リイ 運命の対面
サイというその修道女は小柄で、若いというより、少女に見えた。
国最大の女子修道院、ハルワティアンにいたとは、とても思えない。まるで、生まれてこの方ガルから一歩も出たことがない人のように、慎ましやかであった。
普段、リイが訪れた先で見かけるサパの修道女そのものである。実際、何処かですれ違ったことがあるかもしれない。
副修道院長が、サイを立たせたまま話をさせようとしていることに気付いて、リイは座るよう促した。
サイは副修道院長が指した、踏み台のような椅子を持ち出して腰掛けた。恐らく、普段は踏み台として使っているに違いない。座面に細かい傷があった。
「どのようなお話をお求めでしょうか?」
見た目にそぐわない、落ち着きのある声であった。しかし微かに、緊張が窺えた。
サパで最も美しく高貴なお方、と大袈裟な紹介をした副修道院長の言葉を、真に受けたようだ。
「私は、ハルワへもう随分と行っていないの。あなたがハルワやハルワティアンで見聞きした事なら、どんな話でも聞きたいわ」
リイは相手が話しやすいように、わざと気さくに話しかけた。サイはリイの気持ちを読み取ったらしく、俯き加減のまま微笑んだ。
「私は初めてハルワティアンを見た時、そのあまりの大きさに驚きました。それに、建物の一つ一つに凝った彫刻が施されていて、まるで修道院とは思えませんでした。畑のほかに、いつでも綺麗な花が咲いているか、変わった色の葉を持つ草木、立派な彫刻や噴水もありました」
サイの話は、リイのおぼろげな記憶を蘇らせた。
ハルワティアンで作られた葡萄酒は、独特の繊細な風味を持ち、希少なこともあり、常に人気の品だった。
それらは競りにかけられ、売り上げは修道院への寄附とされた。貴族たちは、こぞって高値をつけた。
また修道士、修道女それぞれの合唱を聴く集いもあった。一糸乱れぬ歌声が祈りの場に響きわたると、建物の美しさと相まって、神の奏でる音もかくやと、胸をときめかせたものである。
別れ際に、リイは親しみをこめて手を差し出した。サイは形ばかり触れただけで、終わりまで控えめに振る舞った。
リイはユアンと共に、パーティに招かれた。主催者のヨオンは、サパの大貴族ソオンの嫡子である。
屋敷は城下にある。ライの城から見下ろされる関係ではあるが、敷地の広さ、屋敷の大きさは領主より勝っていると思われた。
当主のソオンは、娘をあちこちへ嫁がせた後に、漸く授かったヨオンを溺愛していた。
ヨオンはユアンよりやや年嵩であるのに、未だ独り身を通している。リイの花婿となってもおかしくない立場であったが、婿に出すのを嫌ったソオンが強硬に反対したため、実現しなかった、ともっぱらの噂であった。
ヨオンはユアンほどの美男子ではないものの、それなりに洗練されていた。都へ留学の経験もあり、溺愛された割には、至極真っ当な大人に育ったと評されている。
リイは彼に、特段の感情を抱いたことがない。彼と結婚することになったとしても、驚きはなかっただろう。
彼は、大貴族ソオンの跡継ぎらしく、常に礼儀正しくリイに相対した。その態度は、彼女の結婚前後で何ら変わりなかった。
パーティには、招かれた貴族達が、こぞって年頃の娘を連れて参上した。
ヨオンが宴を開いた目的は、先頃出かけたハルワで仕入れた珍しい話や品々を披露するためである。彼は今回、ハルワティアンにも赴いたという。
サパのような辺境にあっては、貴族でも都との往復が稀である。
都にあるハルワティアンは、ハルワ国におけるワ教の総本山であった。少なくとも一生に一度は詣でるのが良い、とされていた。寄付は怠らずとも、正式な拝礼のために本人が足を運ぶとなると、それなりの支度も必要だ。
名目はともあれ、客の方は、大貴族の御曹司を射止める好機とみなしていた。
ヨオンの目に留まる幸運を掴めば、ひいてはサパを動かす地位を狙える、と野心満々の者ばかりでなく、とにかく年頃の娘を縁付けたい一心の者もあった。
結果、ソオンの大広間は、豪壮な建物に負けず劣らず、華やかな彩りで満たされた。
次期領主夫妻であるリイとユアンは、主賓として迎えられた。
まず、料理が素晴らしかった。
ソオンの屋敷では、以前からハルワで修行した料理人を使っていた。元々腕前は保証済みである。
それが今回、更に腕を上げてきた。ヨオンの見聞を取り入れたのだろう。例えば、羊肉料理には、初めて味わうソースがかかっていたし、デザートも見た目からして新鮮だった。
また、ハルワティアン産の貴重な葡萄酒が供されたことも、絶賛された。
主賓のリイは、ヨオンの側に席を設けられていた。
ヨオンがハルワへ出かけたのは、サパ地方の重臣として会議に出席する目的である。ライの側近はソオンであるが、ソオンは跡継ぎとして、しばしばヨオンに代理を任せた。リイやユアンが、ライの仕事に同席するようなものである。
食事の席でヨオンが語ったのは、主にハルワティアンにおける話であった。彼もまた、熱心なワ教信者である。
都の教会は男女の修道院、孤児院などを併設し、会議や祈祷の儀を含めて連日催しがあった。
ヨオンは仕事に差し支えない限り、それらの行事に参加した、と話した。
「修道士による合唱団は、常と変わらず素晴らしい唱和でした。今回、特に優れていたのは、修道女の合唱でしたね。修道女は、修道士よりも歌の修練を長い期間積むことが出来るのです。修練の成果を聴く機会に恵まれた、これもまた、神のお導きでしょう」
ヨオンはよほど教会の歌に感銘を受けたものか、食事の間に演奏される音楽も、それを思わせるような曲を取り入れていた。
本当は、教会で演奏される音楽そのものを使いたかったのだろう。当然のことながら、神聖な音の調べをパーティで供することはできなかった。
「そういえば、わたくしも、この間までハルワティアンで修行していた修道女とお話ししましたわ。その方も合唱なさっていたそうですよ。ガルの修道院では、皆さん謙遜なさるので、歌を聴く機会にはなかなか恵まれませんけれども、折よく耳にした時には、この上なく貴重な贈り物を得たように感じられるのは、ありがたいことですわね」
リイもふと思いついて、ガルの女子修道院の話をした。領主の娘の話である。一同が傾注した。
中でもヨオンは、単なる礼儀以上に興味のある様子を見せて、リイの話に聞き入り、あれこれ質問までした。
食事の後には、舞踏会が催された。
リイは立場柄次々と踊りを申し込まれ、花を盛りの着飾った娘達に混じって踊り詰めた。
ユアンはいつものことながら、申し込むべき女性と、男性陣に順番に声をかけ、踊ったり歓談したりと、卒なく振る舞った。
パーティは盛況のうちに終わった。
リイとユアンは大勢に見送られて帰途についた。馬車に揺られながら窓の外を眺めると、暗い外の景色ではなくリイを見つめるユアンの姿が映った。
「踊り疲れたでしょう」
「ええ。若い頃は平気だったのに」
「あなたはまだ、充分に若い」
ユアンは言外に何か匂わせていた。
「何が言いたいの?」
リイは、直截に尋ねた。夫は微笑を濃くした。
「ヨオン殿は、随分熱心にあなたのお話を聞いていた。噂によると、彼は若気の至りで些細な過ちを犯したことに懲りて未だに独身を貫いている、という説と、あなたと結婚できなかったから独身のままでいる、という説と二通りあるのだけれども、今夜の様子を見る限り、後の説に軍配が上がりそうだね」
話の矛先が思いがけない方へ向かい、リイは何と答えたものか、言葉が出なかった。
ヨオンにそのような深い思いがあったなどと、考えた事もなかった。
パーティの席上でも、ヨオンから特別な感情を向けられたようには思えない。
リイがそう言うと、ユアンはちょっとからかっただけだ、と応じた。
ライの居城には、以前から家族向けの小さな礼拝室があった。
幼い頃のリイは、いつもこの礼拝室で祈祷をし、司祭の話を聞いた。
リウが身重で馬車の移動に耐えられない間、そして生まれたリイが領民の前に出しても恥ずかしくない年頃になるまで定期的に司祭を迎え使われていたこの部屋は、今では閉鎖されていた。
現在、ライの一家が礼拝する時には、ガルの大聖堂まで出かけていた。大聖堂が他の教会と比べてことのほか立派な外見を持っているのは、一つには領主を迎えるのにふさわしい建物であろうとするためであった。
また領主が度々来訪するために、ガルにはより多くの寄附が集まりもした。
ヨオンが城内にも礼拝堂として独立した建物を造るようユアンに勧め始めたのは、パーティの記憶が薄れた頃からであった。
曰く、ハルワティアンを抱えるハルワ国王の居城には、立派な礼拝堂があり、常に司教を住まわせている。サパにおいても、同様にすべきである。それは国王に対する忠誠を示す印にもなる。
ヨオンは、閉鎖された礼拝室の存在を知っていた。
彼曰く、小さすぎるから使われないのであって、立派な建物を造れば、自ずから盛んになる。
唯一絶対神にとっても、大いに喜ばしい事であろう。
話を持ちかけられたユアンは、当惑した。彼には、そのように大きな事業を決定する権限はない。
ヨオンも承知している筈であるのに、何故直接ライに言わないのであろうか。
それでもユアンは、ヨオンの意向を領主に伝えた。ライもすぐ事業に着手する気にはなれず、主だった貴族を集めて意見を聴いた。その席にはリイやユアンもいた。
賛否両論であった。賛成派はヨオンを筆頭に、比較的若手が多かった。
反対派の筆頭は、クィアンという。やはり大貴族である。クィアンはソオンに次ぐ家柄で、その屋敷はソオンの敷地と境界を接している。
最後にヨオンという嫡子を得たソオンに対し、生まれる子どもが悉く娘ばかりで、近頃では息子を得ることを諦めた、ともっぱらである。嫁ぎ先で生まれた孫を跡継ぎに据える、という噂もあった。
クィアンとソオンは、普段は取り立てて争わないが、大きな物事を決める段になると、申し合わせたように対立する立場を取った。
それが今回、珍しく大貴族ソオンは沈黙を守った。あからさまに息子の肩を持つのを憚ったのか、あるいはあからさまに息子に反対するのを躊躇ったのか、理由は誰にも窺い知れなかった。