
ガラスの角度が微妙に歪んでいるのかもしれない。
僕は立て付けの悪い棚を揺すり、位置を直そうとした。
ガタッ。
その衝撃で、棚と壁の隙間から、何かが滑り落ちてきた。
埃まみれの、一冊の古いノートだ。
「……ん? 何これ」
僕が拾い上げると、パピエが急に興奮し始めた。
( ゜д゜)!
彼女はノートに飛びつき、その表紙の匂いをクンクンと嗅ぎ回る。
まるで、花の蜜を吸うために停まる蝶のように。
「パピエ? ……これ、ただのノートじゃないのかい?」
埃を払うと、表紙には褪せたインクでこう書かれていた。
『図書委員長日誌 XXXX年度』
「30年くらい前の日誌……? どうしてこんな隙間に?」
リナさんが横から覗き込む。
僕は何気なく、そのページをめくった。
そこには、几帳面な文字で日々の貸出記録や業務報告が綴られていたが、ある日付の記述で僕の手が止まった。
『○月×日。今日も「自由創作棚」への持ち込みがあった。南側の窓辺にあるこの棚は、いつも生徒たちの物語で溢れている』
「……自由創作棚?」
僕は顔を上げ、図書室の南側を見た。
そこにあるのは、冷たい石の壁だけだ。
棚など置くスペースもないし、ましてや生徒が物語を持ち寄る場所なんて、今の図書室には存在しない。
「ねえ、ノア君。そんな棚、どこにもないよね?」
「うん。……それに、この日誌、最後に変なことが書いてある」
僕はページを飛ばし、最後の記述を読んだ。
筆跡は乱れ、インクが滲んでいる。
『今日、棚が撤去された。壁が増設され、僕たちの言葉は、行き場を失った。……この日誌も、もう書くことはないだろう』
背筋に、冬の寒さとは違う種類の冷たさが走った。
ただの模様替えや改装じゃない。
ここには、何か意図的に消された過去がある。
「おかしいな」
僕は日誌を片手に、南側の壁へと歩み寄った。
そこには均等な間隔で窓が並んでいるように見える。
だが、僕は壁を軽く叩き、歩幅で距離を測ってみた。
「……リナさん。ここの窓と窓の間隔、外から見た時と比べて広くないかい?」
「え? 言われてみれば……外から見ると窓が三つ並んでた気がするけど、中には二つしかないわね」
僕がさらに壁を叩くと、そこだけ重く、詰まったような音が返ってきた。
「ここだ。この壁だけ他と不自然に違う」
「じゃあ、この日誌に書いてある棚は……」
「まだ、この壁の中に眠っているのかもしれない」
リナさんが息を呑む。
『マスター。現在の図書室の公式見取り図には、該当スペースの記載はありません』
ロジの補足が、現状との矛盾を際立たせる。
「リナさん。幽霊はいなかったけれど……もっと深い『謎』を見つけてしまったみたいだ」
僕は古い日誌を強く握りしめた。
パピエが僕の指先に止まり、微かに震える翅で日誌を撫でている。
静寂に包まれた夜の図書室。
僕たちの目の前にある「壁」が、急に分厚く、そして雄弁に見え始めた。
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