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リイ 後継

 「ああ。ダン=トンの絵のことですね。あれはサパの貴重な財産です」


 ヨオンは緊張した面持ちで答えた。のっけからリイが、絵を差し替えたいと切り出したことに、警戒心を抱いた様子である。

 サパの重臣である彼が、リアンの生みの母をサイと知る可能性は高い。


 他方、彼もまた熱心なワ教信者である。城の礼拝堂改築の際は、その熱意で新築の教会を建てたも同然の結果を導いた。

 特赦になったとはいえ、一度異端と断罪されたリイの動向を彼が注意深く見守っていることは、折節(おりふし)に感じ取っていた。


 彼は早くも、画家や絵の価値について熱弁を振るい始めた。

 ダン=トンの名は彼女も知っている。一世を風靡(ふうび)した肖像画家で、現在においても評価は高い。


 「彼の宗教画は他に残っておりません。ハルワティアンにも確認を取りました。あの絵は、美術史上も宗教史上も重要な作品です。カアン様がどのようにして手に入れられたか存じませんが、単純に金銭に換算できない価値があります。あのような傑作に、ご幼少のみぎりから慣れ親しめば、大いなる教養と信仰を二つながら得られるでしょう」


 更に彼は熱弁の合間、婉曲(えんきょく)ながらムウよりもわかりやすく、一度異端の(そし)りを受けたリイが、僅かでも法王に怪しまれる振る舞いをすべきでない、という話さえした。


 なお彼の話では、絵はカアンからユアンに贈られた物で、ユアンは病が重くなってから死後リアンに遺すよう、彼に預けたとのことであった。


 リイはユアンの病室にしばしば出入りしていたが、絵の存在にはまるで気付かなかった。夫は、絵がサイに似ていることに気付き、しまい込んでいたのであろう。


 元はカアンが購入した品であれば、城に購入記録がないのも一応は頷けた。裏の手を駆使しても、それほど貴重な品を買えば跡が残る筈なのに、リイがいくら帳簿をひっくり返しても、いつ絵が城へ持ち込まれたのか、見つけられなかったのである。


 納得した途端、リイはチンで対面した折りに、カアンがサイを連れていたことを思い出した。イルであった頃の話だ。

 カアンは彼女を、クィアンの愛人にして前妻殺しの犯人の娘と称した。果たしてそのような人物に似た肖像画を、敢えて息子に贈るものであろうか。


 カアンかユアン、あるいはヨオンが嘘をついている。

 前の二人は既に死んでいた。残る一人は、失うを許されない貴重な人材である。彼が裏切っているとすれば、リイには既に失っているも同然であった。


 「あれが貴重な財産であることは、よくわかった」


 ヨオンの息継ぎを待って、リイは口を開いた。彼女は既に似た構図の絵を、お抱えの画家に描かせていた。ただし、顔をリイに似せるよう命じてある。


 法王が絵の存在を知る可能性を考えると、処分はひとまず諦めるしかない。だが、リアンの部屋に居座らせることには我慢がならない。完成次第、その絵をダン=トンに替えて、娘の部屋に飾るつもりであった。


 「ところでヨオン殿。わたくしは、あの唯一絶対神の顔に、見覚えがある」


 リイは言葉を切り、(いわ)くありげに彼の顔をじっと見つめた。


 「そうですか。どなたに?」


 敵もさるもの。ヨオンは何も思い当たらないような顔つきで、問い返してきた。彼も二児の父となり、ソオンのような老獪(ろうかい)さを身に付けていた。

 昔の彼になら勝てた。今回、根負けしたのはリイの方であった。


 「さる修道女に似ている。そう、確かサイとか言った。覚えているか」


 彼女は相手から目を離さず、ゆっくりと一語一語を発音した。

 ヨオンの目に(かす)かな揺らぎが生じた。勝った、と思ったリイの前で彼の両手が持ち上がり、合わさってぽん、と音を立てた。


 「ああ、思い出しました。礼拝堂が完成したばかりの頃に、ご令嬢のお世話をした者ですね。似ていただろうか。ちっとも気付きませんでした。後でよく観察してみましょう。しかし制作年代から見て、その人を描いたのではあり得ません」


 ヨオンは、その絵が描かれた年代を告げた。リイの生まれるより前のことだった。確かに、サイの肖像画ではあり得ない。

 彼の瞳から、既に揺らぎは消えていた。


 「だが偶然とはいえ、現に存在する誰かに似ているのは不快だ。将来の領主候補に、余計な刷り込みは避けたい。どうせならば、母のわたくしに似せればよかろう」


 リイは新しい絵の話を打ち明け、ヨオンに交換を命じた。

 意外にも、彼はすんなり了承して引き下がった。何かわからぬながら、手遅れかもしれない、という思いが脳裡をよぎった。


 リイが領主に就いたのは、領民の声に応えたものである。

 死んだユアンは領民からは臨時領主のような扱いであった。しかし実際の彼は、問題山積の状況において、期待以上の働きをした。

 その証拠に城内の者たちが、未だ彼に忠誠を誓っているように、リイには感じられた。


 留守の間に、召使いから幼なじみでもある大臣に至るまで、彼女の味方は消えてしまった。隣国から来た夫は得体が知れず、娘は赤の他人である。


 リイは頭を振った。リアンは彼女を唯一の母親と信じ切っている。彼女にとっても、娘は無条件に信じられる唯一の存在であった。娘までも信じられなくなったら、それこそお終いであった。



 リイが疑心暗鬼に陥りながらも領主の仕事に必死で取り組む間、シイェは、日がなぶらぶらしていた。


 ドゥオ国出身の彼は、結婚直前ワ教に改宗した。ドゥオ国の宗教は、体制そのものであるとされる。その内実は、外部にほとんど知られていない。


 これまでのところ、シイェに不審な振る舞いは見られなかった。恐らく、彼の国で予習を積んできたのであろう。


 城の礼拝堂では、彼に対し特別講習計画を組んだ。その教育成果もあろう。

 彼は課題に真面目に取り組み、礼拝にもよく顔を出している。

 現在、外から礼拝堂を訪れる貴族はほとんどない。城付き司祭がドゥオ国出身の貴族を教化する環境は、整っていた。


 シイェが婿であることはユアンと同様であったにもかかわらず、重臣たちから彼を(まつりごと)に参加させよう、という声は上がらなかった。

 彼もまた色目を使わず、一切口を差し挟まなかった。


 法王や国王の肝いりであろうが、彼らは得体の知れない国から来た者に対して警戒心を捨てきれずにおり、彼もまた彼らの心情を承知しているのであった。


 いずれも、リイが一声発すれば済む話であった。領主の命には従わねばならない。

 しかし彼女は彼らの態度をよいことに、自ら口火を切りはしなかった。彼女もまた、ジンに似た夫への警戒心を解けなかったのである。


 会議に参加しない代わりに、シイェはしばしば視察と称して外出した。

 礼拝堂にいなければ城にはいない、と断じられるほど、彼はあちこちへ出かけた。行き先は様々であった。


 城下はもちろんのこと、ワ教講習の合間を縫って、サパ地方の全地区を一度ならず見て回った。

 初めのうち、リイは馬車や従僕を仕立てて送り出したが、あまりに頻繁な上に、彼が馬車が通れないような貧民街にまで徒歩でずんずん入るという報告を聞いて、馬と最小限の人を付けるだけにした。


 彼は高貴の人に似合わず、華やかな場所よりも(さび)れた場所やごみごみした場所へよく足を運んだ。

 いきおい、貧しい人びとの住む区域に踏み込む機会が増えた。


 彼はワ教の精神にのっとり施しを欠かさなかった。リイがかつてしたように教会を通じてではなく、彼は街角で出会った領民に直接施しを行った。


 元々リイの再婚を歓迎していた領民たちは、次第にシイェ自身に好意を寄せるようになった。すると大臣たちも感化され、彼に好意的な眼差しを送るようになった。


 初めから、それを狙った行動であったかもしれない。

 リイは醒めた目で経過を観察していた。それでも時期を見計らい、シイェに他地方の祝賀行事臨席といった仕事を少しずつ頼み始めた。

 問題は起きなかった。彼は、無難に頼まれた仕事をこなした。人びとの信頼は更に増した。



 このようにして、シイェは着実に地歩を固めつつあった。しかし彼にも弱点が存在した。リアンである。


 リイは新婚早々に二人を引き合わせた。

 初対面は、さんざんな結果に終わった。リアンは怯えたように泣きわめき、その前でシイェも終始狼狽(うろた)えていた。


 「きっと、普段限られた者しか出入りしないので、急なことにびっくりなさっただけですわ。リイ様の時には何事もございませんでしたから、私どももうっかりしておりました。やはりあの時は、母君様のお心をリアン様が感じ取られたのですね。殿方と言えば、物心ついてからこの方、亡きユアン様とヨオン様、司祭しかご覧になったことありませんでしたものね。しかもたまにしかお会いになりませんでした。リアン様が驚かれたことをどうか、お許し下さいませ」


 後になって、ムウが釈明した。そしてリアンを外の世界に慣れさせるべく、城内の他の区域へ連れ出す許可を求めた。

 リイは承諾した。事情がわかれば、幼いリアンが泣いたのも無理ないと思われた。子どものことである。そのうち見知らぬ人にも慣れるであろう。

 問題は、シイェの方であった。実のところ、彼は子どもを苦手としていた。


 「跡継ぎは欲しいが、女子どもが苦手で、これまで結婚を避けてきた」


 義理の娘との対面の後、彼はおそるおそる告白した。

 リイは複雑な気持ちであった。ハルワの常識で考えれば、シイェは貴族なのだから、妻にほとんど関わらなくとも結婚生活を続け、跡継ぎが大人になるまで会わずに済ませることもできる筈であった。


 穿(うが)った見方をすれば、父親になりたくとも、身体的能力が欠けている可能性もある。ドゥオ国が、そのような人物を送り込んできた事実は、彼女に苦々しい思いを味わせた。

 彼の選ばれた理由が再婚故か、ハルワあるいはサパが見下されたが故か、いずれにしても面白くない。


 「国家の命を受けてここへ来たが、あなたを初めて見た時、私はワ教の神に初めて感謝した。あなたはこの上なく美しい女性でありながら、領主としての雄々しさも持ち合わせている。まさに、理想の人」


 シイェは熱の籠った目をリイに向けた。ユアンと異なり、彼は場所を(はば)らず彼女を熱く見つめた。人目がなければ、行動を伴うこともしばしばであった。


 「願わくば、私とあなたとの間に子をなさしめたい」


 彼の腕の心地よさを味わいながらも、リイは冷静さを完全には失わなかった。

 二人の間に子が生まれた場合に勃発(ぼっぱつ)する、様々な問題が脳裡を掠める。そもそも子ども嫌いの彼に、我が子の存在が耐えられるであろうか。


 しかし彼は、本気で言っているように見えた。

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