リイ 領主の一人娘
「リイ様は、賢くていらっしゃいますこと」
というのが、侍女たちの口癖であった。そしてまた、
「リイ様はお美しくていらっしゃいますこと」
とも言われた。それらの言葉は、常に心からの賛嘆を伴って発せられた。幼い頃から、リイはそうした快い言葉を、ふんだんに浴びて育った。
リイは、ハルワ国に属するサパ地方領主ライの一人娘である。
サパ地方はハルワ国の辺境に位置し、北側を隣国との国境でもある険しい山岳地帯に阻まれ、南側に豊かな穀倉地帯を有する。
北方の住民は家畜を飼い、南方の住民は作物を育てて生活する。
野心を抱いて首都で名を挙げた者もおらず、わざわざ遠出するほど珍しい景観もなく、独自の特産物もない。
その代わり大きな災害もなく、家畜も健やかに育ち、作物も大方満足な出来で、住民はほぼ安寧に暮らしている、と領主は認識している。
「朝食をお持ちいたしました」
女召使いの声に、リイは目を開ける。別の召使いがリイの体を起こしてベッドを整えると、朝食を並べた大きな盆がリイの前に置かれる。
ベッドの脇には、盆に載りきらない紅茶ポットや砂糖壷などを置いた台が寄せられ、給仕が待機する。リイは、ベッドで朝食を取るのを習慣としていた。
焼きたてのパンは香ばしく、バターを塗る端から溶かしていく。マーマレードもたっぷり塗って、口に入れる。湯気の立つ紅茶には、新鮮な牛乳をたっぷり注ぎ、砂糖も入れてかき混ぜる。
バターをふんだんに使うオムレツはふんわりとして、ナイフを入れるとチーズがとろけ出す。カリッと焼かれたベーコンに特別調合したハーブを入れたソーセージ。すべての皿は、選りすぐりの食材に大勢の料理人がそれぞれ腕を振るったものである。
朝食を終え、リイはベッドから出て身支度を始める。予定は毎日びっしり詰まっていた。外出も多い。
出かける先に応じて、髪飾りや衣装を選ばなければならない。侍女が選んだ物に間違いがないか、確認するのもひと仕事であった。
「今日は奥様とご一緒に、ガルの孤児院と修道院を回られて、その後修道院長と昼食会をなさるご予定です」
侍女が予定を告げる。別の侍女が、ドレスの候補をお披露目よろしく召使いに持たせて、部屋に入ってくる。
また別の侍女は髪飾りを並べた箱を持ち、また別の侍女は首飾りなどの宝飾品を入れた箱を持ってくる。
宝石箱を持つ侍女は、リイとは親子ほど歳が離れていた。長年側仕えをして、信頼のおける者が務めていた。リイはドレスと、ドレスに合わせて飾りを選ぶ。
最終決定が下されると、数人がかりでリイの着替えが始まる。
「おはようございます。今日も相変わらずお美しいですな」
着替え終わる頃を見計らったように、美容師が弟子を連れて現れる。師がリイの髪を整える間、弟子はリイの顔に化粧を施す。化粧の仕上げは師が行う。
支度を終えたリイは、輝くばかりに美しい。毎日のことながら、侍女たちが見惚れる中を、出かけるべく出口へ向かう。
玄関までの道のりは長い。
石を積み上げて造られた領主の城は、年月を経てなお堅牢である。通路のところどころには、先祖の偉業を讃えた絵画や、先祖が趣味で集めた品々が飾ってある。
代々の領主の肖像画は、玄関ホールを見下ろす壁に、ずらりと並んでいる。現領主である父ライの肖像画は、既に完成している。隣接する空白は、いずれ掲げられる予定の、リイの肖像画の分である。
「おはよう、リイ。遅かったこと」
「お待たせしました母上」
玄関に横付けされた馬車には、母リウが乗り込んでいた。足元にはドレスの裾に隠れるように、布袋が置いてある。リイは挨拶と待たせた詫びを述べながら、御者に手を預けて馬車へ乗る。
馬車の上にもまた、大きな布袋がいくつか載っていた。
リウが御者に手を振ると、馬車は御者の威勢よい掛け声と笞を合図に動き出す。
城は小高い丘の上に建っており、麓の町であるガルへ至るまでには、長い坂道を下らなければならない。
道の途中からは、教会の尖塔を中心に広がるサパの町並みと、その周辺の田畑を臨むことができた。
尖塔を持つ大きな教会は、城を取り囲むようにして三つある。中でもっとも大きな教会は大聖堂と呼ばれ、城の正面に向き合うようにして聳え立っていた。御者は丘を下り切ると、右へ左へと向きを変えながら、その正面の教会へと馬車を走らせた。
町は落ち着いていた。人々はごくのんびりと歩き、ときに立ち止まって道端で話し込む。石畳を敷き詰めた道いっぱいに広がって遊んでいた子ども達は、リイと母が乗る馬車を見つけるなり、素早く両脇へ寄った。
「リイさま~、おくがたさま~!」
道の端から精一杯手を伸ばし、ちぎれんばかりに振り回す。リウが足元の袋に手を差し入れ、取り出した物をリイに渡す。リイは馬車の窓から、それを投げる。
白く細い腕から、ぱらぱらと撒かれるそれを、子ども達は歓声を上げて受け止めようとする。大抵は地面に落ちる。落ちた物を拾う者、なお馬車を追いかける者、と子ども達は二手に分かれる。
リウも自ら手を振る。追いかけてきた子ども達が、勝ち誇ったような声を上げる。馬車はすぐに、子ども達を置いて走り去る。
「今日はマカロンなのね。落ちた分が、割れていなければいいけれど」
リイが手に残った物を開いて覗く。小さな布切れに包まれているのは、甘い菓子であった。子ども達は菓子を食べ、包み布を母親に渡す。
母親達は、集めた布切れを縫い合わせる。それが小物入れや、ときにはベッドカバーにまで化けることを、リイは知っていた。そうした作品が、修道院のバザーで売られていたり、孤児院で使われている場面を見たことがあった。
「割れても、食べられます」
リウが、窓の外に顔を向けたままで応じた。その表情には、施しの喜びもない代わりに蔑みもなく、長年の習慣と化したが故の無感動が表れていた。
しかし必要とあれば、リウは善意に溢れた魅力的な笑顔を、たちどころに浮かべられることを、リイは知っていた。
二人は、その後も幾度かマカロンを子ども達にばらまいた。その度に、子ども特有の甲高い喜びの声が上がった。
角を曲がる度に、特徴のある尖塔の一群が、新たな部分を現す。
町で最も大きな教会は、最も古い教会でもあり、サパ領主ライの一族が信奉する神を称える建物であった。
教会は、領主一族のみならず、サパ地方で最も多くの信者を持ち、ある意味最大勢力とも言えた。
ハルワ国では、公式には国としての宗教を決めておらず、個々の信仰に任せる建前であった。
そのため、国民は様々な宗教を信奉しながら、共に日常生活を営んでいた。
サパ地方同様、ハルワ国全体においても、最も多くの信者を抱えるのは、唯一絶対の神を信奉するワ教である。
ハルワ国王を始めとして、多くの領主が信奉するワ教は、実質的にハルワ国教と言っても間違いではない。
ただ、国民に信仰を強要しないだけのことである。
ワ教の教会は、秩序だった組織で統制されており、教会の意向は、ハルワ国王すらも無視できないと言われている。国名であるハルワのワは、ワ教のワから取った、という説まであった。
ワ教の教えは、その組織に体現されていた。
信仰の頂点である法王の上には唯一絶対神があるのみで、世界の全てはワ教の組織と同様に、正義に基づき上から下へと秩序を守って生活するのが正しい在り方である。
国王は領主を治め、領主は領民を治め、領民の家長は家族を治める義務があるのと同様、家族、領民、領主にも治められる義務がある。ただし、国王と法王の関係については、正確には様々な説があって決定しない。
現在の定説は、国王は法王から世俗の部分を預かる存在であり、法王の一部分である。また、法王は国王から神に仕える部分を抜き出した存在であり、国王の一部分である。従って、国王と法王は元は一体にして同等の存在である。
ワ教の次に広く信奉されているのは、ヨ教である。
教義上、大地を神としているが、実際のところは大地から生まれたと考えられる様々な事象、例えば山や川、雨などをそれぞれ神としている。
そしてヨ教信者は、各々の生活に身近な存在を大地神と並べて特に念入りに祀る。その祭壇を見ると、神の象徴が林の如く、大量に棚を埋め尽くす家もあった。
唯一絶対神を奉じるワ教からすれば、神がそのように大勢存在するという考え自体、受け入れ難いことであった。
ワ教の熱心な信者がヨ教をして『犬の糞でもありがたがって拝む』と揶揄する所以である。
対してヨ教側は、ワ教の神も彼らの信奉する大地から生まれた、と考えている節がある。
ごく稀にではあるが、ワ教の神とヨ教の大地神が仲良く並んで拝まれる例もあるという。当然その祭壇はヨ教信者のものである。
ヨ教としては、ワ教の信者が祈る対象もヨ教の神の一部分なのだから、大目に見ようと考えているようだ。そうした見解を、教団として正式に発表したことはない。
ワ教がそうした考えを許すとは、到底思われない。
教義についてワ教とヨ教の教会関係者が真剣に論じ合った記録はなく、公の対立は避けられている。
こうした事柄から、一般に、ヨ教の信者は概ね穏やかである、という印象を持たれている。
それには、農業や牧畜業に信者が多い事情も、含まれている。
厳密に数えれば、単純な信者の数では、もしかしたら、ヨ教はワ教を上回るかもしれない。
それでも権勢は、支配者階級に信者の多いワ教が圧倒している。
同時に、ヨ教が政治に影響力を及ぼそうという動きも見られない。
他教の信者を、ワ教の神の偉大さに気付かぬ哀れな人間、と考えることもできる。それでワ教もまた、ヨ教を大目に見ているのである。
他にも宗教は存在する。遥か昔に死んだ、行いに優れていたと伝えられるある一人の人物を崇める宗教や、特定の物、例えば人骨に似た形をした天然産の金属を神の化身として崇める宗教、また、あらゆる具象を排除する宗教などがあり、それぞれ小規模ながら一派をなしていた。
ワ教のように、目立つ教会を建てる宗教ばかりではない。
それに、他教の指導者が必ずしも領主の庇護を求めるとは限らない。
よって、領主はもちろんのこと、国王もワ教とヨ教以外の宗教については、ほぼ認知していなかった。