第二部 第十章 無血占領
第二部 第十章 無血占領
ジョルト率いるハンガリー軍は、ルーシー公国中部の街ジトーミル手前のテテリブ川の手前まで侵攻して、ここで陣を張っている。この川はルーシー公国を南北に走る大河ドニエプル川の支流で船舶の航行も可能だ。
実はルーシー公国の主力はヴァイキング兵で、イーゴリ1世自身もヴァイキングとスラブ人の混血だと言われている。つまり、公国軍の魔術師はヴァイキングの氷魔術師と言う事になる、その点では炎の術を得意とするジョルトやアデルとはあまり相性が良いとは言えない。
ただ幸いと言うかここまで、ジョルトの侵攻軍はこのヴァイキング達と戦っていなかった。
だが、ジトーミルの街は明らかに今までと違い、街の手前の川にはヴァイキング式の軍船が並び、街の城壁にはヴァイキングの旗が旗めいている。
「ジョルト様、攻撃の御指示は?」
幕僚にそう聞かれて、ジョルトは少し考えてから、白旗の用意をさせた。
そして、自ら馬に乗り二人の従者だけを連れて、こちら側からは街への唯一の侵入口になる、橋に向かった、橋は砦化されていて厳重に警備をされている。
「誰だ、ジトーミルに何の様か?」
橋の番兵から誰何を受けると
「魔聖ローマ帝国、バイエルンとハンガリー公のジョルト、この街の責任者に話があって来た」
とスラブ語で言うと
「何だと、話だと?」
と若い番兵は喧嘩腰になるが、年配の番兵がそれを諭すと、街の中に入って言った。
しばらくすると、士官らしい青年と一緒に戻ってきた。
そしてその青年は、
「面白いじゃないか、中で話を聞いてやる、俺はこの街を預かるエリク・ビョルンソン、ヴァイキングの王、剛勇のビョルンの息子だ」
と自己紹介をした。
このエリクが言うヴァイキングの王とはかって、スカンディナヴィア半島東部のデーン人を支配し、ジブラルタル海峡を渡り地中海沿岸の都市を侵略して回った、ある意味伝説の王だ。
だが、その子孫は絶え、現在彼の地で王を名乗っているデーン人の族長エリク・エイマルソンとは何の血縁関係も無い。
「それで、話とはなんだ?」
「まぁ焦るな、ワインでも飲もう、うまいぞ」
ジョルトはそう指示をして従者に酒の用意をさせた。
「酒の用意をしてくるとは死にに来たわけでもなさそうだな、ジョルトと言ったか、面白い奴だ」
「ああ、俺にもヴァイキングの王の友がいてな、その名をフロールヴと言う、知っているか?」
「もちろん、俺の親父の敵であり友であった男だな、俺達とは違う部族の王だ」
「そうか、実はなこの偉大な王が先頃、イングランドで亡くなったんだ、なんでも敵の指揮官と相打ちで
見事な最後だったらしい、どうだ奴の為に一緒に酒を飲んでくれるか?」
「もちろんだ、そう言う事なら大歓迎だ、偉大なヴァイキングの戦士に乾杯しよう」
こうしてそれから数日の間、二人はお互いの屋敷と幕舎を行き来しながら酒を飲み、飯を食い話をした。ジョルトの見立てでは、このエリクは素朴な好青年で性格が良いが、単純でお人好しそうだった。
おそらくは、正妻の子では無く剛勇のビョルンがルーシー公国に来た時に手を付けた娘の子なのだろうと推測できた。
「なぁ、そのフロールヴ王の後は誰が継いだんだ?」
「ああ、息子のギョームだ、歳はあんたと同じ位だろう、ついでに言うと俺の嫁とギョームの嫁は姉妹でな、あっちは夫婦仲良くイングランドを征服中だ」
「そうか、それは羨ましいなぁ、俺はこんな小さな街で……」
「どうだろう、あんた自分の親父の国を見てみたいと思わないのか?、ここはあんた達、海の戦士が居る場所ではないと思うのだが」
とジョルトは切り出した。
「ああ、それは何度も考えた、だがここからではなぁ、この川を下流まで行くと黒海に出る、黒海を南西に進めばやがて地中海に出られる、だがな……」
とエリクは暗い顔をする。
「何か問題でも?」
「ああ、地中海への出口の海峡には『死の都』があり、そこを通る船には必ず疫病に襲われると言われている、俺のオヤジも、行きはそこを何とか超えたが、帰りは陸路で戻った……いや戻ろうとして、敵に囲まれて途中で消息が無くなったと言う事でね、だから海路でも陸路でも無理なんだ」
「そうか、その死の都の話は興味深いな、だがもし陸路で帰りたいのなら、途中の安全は俺が保証してやるよ、俺の領地はここから西だ、俺の領地からなら、北海でもバルト海でも自由に行けるぞ」
「本当か?そう言えばフロールヴ王は西フランクの王から領地をもらったんだったな、あんたフランク王の臣下なのか?」
「西フランクと言う国はもう無い、今は東、西のフランクを束ねる国、魔聖ローマ帝国と言う国がある、それが俺の国だ」
「なるほど、オヤジの故郷に帰って、その王を自称している奴を殺して、俺が王になると言うのは悪くない話だ」
とエリクは目を輝かせた。
「そうだろう、ヴァイキング兵達を連れて、こんな街を出て自分の国に帰れば良い、お前ならできるさ」
とジョルトはエリクを煽る。
結局、エリクとそれに同調するヴァイキング……正確にはヴァイキングとスラブ人の混血児も含めての若者達……2000名以上、しかもこの中には公都キーフから駆け付けた者も多数いる……が、ジョルトの口車に乗り、ジトーミルの街を出て、ジョルトの部下100人の先導で、ハンガリーの公都エステルゴムを目指し、そこから帝都『ユーグウルブス』に向かい、更に帝国内のヴァイキング領であるデンマーク侯爵領を目指す事になった。
エリクは、供を付けてくれたジョルトに礼を言い、ジトーミル付近の地図やルーシー公国の公都キーフの様子を教えて旅立って行った。どうやらエリク達とイーゴリ1世とはあまり良い関係では無かったらしい。
こうしてジョルトは要衝ジトーミルの街を無血占領したのだった。
「旦那様、凄いですね、舌先だけで敵将を丸めこんで街から退去させてしまうなんて」
「おいおい、人聞きの悪い事を言うな、俺はあいつらを故郷に帰してやる手伝いをしただけだ、まぁ俺の先祖から伝えられた言葉にな『百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは
善の善なるものなり』と言う物があって、俺はそれを実践しただけだよ、あいつらだって喜んでいただろう」
「そうですけどね、なんか悪そうな顔してましたよ」
「はは、お前の目はごまかせないな、でもこれでしばらく楽ができるからな、明日から宴席で忙しいぞ」
「え、宴席ですか?……」
とアデルは不思議そうな顔をしている。
翌日からジョルトの予言した通りに、近隣の領主や貴族達が、続々とジョルトに挨拶をする為に、ジトーミルの街を訪れる様になった。
この時代、各地の諸侯や領主達は自分の領地を守る事を最優先している、なので敵が、その昔の東方の蛮族の様に領民を虐殺したり領地を焼き払ったりするなら一致妥結して侵略者に抗う事になる、だが今回のジョルトの様に、魔聖ローマ帝国への臣従を呼びかけるだけで、占領後も公正な統治を約束して、その上、税金も安くなるなら、庇護者として強い方に靡くのは当然の事になる、しかも今回、ルーシー王は庇護者としての役目を果たして居ないので、彼らの方から王を見限ると言う事になる。
現在ルーシー公国のイーゴリ1世は公都キーフに籠ったまま、何も行動を起こしていない、しかも
主力のヴァイキング部隊が、半数近く逃亡してしまっている状態だった。そんな訳で、ルーシー公国の西部と中部合わせて、約2/3の領主達がジョルトの麾下に入る事になる、そしてジョルトは彼らを率いて、20000を超える兵で公都キーフを取囲む事になった。
イーゴリー王は無策だった訳では無い、キーフで籠城して冬の到来を待ち、その後、敵の消耗と食糧の枯渇を見届けた上で攻勢に転じる、と言う鉄壁の策を構築していた、だがそれがジョルトの予想より早い進軍と、まさかのジトーミルの陥落で防衛ラインだったテテリブ川をあっさりと超えられてしまったのが大きな誤算だった。
そしてイーゴリー王は更に大きな間違いを犯す、なんと公都キーフを捨てて、北方のかってのルーシーの旧都ノヴゴロドへ一族郎党を引き連れて向かったのだった、だが一行は途中でスラブ人の一部族である
ドレヴリャーネ族と交戦状態になり、イスコロステニの街付近で、非業の死を遂げる事になった。
キーフを無血で手にしたジョルトは、ここで遠征を中断して、麾下の部隊の半数をキーフに残して、公都エステルゴムへ帰還した後に、帝都ユーグウルブスへ自ら遠征の報告に出向いた。
皇帝ユーグが親征に出て不在と言う事なので、政務を代行している皇后マロツィアに謁見して、遠征の報告をすると
「流石、帝国一の知将と言われるハンガリー公ですね、キーフの無血占領見事なものです、陛下もお喜びになるでしょう」
と、実質帝国の政務を司る皇后に言われて悪い気はしない、そして更にこの皇后と自分は同類の様な気がして、
「(皇后は敵に回してはいけない)」
と即断した。
「ルーシー公国の今後ですが、どの様に処理をいたしましょうか?」
と自分の功績をひけらかす事無く皇后に処理を任せる姿勢を見せた。
「そうですね、最終的にお決めになるのは陛下ですので、陛下がお戻りになるまではハンガリー公にお預けしておきます、春になったら更に北部へ侵攻されるのでしょう?」
「はい、その通りです、しかしながら皇后陛下、我らも皇帝陛下の親征に参戦したいと思いますが、今から援軍と言う形は可能でしょうか?」
それを聞いて皇后は笑った。
「先日凱旋帰国した、ブルゴーニュ公も同じ事をおっしゃってましたよ、皆様陛下の実力を過少評価してませんか? 必要があるなら陛下から連絡があるでしょうから、それまで待機していてください、ああそうそうブルゴーニュ公にはもう会われましたか?まだなら早くお会いになった方がよろしいですよ」
と皇后に言われて、ジョルトは
「は?はい」
と何の事かわからず間抜けな返事をする。
「そうそう、ハンガリー公、あなた随分と面白い方々を帝国に寄越してくれましたね」
ジョルトはそれが、数ヶ月前に送り出した、ルーシー公国のヴァイキング達の事だとわかった。
「は、彼らは今どうして居ますか?」
「帝都に一週間程滞在したあとに、デンマーク侯爵の元に向かいました、侯爵はたいそう喜ばれて、何でもエリク・ビョルンソン殿を娘婿にされた様ですね、侯爵には今は男のお子様がおいでになりませんでしたから」
「そうですか、それは良かった、ではこれで失礼いたします」
とジョルトは礼をして謁見の間から退出し、宮殿内の通称『公爵の詰め所』と呼ばれている広間に向かった。
そこには義弟であるダークナイト・ユーグがソファに座り、各地の戦況を書記官がまとめた資料を読み耽っている。
この広間には、暗黙の了解として、各公爵と従者数名、各公爵の配偶者や子息で軍務についている者のみが入室できる事になっている、なので当然、妹のマーリカも居ると思ったのだが、ユーグ一人だった。
「これはハンガリー公、無事の帰還何よりです」
と義弟であるユーグが先に席を立って挨拶をする。
「そちらこそ、見事な戦果を上げたそうだな……はて妹の姿が見えんが、また鍛錬でもしてるのかな?」
「あ、いえそうでは無くて、その義兄上、今夜にでも奥方と共に我が家にお越しいただけないでしょうか?」
そう言われてジョルトは一瞬だけ悪い想像をした。
「(あの妹の事だ、まさか余計な事をして離縁の話では無いだろうな?)」
その表情を見てダークナイト・ユーグは直ぐに察して
「義兄上、吉事のご報告があるのです」
と付け足した。
「そうか、敵将の首を100落としたとかそう言う話か、ありがたく招待されよう」
とホッとした。
そしてその夜、ダークナイト・ユーグの公邸で豪華な夕食の後に……いつもはジョルトの三倍は酒を飲む妹が今日は白湯で薄めたビールしか飲んでいない事が疑問だったが……懐妊の話を聞いて
「おう、それはめでたいな、義弟殿に側室がいたとは知らなかった」
と言い、妹から硬い黒パンを投げつけられた。
「この馬鹿兄上、妊娠したのは私だ!」
「え、なんだって? まさか?」
と更に余計なリアクションをしてしまい、ワインのボトルを投げようとするマーリカをユーグが慌てて止める。
「義兄上、本当なんです治癒士の見立てでも妊娠は確かなそうで、来年には叔父上と呼ばれる事になるでしょう」
とユーグに言われて現実を認識できた。
「そうか、亡き父上が知ったら喜ぶだろうな、卿と妹の子か、将来どの様な武人に育つか今から楽しみだな」
と初めて兄らしき言葉を口にした。
帰路の馬車の中で、ジョルトは妻のアデルから怒られている。
「旦那様、義妹殿にあまりにも失礼では無いですか?」
「いやすまん、俺の中では妹は女扱いでは無くてな、何しろ子供の頃から剣を持って暴れていたからな
そんな妹が母になるなど想像もできなくてな、しかし本当に良い男が婿になってくれた、まさかあの妹の子供を見る事ができるなんて……」
と反省している様で全然反省していないジョルトだった。
「でも羨ましいですね、私も旦那様の子がもう一人欲しいです」
と言われて
「あ、うん、そうだな」
と答えるジョルトだった。二人の間には、二歳になる『タクショニュ』と言う名の男の子が居るのだった。
こうして帝都で二組の公爵夫婦がほのぼのとしている間にも、各地の戦況は動いている。




