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ユアン 反響

 ユアンは文書庫から彷徨(さまよ)いでた。読み終えた一束の書類を、どのようにして係の者へ返したかも記憶にない。

 我に返ったのは、出迎えたシャオの得意気な顔が、視界と行く手を(ふさ)いだからであった。

 彼はハルワへ呼び戻された後、晴れてハルワティアンで司教の位に就いていた。


 「いかがでしたか、ユアン様。これで、サイ殿の身元が明らかになった訳です。彼女は孤児院で名付けられたそうですが、母の名がナイであったとは、これも唯一絶対神のお導きでしょう」


 ユアンと並び歩きながら、シャオが言う。彼は他にも様々な事を喋り散らしたが、ユアンはほとんど聞いていなかった。

 あまりに多くの新事実を一気に知らされたので、胸焼けを起こしたような具合になっていた。

 そもそも彼がハルワティアンを訪れたのは、クインの勧めによるものであった。


 「サイ司教の身元を知りたくございませんか。あの方は、サパの将来を左右し得る力をその身に宿しております」


 彼の言を鵜呑みにはしなかった。サイがユアンの父の紋章をあしらった首飾りを身につけていることを偶然見知り、かつて彼がしたと同じ推測を巡らせた可能性もあった。


 折よくハルワ行きの機会があり、彼はシャオと旧交を温める口実で立ち寄ったのだが、彼は待ち構えていたようにユアンを文書庫へ案内したのであった。


 「本当に明らかになったと言えるでしょうか」


 タイの異父妹なるナイは、ヨオンの恋人であった。このヨオンはサパの大貴族、ソオンの息子と同一人物であろう。

 タイが妹から貰った指輪の内側にはクィアンの紋章が刻まれており、ナイが彼の娘であると証していた。

 つまり彼女がヨオンの子を産み落としていれば、その子はクィアンの孫でもある。


 一方、ユアンの父がタイに与え、彼女が妹に渡した首飾りは、サイが母の形見として持つ物と同一と見てよい。

 しかし、サイの母がすなわちナイである証拠はない。いつかトウが忠告したように、彼女がナイから盗んだ可能性も絶対にない、とは言い切れないのである。


 「何ですって」


 シャオは、話の流れをまるで無視して発せられたユアンの声に目を丸くしたが、すぐさま立ち直った。


 「お疑いになるのも無理はない。私たちも、真実を知った時には大いに驚きました。これこそまさに、唯一絶対神の御業(みわざ)です。よろしい。これから更なる証拠をお見せしましょう。いずれサイ殿に贈るつもりで梱包してしまったのですがね」


 二人はシャオの部屋へ入った。執務室と私室が続き部屋となっていた。

 彼は問題の包みを持ち出した。もったいぶった前置きとは裏腹に、彼の手は躊躇いもなく包みを開き、中身を(あらわ)にした。


 「あっ」


 ユアンは驚きの声を抑えられなかった。サイの肖像画がそこにあった。よく見れば、彼女ではあり得ない。彼の母が着ていたような、古い型の衣装に身を包んでいる。


 「タイとナイの姉妹が母と住んでいた部屋の物入れに、残されていたものです。唯一絶対神の肖像として、後の住人が知らずに飾っておりました。ヨオン様も似た絵をお持ちだったとか。これほど明らかな証左もないでしょう。どうぞ、ご覧ください」


 シャオの言うのは、ヨオンが愛蔵し、後にサイへ譲った絵であろう。初めてそれを目にした時、サイに似ているという印象を持った。

 当初は古い絵と知らず、ヨオンが彼女を恋慕しているのではないか、と疑いを抱いたほどである。

 それは眼前の肖像画とほとんど同じ構図であり、同じダン=トンの手になる絵であった。


 ヨオンがナイと離れた後、思い出のよすがとして画家に改めて描かせた、と考えれば筋は通る。これを見る限り、サイが彼女の娘であるのは、まず間違いない。


 「ユアン様。法王は、サパの将来を心底案じていらっしゃるのですよ。異端の件に続き、イル教徒の蔓延(まんえん)で、大層お心を痛めていらっしゃいます。サパの安定をご覧になれば、法王のご心痛も和らぐでしょう。私もサパに縁を得て、微力ながらお役に立てればと願い、手を尽くした次第です」


 「お心遣い、痛み入ります」


 ユアンは義務的に礼を言った。サイは彼の異母妹ではなかったが、母の死を招いた元凶の姪であった。

 彼女の母の肖像が、彼を見つめている。

 記憶にある異父姉のタイとは、まるで似ていないように思われた。


 事情を知らぬその娘にまで恨みを背負わせるのは、お門違いであった。

 元凶であるタイの所在も明らかになった訳だが、ユアンに復讐の気持ちは起こらない。

 あの女性は母親に死なれ、妹と生き別れ、都を追われ、流産するという辛酸をなめた。


 身を以て罪の償いをしたようなものである。過去を暴き立てたところで、母は生き返らない。彼女は彼の乳母でもあった。楽しかった思い出も残っている。


 それにしても、ワ教の調査能力には驚くべきものがあった。


 「クィアン殿とヨオン殿には、快く了解をいただきました。お二方ともユアン様のお心を尊重したいとのご意向で、サイ殿にもまだ明かしておられないのですよ」


 ユアンは、肖像画から目を引き剥がしてシャオを見た。


 「それは」


 どういう意味かと尋ねたら、彼は答えるだろうか。しかし問いを口に出す前に、ユアン自身が答えを見いだした。彼は努めて無表情を保った。


 「それは、すぐに決められる問題ではないでしょう。よく考えてみます」


 心なしか、シャオがほっとしたように見えた。

 間もなくユアンは、ハルワティアンを辞した。帰途の車中で、考えを巡らせる。


 法王の名の下にここまでお膳立てされたものを、異端者を出した側が断ることなど到底できない。

 クィアンとヨオンの賛意も、その意向を汲んでいよう。確かに法王は、サパを擁護するように見える。


 とはいえ、シャン五世の出自来歴に、ユアンまたはサパを贔屓(ひいき)する要因は窺えない。サイを女性司教に引き上げた後の処置に困り、弱みのあるサパに押し付けたと考えた方が、よほど筋が通る。


 そもそも始めから彼女を司教になど任命しなければよかったのである。その断絶から、ワ教の内部で何らかの方針転換があったと考えざるを得ない。

 彼はハルワ国王の言を思い出した。


 「偉大なる唯一絶対神の恩寵と皆のたゆまざる努力のお陰で、ハルワは日に日に豊かになっていく。サパ地方も辺境だからといって手をこまねくのではなく、新しい資源の開発にも力を入れる時代が来たのではないか」


 謁見の間中、ウェン王はしきりとサパの開発を勧めたものだった。


 「御心に添えるよう、努めます」


 そこで真意を王に直接問い質すようでは、無能の烙印を押されてしまう。王は、こうも言っていた。


 「人気のない山の中を掘ってみたら、ひょっとして金でも出るかもしれない」


 いつか、アン領主のシュイも、金の流通が増えている、と語った。


 トウがいた小屋の老婆は、山頂に近い井戸が急に涸れたり、羊がある場所へ急に近寄らなくなった、と嘆いていた。


 その山は、ドゥオ国との境である。

 国王は、かの国に金が出ると知って、ハルワ側から掘ることを思いついたのだ。大々的に掘れば、隣国と争いになるのは目に見えている。掘るなら内密に動くしかない。


 これで法王が方針転換を余儀なくされた理由は、読めた。金脈の採掘権を、法王が国王に譲ったのだ。もちろん、正当な採掘権は、サパ領にある。


 ドゥオ国境沿いに本当に金脈があるとしたら、かの国もハルワに金を掘らせまいとするだろう。

 シェン五世は自力で密かに採掘を目論み、ウェン王は、ユアンに危険な採掘を押し付けて、上澄みを得ようとしているのだった。


 すると、イル教騒動はドゥオ国の仕業だったかもしれない。かの国にとって望ましいのは、サパ地方の現状維持である。


 ユアンはそこまで考えを進め、リイの行方に思いを馳せた。


 イル教がリイと無関係とすると、彼女はどこへ行ったのか。

 やはり、クインが仄めかしたように、命を落としたのだろうか。



 サパへ戻ったユアンは、まっ先にクィアンを呼び出した。国王から示された開発の意向について簡単に触れた後、本題に入った。


 「サイ司教の身元について、ワ教の方から話があったと聞いた」

 「はい。彼女はヨオン殿のご息女で、私の孫でもあるとか」


 クィアンはあっさり認めた。用件を予想していたらしく、態度は変わらなかった。淡々とし過ぎるほど落ち着いていた。


 「疑わしいのか」

 「必要とあらば、私はどのような事実であっても受け入れることができます」


 彼は突き放すように言った後、ユアンの反応を抑えるように素早く手を挙げた。


 「ご存知の通り、私はついこの間まで、嗣子(しし)を得んがために行脚(あんぎゃ)を重ねてきました。その全てを記憶しているとは言えません。しかしながら今回の話は、満更あり得ないことでもなさそうだ、とは思いました。ユアン様はあの書類をご覧になったでしょう。少なくとも、指輪は確かに本物でした。私は実物を見たのです」


 クィアンがサイの出自を完全には信じていないこと、更にその考えを口に出したことが、彼には意外であった。

 彼が漏らしたように、ワ教が本気を出せば、あの程度の事実を作り上げるなどお手の物であろう。

 その全てが作り物である、と疑わなかった自分の間抜けさ加減に、ユアンは密かに腹を立てた。


 「いずれにしても、わざわざあちらが手をかけてくださったものを、私が根拠もなしに否定する必要はありません。そこで、ユアン様に委ねる、と申し上げました。実際、そうであれば私にはありがたい成り行きともなります」


 「サパにとっても、悪くない成り行きにはなるであろうな」


 苦々しさを(にじ)ませたユアンの口調に、彼は同調した表情を作って頷いた。


 「ソオン父子、特にヨオン殿の奥方筋は面白くないかもしれません。一度、期待に点いた火を消すのは、厄介です。しかし、先のことは誰にもわかりません。彼らの()()()()()が損なわれた訳でもありません。さほど気になさることはないでしょう。最も損害を(こうむ)るのはリイ様と、ユアン様のお心です。リイ様に関しては、ワ教の方で上手に事を運ぶでしょう」


 クィアンはそう言うと、ユアンの返事を待つように顔を見た。彼は非常に率直に話していた。

 ユアンも何かしら、彼に対する信頼を示さねばならないような気がした。


 「私はサパのために力を尽くすつもりだ。そのために心が痛手を負うことはない」


 次に呼び出したヨオンは、ユアンの話をほとんど上の空で、聞き流していた。


 彼は、ユアンが切り出す筈の本題に気を取られていた。本題に入るや否や、彼は(せき)を切ったように話し始めた。

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