第二部 第六章 国境の戦い
第二部 第六章 国境の戦い
アンリは更に数日待って、新月の夜を待ち夜襲を決行した。
この頃帝国では、騎馬民族であるハンガリーから伝わった馬術が広まっていて、アンリの騎兵でもその技を取り入れている、その中には馬を嘶かせずに静かに行軍する馬術があり、アンリと配下の魔法騎士達は暗闇の中、あらかじめ何度も下調べをした安全なルートで敵陣に近づいて行く、そして魔法の射程に入ると、全員が魔法剣を抜き、事前の打ち合わせ通りに敵の陣幕を火炎魔法で攻撃して行く。
「奇襲だぁ!!」
「何、何処からだ?」
警護の兵の叫びに、目を覚ました敵が右往左往する中、次々陣幕が燃えて行く、食糧庫や士官の陣幕、更にはこの遠征軍の副司令官であるアブル・ワリード=ザフラウィー将軍の陣幕をも焼き尽くし、就寝中で逃げ遅れたザフラウィー将軍は炎に飲み込まれ、焼死してしまう。指揮官を失った将兵達は
剣による攻撃に切り替えたアンリの魔法騎兵に次々に討たれて、15000の軍勢の八割がここで消滅してしまう、生き残った将兵達は、散り散りになって南方に撤退して、本隊である遠征軍総司令官イブン・アル=カースィム将軍の元に逃げ戻る事になる、この際に敗退の知らせに激怒したカースィム将軍は、敗残兵を全員奴隷に落としたと言う。
この時にアンリの配下のブロア伯フランソワは、逃げる敵の将を尾行して、敵本隊の位置と数を確認している。
大戦果をあげて、ボルドーに帰還したアンリ・ポワトゥー公爵はそこで、援軍のロタリンギア公エルベールと再会する。
「これはロタリンギア公、お久しゅうございます」
アンリは子供の頃からエルベールと顔見知りで、エルベールの息子達とも親しかった。
「おう、アンリ……では無くて、ポワトゥー公爵久しいな、貴公大戦果をあげたそうだが、私の獲物は残してあるだろうな」
とエルベールは和かに挨拶をする。
「はい、閣下、敵の本隊約20000はまだ健在です」
とアンリは地図で、敵の本体の場所を示した。
「なるほど、では早速全軍で、敵を迎え撃つ事になるかな、辺境侯殿御異存はありますかな?」
あくまでもエルベールは援軍と言う立場だが、帝国での地位は、同じ公爵でもエルベールの方が圧倒的に上位だ、しかも30000の援軍と呼ぶには多すぎる兵力を率いている。
「もちろん、異存はありません、我らも直ぐに出陣の支度をいたします」
とエルベールに同調する事になる、そしてその後ヴァスコニア公サンシュはエルベールから驚愕の事実を告げられる。
「出陣に先立ち、貴兄達に皇帝陛下の意思をお伝えする、陛下は敵を撃退した後に『アル=アンダルス』
に侵攻して、コルドバ帝国を打ち滅ぼせとの勅命である、また皇帝陛下自ら、親衛隊を率いて海路で『アストゥリアス王国』へ向かわれたとの連絡があった、これは皇帝親征の戦いになる、我らも早々に侵攻軍を叩き、敵の都「コルドバ」を目指そうぞ、陛下に遅れを取るわけにはいかぬからな」
その一瞬、本営に居た将兵からは大歓声が起こる、特に若いアンリやエルベールの息子達、そしてサンシュ自身もその中の一人だった。
若者達が高揚するのを見て、トゥールーズ伯のみが少し寂しいそうにしている、伯爵家は男子に恵まれず、やっと授かった後継のエドモンド……本来は彼が伯爵家の兵を率いる立場なのだが……は病弱で今は臥せっていて出陣もままならない、幸にしてエドモンドとその妻、サンシュの妹ジャンヌとの間には、既に男子が二人生まれていて、この子供達は健康に育っているが、このままでは家名はなんとか存続させられるが、伯爵領の先が心配だったからだ、そして伯爵の目はこの場にいる三人の若者を注視している、伯爵にはまだ、15歳になる未婚の娘が居る、この三人の内誰かが婿になってくれれば申し分無いからだ。 帝国の重鎮エルベール卿の二人の息子アミアン伯ウードとヴェルマンドワ伯アルベール、若くして皇帝の覚えが良いアンリ・ポワトゥー公爵、特に公爵とは領地も近く、婿には最適だと思っている。
「では、辺境候殿、先陣をお願いできますかな、我らは後に続きましょう」
「了解した、トゥールーズ伯は私に同行してください、共に戦果を上げましょう」
と気を使ってくれる亡き友人の息子サンシュの気持ちが嬉しかった。
総勢50000を超える魔聖ローマ帝国軍は、ボルドーを出立すると、現在敵に占領されている国境の街、
『バイヨンヌ』を目指す事になる、この時、アンリとアミアン伯ウードとヴェルマンドワ伯アルベールの三人は別働隊として、同様に敵に占領されている、バイヨンヌ東方の街、ポーの攻略を任された。
どちらの街も急げば半日の距離になる、ウードの部隊もアルベールの部隊もアンリの軍と同じ魔法騎士の部隊で、三人は共にダークナイトユーグの軍で戦った事もあるので気心は知れている。
彼ら三人の持つ剣は皇帝ユーグから拝領した宝剣だ、だが銘はついて居ない、宝剣の数が増えたので面倒になったユーグが銘を付けるのを止めたからだ。だが銘は無くても皇帝から直に下賜された剣だ、その価値は剣を持つ当人だけが知っている、そして彼らの麾下の魔法騎士達の剣は、ユーグが皇都の鍛冶屋に指示をして作らせた量産品だが、これは以前ドイツ王を名乗るザクソン公国の公都「メムレーペン」を攻略した際に入手した魔道具『魔槍ロンギヌスの槍』のエーテルの流れを解析して、ほぼ同じ効果を持つ剣を作り出し量産した物だ、魔法の増幅効果は宝石を多数埋め込んだ『宝剣』には及ばないが、これまで魔術師達が使用していた、杖などの魔道具よりは遥に上だった。
三人で轡を並べて、部隊の先頭で馬を歩ませている。
「公爵殿、どの様な作戦で行きますか?」
「おい、三人の時はその呼び方を止めろ」
「はは、ではアンリの兄貴、どうします?」
「兄上、それでは軍と言うよりは盗賊の集団の様です、軍の規律を考えてください」
「お前は真面目だな、まぁ敵にとっては俺達は盗賊みたいな物だろう」
「昔、三人で敵の村を落とした時の事を覚えているか?」
「ああ、兄貴が正面で囮になって、俺達が裏から奇襲って奴だな」
「そうだ、あの時はアルベールは初陣で震えていたな」
「それは、言わないでください」
「はは、でもまたこの手で行くか、地図によると、ポーの街への街道は川の手前に四箇所だ、俺は北側、
ウードは西、アルベールは東って事で良いな、俺が敵を釣り出したら、合図をする、後は任せる」
「了解」
「承知しました」
「所で、誰かムーア人の言葉を喋れる奴はいないかな?」
「さぁ、奴らも昔はローマの民、ラテン語はわかるのでは無いですか?」
「あ、僕の所の騎士が一人、確かオヤジがムーア人って言ってました、話せるか聞いてみましょう」
アルベールはそう言うと馬を返して、自分の部隊の所に行き、一人の騎士を連れて戻ってきた。
「公爵様、ターリク・ズィヤードです、彼が話せると言ってます」
「そうか、それは助かる、しばらく俺に貸してくれ」
「兄貴、じゃなくて公爵殿、程々にな、あまり帝国の品位を落とす様な真似はしないでくれよ」
「馬鹿野郎、とっとと持ち場に迎え」
と笑顔で三人は街道の分岐点で三隊に分かれて行軍を続ける。
アンリの主力部隊はゆっくりと南下して、ポーの街の正面大門付近に到着する。
敵の魔法や弩級、投石機の射程外に布陣したアンリは、アルベールから借りた騎士、ターリクに命じて
街を占領しているコルドバ帝国の指揮官に対して、挑発の言葉を投げかけさせた。
風魔法の応用で、ターリクの言葉は大音声になって街中の敵軍全部に届く。
「小僧、このワシを臆病者と言いおったな、面白いそこから動くなよ」
城門が開き、敵の指揮官らしい豪華な鎧を身に纏った髭面の大男が二人の護衛の兵と共に出てきた。
「わしはハーリド・イブン・アル=ワリード将軍だ、小僧、大言を吐いからにはこのワシと一騎討ちをする覚悟はあるのだろうな、それとも尻尾を巻いて逃げ帰るか?」
と見事なラテン語で話しかけてきた。
よく見るとハーリド将軍は、背中に巨大なシャムシールを2本背負っている、彼は中東地域で発達した二刀流の達人なのだった。
「ハーリド将軍、相手にとって不足は無い、私はアンリ・ポワトゥー公爵、勝負だ」
アンリはそう言うと馬から降りて、一歩前に出て背中の双剣を抜く。
「ほう、貴様も二刀流か、これは面白い」
二人は、大門の前の跳ね橋の上で、相対する。
数度打ち合うと、スピードでハーリドが勝り、膂力を生かした威力はアンリの方が上だとわかる。
「小僧、なかなかやるなだが、貴様の剣のスピードでは俺には勝てんぞ」
とハーリドが言ったその時、街の東に雷鳴が轟いた、そして今度は西からも雷鳴が轟く、ウードとアルベールが配置に付いた知らせだ。
「なんだ、こんな季節に雷だと?」
ハーリドが一瞬だけ剣を止めた、アンリはその隙に少し後退して距離を取ると、左の宝剣を天に掲げて
雷を天に向けて打つ、そして炎の魔法を発動して、剣に炎を纏う。
「何、小僧、貴様剣士のくせに魔法を使うのか?」
ハーリドは驚愕した、
「当然だ、俺は魔法剣士だからな、覚悟」
アンリが左剣を振り下ろすと、炎の刃がハーリドを襲い、その体を鎧ごと袈裟懸けに切り裂いた。
ハーリドは炎に包まれて絶命する。
アンリは直ぐに、土魔法『テラ・サクスム』を発動して巨大な岩を創造して街の大門を破壊する、
「全軍突撃」
後方に控えていた、アンリ麾下の魔法騎士達は騎乗のまま街に雪崩れ込む、アンリとハーリドの一騎打ちを見物していた、コルドバ帝国軍の将兵は初動に遅れて跳ね橋を上げる事もできず、次々と倒されていく、さらに、東西の街道口から街に傾れ込んだ、ウードとアルベールの軍に挟撃されて、陣形を整える暇も無く駆逐されてしまう、5000名ほど駐屯していたゴルドバ帝国軍はほぼ全員が戦死、運が良く街の南方に流れるポー川に飛び込んでかろうじて逃げ延びた兵が数名いただけだ。
「何か食料は残っていないかな?」
行軍中の食料は、アンリ達貴族や上層の騎士達はそれなりに豪華だったが、一般の兵達には固いパン
それも安い大麦のパンに干し肉程度だ、新鮮な肉や小麦のパン、エールやワインなどがあれば兵達の士気が大いに上がるのだった。
街が解放された事によって、アンリの軍の後方に付いてきていた商人や職人、馬丁やコック達……彼らは元々のポーの街の住人だった……も街に入り、戦後の後片付けを始めている。
敵軍の死体の処理が最重要課題なのは、どこの軍でも同じ事だ、放置しておけば死体が腐敗して疫病が蔓延する事になるからだ、なので兵士も民間人も無く皆んなで協力して街の外の平地に死体を積み上げていく、
簡単な弔いの祈りと共に、魔術師達が一斉に炎の魔法を放ち、死体を灰にする。
アンリは敵軍の残したワインを兵達に振る舞い、戦の勝利を祝った。
「俺が戦った敵の将軍な、強い奴だったよ、剣の腕だけなら奴の方がずっと上だった、俺より強いのは
ダークナイトの兄貴だけだと思っていたが、まだまだ上が居るんだな、もっと腕を磨かないと」
としみじみと語る。
「そんなに強かったんだ、でも兄貴が勝ったんだろ?」
「ああ、俺は魔法が使えるからな、でもダークナイトの兄貴なら、あの大剣一本で敵の剣ごと斬り倒しいただろうな、俺はまだまだ未熟だ」
「アンリの兄貴にそう言われたら俺達はどうしたら良いんだよ、俺と弟と二人掛かりでも兄貴には全く歯が立たないのに」
「そうだな、お前らももっと剣の腕を磨くんだな、敵にももっと強い奴がいるかもしれないからな」
上級魔法が使える魔法剣士になってもアンリ達の基本は『剣士』だった、だから彼らは剣に優れた敵を尊敬するし、自分の剣の腕ももっと磨こうとするのだった。
翌朝、アンリ麾下の全軍は本隊と合流する為に、街道を西に向かい、『バイヨンヌ』の街に向かった。
そのバイヨンヌでは、 エルベール達が街を完全に包囲している。
「辺境侯もあのトゥールーズ伯と言う老人も中々の物だな、見事な布陣だ」
生粋の武人で、数々の戦場を経験したエルベールは、布陣を見れば将才がわかる様になっている、その彼の目から見ても辺境侯サンシュとトゥールーズ伯の包囲陣は正統派で理に適っていると評価できる。
当然、そこから予想できる戦術や戦法もエルベールと同じ正統派で、全面に防御特化の魔術師部隊を展開して防御壁を張り、その後ろに攻撃特化の魔術師部隊と弩弓や投石機、さらにその後方に騎士と歩兵、最後尾に治癒魔法と錬金術師の部隊という編成になっている。
夜明けと共に、街の城壁に向かって攻撃が始まる。
敵の炎属性の攻撃は、流石に威力は高いが、こちらは魔術師の数で圧倒的に優っている。
なので、敵の攻撃をほぼ無力化しながら、城壁とその後方にこちらの攻撃を加える事が可能だ、敵側に防御に優れた土魔法や氷魔法の使い手が居れば、壊れた城壁は直ぐに魔法で塞がれてしまうが、事前の情報通り敵の魔術師は攻撃特化型の様だ。
「さて、イブン・アル=カースィム将軍よ、どう動くこのままではジリ貧だぞ」
敵の将の出方を予想するのも、戦場の楽しみ方だと最近のエルベールは思っている。




