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攻撃系の魔眼を使わずに勝利できた。それだけで、心の奥にひとつ、確かな灯がともる。
俺の戦い方は、派手ではない。剣の腕も、魔法の才能もない。ただ、視える力と、積み重ねてきた地味な努力があるだけだ。
だがそれでも、勝てた。
この勝利は小さなものかもしれない。けれど――自信という名の報酬としては、十分すぎる価値がある。
今日、ダンジョンに潜った理由。それは素材集めでも、戦闘の訓練でもない。
――自分自身を確かめるため。
それはほんの少しの、でも確かに存在する目的だった。日々の鍛錬が間違っていなかったと、証明できればいい。努力はちゃんと血肉になっていると、実感できればいい。
そうすれば、この先も迷わず進める。俺は、俺のままで強くなれる。
「……よし」
腰に下げたポーチを締め直し、立ち上がる。
まだ、今日という日は終わっていない。
「今日は、五階層くらいまで潜ってみようか」
軽く呟いたその声は、誰に届くこともなくダンジョンの暗がりに溶けていった。
第三階層――その静寂の中、俺は再び歩き出す。
片手には地図を。もう片手には、淡い光を放つ魔石ランタン。
壁に指で触れ、足音を確かめながら、俺は慎重に通路を進んでいく。
マッピングしながらの探索。これは地味で時間もかかるが、次に来たときの効率が段違いになる。無駄な戦闘も避けられるし、脱出ルートも明確になる。
この作業も、俺にとっては立派な“戦い”だ。
未知を既知に変えていく――それが探索者という存在なのだから。
第三階層の奥――壁は荒く削れた岩肌で、ところどころに魔石の欠片が埋まっており、わずかに淡い青の光を灯している。その光を頼りに地図を描き進める。
進んできたルート、分岐点、行き止まり――すべてを記録に残すのは面倒だが、この地道な作業がいずれ命を救う。
と、そのとき。
カチン――。
不自然な音が響いた。
俺は即座に動きを止め、《刻観眼》を起動。視界に未来の一瞬が重なる。
――天井。
「ッ!」
反射的に横へ飛ぶ。
その瞬間、先ほどまで立っていた場所に、巨大な鉄球が叩きつけられた。粉塵が舞い上がり、地面にクモの巣状の亀裂が走る。
「……罠かよ」
咄嗟の回避が間に合ったのは、《刻観眼》のおかげだ。あれがなければ今ごろ潰されていた。
ダンジョンに仕掛けられた“古代罠”――これは人工的に設置されたものではなく、ダンジョンの魔力が自然発生させるものだとされている。探索者にとっては魔物よりも厄介な存在だ。
「ふう……一度深呼吸」
呼吸を整えつつ、落下してきた鉄球を見上げる。天井の隙間から、まだいくつかの罠装置が見えた。どうやらこの通路、罠エリアらしい。
俺は地図にその場所を赤くマークし、大きく×印をつけた。
「行く価値は……ないな。素材も落ちてない」
引き返そうとしたそのとき、足元の岩の隙間に何かが引っかかっているのが見えた。
「……ん?」
慎重に手を伸ばし、取り出す。
――黒曜石のペンダント。
魔力の残滓が微かに漂っている。不思議と、手にした瞬間、体温が少しだけ奪われるような感覚があった。
「……魔具、か?」
刻印もなく、詳細な効果もわからない。だがただの飾りではない。何かが封じられている――そんな直感だけがある。
「これは……ギルドに鑑定依頼を出してみるか」
何気ない探索の中に、時折こういう“拾い物”がある。それが大きな運命の分岐点になるかもしれない。
俺はペンダントをポーチに収め、再び歩き出す。
罠、魔具、未知の気配。
たかが過疎ダンジョン――そう思っていたが、どうやらそう単純でもなさそうだ。
「……ここが、セーフティエリアか」
ダンジョンの第三階層を抜け、少し開けた場所に足を踏み入れる。空気の流れが変わったのが分かる。ひんやりとした風が頬を撫で、岩壁に囲まれた空間は、およそ十畳ほどの広さを持っていた。
魔物の気配は一切ない。罠も、仕掛けも、ない。
ここは、セーフティエリア――
モンスターや罠が一切発生しない、ダンジョン内でも数少ない“安全地帯”だ。
「ふぅ……ようやく一息つける」
俺は背負っていたバッグを下ろし、壁にもたれかかる。重さに耐えていた肩と腰が、じんわりと痛む。だが、この痛みが悪くないと思えるのは、今が安全だと身体が理解している証拠だろう。
このエリアの広さは、各ダンジョンごとに異なる。そしてそれは、そのダンジョンの難易度を測る基準でもある。
というのも――
セーフティエリアの広さは、そのダンジョンの“最大階層数”に比例するのだ。
すなわち、広ければ広いほど、深く、そして危険なダンジョンということになる。
今いるこの空間は十畳ほど。つまり、せいぜい五、六階層といったところか。深淵ダンジョンと呼ばれるようなものは、セーフティエリアだけで小屋が建てられるほど広大だと聞く。
「さて……素材の整理でもしておくか」
バッグの中から、討伐したゴブリンの素材を取り出す。牙、爪、薄汚れた皮、そして魔晶石。小さなポーチに分けて入れておいたおかげで、散らかることはない。
これらは、ダンジョンから戻ったあと、ギルドに提出する。
ギルド――それはこの国における、探索者たちの後方支援を担う国営組織だ。
ダンジョンで手に入れた素材の換金カウンター。武器・防具・道具などの製作依頼の受付。そして、依頼者が張り出すさまざまなクエストボード――雑用から護衛、討伐任務まで、あらゆる依頼がそこには並ぶ。
探索者という職業において、ギルドは切っても切れない存在だ。
素材を提出すれば、等級に応じた換金が行われ、手数料も明確。公的記録として戦績が残るため、ランクの上昇や支援対象への申請も可能になる。
俺は、すべての素材をポーチに整え終えると、それを革袋にまとめてくくりつけた。
「よし、これでOK。……もうひと踏ん張りだな」
身体を少しだけ伸ばし、軽く水を口に含む。短い休息だが、十分だ。
この小さな安全地帯を後にすれば、また未知の領域が待っている。
だが今の俺には、恐れよりも、ほんの少しだけ――期待の方が勝っていた。