表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/87

リイ 結婚

 思いがけなく直截(ちょくせつ)に切り込まれて、リイは咄嗟に切り返せなかった。ときめきは瞬時に去った。

 彼はリイの返事を待たなかった。


 「私はあなたをとても気に入りました。だから訳をお教えしましょう。その上で、お気に召さなければ断っても構いません。断ったことで、不利益を蒙ることのないよう私が父に取り計らいます。私は確かにカアンの息子ですが、母は私を生んで間もなく死に、父は再婚しました。弟妹とは母が異なります」


 ユアンの告白を聞き、リイは危うくステップを踏み間違うところであった。彼は、リイの表情が周囲から見えないよう、巧みに彼女を導いた。

 楽器の音が、賑やかに耳に飛び込んで来た。リイは表情を取り繕うまで、曲が終わらないよう願った。


 「父はそのことを知っているのかしら?」

 「もちろん。野心を持たれても困ります」


 リイは、動揺を見せたことを恥じた。

 その後は表情とステップを保つのに必死で、余裕がなかった。

 また腹の立つことに、ユアンは彼女の状態を見抜き、敢えてにこやかにステップを合わせるのであった。


 曲が終わり、演奏が止んだ。

 ユアンは変わらぬ微笑を浮かべてリイに挨拶した。彼女は、どうにか笑顔を取り戻し、席へ戻った。どっと疲れが出た。



 領主のライは、この縁談に大いに乗り気であった。娘の意向を聞くつもりも、ユアンの話したような身上を、娘に説明するつもりもなかった。


 それで、リイが縁談について話があると使いをよこし、相手の身上を既に知っている、と切り出した時にはさすがに驚いた。

 貴族の結婚ともなれば、家の都合が最優先されるのは普通のことであり、ライが暴君という訳ではない。

 むしろ、娘が結婚について父親に意見を言う方が例外であった。これは、リイがいずれ領主になる身であることに加え、一人娘に対する愛情が、ライを譲歩させたものである。


 「いくら都の有力貴族の長子とはいえ、後ろ盾が危うい者を婿に迎えては、領地の将来に不安が生まれます。今の奥方に(うと)まれて、排斥される危険を考えなかったのですか?」


 「別に中央へ乗り出すつもりではなし、サパで大人しくする限り、腹違いの弟に排斥されることもなかろう。むしろ、彼らにとっては、都に留まられるより余程安心だ。それに、カアン殿の長子には違いない。少なくとも彼の代には助力も当てにできる。恩を売ったようなものだからな。話してみたが、なかなかしっかりした男だ。見栄えも良い。これ以上の縁談はなかろう。嫌とは言わせない」


 ライは率直に話した。これ以上言い募っても、無駄であった。

 リイは一礼して引き下がった。否と言う権利はなかった。正直に問えば、自分でも嫌なのかどうか、決めかねた。


 初対面で相手に弱みを見せてしまった、己への腹立ちが心のうちにわだかまり、判断を妨げていた。

 

 彼女の困惑とは関係なく、結婚の準備は着々と進められた。

 その後ユアンに会う機会も設けられなかった。次に会う時は、結婚式の当日である。


 リイのような立場にあって、花婿と事前に顔合わせをしたのはまだしもよい方である。

 親同士の政治的関係で決まる結婚においては、たとえ隣接する領地に住む者同士であっても、当日に初顔合わせとなる事は珍しくない。


 近隣の領地から嫁いだ母のリウも、例に漏れなかった。今回婿の顔を直に確かめ、しかも彼に満足した彼女は、娘の結婚に心から賛成し、嬉々としてあれこれ指図した。


 リイは言葉にならない気持ちを、母に打ち明ける機会も気力もなかった。花嫁として、リイにもなすべき事が山ほどあった。

 彼女は気持ちを切り替えて結婚式に臨んだ。



 リイとユアンが婚礼を行う日、サパ領主ライのお膝元は、町中で朝からお祭り騒ぎであった。

 日常これといった楽しみもなかった領民にとって、次期領主の婚礼は浮かれ騒ぐ格好の口実となった。


 町の住民だけでなく、郊外からも、わざわざ仕事の都合をつけて婚礼見物に出かけてくる民もあった。勢い久闊(きゅうかつ)(じょ)す人々が増える。お祭り騒ぎに乗じて一儲けしようと、乗り込んだ一団もあった。


 領主の側ではリイの結婚相手について、詳しい身上を公式に領民へ知らせていなかった。

 こうした場合の常で、どこから聞き入れたものか、人々はまだ見ぬ婿の噂を次々と口の端に上せた。そしてその噂は大方(おおかた)正しかった。


 「リイ様のお婿様は、都から来なさるそうだ」

 「お婿様は大層立派なお家柄だとか」

 「見目麗しいお方と聞いたぞ」


 挙式は、ガルにあるワ教の大聖堂で行われることになっていた。

 サパ地方最大の教会にして、領主ライの一族が信奉する宗教の教会でもあった。


 花婿の一行は、そこで城から来る花嫁を待ち受ける次第になっていた。ユアン一行が町の外れに見えた、という知らせは、城とほぼ同時に町中へ伝わった。


 領民に噂が伝わるのは、よくも悪くも驚くほど早い。

 ユアンは都からの長旅の疲れを全く感じさせない、豪奢(ごうしゃ)な行列を仕立て来た。

 前後左右に(たくま)しい兵を従え、宝物を載せたと思しき馬車が延々と続く。馬の毛並みもそれを飾る馬具も折からの好天で、太陽を浴びて艶やかに光っていた。


 花婿が乗ると思われる輿には、特に装飾を施された紋章が彫られていたが、その飾りの見事さは言うまでもない。

 お供につく下位の者はもちろん、警護の兵士まで美々しく着飾る様は、都の人びとさえも驚嘆したであろう素晴らしさであった。


 まして、日頃質素に暮らすサパ地方の領民には、新奇でこの世のものとは思えないほどの美しさに映った。

 町へ入る頃から物見高い野次馬が集まり始め、行列に魅せられた子どもたちが一行を更に長くした。車列が大聖堂へ到着するまでには、道の両側に分厚い人垣が出来上がり、押すな押すなの騒ぎまで起きた。


 リイが父ライに連れられて大聖堂へ向かったのは、ユアンの一行が町中を賑わしながら大聖堂へ入って間もなくのことであった。

 城の建つ丘を降りきると、もうそこから見物人の列が始まっていた。町へ近付くにつれ人の数は増し、どの顔も祝福か好奇心か、いずれにせよ楽しげな表情に溢れていた。


 リイは習慣に従って閉められたカーテンの隙間から、寄り集まった人々の様子を眺めた。理由はともあれ、己の婚礼に集った領民が喜ばしく見えるのは、悪い気分ではなかった。

 リイは自らのうちに群衆と同じような歓喜が湧かないのを後ろめたく思っていたが、ここへきて緊張で感情が抑えられているだけかもしれない、と思い直した。

 現に、彼らの祝賀気分に染まったように、リイの心にじわじわと喜びの感情が湧きつつあった。


 大聖堂へ到着すると、予定通りユアンが祭壇の前でリイを待っていた。

 両脇の席は、招待客で既に埋まっていた。リイはライに手を引かれながら、彼らの間を歩んだ。


 顔ばかりが壁に掛けられた面のように並ぶ中で、知った顔を見分けることはできなかった。

 ライからユアンへ引き渡される時、ライの手に力がこもり、ほんの僅かな間、躊躇(ためら)うような動きがあった。

 政治一辺倒で結婚を決めても、いざ娘を手放すとなると感慨を催すものなのか、とリイは意外に思い、胸が詰まる心地がした。それも一瞬のこと、すぐに彼女の手はユアンに預けられた。


 花婿らしく着飾ったユアンは、この上なく立派に見えた。優雅な微笑を浮かべた様は、全く緊張したようには見えず、頼もしかった。

 長年大聖堂に奉職し、婚礼慣れしている筈の司祭の方が、却って緊張するようであった。


 婚礼の儀は、(とどこお)りなく済んだ。ユアンとリイは、晴れて夫婦となった。左右の席から祝福の声が沸き起こり、大聖堂の高い天井までこだました。


 婚礼の儀を終え、夫婦連れ立って表へ出ると、待ち構えた領民から歓呼の声が一段と盛り上がった。紙吹雪が舞い、白い鳩が晴れた空に放たれる。

 城へ向かう際は、ユアンとリイが同じ馬車へ乗り、人びとの祝声に手を振って応えた。


 沿道には人が鈴なりであった。道路に面して建つ家の窓という窓から、誰かが顔を出していた。屋根に登る人さえいた。馬車は新婚夫婦をお披露目すべく、ゆっくりと進んでいた。


 進めど進めど、人の波は途切れる気配がなかった。

 馬車の前方には、遠目でも正面から夫婦を見たい人が、道を(ふさ)ぐようにして立ち並び、馬車が近付く度、御者や(つゆ)払いの声に押されて道を開く。

 そして通り過ぎると、後ろに埋もれていた人たちが、もっとよく見ようと人垣を崩し、道路の真ん中へ雪崩れ出るのであった。


 「まあ、見てご覧よ。姫様の美しいこと」

 「なんと、婿様もご立派なことだ」

 「お二人は、お似合いのご夫婦だよ」

 「馬車も素敵だねえ」

 「お供のなりまでご立派だ」


 領民の口々に褒め讃える言葉が、若夫婦を取り巻いていた。

 リイにはもちろん、言葉の一つ一つを聞き分けることまではできなかった。しかしながら、手を振る人の様子から、まるで面と向かって言われたように、頭の中に言葉が響くのであった。

 自然と微笑が浮かんだ。


 彼らの歓呼に少しでも多く応えようと、窓から身を乗り出さんばかりにして、にこやかに手を振り続けた。ユアンもまた、反対側の窓から群衆に向かって手を上げていた。


 人びとの足元から這い出し、馬車を見上げるようにしている女の子もいた。その瞳は、きらきらと輝いていた。


 高い場所に陣取った者は、花びらを撒いていた。

 窓という窓には、花やリボンなどで、リイの結婚を祝うための飾り付けがなされていた。我が事のように喜ぶ領民は、次々と後ろに去っては、新たな顔を伴い行く手に現れた。


 そのうちさすがに腕が(しび)れてきた。絶え間ない歓声に、耳まで疲れを訴える気がする。


 きっと今ユアンに話しかけられても、リイには聞き取れないに違いない。

 リイは口元に微笑を浮かべたまま深呼吸をし、改めて目に力を入れた。領民の笑顔を見れば、微笑むことなど訳なくできた。

 それからさりげなく腕を変え、力の限り振り続けた。喜びに沸く群衆は、いつまでも途切れることなく続き、その長さは幸せへの永遠の道のりかと思われた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ