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 「()ったか」


 サパ領主ユアン逝去の報を聞いて、シイェと同じ感想を、ツァオが口にした。

 次のサパ領主がリイとなることに、驚きはない。


 代々の領主は、リイの家系から輩出された。ユアンは婿入りの身であった。

 彼が領主となったのは、当時のリイが異端を宣告され、謹慎中であったための臨時の措置であった。


 ユアンは己の立場をよく(わきま)えていた。それでいて、領地経営の手腕は卓抜(たくばつ)であった。

 ツァオがジンを動かして、大胆にも彼の父親を誘拐しなければ、国境付近の金鉱脈も掘り当てられたであろう。


 シイェは職務の合間に資料を当たり、リイが幽閉先を抜け出し、ジンと共にイル教の活動をしていたらしい、と見当をつけた。


 ツァオは、彼が割り振った仕事の範囲を、部下が逸脱するのを嫌う。シイェが職掌(しょくしょう)の範囲内とはいえ、リイの動きを調べるのは、非常に危うい行為であった。


 そうせずには、いられなかった。シイェは証拠が残らぬよう、資料を記憶し、頭の中で関連付け、まとめ上げた。

 結果、ユアンの早すぎる死を、リイの手になるものではないか、と感じたのだった。

 大方、リイがイル教信者として活動していたことを、知られたに違いない。


 彼女はワ教法王から、特別赦免(しゃめん)を受けていた。あくまでも、異端の考えを抱いた罪によるものだ。

 この上イル教を広めたことが明るみに出れば、さすがに処刑は(まぬが)れまい。


 ユアンやサパ領も、無傷ではいられない。

 リイが幽閉先から行方をくらましたことを、サパ上層部はひた隠しにした。何年にもわたる不在である。領主一人では、とても隠し切れない。

 ワ教側にも、協力を仰いだであろうことは、容易に想像がつく。

 ユアンは、リイとの間に子を儲けさえした。リイがいないのに。


 そうまでして不在を認めないまま無事にリイを取り戻し、特赦まで得たにも関わらず、裏で更なる罪を重ねていたら、ワ教の面目(めんもく)丸潰れである。


 ワ教の熱心な信者であるウェン王も、庇い切れないだろう。むしろ、率先(そっせん)して領地没収しかねない。

 その時、ユアンの首も落ちる。


 ユアンは、生来生真面目な男でもある。金銭や性的魅力、権力のいずれをちらつかせても、工作員の誘惑には見向きもしなかった、との報告をシイェは見たことがある。

 事実を知れば、自らも罰せられる覚悟で、ハルワ国王か法王に訴え出ることは、大いに考えられた。


 一方でリイは、サパが金鉱を夢見たホン地区へ幽閉されていた、ことになっていた。

 ホン地区の襲撃は、サパの採掘妨害に加え、もう一つの目的があった。

 明確な指示書は当然存在しないが、ツァオはリイを始末するつもりだったと思われる。


 イル教は、ワ教の中枢にまで入り込み、その勢力を大いに削いだ。イル教自体はジンが手を引いて以後衰退したが、目的は既に果たされた。

 リイは、ジンと長く接触していた。

 イル教とドゥオ国の関連を知る可能性のあるリイは、用済みで邪魔な存在だった。


 リイが城へ復帰し、特赦まで得てサパ領主となったのは、ツァオの予定外のことだった。

 恐らく、刺客を幾度も放っているであろう。悉く失敗に終わったのは、彼女の健在が示している。


 刺客が雇い主の事情まで知ることは、まずない。しかし、ドゥオ国からの刺客という情報だけでも、ユアンが妻の隠された過去に気付くきっかけにはなり得た。


 リイには、他人ではあるが、一応の後継者は存在する。彼女にとってのユアンもまた、用済みで邪魔な存在となったのだ。


 「シイェよ。一つ頼みがある」


 リイのユアン殺害説を妄想逞しく再現するシイェに、ツァオが話しかけた。


 「フオと一緒に、知り合いの医師を訪ねて欲しい」


 「承知しました」


 フオとは面識がなかったが、シイェはいつも通り即答した。



 「‥‥シイェです。よろしくお願いします」


 フオと対面したシイェの態度を見て、紹介したツァオが笑い出した。残る二人は、戸惑う。


 「シイェ。隠さずとも良いぞ。言ってやれ、誰に似ているか」


 自信に溢れていたフオが、ハッとしてシイェを見る。その目は恨めしそうだった。


 「では、お言葉に甘えまして。ツェン殿、いや、ジン殿と呼ぶべきでしょうか」


 「何故。他の人には分からないのに」


 フオの声に、哀切な調子が混じる。その声も、以前と異なっており、シイェは口に出さず感心する。

 何故と問われても、彼自身にも分からなかった。


 昔から、人の気付かないことに気付き、大人から気味悪がられた。長じてからは、思ったことを口に出さない癖をつけた。

 ツァオは誰かからシイェの話を聞いて、側に置いたようである。長年仕えてきたが、その能力がまともに役立ったことはなかった。

 こうしてツァオを笑わせる程度の、才とも言えぬ才である。


 「心配するな、フオ。シイェ以外には、分からない」


 ツァオに断定されて、フオも気持ちを切り替えたようだった。


 「では改めて、よろしくお願いします」


 互いに握手を交わした。


 目が覚めた時、シイェは顔中が痛くて掻きむしりたくなった。顔の痛みで目が覚めた、と言って良い。

 伸ばした手は、分厚い布に阻まれた。顔と手の間に出没した壁、その奥で疼く皮膚。

 シイェは起き上がろうとして、ふらついた。どすっとベッドへ倒れ込む。


 「目が覚めたか。これ、飲めそうなら、飲んでもらおうか。腫れも引くし、痛みが少し薄れる」


 ベッド周りのカーテンを開き、医師が入ってきた。ストローを付けたカップを手にしている。確か、ファンという名であった。記憶が徐々に蘇る。

 シイェはフオに連れられ、サパ領へ来ていた。ファンは、サパの医師なのである。


 「なるほど。フオ殿の以前の顔に、似ておられますな」


 開口一番、彼はシイェの顔をそう評した。ジンがシイェの顔を真似したのだ。その逆ではない。

 しかし今回、シイェがジンに顔を似せなければならなくなった。

 直接にはツァオが、彼に命じたからである。


 「サパ領主に言うことを聞かせるには、あの顔が一番効果的だ。お前の顔は、少しだけ大人しすぎる」


 やはりリイは、ジンと長年行動を共にしていたのだった。そしてその間に、彼女が彼の魅力に絡め取られても不思議はない。

 ツァオは、リイとドゥオ国貴族を縁組みさせ、将来サパ領の運営に影響を及ぼそうとしていた。

 その相手として、シイェが選ばれた。


 シイェは、誰かと結婚する人生など、考えもしなかった。その相手がリイで、彼の方がサパへ赴くのは、夢のような話であった。


 領主のリイならば、よく既婚者が愚痴に言う、ドレスだの髪型だのの話に付き合わずに済みそうである。

 政治や産業の話ならば、シイェにも語れることはある。

 それに、あの景色。暖かな緑が、目の奥に浮かぶ。これからは、穏やかな気候の中で暮らすのだ。

 顔を少しいじるくらい、大した手間ではない。


 と思って受けた手術であったが、予想よりも痛みが酷かった。拷問もこうであろうか、と思うほどである。

 ツェンは、このような苦痛を繰り返し体験しているのだ。強靭な意思がなければ、不可能だ。


 最初に目覚めてから一ヶ月近く経って、漸くシイェは新しい顔を見ることを許された。

 そこには、確かにジンの顔があった。シイェに似ているが、別人だ。元の顔より少しばかり、美しく感じられた。


 花嫁姿のリイは、シイェの記憶に違わぬ美しさであった。

 初めて会った時から、十年以上の年月を経ている。途中で見かけた男装を加えても、相当の開きがある。記憶のままの姿ということは、実際にあり得ない。


 記憶の方が、目の前のリイに合わせて修正されたのだろう。

 その彼女が、一瞬動揺を見せたのは、シイェの顔を見た時である。

 予想はしていた。そのような反応を、期待されてもいた。いざ目の当たりにすると、偽物に過ぎないシイェの心は痛むのであった。


 更には、その後のリイの態度からして、彼女がジンに好意を抱いていた、というツァオの見解は間違っていたのではないか、という思いがじわじわとシイェを蝕んだ。


 よく思い出してみれば、ツァオはリイを従わせるためにジンの顔が必要と言ったのであって、恋愛感情を持っていた、とは一言もなかった。

 シイェが勝手に解釈したのだ。


 ツァオの言った意味では、ジンの顔は相応の効果を発揮しているように感じられた。

 リイは公私を問わず、シイェを丁重に扱った。それでいて、肝心な領主の権力は、がっちりと握ったままであった。


 貴族の結婚は、所詮政略である。夫婦の情愛は、共に生活する間に育めば良い。

 そして、恋愛感情を除けば、シイェはまずまず満足な生活を送っていた。


 リイは事前に想像した通り、宝石だのドレスだの髪型だのと騒ぎ立てはしなかった。シイェが興味を持った話題に付き合い、理解を深めてくれた。


 外へ出る時には馬車や護衛を付けてくれたが、行動に制限はなく、シイェが農村へ行こうが貧民街へ行こうが、止められたことはない。ただ、路地へ入れないという理由で、馬車や護衛の数が減らされた程度である。シイェにとっては、その方が気楽で好都合であった。


 後に、こうした対応が、サパの財政が思わしくないことに起因すると知ったけれども、彼の彼女に対する評価は変わらなかった。


 一つだけ、残念なことがあった。

 リイの娘のリアンが、シイェに全く懐かないことだった。


 初対面から泣かれてしまった。子供と身近に触れ合った経験のないシイェに、嫌悪と恐怖の情も露わに泣き喚く声は、非常に重いダメージを与えた。


 意外にも、リアンはリイに懐いていた。リイも彼女を心から可愛がっているように見えた。彼女は例の、不在の間に生まれた子供である。


 母親の方は、産んだ産まないの記憶で我彼の子と区別できるが、子供の方は誰から生まれたか、などと覚えているものではない。

 リアンはリイを本当の母と信じているようだ。


 そして、シイェがさりげなく聞き出したところによれば、城内の召使いたちも、娘と同じようにリイを母と信じているのだった。

 改めて、リアンを用意したユアンの手腕に恐れ入る。下々の口を生きたままで塞ぐのは、貴族の口を噤ませるよりも難しいのである。


 そういえば、ツァオもしばしばユアンを罵っていた、とシイェは懐かしく思い出す。常に余裕を見せるツァオを感情的にさせるほど、ユアンは優れた領主であったのだ。


 結婚してサパに住んだ期間は僅かであるのに、もうドゥオ国での生活が遠く感じられた。シイェにとって、サパは故郷にも等しい存在となった。


 リイとの子供が欲しい。


 シイェは心から望んだ。望みは叶えられた。

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