サイ 人攫い
後ろ手に縛られ、目隠しされて連れて来られる間中、ずっと気味の悪い唸り声が聞こえていた。
やがて音の反響する屋内へ着くと、敵は親切にも、サイの目隠しと縛めを解いて立ち去った。
どこからか流れ込む薄明かりを頼りに視力が回復すると、辺りの様子が見てとれた。
岩をくり抜いて作ったような、牢屋であった。前面には壁がなく、ただ無骨な鉄格子が嵌められていた。
サイは牢内を見回し、同じく閉じ込められたカアンが、目隠しも縛めもそのまま放っておかれたことに気がついた。
彼は足首も縛られ、猿轡まで噛まされていた。気味の悪い唸り声は、彼から発せられていた。
サイがこわごわ近付いて目隠しを外すと、彼は頭を激しく動かして敵の姿を求めた。
彼の前に立つのは恐ろしかった。それでも彼女は、彼の前に自らの姿を晒す位置へ移動した。
「ぼばえがいぐんがおがっ!」
とても、猿轡を外す気にはなれなかった。
「これから手の紐を解きますから、動かないでくださいね」
サイがゆっくりと言い聞かせると、カアンは急に喋るのを止め、尊大に頷いた。
手首が自由になると、彼は絡んだ首飾りを振り捨て、猿轡などを自力で解いた。
形見の首飾りが、サイの方へ飛んできた。
彼女は躊躇ったものの、結局それを拾って胸元へ押し込んだ。
カアンは縛めを解くのに夢中で、彼女の行動に気付かない様子であった。そして、そのまま首飾りのことを失念したらしい。
「お前が仕組んだのか」
牢内での自由を得た、カアンの第一声であった。
サイは口を利くのも億劫で、ゆるゆると首を左右に振った。
盗賊に攫われて、二人共に牢屋へ閉じ込められたのだ。
サイのような世間知らずでも、一目で状況は理解できた。
チン地区に盗賊が跋扈したのは昔の話、と聞いていたのに、希望的観測に過ぎなかったのだ。
カアンが本気で言っているとは思わなかった。しかし、彼の目を見ると、冗談ではなさそうである。
そもそも彼らは、冗談を交わせるような間柄ではなかった。
「違います」
サイは念のため、明確に否定した。彼の行動力なら、本気で彼女を盗賊の頭目にしかねない。
「そうか。流石にあの女の娘でも、自ら牢に閉じ込めはしないか」
カアンは独りごちると、口を閉じた。
ひとまず疑いは解かれたようである。サイは胸を撫で下ろした。
それにしても、母はひどく恨まれたものである。実のところ、ワンが示したような母親という存在の印象から、あまりにもかけ離れ過ぎて、カアンの恨み節におよそ真実味を感じないのであった。
しかし、父に口答えはできない。母の記憶も思い出話も持たないサイは、心のうちでも反論ができないのを、残念に思った。
暫く経つと、カアンはその場に座り込んだまま、目をきょろきょろと動かし始めた。
首飾りを探しているのか。
サイがそれを取り出そうとした時、彼がため息をついた。
「このままでは、抜け出せそうにないな」
カアンは、脱出口を探っていた。
サイも改めて牢内を観察した。岩と鉄格子の、単純な空間だった。格子が開かない限り、ここから脱出することは不可能に思われた。
「これはこれは、何とワ教に奉職しておられたサイ殿ではありませんか。そのような格好では、すっかり見違えましたよ。しかも、ハルワの大貴族カアン殿とご一緒に馬車へ乗る仲とは、全く驚くよりほかありませんな。お二人は、よほど親しいと見受けられます」
朗らかな声が、岩に反響した。
名前を呼ばれ、サイは面食らった。カアンもまた、口を半開きにして相手を見つめた。
鉄格子の向こうに、マントを被った男が立っていた。