第1話 美少女新入生に彼氏がいるという噂
――……雨下さんと付き合ってるってほんとか?
ゴールデンウィークが終わり、初めての登校日。
休みだからといって遊び呆けたなんてことはなく、繁忙期に入った花屋のバイトで忙しなく働いていた。
一切遊んでいなかったわけじゃないが……そんな勤労少年な俺に、クラスメイトの友人がそんな突拍子もないことを訊いてきた。
それも教室に着いた途端。
朝から疲れさすなと思いつつ、適当にあしらう。
「休みボケ? もう学校始まってんだから、日常の感覚に戻しておけよ」
「そんな先生みたいなこと言われたって話は逸らせないからなー!」
「いや、ほんとにおかしいじゃないかって……大丈夫?」
「やめれ。本気で心配されるとガチで傷つくから」
眦を吊り上げて問い詰めてきたかと思えば、胸を押さえて苦しみだしたり、休み明けの朝から元気なことだ。
はぁまったくやれやれ。
下ろすことすらできていなかった鞄を自分の机に置いて回れ右。そのまま、教室を出ようとしたら、後ろから肩をガシッと掴まれた。
「なんで逃げる? 噂が本当だからか?」
「ぜっっったいに面倒だからだよ」
噂ってなに?
肩が砕けるんじゃないかってくらい強く掴んでくる友人の手を払い除けて、しょうがなく自分の席に戻って座る。
休み明け早々なんでこんな。
ため息を呑み込むことなくこれみよがしにはぁっと吐き出して、友人を睥睨する。
「そもそもなんでし……雨下さん知ってるんだ? 友樹は」
面倒だけど、俺としても噂やその出所は気になる。
逆に尋ね返してみたら、疑念に満ち満ちたジト目を向けられた。
「……里波も知ってるんだね?」
「知ってぬい」
「どっち? あと、名前で呼ぼうとした?」
「してぬい」
ここ1ヶ月弱、アパートやバイト先で『雫後輩』と呼び慣れてしまった。
無意識に口から出かけた呼び方を、咄嗟に切り替えたはずなのだが、今日の友人は妙に鋭い。
「いつもは常時寝ぼけてるんじゃないかってくらい、ぽけーっとしてるのに」
「バカにしてる?」
「してる」
「そこはぬいって言えよー!」
この野郎ー! と、友人がぽすぽす肩にぐーをぶつけてくる。
「で、なんで雨下さんを知ってるの?」
「釈然としない。逆質問されてるのも含めて」
けどいいよ、と流れに乗ってくれるのは友人のいいところだと俺は思っている。
「というか、里波の方が非常識でしょう。雨下さんを知らないなんて」
「入学して間もない後輩を知らないだけで、人を非常識呼ばわりするな」
「ふーん? 後輩なのは知ってるんだ? ふーんふーん?」
うざい。
それに、うっかり余計な情報を与えてしまっている。
別に雫後輩と付き合ってはいないが、かといって余計な詮索をされたいわけじゃない。痛くない腹でも、探られれば嫌なものだ。
「そこら辺はあとで追求するとして」
するな。
「新入生の中だと有名だぞ? すっごい美少女がいるーって。オレも1年の教室まで見に行ったけど、黒髪ロングが清楚って感じでちょーいいね!」
「行くな不審者」
ぐっと親指を立てて、いい顔なのが最高に気持ち悪い。
用事もないのにわざわざ1年の教室に行っているのが、不審者感を強めていた。
割とドン引きなんだが、なぜ俺がそんな態度なのかわからないというようにはて? と首を傾げられる。
「学校のかわいい子をチェックするのは当たり前だろ?」
「お前だけだろ……」
他にいてたまるか。
「でも、もう告白されてるらしいぞ、それも上級生から」
「……はぁっ!?」
告白!? 1ヶ月前に入学したばっかの1年女子に上級生がっ!?
「もう2、3人からされてるって話だったか? いやーみんな手が早いのなんの」
「お前みたいな奴ばっかなのか? この学校の男どもは」
「里波がバイトばっかで、恋愛事に興味なさすぎなんだよ。これくらいふつーふつー」
普通ってなんだ。哲学か。
雫後輩が告白されたなんて心底信じられないが、友人が記憶を思い出すように話していて信憑性が増す。いつもの悪ふざけ感がなかった。
「……今の高校生ってそんなもんなの?」
「ゴールデンウィーク中に付き合って別れて、また別の人と付き合うってくらいだからな。1ヶ月もあればそんなもんだろ」
なんか、なんかなぁ……。
机にぐでっと倒れ込む。バイトばかりで俺がその手の話に疎いとはいえ、こうまで周囲が進んでるというのは地味にショックだった。
だから俺もそうする、なんて流行りに乗るような真似はしない。
ただ、その流れの中にそこそこ仲よくしている雫後輩がいるというのも、その衝撃の威力を増大させている。
「まぁ、その全員断られてるらしいけど――彼氏がいるからって」
「ぶふぁっ!?」
吹いた。
全力で。
唾を飛ばすなと友人には嫌な顔をされたが、鳩尾に1発いいのをもらったように呼吸がうまくできなくなる。
「い、いるのか? 彼氏ぃ?」
だからなんだ、という話ではある。
アパートのお隣さんで、委員会が一緒で、バイト先の後輩。
でも、色恋沙汰に口を出すような関係ではない。そうした気持ちを雫後輩に持っているわけでもない。
かといって素知らぬ顔をできるほど余裕もなかった。
こういうのを、複雑な男心というのかもしれない。
「それで、最初の話に戻るわけだ」
「さい、しょ? 友樹が生まれたときの第一声が『かのじょほしぃっ!』だったていう話?」
「どこまで遡ってるんだよ。もっと最近。あと、鳴き声より先にそんな衝動を吐き出すほど俺も女に飢えてないから」
だいぶ混乱してるらしい。
最初、最初……。
心の中で念じて思い出す。
確か、俺が雫後輩とどうとかって……んんっ?
「俺が雨下さんと付き合って……いやないが?」
「ないの? ありそうな雰囲気だったけど? ボロ出てたし」
「出てない」
ないもののボロが出るはずもない。
「でも里波、雨下さんと帰ってただろ? 俺も見たことあるぞ」
「それは委員会が一緒でたまたま」
「委員会が一緒だからって、並んで帰ることある?」
疑わしげに細めた目を向けられる。
でも、そういうこともあるだろう。
プラスしてアパートが隣で、バイト先まで一緒となれば、帰りが重なる機会は増える。言わないけど。
「なーんか怪しいけど」
友人が頭の後ろで手を組んで、天井を仰ぐ。
「じゃあ、誰なんだろ? 里波がーって噂になってたんだけど。それとも、断る口実なのかなー?」
「知らんって」
どんなに疑義の視線を向けられたところで、知らないものは知らない。
というか、なんで名指しなんだ。一緒に帰ったくらいで、名前まで広まることある? 噂の出どころはどこだ。
釈然としない気持ちになりながら、頭の中に雫後輩を思い浮かべる。
そもそも、雫後輩に付き合う暇なんてあるのか?
彼女はひとり暮らしだ。
学校で授業を受けて、バイトもある。
遊べないほど忙しいわけじゃないとは思うが、かといって余裕があるわけでもない。
考えなくていいこと考えてるなーと理解しつつも、頭の端っこで雫後輩の彼氏について本当にいるかどうか考えてしまう。
むー、と唸っていると、「ところで」と友人が話題を切り替えるような明るい声を発した。
なんだ、と顔を上げれば、声同様に友人の明るい顔が俺を迎えた。
「雨下さんのこと知ってるみたいだけど、どういう関係?」
あとで追求するって言ったよな? と、友人が笑顔で詰め寄ってくる。
「……、帰るわ」
ゴールデンウィークが明けたばかりの早朝にこの仕打ち。
もうなんもかんも嫌になって、本気で帰ろうと席から立ち上がったら、腕をぎゅっと取られた。
顔を向けると、見知ったクラスの女子がにこっと笑った。
「私も気になる、とっても」
その後ろにも目を爛々と輝かせているクラスメイトたちがいて……。
みんな好きだな、色恋沙汰。
予鈴の鐘が鳴る。
第2ラウンド、と心の中で諦めるように呟いた。
◆◆◆
「なんで休み明けからこんな……」
人のいない場所を求めて校舎裏を彷徨いながら、はぁとため息を零す。
結局、朝は先生が来て解散。
これ幸いと逃げ切ったが、昼休みはそうもいかなかった。
詰め寄ってくる恋バナ大好きクラスメイトたちに囲まれかけて、這々の体で教室から逃げ出した。
登校中、コンビニで買ったサンドイッチは諦めるしかなく、購買でどうにか買えた焼きそばパンとおにぎりを抱えて食べれる場所はないかと歩き回る。
「あるかなぁ、場所」
ぴちゃっと足元で水たまりが跳ねる。
朝からにわか雨が降っては止んでを繰り返し、地面を濡らしていた。
今は晴れているが、空は相変わらず灰色で、またいつ降り出してもおかしくはない。
「雨じゃなきゃ、地べたでもよかったのに」
今日はツイてない。
はぁと口から暗澹とした雲を吐き出しつつ、トボトボ歩いていると、校舎を曲がったところで人がいることに気づいた。
気づいて――すぐに校舎の物陰に隠れた。
「……タイミングが悪い」
噂をすれば影。
だからって、今じゃなくてもいいだろうと校舎の影から覗いた先には、見知らぬ男子生徒と――雫後輩がいた。






