第二部 第三章 転移魔法
第二部 第三章 転移魔法
ギョームがイングランドで忙しく働いている頃、皇帝ユーグは遊んでいたわけでは無い、
ダークナイトユーグと、バイエルン公ジョルトの合計20000の兵でボヘミア公国に侵攻した魔聖ローマ帝国軍はプルゼネツの街郊外で、ボヘミア公爵ヴァーツラフ1世を討ち、更に公都プラハに立て籠った公弟ボレスラフを討って、ボヘミア公国を魔聖ローマ帝国領とした。
皇帝ユーグは今はその後始末に追われているのだった。
「地理的には、そのまま全土をバイエルン公ジョルトに任せるのが良いのだが、それだとダークナイトユーグが拗ねるからなぁ」
と新帝都『ユーグウルブス』で皇妃マロツィアと話をしている。
「公都プラハとその周辺は皇帝直轄領として、プラハを境に東西に分けたらいかがですか?」
「そうだな、そうしよう、直ぐに手配して二人に連絡をしてくれるかな?」
「はい、陛下、あらどちらへ?」
「ああ、書斎だ、新しい魔法がどうやら使えそうなんだ」
「まぁ、相変わらず御熱心なんですね、また『ラジエルの書』の魔法ですか?」
「そうだよ、今度のは生活魔法の一種になるのかな、天使と言う名の神の僕とやらが使っていた魔法だ」
「楽しみですね、使えるようになったら見せてください」
「ああ、最初に君に披露するよ」
とユーグは皇妃に話して書斎に籠った。
今研究しているのは、転移の魔法だ、天使達はこの魔法を使って任意の場所に自由に現れたり消えたりしていたと『ラジエルの書』に記されている。
ユーグの今までの研究で、全ての魔法の根源はエーテルだと言う事はわかっている、人間の体内にあるエーテルはラジエル書には『オド』と記されている、そしてそれよりは薄いがこの世界の全てを覆っているエーテル『マナ』が存在すると記載されている。
人間の体内に有るエーテル『オド』は限りがあり、強力な魔法を一度使えばそれで枯渇してしまい、命の危険がある、また枯渇したエーテルを回復するには上質のエーテル回復薬を使っても一日以上かかる。
その一方でほぼ無限にある世界のエーテル『マナ』を使えれば魔法の威力や効果は劇的に上昇する、ラジエルの書に書かれている魔法は全て『マナ』を使用する事で可能なのだ。ユーグやその弟子達使う高位の魔法は『宝剣』を媒体に『マナ』を使う事で成立しているのだった。
既にユーグは簡単な転移魔法は使える様になっている、地点Aに置いた石を地点Bに転移させる事は可能なのだ。だから今日は鳥籠を使い生物を対象とした魔法の実験をする事にした。
鳥籠に入れられた鳩が地点Aから地点Bに転移させても、無事に生きていれば、実験は成功だ。
ユーグの書斎のデスクの上が地点A、そして書斎の反対側にある、客用のサイドテーブルの上が地点Bだ、最初に手元の本で実験をしてみる、もう何十回も練習をしているので、これを失敗する事は無い。
「よし次だ」
ユーグは鳥籠の鳩に転移魔法を掛ける、鳥籠から姿を消した鳩はサイドテーブルの上に現れて、一瞬
だけ何が起こったのか考える様にしたが、鳥籠が無いのを悟ると書斎の中を飛んでから窓から外へ出ていった。
「生物でも問題無いな、あと数回試してみて、次は人で実験か……」
危険を共なう魔法の人体実験には、囚人を使う事になる、今回の実験では元々はイングランドの貴族で
アゼルスタン王の遠征に従って遭難して囚人となり、身代金が到着しない事からそのままパリで拘置されていた者達数名を使う事になる。
戦争に負けた敗者の貴族達は悲惨だが、資産があれば身代金と交換で解放される、この者達は貧乏貴族の子弟だったので、身代金が払われなかったのだ。
パリ市街の牢獄から移送されて来た二人の囚人は、それぞれオールバンズ伯爵家の次男アラスター、コルチェスター伯爵家の長男ブライスと言う事だ。
どちらの伯爵家も、ギョームの遠征の際に滅びてしまい、今は存在していない。
「貧乏貴族の息子とは辛い物だな、二人には同情する、さて私は今重要な魔法の実験をしていてね、その実験に協力してくれる者を探している、もし協力してくれるなら、実験の後に解放すると約束しよう、どうかな?」
「皇帝陛下、それは真ですか?それなら喜んで実験に協力いたしましょう、私の実家は既に無く、このまま牢獄で不名誉な死を待つのみなら、たとえ実験で命を落としたとしてもその方がましでしょう」
と堂々と言ったのはブライスだった。
「あっぱれな物言いだな、良かろう、それで君はどうするね?」
そう聞かれたアラスターは、震えて立っていられず、既に失禁して 失神していた。
皇帝の立場としては囚人を問答無用で実験台にすれば良いのだが、ユーグは基本的には善人だ、なので
今回の実験にはブライスのみを使う事にした。
「この様な豪華な食事が振る舞われるとは、これは最後の晩餐と言う事ですね、余程危険な魔法の実験なのですね」
と振る舞われた夕食を全て綺麗に片付けたブライスは、さらに食後の酒を楽しんでいる。
「貴公、なかなか肝が据わっているな、コルチェスター伯爵家とはそもそもどんな家なのか?」
「我が家は、代々ロンドンの北東のコルチェスターの街を領地にしております、我が先祖はアングロ・サクソン人では無く、ブリトン人だと言われております、陛下はアーサー王の伝説をご存知ですか?」
「ああ、ブリトン人の王だな、ローマ帝国と戦いそれを退けたと言われている、聖剣エクスカリバーの名は私でも知っているよ」
「はい、我が領地には小さな湖が有るのですが、その湖こそベディヴィア卿がエクスカリバーを湖の貴婦人に返還した湖と言われていました」
「ほう、それは面白いな、それなら当然エクスカリバーを探した者が居ただろう、剣は見つかったのかな?」
「いえ、我が家の先祖が何代にも渡って湖の捜索をしたそうですが残念ながら、私も剣を持つ騎士としてはエクスカリバーに憧れた物ですが……」
ユーグの見立てではこのブライスは剣の腕もかなりの物の様だ。
「そうか、まぁ簡単に宝物が見つかっても面白くないからな、さて明日は本番なので今夜はゆっくりと休んでくれ、気に入った侍女がいたら部屋に連れて帰って良いぞ」
とブライスを部屋に帰した、魔法の実験が失敗したら、彼の命は無いので最後の夜を侍女の誰かと過ごさせるのも良いだろうとユーグは思った。
翌朝、朝食の後で、転移魔法の実験を行う事になる。
中庭でブライスに対して魔法を発動させて、彼が無事に宮殿の謁見の間に現れれば実験は成功だ。
「では覚悟は良いな?」
「はい陛下、久しぶりに楽しい夜を過ごさせていただきました、これで思い残す事はありません」
そう言って微笑んでから目を閉じたブライスにユーグは転移魔法を発動させる、ブライスの姿はエーテルの粒子の光に包まれる様にして消滅した。
「さて、無事だと良いが」
ユーグは既に、ブライスと言う若い元コルチェスター伯爵家の長子の事を気に入っていた。
急いで、謁見の間に向かうとブライスは玉座の前に立って、周囲をユーグの親衛隊に囲まれていた。
「おう、ブライス無事か?体調はどうだ?」
「はい陛下、庭からここまで瞬時に移動できるとは、見事な魔法ですね、安い酒に酔った様な気分ですが、特に問題は無いです」
「そうか、様子を見る為にあと数日は宮殿に滞在してもらう事になるが、構わんな、もちろん囚人としてでは無く客人としてな、それとどうだ貴卿、私に仕えぬか?、イングランドの伯爵位よりは我が帝国の爵位の方が価値があると思うが?」
「え? 陛下本当ですか、ありがとうございます、このブライス・コルチェスター全霊を投げ打って陛下にお仕えいたします」
「そうか、ではブライス・コルチェスター、貴卿を魔聖ローマ帝国皇帝の騎士に任命し、男爵位を与える、誰か剣を貸してやれ」
親衛隊の一人が自分のツヴァイヘンダーをブライスに渡すと、ブライスは片膝を突き剣を立てて、騎士の誓いの姿勢を取る、ユーグは腰のレイピアを抜くと、頭上に高く掲げてからブライスの左肩を軽くレイピアで叩いた、アコレードと言う騎士を任命する儀式の簡易版だ。
「ではコルチェスター男爵、しばらく宮殿でのんびりしていてくれ、もし体調が悪くなったら侍女に遠慮無く言ってくれ、それと武器と防具は、宮殿の武器庫にある、好きな物を選んで構わないぞ」
「はい、陛下ありがとうございます」
それから一週間、コルチェスター男爵は宮殿でのんびりと過ごしていたが、退屈だったのか親衛隊の訓練に参加する様になり、見事な剣捌きを披露して、ユーグの目が確かだった事を証明した。
これ以降男爵は剣の腕から親衛隊の一員として認められ、100人隊長の地位に付く事になる。
ユーグは男爵の体調が何も問題無いのを確認して、いよいよ転送魔法を自分に使って見る事にした。
前回の実験での魔力の消耗具合から、対象の大きさと距離と魔力の消費量は比例関係にある様で、取り敢えず宮殿から、魔法大教会まで転移をしてみる事にした。
自作の魔法剣『コルタナ』を掲げて魔力を集中させ転移魔法を発動させる。
自分の周りにエーテルの粒子が輝きながら集まってくるのが見える。
そして、視界が一瞬暗転した。
「ふむ、妙なエーテルの揺らぎを感じて見に来て見れば、『人』か?、この遺棄された世界で魔法をここまで使う『人』がいるとは驚きだ」
周囲に何も無い白一色の世界に、背中から 六枚の白く輝く翼が生えている人形の者がそこに居た。
「貴方は?」
「我は、『大天使ラジエル』 『クイス・ウト・デウス』この世界を作りし者の一人、古に汝ら人に魔法を伝えた者だ」
「まさか『天使ラジエルの書』の?」
「ほう、我がソロモンに渡した書を知っているとはな、その方は……、なるほど、魔聖ローマ帝国の皇帝とはこれは面白い。この世界では我が選び魔法を伝えた民族は滅びてしまった、なので我はこの世界を
遺棄した、失敗した世界としてな、だがその方は魔法を再び世に戻したと言う事だな、これは重畳、その方には我の加護を与える、励めよ」
そう言うと、『大天使ラジエル』を名乗った者の姿は消滅して、ユーグは『ユーグウルブス魔法大教会』のユピテル神の像の前に佇んでいる自分の姿を認識した。不思議な事にユーグの右の人差し指には見覚えの無い指輪が嵌っている。
「陛下、ご気分は?」
皇妃マロツィアが心配そうに駆け寄ってくる。
「大丈夫だ、一瞬だが楽しい夢を見た、転移魔法は完全に機能する事がわかったよ」
ユーグはそうマロツィアに言うと、思い出した様に
「誰か、神像を作る彫刻家を呼んでまいれ、この教会に寄進する像がある」
と言うと、指輪を撫でながら、宮殿にマロツィアと戻った。
宮殿に戻ったユーグは、自室で改めて指輪を外して詳細に調べてみた。
金の様な材質で、ベゼルの表面には魔法陣が描かれている、魔法陣には色々な宝石が嵌められていて、
どうやら各エレメントに対応している様だ。ただ宝石の数が六個なので、水、土、風、火以外にあと二つのエレメントに対応している様だ。
「確か呪術ではエレメントは火・水・木・金・土だったな、それでもあと一つか、まぁおいおい調べるとしよう、しかしこの指輪はもしや『ソロモンの指輪』なのか?」
ラジエルの書によればその指輪は天使と悪魔を使役できると記されているが、その為にはそれぞれの魔導書が必要とされている、だが残念ながらその魔導書は発見されていないのだ。
「せっかくソロモンの指輪をくれたなら、魔導書も一緒に欲しかったなぁ、待てよそれなら残り二つは光と闇かな?」
と思うユーグだったが、この指輪を身につけていると、今までの数十倍のエーテル力=魔力を自分の中から感じる事ができる。
「加護をくれると言っていたけど、この事か、ありがたい事だ」
そして、この指輪の効果で、ユーグの魔法書解析が更に進む事になる。
その中でも一番の発見は新たな風魔法の応用だった。
ラジエル書には、魔道具としての『角笛』の記述がある、この角笛は城壁に向かって吹く事で、城壁を粉々に砕く力があるとされていた。
錬金術の実験で、鐘の音によってガラスのタンブラーを破壊できる事はわかっているが、それは 様々な条件があった場合のみで、戦場で使える様な物ではなかった。
だが、ユーグが新たに覚えた究極風魔法『ヴェンティ・クラーマーレ』は遠距離から城壁を粉々に破壊できる威力がある、ただこの魔法には城壁の内部の人間の鼓膜を破ってしまうという副作用があるので、敵を殲滅する場合にしか使用できない制限がある。