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 サパ領のリイが、どうやら子供を亡くしたらしい、という話を、シイェは他人事として聞いていた。

 彼女が結婚すると聞いて、サパから一旦手を引く宣言をしたツァオは、その言に反して継続的にサパを監視していた。


 リイとツァオでは、大分年が離れているが、もしかしたら案外本気で彼女と結婚したかったのではないか、とシイェは考えることもあった。


 ツァオはリイの結婚後、間もなくドゥオ国内の有力貴族の令嬢と結婚した。それはいつか彼が奴ら、と呼ばわった門閥(もんばつ)のうちでも羽振りの良い家柄で、これを以て彼は対立派閥と表向き融和(ゆうわ)関係を築き、裏では切り崩しにかかったのであった。

 一族はますます繁栄の道を辿(たど)った。



 「紹介しようシイェ。彼はジンだ」


 「ジンだ。よろしく」


 長年続けるうちに、シイェの地位はそれなりに上がった。出世の速度としては、遅い方である。未だにツァオから直接声をかけられる機会は、滅多にない。


 その滅多な機会であるのに、シイェは満足な反応ができなかった。

 まず、引き合わされた青年の顔に、見覚えがある。


 彼はジンと名乗っており、髪の色や服装などの雰囲気を変えているが、ツェンであった。昔、サパへツァオのお供についた同僚である。

 更に、ジンとなった彼の顔は、ツェンとはまた違った見覚えがある。シイェは、ともかくも握手のために手を差し出した。ジンも同じように手を前へ出す。


 鏡を見ているような気がした。ハッとした。

 ジンの顔は、シイェの顔に限りなく似通(にかよ)っていた。


 「ツェン。何で、その顔に‥‥」


 ジンの顔が強張(こわば)り、シイェは心の声が漏れたことに気付いた。やってしまった。


 「くくくっ。やはり、シイェは気付いたか。本人でもあるからな。ジン、落ち込む必要はない。よくできている」


 青くなる二人の間で、笑い声を響かせたのは、ツァオである。


 「シイェ。お前の顔を、しばらくジンに貸し出す。安心しろ。お前は顔を変える必要ない。お前の顔は、周囲に溶け込みやすいのだ」


 「承知しました」


 ツァオに対して、それ以外の返事はできなかった。

 事情を知った上で改めて観察すると、ジンの顔はシイェに似せて作ってあるものの、完全に同じという訳ではなかった。


 元となるツェンはそれなりに美青年であり、シイェはそうでない。たとえ個々の部分をそっくり再現したとしても、内面やそこからなる表情で、別の人間と知れるのであった。


 シイェは、ざっくばらんな応対が苦手で、ジンのような人を()きつける魅力を持ち合わせていない。



 ジンとはまた、それきりになった。

 どうやら彼は、ツァオの指示に従って、あちこち飛び回る仕事を担当しているらしい、とシイェにも見当がついた。勝手に馘首(くび)にされた、と思い込んでいたのが恥ずかしい。


 シイェの仕事も変わった。

 屋敷の内で書類ばかり眺めていたのが、ツァオに連れられて、国内を巡る機会が増えた。


 職位や給与は、そのままである。

 もしかすると、同じ顔のジンとシイェが同時に別の場所へ出現することに意味があるのかもしれない。

 シイェは思いつきを、いつも通り心の中にしまっておいた。



 「サパのリイ殿が、異端宣告を受けたぞ。上手(うま)い具合に転がったものだ」


 金鉱の視察に来ていた。鉱脈を読み取り、数年前から当たりをつけて掘り進めていたところ、(ようや)く成果が見えてきたところである。


 目の前には険しい山脈が(そび)えている。その向こうは、サパ領であった。鉱脈の向きによっては、サパの国境を知らないうちに越えてしまう可能性もある。


 通常、このような場合は両国間で協定を結ぶものであるが、サパ側が鉱脈の存在を知らないとなると、話は変わる。

 鉱脈が地中でどのように走っているものか、掘ってみなければわからない。


 サパが掘ってみたら、全く見込みがない事だってあり得るのだ。目の前に金をぶら下げておいて、手を出すことまかりならぬと断られれば、誰でも面白くなかろう。

 ()えて争いの種を()く必要はない。


 この鉱山を担当するツァオは、現にその考えに沿って動いていた。しかも、産出した金を使い、ハルワ国へ様々な工作を仕掛けていた。


 ツァオの標的はハルワに限らない。

 膨大(ぼうだい)な書類を忙しく仕分けるうちにも、シイェはハルワやサパの名を見つけると、つい目を落としてしまうのだった。


 今、わざわざ彼にリイの話を告げたのは、ツァオがそのことに気付いている、と示したものである。

 シイェは何と返したものかわからず、黙っていた。


 「さて、戻ってジンを呼び出すか」


 ツァオは楽しそうに言った。その美しい頬がうす紅色に染まるのは、寒風に(さら)されたためではなさそうであった。



 呼び戻された筈のジンに、シイェは会えなかった。彼はジンよりも、彼に与えられた任務に興味があった。

 リイが異端宣告を受けたことと、ジンの活動にどのような関係があるのか。


 わからないまま、月日は流れ、シイェは再びツァオとハルワ国へ踏み入れる機会を得た。

 今回の訪問先は、アン地方であった。コンの岩と呼ばれる、男女交合の形をした自然の奇岩が有名な地だ。


 一般の観光客には観覧船でまとめて見せるところ、ツァオ一行は貸切船を雇って見物した。彼自身は何度も訪れて見飽きた、と言っており、部下の慰安に用意したものらしかった。


 普段から厳しい姿を見せられると、このような(たま)の気遣いが、仕える者の心に大きく響くのである。


 シイェは彼のやり方を承知していた。しかし、ドゥオ国でも有名な奇岩を見物するのは、悪くない経験であった。

 

 「お前は、これで少しばかり学べたか」


 貴重な岩をまじまじと観察する最中、ツァオに話しかけられ、シイェは飛び上がらんばかりに驚いた。船縁(ふなべり)から落水するかと思った。

 彼は存外に真面目な顔つきであった。


 「身を(つつし)むのも美徳であるが、女をまるで知らぬと言うのも‥‥お前は、それで良かろう。気が変わったら、手を出す前に報告しろ」


 「はい。お気遣いを、ありがとうございます」


 シイェは、交際経験がなく、娼館を利用したこともなかった。生家は田舎でのんびりとした土地にあり、若主人に色目を使う使用人もおらず、娼館も存在しなかった。


 ツァオに仕えてからは仕事に忙しく、目立たない彼を誘う同僚も先輩もいないうちに、何となくそれで良い雰囲気が固まってしまったのである。


 さりとて、一人で娼館へ乗り込む気概(きがい)も、シイェは持ち合わせていなかった。身を慎んだ、とはツァオの買い被りである。


 ところで、ツァオがアン地方を訪れたのは、アン領主の息子の結婚披露宴への招待に応じたものであった。

 披露宴は、まるで祭りのようだった。


 昼間から妖艶な踊りを披露する女、幾つもの手玉を投げ上げ、落とさずに回し続ける男。屋台まであった。ただし、金を払わずに飲み食いできる。


 招待客の方も、貴族と平民がごた混ぜの状態だった。ドゥオ国では考えられない披露宴である。


 「これはこれは、ヨオン様でいらっしゃいますな」


 ツァオの声が耳に入り、シイェは我に返った。目の前には、見覚えのある貴族の男が立っていた。サパの重臣である。隣の女には見覚えがない。


 「ツァオ様。ご無沙汰(ぶさた)しております。これは、妻のペンです」


 ヨオンの妻もこの宴に戸惑う様子であった。少なくとも、この披露の形式は、サパの標準とは異なるのだ。

 ツァオが妻を伴わずに参加したのは、(あらかじ)め知っていたからであろう。


 「ご領主様は、如何(いかが)お過ごしですか。そのう、奥方様のことで、気を()まれていらっしゃるかと」


 さも気を遣うように、わざとたどたどしくしているが、尋ねる内容は下世話である。無論、ツァオはわざと耳障(みみざわ)りな話題を持ち出したのであった。


 ヨオンの顔に変化はなかったが、隣に立つペンは、はっきり顔色を変えた。

 サパ領主ライの死去により、後を継いだのはリイの夫ユアンであった。


 つまり、ツァオはワ教が国教のように君臨するハルワ国で、領主の妻が異端者であることを持ち出したのだ。

 正確に言えば、前領主が逝去した際、本来跡を継ぐ筈だったリイが異端とされた身であったため、その夫であるユアンが領主となったのである。


 ある意味、ツァオのしたことは、サパへの侮辱(ぶじょく)であった。だが、ツァオは異国の貴族であり、ワ教信者でもない。

 それに、異端の話とも宗教の話とも口にはしていなかった。


 「ご心配いただき、感謝します。サパ領主も我々も、ワ教の信仰に揺らぎはありません。彼女もまた、法王の命に従い、慎ましく(こも)っております。ツァオ様のお気持ちは、ユアンにもお伝えします。その者にも彼から伝わるでしょう」


 ヨオンは大人物らしく、ツァオの挑発には乗らなかった。

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