第1話 クラスの女子は恋バナが好き
問題は次々にやってくる。
人生とはハードル走のようなものと知らない誰かが例えた。それはきっと間違いではなく、こうして笑顔で迫ってくるクラスメイトの女子を目の前にすると、なるほどと納得してしまう。また問題だ、と。
また、他の誰かは高いハードルは潜ればいいんだよと言ったが、この場合、どう潜るのが正解なんだろうか。彼女のスカートの下とかだったら、新たな問題に発展してしまう。自分から問題を作る気はなかった。
「それで、聞かせてくれるかな? しずくちゃんとの馴れ初め」
聞きたいなーと、自然な動作で空いていた前の椅子に跨って、名瀬は背もたれを抱く。購買に昼飯を買いに行った友人の座る席がなくなった。が、どうでもいいだろう。
「ねー、教えてよはなちゃーん」
「はなちゃんって言うな」
指を伸ばしてちょいちょいと腕を突いてくる名瀬が鬱陶しい。
女子だろうが男子だろうが気安く絡む、人懐っこいコミュニケーション強者。薄くおでこが見える前髪と長い襟足がいまどきって感じだ。
「あ、ごめん。名前だめだったっけ? じゃー、りなみくんだね!」
「それもどうかと思うけど」
くん呼びとか、背中がムズムズする。
「だめだった?」
「いいけど」
「やった!」
パチンッと手を合わせて喜ぶ。
所作の1つ1つがかわいい。狙ってやってるんだろうなーとは思うが、嫌味に感じないのが凄い。女子の友達も多いしな、この子。
「でも、華って名前、私は好きだよ?」
「……俺も嫌いではないから」
「だよね!」
おなじー、と、にぱっとキラキラした笑顔に毒気が抜かれる。
雫後輩との馴れ初めという話題で警戒していたのに、あっさり態度を軟化させられてしまった。
でも、あんま得意じゃないんだよなー、名瀬。
得意じゃないは苦手、苦手は嫌いだよと中学の同級生に言われたのを思い出す。女の子用語って難しい。でも、本当に嫌っているわけじゃない。
でもそのパーソナルスペースゼロな距離の詰め方にどう反応していいか困ってしまう。2年に上がって初めて同じクラスになったが、距離感で言えば1年のときから付き合いのある女子より近い。
……まぁ、それは俺だけじゃないけど。
そろっと教室を窺えば、残っている男子連中がこちらをチラチラ盗み見ている。落ち着かなそうで、時折その視線に妬み嫉みを感じるのは気のせいではないはずだ。
たかだか1ヶ月ちょっとでよくまぁここまで。男子にも気軽に接してくれる女子って人気だよな、ほんと。
「で、どうなの?」
「いや、馴れ初めもなにもそもそも付き合ってないから」
「またまた~」
冗談言っちゃって、とおばちゃんのように手を招く。
「本当だから」
「恥ずかしがって、かわいいな~」
聞き耳がなかった。
いくら言い訳……ではなく、事実を伝えたところで、名瀬にとってはすべて照れ隠しになってしまうんだろう。人って自分の信じたいことしか信じないというが、こういう最初から結論が決まってる会話はどうすればいいのか。もう投げ出したい。
「……じゃあ、出会ったときの話を」
「うんうん!」
目の椎茸を爛々とさせて、名瀬は両手を肩の前で組む。待ってましたとばかりだ。
しょうがないので、雫後輩との馴れ初めを語る。
俺からすると仲よくなったキッカケで、名瀬からすると交際するまでの流れで。
噛み合ってないのはわかっている。が、いくら訂正したところで梨の礫。恋バナをするときの女子ほど人の話を聞かないので、さっさと満足させるに限る。
……いや、恋バナじゃないんだがな?
心の中で否定しつつ、雫後輩との出会いを簡単に語る。
アパートの隣室に引っ越してきて、困っていたところを助けた。そのあと、図書委員会で一緒になって、バイトまで一緒だったことを。
小説のあらすじを話すような簡潔さだったが、名瀬にとっては十分満足できる内容だったらしい。頬に両手を添えて、はわわして恍惚の表情だ。
「どこに行っても雫ちゃんと一緒になるなんて……はぁぁんっ。それはもう運命よ~、あ~、いいな~、すっごく素敵な恋ぃ~」
「恋じゃないって」
「はわ~」
聞く耳どころか、もはや意識が飛んでる。
逆上せたように頬が赤く、その顔は少々色っぽい。あんまり教室で見せていい表情じゃなかった。こっちを気にしていた男連中がガン見しているので、早いとこ正気に戻さねば。
「名瀬」
「あ~、私もそんな恋したいな~」
「それは好きにしてって話だけど」
「好きっ!? だめよりなみくん! そんな浮気だなんて! でもでも、悪役令嬢のヒロインっていうのも捨てがたいなー」
「捨てろ」
なんの話をしてるんだ。
「全然帰ってこない」
「華先輩、浮気ってなに?」
「そんなの俺が……が?」
なにやら名瀬以外の女子の声が。
それがどうにも訊いたことがあるというか、雫後輩っぽいんだけど、ここは2年生の教室だ。昼休みとはいえ、1年生の雫後輩がいるわけない。
なので、いまのは聞き間違え。もしくは幻聴。
そうやって自分に暗示をかけるように納得させて、別人がいることを祈って振り返ったが、
「で、浮気ってなに?」
むすっとジト目で睨んでくる雫後輩がいて、「……なんだろうね?」と俺は返すしかなかった。
人に聞かれたくない話を、もっとも聞かれたくなかった人に聞かれた、そんな気分だった。






