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ユアン 疑念

 ユアンは無理を押して、次の領主をリイとするよう手続きを進めた。


 幸いにも会議は満場一致で彼の案を支持した。彼の体調は更に悪化し、半分床に就いたような状態で執務をこなす日が増えた。

 リイは来る日に備え、日々代理の権限を拡大している。頼もしい限りである。

 病床を訪れる回数は減ったが、彼は気にしなかった。病状の安定を図るため、彼は見舞を厳に断っていた。


 悲しいのは、愛しいリアンとの逢瀬が減ったことであった。父上に会えず寂しそうにしている、と幼子の報告が来る度、彼の目に涙が滲んだ。


 侍医の奮闘にも関わらず、ユアンの病状は悪化の一途を辿った。遂に、執務がほとんど手につかない状態にまで陥った。


 寝床で養生に努める中、クィアンが訪ねてきた。彼はユアンの顔を見て、痛ましい表情をした。謝絶を排してまで対面した理由は、言わずと知れたことであった。


 「万が一に際して、ご意志を確認しておきたいと思いましてな」


 クィアンの元には、サイの残した男児がいる。彼はひ孫が奪われるのではないか、と心配しているのであった。


 リイが戻ってから、ユアンは個人的に彼の屋敷を訪れたことがなかった。サイが消えた場所からは、自然足が遠のいたのである。

 彼の懸念は杞憂である。リイにも男児の存在を話題にしたことはない。


 「やはり彼女は、命を落としてしまったのでしょうか」


 跡継ぎばかり猫可愛がりしていたように見えるこの老貴族にも、孫娘を案じる心が残っていたらしい。

 ユアンは、サイの形見とも言える首飾りの存在を思い出した。問いには答えず、起き上がれないので、クィアンに保管場所から取り出させる。


 「それを、あなたにお譲りします」

 「これを」


 首飾りを見つけた時から眉根を寄せていたクィアンは、こみ上げる感情を抑えるように硬く目を閉じた。彼はサイの身元を正確に知っていた。


 そして、彼女が首飾りを肌身離さず持っていた事情も、熟知していた。従って、彼女が見つからずに品物だけがユアンの手にある事実の解釈を、電光石火の早さで行い得た。


 「有り難く頂戴致します。これは、ユアン様に所縁(ゆかり)の品でもありますからな。あの絵と共に大切に保管し、当家の後継者が分別のつく年頃になりましたら、手渡すことにしましょう」


 あの絵とは、ダン=トンの手になる唯一絶対神になぞらえた、サイの母を描いた肖像画のことである。ヨオンが描かせた二点のうち、一つがクィアンの屋敷に残されていた。かつてそこに、サイが住んでいた名残りである。

 もう一点は、リアンの元にある。彼らが同じ母から生まれた、という唯一の証でもあった。


 クィアンが辞去した後も、首飾りの幻影はユアンから去らなかった。幼き日、初めて父が持つ首飾りを見た時の記憶から、それを乳母の身に見いだした時の驚き、歳月を経て天涯孤独の修道女が持っていることを知った時の畏れ、そして妻の首に下がっていた時の衝撃が次々と蘇った。


 「()()()()お返しするわね」


 リイの言葉が彼の心に引っかかった。首飾りがユアンの物であったことは、それまで一度もない。手にしたことさえ、せいぜい一日程度である。


 あれにはカアンの紋章が刻まれており、彼があそこにいたことは、彼女も後から聞き知っている筈である。

 まずは、カアンの物と考えるのが筋である。


 本人に会えない場合、息子の彼に渡すのは妥当である。ただその場合、父に返してくれ、などと別の言い方をするのが普通であろう。

 仮にサイが持っているところを見たとしても、彼女は現にカアンと一緒にいたのである。ユアンの物と考える道理がない。


 彼女が言い間違えたか、彼が聞き間違えたのであろうか。

 もしも、そうでないとするならば、何を意味するのか。


 リイが、首飾りの由来を全く知らないことは、確実である。首飾りの持ち主はカアンからタイ、ナイ、サイと移り変わったが、彼女は誰にも言及しなかった。


 第一ナイは遥か昔に死亡している。彼女と接点はない。タイが、首飾りをユアンの物と説明する()われはない。

 彼女は乳母であった過去を隠したがっていた。もし偶然に彼女らが知り合って、タイが首飾りについて説明したならば、カアンの物と表現するであろう。

 サイを連れ去ったカアンの手に首飾りが渡ったとしても、やはり父は自分の物と考える筈である。


 盗賊が、彼女の歓心を買うために贈った物かもしれない。そうした場合、与える側はわざわざ元の持ち主について説明しはすまい。まして、その際にユアンの名が上がることはないだろう。


 誰もが首飾りを彼の持ち物と説明しなかったとすれば、リイは自らそのように結論付けたと考えられる。それには、彼女が彼にまだ話していない出来事が関係しているに違いない。


 リイは長い間、行方不明であった。言い漏らした事の一つや二つは、あろう。

 数年間にわたる出来事を余さず述べることは、誰にも不可能である。彼女は何を見聞きし、かつ言い漏らしたのであろうか。

 誰が持っているところを見たならば、ユアンの物と思い込むことができるか。


 一つの考えが形をとり始めた。ユアンは漠とした思いつきを拒もうとしたが、思考は勝手に進んで行った。

 カアンの紋章があるにもかかわらず、彼の持ち物でないと断じるには、少なくとも当人が否定するか、他の誰かが正当に所有するところを目撃する必要がある。


 すなわち、リイはカアンと言葉を交わすか、あるいはサイが所有者として首飾りを持つところを見た筈である。しかし、彼女は二人の存在を知らなかった、と言った。


 彼女は嘘をついている。同じ囚われ人の存在を否定しながら、彼女は証拠の首飾りを見せびらかすように(もてあそ)んでいた。矛盾である。


 ユアンはリイを見いだした場面を思い返した。彼女は全身ずぶ濡れで、炎の中から飛び出そうとしていたが、そこは牢屋ではなく、鍵もかかっていなかった。


 彼女は調べに対し、牢番が慌てて逃げたのを見て必死に抜け出したら、火に囲まれて身動きがとれなくなった、と供述し、その話に誰も疑いを差し挟まなかった。


 しかし、その部屋は牢獄の奥深くにあった。出口とは正反対である。

 もし、彼女が初めからそこにいたとしたら、どうであろう。焼け跡からは、あの部屋は拷問部屋と推測された。

 炉には、大量の紙が燃やされた灰が残されていた。

 彼女が拷問を行い、証拠となる書類を隠滅するために、あの場へ残ったとしたら。


 カアンは拷問された後、手当てを受けていた。拷問した相手が義父であったから、異例の措置を施したとしたら。


 クインは、イル教がリイを利用したと断じたが、逆に考えることも可能である。

 いつか、サイがリイをイル教の教祖ではないか、と執務室まで訪ねて来たことを思い出した。当時は立場上、証拠がない、と突っぱねたが、彼女の言は、彼にも十分な説得力があった。


 いまだにリイがイル教側に立って活動していたという、確たる証拠は上がっていない。

 クインは出世に目が(くら)んで、事実確認の詰めを(おろそ)かにしたのだ。

 否、ユアンにも責任の一端はある。サパ領の安定を図るため、リイの不在を隠蔽し、身柄を取り戻した今、異端の事実よりも彼女の特赦を優先した。


 サイはチンの根城で不都合な事実を知ったため、リイに(しい)されたのかもしれない。

 こうなると分かっていたら、公にするかどうかはともかくとして、もっと掘り下げて調べておくべきであった。


 首飾りは、身元の判明を防ぐために奪われた。あるいは、彼女が死んだことの証明として、敢えて持ち出した。

 サイがリアンの母親であることをリイが知っていたとすれば、首飾りがユアンから譲られた、と思い込んだ可能性は大いにある。


 リイにとってサイは、確かに政治的にも私的にも彼女の地位を脅かす存在であった。サイが固辞しなければ、ユアンは彼女と正式に結婚するつもりだったのだ。

 彼女が首飾りによって、その考えに至れば、危険な存在を抹消する手を打ったであろう。


 母を知らぬリアンも、その母の故に、やはり憎まれるのだろうか。リイに娘はおらず、この先ユアンとの間に子が授かる予定もない。

 それでも彼女は、娘に手をかけるだろうか。

 可能性は、ある。

 どのみち、リアンは彼女の子ではないのだ。他の子を跡継ぎに据えても、リイには同じことだろう。


 次々と浮かぶ考えに、ユアンは足元が崩れていく心地がした。


 気分がひどく悪くなり、息苦しさを覚えた。彼は召使いを呼ぼうとして、果たせなかった。すっかり力を消耗していた。

 折よくリイが姿を現した。まるで彼の思考を読み取ったかのように、青白い顔つきをしていた。


 「あなたが、サイを殺したのか」


 もう、声を出すのも難しかった。

 最も懸念されるのはリアンの安全であったが、下手に刺激しては却って憎悪を掻き立てるではないかと、彼は口に出すのを思い留まった。

 唐突な彼の言葉にも、彼女はまるで表情を変えなかった。


 「あなた、ひどく具合が悪そうだわ。誰か! 侍医を呼びなさい。早く!」


 平然とした態度から想像もできないほど、切羽詰まった声が、彼女から発せられた。その落差は、死の床にあるユアンには、芝居がかって見えた。

 今までどこにいたのか、看病人や侍従が泡を食って駆け付け、彼女の指示に従い四方に散った。


 一人残った彼女は、やや離れた小卓の水差しを取り上げ、中身をグラスに注ぐと顔をしかめた。


 「あら嫌だ。虫が浮いているわ」


 片手に水差し、片手にグラスを持って窓際へ行った。グラスの中身を捨てた後、水差しを回して中を覗いていた。そして、彼女は同じ水差しからグラスに注ぎ直した。


 「さあ。これを」


 リイはグラスから手を離さず、少しずつ傾けて中身を飲ませた。先ほどのやりとりなどまるでなかったような、献身ぶりであった。

 彼は習慣に従って、ついなすがままにされた。彼が生温い液体で口を(ふさ)がれている間に、彼女は口を開いた。


 「落ち着いて聞いてね。お義父様が、お隠れになりましたわ」


 彼の視界が暗転した。

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