第3話 ただいまと出迎えてくれる懐かしさと嬉しさ
バイト先のカウンターでブーケを作っているが、考えているのは雫後輩のことだった。
恋だ愛だとか、そういう色っぽい話じゃない。
ただ、時間がなく焦っていたとはいえ、アパートの部屋に置いてきてしまったことに幾ばくかの不安があった。
「なにかするとは思ってない……けど」
誰かを部屋にいさせること自体が心配だった。
変なものないよな? その手のものはないからいいとして、見られて困るものは? そういえば、洗濯するとか言ってたよな? え、じゃあパンツとかも? 高校の後輩に洗われるの?
あーっと慟哭してカウンターに両肘を突く。
やっぱり断ればよかった。でも、あのときはそんな余裕もなかったし、鍵を頂戴って笑顔で言われたらそりゃ渡すでしょうよ。
「帰るか、いいか。帰って」
「いいわけないですよね?」
こつんっと後ろから叩かれる。
痛くはないが頭撫でつつ目を細めて振り返ると、店長が困ったような笑顔で立っていた。
「店長ぉ」
「なんですか泣きそうな声を出して。かわいいですね、ちゅーしてあげましょうか?」
「それは遠慮します」
「スンッてしないで。店長、泣きそうです」
しくしくと目元に緩く握った拳を寄せて泣き真似をしてくる。
これで30代なんだよな……と思うが、見た目は若くかわいいので『きっつ』とは言えない。でも、20代でもこのかわいこぶってるのは犯罪ではなかろうか?
「なにか不敬なことを考えていそうな顔ですが……ペーパー切れてますよ」
「え……、あ」
パッと花束を見れば、ラッピングしていたペーパーが無惨に破れていた。
おぉう、やっちまった。
普段ならやらない初歩的な失敗に心が挫けそうになる。
「というか、保水してますか、これ」
「あはは……まさかそんな」
と、乾いた笑いを零しながら根本を見て……茎がそのままだった。保水ペーパーも袋もない。なるほど、ラッピングのペーパーがしっとりしてたのはこれが原因か。
「はははー」
「……」
笑って誤魔化そうとするが、じーっと半眼で見つめられ続けて「すみませんでした」と呆気なく屈した。これみよがしに吐息を零されてしまう。
「ディスプレイ用なので急ぎませんが……今日はずいぶんとぼんやりしていますね」
「そんなことは」
「ないとでも?」
店長の視線が俺の手元に落ちる。
失敗した花束があっては口をつぐむしかない。きゅっと唇を絞る。在庫のチェック中だったのか、持っているボードでまた頭を叩かれる。
「で、なにがあったんですか?」
「あったというか、置いてきたというか」
「?」
訝しむ店長に雫後輩を家に残してきたことを話すと、「そういえば、今日はシフトに入っていませんね」とボードを確認しだす。在庫じゃなくてシフトの確認をしていたのか。
そして、たっぷり含むように頬を緩ませた。
「なんですか? 彼女を1人留守番させるのが心配なんですか? 確かに最近は物騒ですからね。愛する恋人を留守番させているとなれば、自宅に心を忘れてきても仕方ないかもしれません」
「彼女じゃないんですけど」
無駄だと思いつつも、否定しておく。
「アパートの隣の部屋って言ってましたけど……でも、留守番してるんですよね? 華さんのお部屋で」
はて? と、小首を傾げられる。
それに対する答えは“YES”でしかなく、事実である以上否定も難しい。となると、もはや黙るしかなくって、ニマニマする店長をとめる手段がなくなってしまう。
「あー、若いっていいですねー」
「年寄り臭い」
「ピッチピチですけど!?」
今日日聞かないだろ、ピチピチとか。
若さに執着する店長を放置して、失敗した花束を解体してやり直す。
そばにいなくても、雫後輩は俺のペースを乱してくるんだな。
◆◆◆
「――おかえりなさい」
バイトから帰ってくると、玄関を開けて雫後輩が出迎えてくれた。
首を長くして待っていたと思わせる満面の笑顔に、こっちが気圧されてしまう。
「た、ただいま……?」
「なんで疑問系?」
くすくす笑われて、頬が熱を持つ。
そっと視線を逸らして、首筋を撫でる。雫後輩はエプロン姿で、中から微かに食べ物の匂いが漂ってきた。
肉の匂い……これは、
「ハンバーグ?」
「正解!」
彼女の語尾が跳ねる。
やたら機嫌よく、その懐き方は大型犬のようだった。
「さぁ、上がって」と自分の部屋のように招かれる。俺の部屋なんだけどと思うが、冷水をかける気にはならなかった。
それに、悪くないなとも感じてしまう。
「どうしたの?」
「や、楽しみだなーって」
おかえりと言ってもらって、ただいまと返す。
そんな当たり前のことが今日はやけに胸に染みる。
そういえば、実家にいたとき以来か。こんなやり取りをするのも。
1年以上前。遠くなった日常は、いつしか当たり前からも遠ざかっていたらしい。久方ぶりに思い出した感覚は、存外悪いものでもなかった。
「ありがとな」
「まだ、作りかけ」
もう少し待って、という雫後輩の勘違いを正す気はなかった。
別に伝わっていようがいまいが、どっちでもいい。
あれだけ雫後輩を家に残すのを心配していたのに、俺も現金だなとリビングに入って――意識を改める。
「あ、洗濯仕舞っといたんだ。あとで、畳むよ」
「…………、いい。自分でやる」
部屋に干された私服の中にパンツを見つけて誓う。
今度からは雫後輩に鍵は渡さないと。
◆◆◆
週が明けた月曜日。
朝からにわか雨が降っていたが、そのおかげか気温が下がって過ごしやすい気候だった。湿気は少し気になるけどと、櫛を通しても丸まる毛先を弄る。
教室に着くと、珍しく友樹が登校していた。
「なんでいるの?」
「ねぇ、それ朝の挨拶?」
疑問を疑問で返された。
礼儀がなってないなと零しつつ、後ろの席に座る。友樹は椅子の上で器用に体を反転させると、馬に跨るように椅子の背を抱えて座り直した。
ぐでっと疲れたように首を垂らす。
「寝てたかったんだけど、姉貴が男連れ込むからって追い出された……」
「そんな理由で家出されるのお前くらいだろ」
お盛んだな、姉弟揃って。
こいつに限っては彼女ができたなんて報告は聞かないが、この前のカラオケみたいになんだかんだとクラスの女子と遊びに行ったりしている。
それが本人の望んでいる成果かはともかく、その積極性には男として学ぶべき面がある……のかもしれない。
液状生物みたいにどろっと溶けながら、友樹が管を巻く。酒も飲んでないのに。
「オレも女の子部屋に連れ込みたーい」
「最低なんだこいつ」
朝の教室で盛らないでほしい。
女子からの視線が気になってしょうがない。俺は違うよ? と弁明したいが、したところでなぁとも思う。そんな無駄なことする前にこいつとの縁を切るべきかなと、心の中でハサミを構える。
構えて……友樹ならこの名状しがたい納得しづらさがわかるかもと、尋ねてみる。
「なぁ、女の子を部屋に連れ込むのが大好きな変態」
「それは立派な犯罪者だった……なに?」
俺の罵倒を平然と受けとめる友樹。
相談相手はこいつでいいのか二の足を踏むが、他に思いつかないので話してみることにする。
「俺って、雨下さんに男って思われてないのかなって」
「え? もう新婚3年後みたいにマンネリ化してんの?」
やっぱり相談相手を間違えたかも。
◆第8章_fin◆
__To be continued.






