ユアン 求婚
「恐れながら申し上げます。私は、サイを愛しています。御領主にはお気付きかもしれませんが、彼女が修道女であったころから密かに愛していました。ええ、いつか彼女の部屋に花を投げ込んだのは、私です」
「しかしながら誓って、彼女に淫らな振る舞いはしておりません。彼女は、私が結婚を約したまま行方不明になったナイと生き写しで、愛さずにはいられませんでした。思えば、あれは父親として当然の愛情であったのです。知らなかったとはいえ、私はナイを惨めに死なせてしまい、我が娘にまで苦労をかけてしまいました」
「これも、死んだ彼女の代わりに、せめて娘の幸せに尽くせという、唯一絶対神のお導きでしょう。神のご加護の賜物により、サイは女性ながらに司教まで上り詰めました。親心には、女性としての幸せをも、味わわせたく思います。サパ領主の妻となれれば、この上もない幸せです。どうか、私からも、サイのことをよろしくお願いします」
こちらから説明するまでもなく、ヨオンは法王の意向を十分に承知していた。
その彼がユアンに結婚を勧めるには、サイが己の娘であることに確信があるとみえた。
ヨオンが長年所蔵していたダン=トンの肖像画も、ハルワに残された肖像画も、共に彼が描かせたことを認めたのである。
彼はユアンの引退後を見越し、サパ領主の跡目を狙って結婚を急いだ、と周囲に目されていた。
それまで結婚しなかったのもリイに未練があるため、と噂されていたが、ユアンから見る限り、彼の心はサイに向けられていた。
これで、今回の件にかかる全てがワ教のねつ造である、というクィアンの疑惑は、完璧とはいわぬまでも相当和らいだ。
ユアンは安堵した。
サイは、これから自らの身に起こる事を予感したように、居心地が悪そうに見えた。
ユアンは、理由を告げずに彼女を呼び出していた。
そうした彼女の様子は、修道女として城で初めて対面した頃を思い出させた。
部屋には二人きりであった。
クィアンとヨオンの了解を得、身元を告げる役目も彼が引き受けたのである。
彼は、予め切り出し方を決めていた。
「いつかお借りした首飾りですが、あれから他の人に見せましたか?」
「はい。クイン司祭に一度、お見せしました」
簡潔な答えで口を閉じた端から、母に関する手がかりへの期待がほの見えた。
やはり、とユアンは思った。
サイが貴族の血を引くことは、ハルワティアンにいた頃から知られていたかもしれない。しかし、本格的に身元を調べたきっかけは、クインにあったのだ。
彼が、サイを司教から下ろす口実に首飾りを狙っていたのか、それとも、偶々首飾りを目にして今回のお膳立てに利用したのか、今となってはわからない。
いずれにせよ、サイの身元が明らかにされたことは、ユアンを含め、多くの人にとって都合の良い結果となったのである。
「この度、ワ教の調査によって、サイ司教のご親族が見つかりました」
「そう、なのですね」
サイは戸惑った風であった。ワ教が調査した結果を、何故に領主から聞かされるのか、理解できない様子である。
ユアンは簡潔に、彼女がクィアンの孫にしてヨオンの娘であることを告げた。
首飾りの由来には、一切触れなかった。従って、身元が明らかになった事情も、伯母の存在も知らせなかった。
彼女の伯母は、ユアンの乳母であった。彼女が辛酸を舐めて罪を償ったことを以て、彼は復讐を放棄した。そのことと、彼が許しを与えることは、別の問題である。
彼女がサイと交流を持ってしまったら、ユアンはサイのことも許せなくなるかもしれなかった。
これから行うべきことのために、それは避けなければいけない。
サイは身じろぎもせずにユアンの言葉を聞き終えた後、椅子の中で放心した。耳にした事実は、およそ彼女の想像を超えていたであろう。
「ご承知のとおり、ヨオン殿は奥方と新たな営みを始めており、あなたを家庭に迎え入れるのは困難です。そこで、あなたの保護者は、クィアン殿と決まりました」
頃合いを見計らって、ユアンは語りかけた。
サイはかろうじて頷きを返した。
事実を受け止めるのに精一杯と見えた。
彼女は、高潔なトウ元司祭の愛弟子である。これまで、一生を唯一絶対神に捧げるつもりで、道に励んできた。
生来孤独の身と信じてのことである。身元が判明しただけでも、驚くべき奇跡と言って良い。
貴族が保護者となることが、何を意味するのかまで、考えが及ぶ筈もなかった。
法王の意を汲むとはいえ、次の言葉を口にするには、ユアンにも勇気が要った。
「クィアン殿は、あなたを私の妻にする意向を持っています。これはヨオン殿の意向とも一致します」
一旦言葉を切り、ひと呼吸置く。
「サイ殿。私は、あなたを妻にしたい。私と結婚してもらえますか?」
サイの頬が紅潮したかと思うと、見る間に青ざめ、顔を伏せた。彼女が事態を理解したことは、明らかであった。
彼は我にもなくどぎまぎした。
初めて会った時から、彼女に惹かれていた。
ヨオンの恋慕に気付いたのも、その故である。
父と同じ過ちは、決してすまい、と自らに誓っていた。
よりによって、父の過ちの証左というべき相手に心を奪われてしまうとは、皮肉にも程がある。
異母妹と思い込んでいた間も、思慕は断ち難く、彼女がハルワティアンへ異動すると聞いた時は、ほっとしたものであった。
そして再びあいまみえてからは、複雑な思いで接していたのである。
サイが妹ではないと知った時には、落胆した。愛憎半ばの関係すらも、失うのが辛かった。
ワ教側から、彼女との婚姻を打診されて驚いたが、クィアンやヨオンの賛同を得て、一気に欲が湧いた。
これで正々堂々と、彼女を自分のものにできる。
もしかしたら、彼女もまた、彼に対して同じ思いを抱いていたのだろうか。
彼は、彼女の急激な表情の揺れに、そのような直感を得たのであった。
その間、彼女は俯いており、彼の動揺を気取られる心配はなさそうだった。
「リイ様は、どうなさるおつもりですか」
不自然な長い沈黙の後、サイは目を伏せたまま尋ねた。
痛いところを突かれた。
ユアンは、サイとの結婚話が持ち上がってから、リイのことを忘れていた。忘れたふりをしていたのかもしれない。
サイが指摘した通り、リイは表向きホンで幽閉生活を送っており、未だ正式な彼の妻である。
実際には、数年にわたり行方不明のまま、生死の別さえ定かでない。
「これほど長い年月の間、行方がわからないということは、既に命を落としている可能性が高いでしょう。法王にはこちらの意向を伝え、内々に承諾をいただきました。あなたの了解を得たら、正式な手続きを進めます」
説明しながらユアンは、リイと仕事をしたことや、我が子を失った後の、彼女の暗い表情を思い出した。
楽しかった筈の新婚時代を思い起こそうとしても、無駄であった。
サイには否定してみせたが、仮にリイがイル教の教祖だとしたら、ワ教にはむしろ、死んだと思わせた方が、彼女にも好都合ではなかろうか。
彼は後ろめたさを覆い隠そうと、そんな風に考えたりもした。
「了解?」
サイの声で、ユアンは我に返った。
彼女は未だ目を伏せたままで、先の言葉は彼に向けて投げられたものではなかった。
彼は緊張して続きを待った。
通常、貴族の娘の結婚は、保護者に絶対の権限がある。当人がどれほど嫌がろうが、保護者同士の同意と手続きにより、正式に成立する。
それは、娘が修道院に入っていても変わらない。保護者の意向で、還俗させることが可能である。
しかし、今のサイは曲がりなりにも司教であった。
形式的にでも、同意を得る必要がある。
万が一、彼女が反発すれば、事が成就するまで、リイ以上の監視下に置かねばならない。これは、法王の意向なのだ。
それは、彼の望むところではなかった。
「ワ教において、娘は保護者の意向に逆らってはいけない、と教えられました」
再び開いた彼女の口からは、諦めが滲み出ており、伏せられた表情にほとんど変化のないことが、彼の胸に刺さった。
二人の間に沈黙が落ちた。
「ユアン様に、お願いがございます」
サイが目を上げた。