第11話『黄昏時の遭遇と、第二の仮説』
本日は連投ですので、ご注意ください。
放課後のチャイムが鳴ってから、随分と時間が過ぎた。
昼間はあんなに蒸し暑かった空気が、今は幾分か落ち着いてひんやりとした静寂に変わっている。
図書室の窓の外は、昼と夜の境界線――黄昏時を迎えていた。
茜色の空が徐々に群青色に侵食され、校舎全体が長い影に飲み込まれようとしている。
古くから逢魔が時と呼ばれる、魔物や怪異と出会いやすい時間帯だ。
この時間には既にほとんどの生徒は帰宅しており、校舎の中でも明かりが灯っているのは職員室と生徒会室くらいだろう。
「……おいノア。まだ出ねぇのかよ」
小声で囁いたのは、隣で筋肉をピクピクさせているライアンだ。
彼はいつでも飛び出せるよう、拳に赤い闘気を纏わせている。
「静かにしてくれ、ライアン。相手は音に敏感かもしれない」
僕は人差し指を立てて制した。
その逆サイドでは、リナさんが僕の制服の袖をギュッと掴んで震えている。
「マジで出んの……? お化けとか無理なんだけど……」
「リナさんが来てくれるとは思わなかったよ」
「だ、だって! ノア君たちが危ないことするって聞いたから……! モコもいるし、守ってあげなきゃって……!」
彼女の頭上では、紫色の蜘蛛のモコちゃんが、周囲の影に糸を張り巡らせて警戒している。
怖がりながらも来てくれる彼女の優しさに、僕は少し救われた気分だった。
『警告。視覚情報にノイズを検知。光の屈折率が不自然に変動し、背後の書架が歪んで見えます。……来ます』
肩の上で、パピエが音もなく羽ばたいた。
彼女の翅が、不規則に明滅する。
( O_O ) !
その直後だった。
「ア"……ぅぅ……」
書架の奥から、乾いた紙を擦り合わせるような、奇妙な呻き声が聞こえてきた。
空気の密度が変わる。
窓から差し込む夕闇がねじれ、そこにあったのは人の形をした影――ではない。
「な……なんだ、アレ?」
ライアンが息を呑む。
そこにいたのは、不定形の「黒いノイズの獣」だった。
インクをぶちまけたような黒い靄が、獣のような、あるいは人のような形をとりながら、ゆらゆらと蠢いている。
「……ぅぅ……ぅぅ……」
獣は苦しげに呻きながら、手当たり次第に本棚を探っている。
その姿は、ライアンが言っていた魔術師の怨念のようにも見えた。
「出たな、悪霊! この俺様が成仏させてやるぜ!」
ライアンが叫び、飛び出した。
爆発した魔術師の怨念を立証すべく、彼は物理攻撃(と少しの炎魔法)を選択する。
「ちょっと! まずは様子見って言っ――」
「うぉおおっ! バーニング・タックル!!」
赤き猛牛のような突進が、黒い獣に直撃する――はずだった。
「……!?」
獣は逃げなかった。 避けようともしなかった。
ライアンの巨体が衝突する直前、獣は背後の本棚を庇うように、大きくその黒い腕を広げたのだ。
ボゥフ!
鈍い音が響き、獣の体が弾け飛んだ――いや、黒い霧となって霧散した。
「スカッたぁ!? 物理無効かよ!」
ライアンが勢い余ってつんのめる。
本来なら、そのまま背後の本棚になだれ込んで大惨事になるところだ。
だが、ライアンは不思議そうに、本棚の数センチ手前でピタリと止まっていた。
「……あ? なんだ今の。すげぇ泥沼に突っ込んだスカスカした感触……」
ライアンは自分の身体と、目の前の無傷の本棚を交互に見ている。
霧散した獣が、最後にライアンの体を包み込み、分厚い雲のように衝撃を吸収して勢いを殺したのだ。
獣は一瞬だけ、空中に漂う霧の状態でライアンを見下ろした。
襲いかかることも、恨めしそうにすることもない。
ただ、守り切った本棚に一瞥をくれ、悲しげに「……ぅぅ……」と風音を残して、換気窓の隙間から夜空へと消えていった。
「ま、待てっ!」
ライアンが追いかけようとするが、もう気配はない。
薄暗い図書室に、再び静寂が戻った。
***
「……取り逃がしたか」
僕たちは獣が消えた窓の下に集まった。
ライアンは「くそっ、妙な抵抗感があって踏ん張っちまった!」と首を傾げているが、僕はその光景に強い違和感を抱いていた。
(あいつ……。あそこで霧にならなければ、ライアンは本棚を破壊していた)
怨念や怪物が、攻撃を避けるどころか、自分の身を霧に変えてまで「本棚への衝撃」を和らげるだろうか?
まるで、自分の体よりも、あの場所にある本の方が大切だと言わんばかりに。
「ねえ、見て。あいつ、何か落としていったよ」
リナさんが床を指差した。 月明かりの下で、キラリと光る小さな金属片が落ちている。
僕はハンカチを使ってそれを拾い上げた。
「これは……万年筆のペン先?」
それは、金で作られた非常に高級なペン先だった。
しかも、先端が少し歪んでいる。
まるで、激情に任せて紙に叩きつけたかのように。
「ペン先……?」
リナさんがそれを覗き込み、ハッとした顔をした。
「そっか……。分かった気がする」
「何が?」
「あの獣、すっごく悲しそうな背中だった。……あれはきっと、誰かに手紙を書こうとしてるんだよ」
リナさんの瞳が、確信を持って輝く。
「このペン先も、想いが強すぎて壊れちゃったんだ。……あれは怨念なんかじゃない。届かない想いを抱えた『恋する幽霊』だよ!」
彼女の中で、第二の仮説『恋人への手紙を探す幽霊』が構築されたのだ。
「なるほどなー! 恋文か! それなら物理が効かねぇのも納得だ!」
ライアンも単純に納得して、うんうんと腕を組んでいる。
あまりの論理の飛躍に、僕は思わず呆れて口を挟んだ。
「……ライアン。どうして恋だと物理攻撃が効かなくなるだよ……。 その『それなら』の因果関係が全く見えないんだけど」
『肯定します。強烈な情動が物理法則を上書きするという統計的根拠は存在しません。マスター、彼の発言は極めて非論理的です』
ロジも冷ややかなツッコミを入れるが、ライアンはニカッと笑って取り合わない。
「細かいことはいいんだよ! 想いが強すぎて幽体になった、とかあんだろ! とにかく、色恋沙汰なら俺の拳じゃなくて、心の拳で解決しねぇとな!」
「心の拳って何さ……」
僕は呆れてため息をついた。
けれど、二人は「なんて切ない話なんだ」「協力してあげよう」と完全に盛り上がっている。
けれど、僕は一人、冷めた違和感を抱いていた。
手の中にあるペン先を観察する。
(……このインクの、暗い青にも見える黒色。一般生徒が使うものじゃない。生徒会でよく使われる、最高級の『ミッドナイト・ブルー』だ)
さらに、さっきの獣の動き。
ライアンを避けたのは、彼を傷つけないためではない。
「背後の本棚を守るため」だった。
怨念や幽霊が、そこまで理性的な行動をとるだろうか?
『マスター。思考回路にノイズが発生していますか?』
ロジが小首を傾げている。 僕は小さく苦笑した。
「……いや。二人の想像力が、少し羨ましくてね」
ライアンは「怒り(怨念)」だと感じ、リナさんは「愛(恋文)」だと感じた。
彼らは、目の前の現象に物語を見出すことができる。
それに比べて僕はどうだ。
「インクの種類」や「回避行動のベクトル」なんて、無機質な情報ばかり分析して、感情の正体にたどり着けない。
(僕には『遊び心』がない……か。クラスのみんなが言っていた通りだな)
胸の奥に、チクリと棘が刺さる。
それでも、僕は実行委員としての役割を放棄するわけにはいかない。
「……とりあえず、明日はこのペン先の持ち主を探そう。これが恋の相手に繋がっているかもしれないからね」
僕は努めて明るく振る舞った。
リナさんとライアンは「おー!」と元気よく返事をする。
「この黒い革表紙の本も、結局返せなかったなぁ……」
『あの異形の者では、本の返却は慎重に考えざるを得ません。相手の正体を突き止めることを推奨します』
窓の外では、夏の大三角形が輝いていた。
僕たちの「幽霊探し」は、オカルトからロマンスへ、そして予想もしない現の危機へと転がろうとしていた。
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