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第17話『逃げ出した物語と、秘密の居場所』

本日は連投ですので、ご注意ください。


新章前に、単話が3話続きます。

1話目です。

 祭りの熱狂が去り、学園にはいつもの日常が戻ってきていた。

 僕、ノアにとっても、それは愛すべき地味な図書委員としての生活の再開を意味していた。


 放課後の図書室。

 窓から差し込む夕日は穏やかで、紙とインクの匂いが心地よい。

 ……はずなのだが、今日のカウンターは少し騒がしかった。


「ノア先輩! ごめんなさい、ごめんなさいっ! 悪気はなかったんです!」


 泣きそうな顔で駆け込んできたのは、僕と同じ魔導工学科の女子生徒だ。

 彼女は1年生だが、学科単位の縦割りで行う、ティーチングアシスタントをするような授業もあるため多少の顔見知りである。


 彼女が差し出した本の上では、文章の一部が紙面から浮き上がり、まるで黒い蟻の行列のようにカサカサとページの外へ逃げ出そうとしていた。


「……またか」


 僕はため息をつき、カウンターの引き出しから一本のスプレーボトルを取り出した。

 ラベルには『定着ミスト』と書かれている。


「動くなよ」


 逃げ回る文字に向かって、シュッ、と霧を吹きかける。

 すると、あんなに元気に動き回っていた文字たちは瞬時に硬直した。

 僕はそれを指でつまみ上げ、元のページにパズルをはめるように戻していく。


「魔導工学科で『活性化修正液』が流行ってるのは知ってるけど、扱いは慎重にね。あれは触れた文字――というよりインクと触れた者の魔力に反応して、描かれたものを動かす液体だ。手を洗わずに本を触ると、こうやって文字が活性化して暴走するから、ちゃんと手を洗うんだよ」


「は、はい……! 次からは絶対に気をつけます!」


 女子生徒は何度も頭を下げて手を洗いに去っていった。

 僕はやれやれと肩をすくめ、ミストのボトルを置いた。


『相変わらず、人間の魔力制御は雑ですね』


 ロジは冷淡に言い放つ。


『魔導工学の基礎教本によれば、活性化修正液は術者の静止した魔力にのみ反応し、インクを最小限に励起させるよう設計されています。このように文字が逃亡を図るのは、術者の魔力が波打ち、インクに過剰な指向性を与えてしまった証左です。不注意、あるいは精神的な動揺……理由はいくつか予測されますが――』


 文鎮の上で休んでいたパピエの翅に浮かび上がった模様が、くるくると変化する。


( ˘ω˘ )


 ロジはこう言っているが、本体のパピエは特に気にした様子もないようだ。


「仕方ないさ。あの修正液、便利だからね。 本来は、書いた文章を別の場所に切り貼りして、内容を修正するためのものなんだけど。……さて、静かになったし、残りの返却作業を――」


 そう思った矢先だった。

 ババンッ! と勢いよく図書室の扉が開いた。


「ノア先輩! 助けてください!」


 飛び込んできたのは、小柄な男子生徒だった。

 彼もまた魔導工学科の1年生。

 確か名前はルカ君で、飼育委員を担当していたと思う。

 彼は顔を青ざめさせ、息も絶え絶えに叫んだ。


「飼育小屋で、絵本が暴れているんです!」


 僕はその言葉に、ピクリと眉を動かした。

 絵本が、暴れている?


「……とりあえず、案内してくれ」


 僕は嫌な予感を覚えつつ、さっきの『定着ミスト』をポケットにねじ込み、カウンターを出た。


 ***


 現場である「魔導生物飼育小屋」は、パニック状態だった。


「うわっ、こっちに来たぞ!」

「くそっ、この魔獣、剣が当たらねぇ! なんだコイツ!?」


 騎士科の生徒たちが数人で網や木剣を振り回している。

 その中心で暴れ回っているのは、色彩豊かなドラゴンだった。

 ただし、普通のドラゴンではない。


 クレヨンで塗られたような極彩色。そして何より――。


「ペラッペラだな」


 そのドラゴンは、まるで紙を切り抜いたように薄かった。

 騎士科の生徒が剣を振るうと、ドラゴンはヒラリと身体を横に向ける。

 すると厚みがゼロになり、剣は空を切り裂くだけ。

 物理攻撃完全無効。

 なるほど、これは厄介だ。


「召喚獣か!? 誰かが召喚の儀式をミスったんだろ!」


 先輩の一人が叫んでいる。

 僕はその様子を一瞥してから、隣でオドオドしているルカ君に向き直った。


「ルカ君」


「は、はいっ!」


「この騒動の原因、心当たりがあるね?」


 僕が尋ねると、ルカ君はビクリと肩を震わせ、激しく首を横に振った。


「し、知りません! 僕が小屋に来た時には、もうあんな風に……」

「嘘だ」


 僕は静かに、しかし断定的に告げた。


「え……?」


「あ、勘違いしないで。別に攻めているわけじゃないんだ。……ルカ君が僕を頼ってきてくれて良かったと思っているよ」


 きつい言い方になってしまったと反省し、僕は努めて優しく諭す。


「周りの騎士科の生徒たちを見てごらん。みんなあれを召喚獣、あるいは飼育小屋の魔獣だと言って戦っている。初見であれを見たら、そう思うのが普通だ」


 僕は空を舞うペラペラのドラゴンを指差した。


「でも君は、僕を呼びに来たとき、はっきりとこう言ったよね。『絵本が暴れている』と」


 ルカ君の顔から、サーッと血の気が引いていく。


「ここに来てドラゴンを見る前に、なぜあれが絵本由来だと分かったか? ……それは君が、あれが本から飛び出す瞬間を見ていた当事者だからだ」


「あ……」


 ルカ君はその場にへたり込んだ。

 その袖口には、さっきの女子生徒と同じ、微かに発光する修正液の染みがついていた。


「ごめんなさい……! 授業で修正液を使った後、手を洗うのを忘れてて……。隠れて本を読んでたら、いきなり……!」


「隠れて?」


「……僕の家、魔獣ハンターの家系なんです。だから『強い男になれ』って厳しくて。こんな子供っぽい飛び出す絵本を読んでるのがバレたら、捨てられちゃうから……」


 ルカ君は涙目で、足元に落ちていた一冊の本を見つめた。

 表紙には『ちび竜の冒険』と書かれている。

 本は開かれたままで、そこから漏れ出す魔力が、空中のドラゴンと繋がっていた。


「ここから逃げ出したい。どこか遠くへ飛んでいきたい……。君のその強い逃避願望が、絵のインクを過剰に活性化させたんだな」


 僕は、震えるちび竜を悲しげに見つめた。


「精密な魔力制御には、凪のような安定した精神が必要だ。……ましてや、修正液で活性化したインクは術者の感情を吸い込みやすい。ルカ君、君が『ここではないどこか』を強く望んだから、ドラゴンは本という檻を突き破るほどの指向性を得てしまったんだよ」


 原因は分かった。

 僕はポケットから『定着ミスト』を取り出し、カチャリと振った。


 解決は簡単だ。

 あのドラゴンに向かって、このミストを吹きかければいい。

 そうすれば、修正液の魔力は失われ、ドラゴンはただの染みとなって地面に落ちるだろう。

 あとはそれを回収して……。


「先輩、それ……」


 ルカ君がミストを見る。

 僕はスプレーのノズルをドラゴンに向けた。

 だが、この大きくなってしまったドラゴンを戻せるだろうか。

 しかも飛び出す絵本から逃げ出したドラゴンだ。

 先ほどの女子生徒が持ってきた本のようにはできないかもしれない。


 絵本のことを考えなければ、今、ここでトリガーを引けばすべて終わる。

 効率的で、確実な解決策だ。


 でも。


(……それは、あまりに乱暴な結末だ)


 僕は空を見上げた。

 あのドラゴンは、ルカ君の「逃げ出したい」という心の叫びそのものだ。

 それをゴミのように地面に落とし、大切な絵本を「ドラゴンのいない抜け殻」にしてしまって、本当にいいのか?


「……はぁ」


 僕は大きく息を吐き、ミストを下ろした。


「パピエ、ロジ、少し手伝ってくれないか」


『はい、マスター』


( 'ω' )و ̑̑


 パピエが嬉しそうに飛び立つ。

 さすが、付き合いが長いと話が早い。


「ルカ君、あのドラゴンを本に戻そう」


「えっ? で、でも、どうやって……」


「ミストで強制終了させるのは簡単だ。でも、君はこの物語をそんな風に終わらせたいか?」


 ルカ君はハッとして、ドラゴンを見上げ、それから強く首を振った。


「嫌です! ……ちゃんとお家に帰してあげたい!」


「なら、やることは一つだ」


 僕は地面に落ちていた絵本を拾い上げ、ルカ君に渡した。


「結末を読んでくれ。物語が終われば、登場人物は帰るべき場所にきっと帰る」


 ルカ君は震える手で絵本を受け取った。

 上空では、パピエがドラゴンの周りを飛び回っている。

 まるでページをめくる指先のように舞い、ドラゴンを誘導し始めた。


『道標、展開。対象、こちらへ』


 パピエの鱗粉がキラキラと光り、空中に「矢印」のような光の軌跡を描く。

 それを見たドラゴンが、敵意をなくしてパピエの後を追い始めた。


「今だ、ルカ君!」


「は、はいっ!」


 ルカ君は絵本の最後のページを開き、叫んだ。


「ちび竜は、たくさん冒険をして、お家へ帰りました! ……そこが一番、温かい場所だと知っていたから!」


 その言葉がトリガーとなった。

 空中のドラゴンが、満足げにくるりと旋回し、光の粒となって急降下する。

 パピエが本の上で待機し、ドラゴンを受け止めるように翅を広げた。


 シュゥゥゥ……。


 ドラゴンは絵本の中に吸い込まれ、あるべきページの、あるべきイラストの中に収まった。


「そこだ!」


 僕はすかさず、横から『定着ミスト』を吹きかけた。

 シュッ、という音と共に、ページ全体に霧がかかる。

 活性化していた絵のインクが紙に定着し、魔力が沈静化する。


 パタン。


 パピエが本を閉じ、その上に着地した。

 もう、本が勝手に開くことはない。


「……終わった」


「あ……」


 ルカ君は恐る恐る本を開いた。

 そこには、元通りになったちび竜が、穏やかな顔で描かれていた。


「よかった……。戻った……」


 ルカ君はその場にへなへなと座り込み、絵本を抱きしめた。


 ***


 騒動が収束し、騎士科の生徒たちも「なんだ、幻覚か」と不満げに去っていった。

 二人きりになった小屋の前で、僕はルカ君に声をかけた。


「これでよし。もう逃げ出したりしないよ」


「ありがとうございます、ノア先輩。……でも、この本はもう捨てます。また迷惑かけちゃうし」


 ルカ君は寂しそうに笑った。

 僕は首を振った。


「修正液の扱いさえ気をつければ、本に罪はないよ」


 僕はポケットから、一枚のカードを取り出した。

 それは図書室の入室カードだが、通常のものとは色が違う。


「これは?」


「『閉架書庫』への入室許可証だ。一般生徒は入れないエリアだよ」


 僕は人差し指を立てて、内緒話をするように囁いた。


「飼育小屋は湿気が多くて本が傷む。あそこなら、静かで誰も来ない。君だけの秘密基地だ」


「えっ……い、いいんですか?」


「その代わり、入る前には必ず手を洗うこと。いいね?」


 ルカ君はカードを受け取り、顔を輝かせた。


「はいっ! ありがとうございます!」


 その笑顔を見て、僕は少しだけ肩の荷が下りた気がした。

 帰り道、夕暮れの廊下を歩きながら、パピエが呆れたように言った。


『マスター、閉架書庫への立ち入り許可は、図書委員の職権乱用では?』


「……適当に整理整頓の手伝いを頼むつもりだよ」


 僕の肩に止まったパピエが、呆れるロジとは対照的に、楽しげな顔文字を浮かべた。


(*´꒳`*)


 僕は空になったミストのボトルを振った。

 カラン、と乾いた音がした。


「……ミストの消費より、気疲れの方が激しいな」


 僕は苦笑しながら、図書委員業務を一時放棄していることを思い出し、図書室へと足を早めた。

 日常は戻ったけれど、退屈する暇はなさそうだ。

最後までお読みいただきありがとうございます!

もし面白いと感じていただけましたら、【評価】や【ブックマーク】をお願いします。


ストックが溜まったので、10分後に続きを投稿いたします。

引き続き、図書室でお待ちしております。

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