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「その条件とは——死なないことだ」
その言葉に、思わず耳を疑った。
「……死なないこと?」
探索者にそれを言う?
無茶もいいところだ。
「そうだ。私が“眼”を貸しているのは、ただの暇つぶしに過ぎない。だから——私を楽しませつつ、死ななければ、この魔眼の使い方を教えてやろう」
声の主は、まるで手招きするように甘く、けれど冷ややかに言った。
(……マジで厄介な“同居人”を眼の中に住まわせちまったか?)
それでも俺は——笑った。
「それなら、簡単だな。最低でも、七十年は死ぬつもりないから」
それが、この“魔眼の主”との契約だった。
そして同時に、俺の生存条件になった。
◇ ◇ ◇
場所を変え、俺はベッドの上で胡坐をかいて、少女の声に耳を傾ける。
「まずは、“ストックの魔眼”の使い方からだな」
「ふむ、ストック眼……ってどうやって?」
「基本は簡単。最初に設定されている“キーワード”を口にすれば、眼が反応する」
そうは言うが——
「そのキーワードがわかんねぇから困ってるんだけどな……」
が、その時、ふと脳裏にひらめいた。
「……いや、まさか」
「そういうことだ。察しがいいじゃないか、ご主人様?」
少女の声が含み笑いを含んで響いた。
「くっそ……中二病まる出しだが、やってみるか」
覚悟を決め、口を開いた。
「キーワード——『開眼』」
その瞬間——
ズキン!!
「……っ、痛ッ……!!」
脳に直接響くような痛みが眼を貫く。
だがそれ以上に——明確な“反応”があった。
キーワードを認証。
魔眼展開を開始します。
脳内に自動音声のような“声”が流れたかと思うと——
視界が、ぱあっと光に包まれた。
そして、眼の前に浮かび上がる二つの“瞳”。
まるで空間に直接刻み込まれたような、純然たる魔力の象徴。
それぞれの眼からは、異なる気配が溢れ出していた。
一つは、生命や魔力を敏感に感じ取る“感知の魔眼”。
もう一つは、何かを“貯める”性質を持った、ストックの魔眼。
「……これが、“俺の魔眼”……」
圧倒的な存在感に、息を呑んだ。
それはもう、単なる力じゃない。
運命そのものを、手にしてしまった感覚だった。
「よし……まずは一つずつ、使い方を試してみるか」
——だが、この時の俺はまだ知らない。
この“眼”に秘められた真の力も、
この少女が語らない“代償”の存在も——
◇ ◇ ◇
魔眼——それは力であり、呪いでもある。
だが、その実態がどんなものかは、使ってみなければわからない。
だからこそ、俺は今、魔眼の“実験”をすることにした。
場所は郊外の廃工場。
数年前に閉鎖され、今では地元の探索者や能力者たちの“自主訓練場”と化している。
俺もたまに来ていたが、今この瞬間ほど、この場所がありがたいと思ったことはない。
人気のない空間に、コンクリートの埃が舞う。
「さて……まずは、“感知の魔眼”からだな」
鏡で確認した右眼に、意識を集中させる。
「魔眼、展開」
そう囁いた瞬間——
ヒュゥゥゥ……ン
音のない風が視界を通り過ぎたかと思うと、世界が一変した。
視界の“奥”に、まるで別のレイヤーが重なる。
建物の中の腐敗した鉄筋、壁に残った微量の魔力痕、
そして——小動物の命の灯火すら、脈動する光となって浮かび上がる。
「……これは、すげぇ……」
視覚ではない。
いや、視覚に似ているが、もっと本質に近い。
存在そのものの“鼓動”が、見える。
思わず息を呑んだ。
その時、工場の奥で何かが蠢いた。
「……あれは、ネズミか?」
肉眼ではとても捉えきれないはずの小さな影。
だが、“感知の魔眼”には、光のように鮮明に映っていた。
その感覚に慣れようと、しばらく感知状態を保っていたが——
「……ぅ、クソ……」
5分ほどで眼球に鈍い痛みが走り始めた。
「限界、か……。長時間の展開には耐えられねえってことだな」
手で右眼を覆いながら、魔力を収束させて解除する。
すると世界は、またいつもの灰色に戻った。
だが、まだ終わりじゃない。
「次は……ストックの魔眼、だな」
左眼に意識を向ける。
先ほどと同様、キーワードを思い浮かべる。
「——開眼」
キーワード認証。ストックの魔眼を展開します。
その声が脳内で響くと同時に、左眼の奥が熱を持ち始めた。
視界に、幾何学的な魔方陣が浮かび上がる。
それはまるで“眼の中に広がる空間”。
そこに、先ほど使用した“感知の魔眼”のデータが、ひとつの球体となって収納されていた。
「……これが、“ストック”ってことか?」
少女の声が返ってくる。
「そう。君は今、“感知の魔眼”を一度使ったことで、それを記録し、再現する権利を得たってことだ」
「ってことは、これ……他人の魔眼でも……?」
「察しが早くて助かるよ、ご主人様。その通り。君は、見た魔眼を“記憶し、再現できる”」
「……バケモンじゃねぇか、この能力……」
それが“代償を伴う”力であることを、この時の俺はまだ知らなかった。
◇ ◇ ◇
その夜。
自宅のベッドに戻った俺は、廃工場での出来事を思い返していた。
感知の魔眼の精度、使用限界、ストックの構造。
どれも凄まじかったが——同時に、ひとつだけ不安な点があった。
「……あの“痛み”は、何だったんだろうな」
あのとき、眼球を抉られるような痛みがあった。
長時間使用のリスクか、何かの副作用か。
あるいは——“別の魔眼”との干渉か?
「……少女に、聞くか」
俺は眼を閉じ、意識を魔眼へと接続する。
「よう、聞こえてるか? お前に、聞きたいことがある」
数秒の沈黙の後——
「ふふん、呼ばれて飛び出てご主人様。どうだった、今日の魔眼体験は?」
いつもの軽い口調が返ってきた。
だが、こちらのトーンは真剣だ。
「“感知の魔眼”を使ってる最中に、強烈な痛みが走った。あれは、なんなんだ?」
少女の声が、一瞬だけ、静かになった。
「……その話をするには、少しだけ、覚悟がいるかもしれないね?」
「構わない。俺は知りたい。この“魔眼”のすべてを」
沈黙ののち——
「……よし、じゃあ話そう。
君が継承した“ストックの魔眼”——それは、ただの魔眼じゃない。
それは、“魔眼の図書館”だ」
「図書館……?」
「魔眼のすべてを記録し、保存し、再現する。
その代わり、“目”という媒体が、どれだけ耐えられるか——そこに全てがかかっている」
「つまり、あの痛みは……」
「“器”が耐えきれなかった兆候だ。」
少女の声が、低く、真剣になる。
「君がこれからストックする魔眼が増えれば増えるほど——“器”である眼にも、魂にも、負荷がかかっていく。
その果てに、何が起こるかは……まだ、誰も知らない」
俺は、しばし無言で天井を見上げた。
これが、“魔眼の代償”。
だが、それでも俺は——
「上等だ」
口元に笑みを浮かべ、静かに眼を閉じた。
まだ見ぬ魔眼の力のために。
そして、この“暇つぶしの少女”と共に歩む未来のために。