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リイ 露見

 「じゃあ、二人とも、あっちを向いててちょうだい」


 裏通りとはいえ、建物の外には違いなく、人通りもなくはない。

 リイにとっては、衆人環視の中で裸になれ、と言われたも同然である。


 ところがジアは、ジンの非常識な要求を、当然のように受け入れた。

  彼女が彼にそこまで従う理由があるのだろうか。それとも、リイのために耐えているのか。

 ジアが着替える間、残る二人は所在なく通りを向いて並び立った。一応は、彼女を自らの体で隠す形となった。


 「あなたと彼女は、どういう関係なのかしら」

 「うん? 奴は、なかなかいい奴だよ。うん」


 ジンは鼻毛を抜きながら、不明瞭な発音で言った。それから、抜いた鼻毛を吹き飛ばした。

 ジアが着替え終わるまで、たまたま通行人がいなかったのは、幸いだった。



 アン領主シュイの館は、コンの町の高台にある。港の狂騒とはまた違った雰囲気の、賑わしい披露宴であった。


 祝賀客を乗せた馬車の列は、果てしなく続く。広い庭が開放され、客をもてなす催しが行われていた。

 食べ物も飲み物も、有り余るほどで、芸人たちにまで惜し気もなく振る舞われた。


 どこもかしこも人でいっぱいである。主役の花嫁花婿も着飾った参列者に埋もれるほどだ。

 花婿のシュウは、御年十八である。花嫁は名をランといい、ジュウ国の商家の出であった。


 「十三歳になられたばかりですって」

 「花の(つぼみ)のように可愛らしいそうよ」


 ジンの手蔓(てづる)で宴に潜り込んだリイは、踊るジアを横目に庭を歩き回ったが、シュイを見出すことができなかった。


 ジアの踊りは、なかなか堂に入っていた。

 普段の(つや)っぽさからは想像もつかない、少女を思わせる中性的な体つきをしていたのは意外であった。


 そのしなやかな体を肌も(あらわ)(なまめ)かしい衣装に包み、瞳の動き一つ、十指の先まで彫刻のように完璧な角度で魅せる。

 たまたま目を向けた者も、通りかかった者も、男女を問わず足を止めて彼女に見入るのだった。

 ジアが踊り終えると、盛大な拍手が起こり、一層周囲の注目を集めた。


 「あんまり目立ち過ぎるなよ」


 ジンが、小声で注意する。

 彼は、そのまま彼女を客から引き離した。宴の熱気に当てられたリイの目に、ちらりとシュイが映った。

 彼女は役に立ち返り、二人の主らしくジアを連れてアン領主の前へ伺候(しこう)した。


 順番待ちの列ができていた。シュイと側近は手際よく客を(さば)き、リイは待たされた実感もないうちに彼と対面した。


 「この度は、ご子息のご結婚につき、心よりお慶び申し上げます。本日、めでたい宴にお招きいただき、ありがたき幸せに存じます」


 まずは型通り祝辞を述べ、拝跪(はいき)した。衆人環視の中で身分を明かしたり、本題を切り出したりする訳にはいかなかった。


 「うむ。お前たちの芸は、なかなか面白かったぞ」


 シュイも鷹揚(おうよう)に、型通りな受け答えをした。

 リイに気付いた様子はまるでなかった。変装の成功を喜んでばかりもいられない。

 長居を試みる間もなく、リイたちは後の者に押され、御前から下がった。


 ジンは落ち込みもせず、ジアと次の舞台を探し始めた。リイも仕方なく二人の後をついて回る。

 彼女は、次の踊りを見ることができなかった。太い柱の脇を通り過ぎる時、陰から呼び止められたのである。


 「領主がお待ちです。こちらへどうぞ」


 ひっそりと(たたず)む召使いから漏れた声も(ひそ)やかで、リイは危うく大声で聞き返すところであった。

 ジンを見た。彼は心得たように(あご)をしゃくり、すぐジアの方を向いてしまった。


 リイは召使いの後に従い、シュイの館に入った。庭の混雑にはほど遠いものの、行き来する人の姿が少なからずあった。

 彼女は、知った顔に出くわさないかと、ひやひやしながら(うつむ)き加減に足を運んだ。

 召使いの足が止まった。両側に、幾つもの扉が並ぶ廊下であった。彼は慣れた手つきで鍵を開け、リイを中へ(いざな)った。


 「こちらでお待ちください」


 窓がなく、何もない小部屋であった。彼女が入るや否や、召使いは扉を閉めて鍵をかけた。


 リイはぎょっとした。

 扉にとりついて把手を回すが、やはり開かない。


 アン領主はリイの変装に気付き、国王に忠誠を示すため、彼女を捕らえたのではあるまいか。それとも、ジンが裏切ったのか。

 彼女が呆然としている間に、再び鍵の開く音がした。

 慌てて飛び退いたリイの前に、シュイが姿を現した。


 「窮屈な思いをさせたかな。用心はお互いのためと思って、見過ごしてくれ」


 彼は扉を閉めながら言った。

 領主が部下も連れず、小部屋に二人きりで(こも)ろうというのだから、信用するしかあるまい。リイは頷いた。


 「それで、折り入って私に聞かせたい話とは」


 相変わらずシュイは変装に気付いた様子を見せなかった。

 リイは自ら正体を明かすことなく、ドゥオ国貴族のツァオから聞いた話を打ち明けた。情報主の身元は伏せた。


 彼は特段の興味を示さず、しかし最後まで話に耳を傾けた。


 「それで、サパ地方が法王に狙われているということを、是非ともユアン様にお伝え願いたく存じます。シュイ様も、ワ教の法王と背中合わせで暮らしたいとは思われないのではありませんか」


 話すうちに熱が入り、リイは芸人風情としては過ぎた言葉を口走ってしまったが、シュイは聞き流した。


 「今の話はなかなか重大だが、果たして証拠があるのかな。直接サパ領主に告げれば済む話だ。敢えて私を介する理由があるとも思えない。流言の罪に(おとしい)れるためでなければ、他に何があろう?」


 そういう彼の態度は、実に落ち着いていた。

 リイは全て見透かされた心持ちになった。相手に見抜かれることと、自ら白状することは、別の問題である。何を話し、何を隠すべきか。

 彼は彼女に(いとま)を与えなかった。


 「幸い、今日は息子の婚礼で来客が多い。サパからは、ヨオン夫妻が見えている。彼に話してみてはどうかな」


 ヨオン()()、という言葉が、リイの注意を奪った。その隙に、シュイは扉の向こうに消えた。

 サパのヨオンと言えば、間違いなくソオンの息子である。


 リイがサパを出るまで彼は独身を通していたが、その理由としてリイに心を捧げた、という噂が(ささや)かれていた。

 噂を本気にした覚えはないのに、彼女はいつの間にか、彼が独り身のままと思い込んでいた。

 大貴族の跡取りが、いつまでも結婚しない訳にはいかない。時は確実に流れていた。


 つかの間感傷に浸ったリイの耳に、またしても鍵をかける音が届いた。

 やはりシュイに見破られ、裏切られたのだろうか。しかし、閉じ込められたとの心配は、杞憂(きゆう)であった。


 すぐにあのひっそりとした召使いが、リイを部屋から連れ出した。


 アン領主の姿は、既にない。他の小部屋へ入ったのかもしれない。

 彼女は召使いから金袋を渡され、庭へ解放された。


 小さいながらずっしりとした重みが、情報の対価なのか踊りの報酬なのか、彼女には判断しかねた。


 ヨオン夫妻を探す気は毛頭なかった。ヨオンには変装を見破られるかもしれず、その時彼が彼女を(かば)う自信が、どうしても持てなかった。


 「ほほう。旦那、上手いことごますりした甲斐が、あったってもんですなあ」


 ジンの元へ戻ると、彼は目敏(めざと)く金袋の大きさを確かめた。ジアの踊りは好評で、こちらにも招待客からご祝儀が降り注いでいた。



 三人は折りをみて踊りを切り上げ、宴を抜け出した。

 延々と続く祝宴には、新たな芸達者が次々と到着しており、後進に道をあけようとする彼らの態度は、大いに歓迎されこそすれ、引き止められはしなかった。


 ジンは町で馬車を拾った。


 「ドンのワ教教会まで」


 御者に命じるのを聞いて、リイは驚いた。

 彼女の驚きをよそに、彼は窓を閉めるとジアに着替えるよう言った。彼女は早速従った。


 「これからどうするの?」

 「俺には俺の仕事、あんたにはあんたの仕事がある」


 ジンはいつになく険しい顔つきであった。

 シュイとの会見結果を聞く必要もないほど、事態が深刻に向かっているとしか思えない。

 無駄を承知で訳を問い(ただ)そうとしたリイは、ふとジアに目を向け、今度こそ仰天した。


 「ジア。あなた、胸」


 着替え中の露になったジアの胸は、綺麗に真っ(たいら)であった。手や首筋の感じから推して、彼女が幼女である可能性は、まるでない。

 如何に痩身(そうしん)といえども、年端のいった女性の胸が、これほど平かであることは考え難い。


 「そうよ。あたし、男よ。知らなかったの?」


 彼女はつまらなそうに言うと、さっさと服を着た。裸身が隠れると、ジアはどこから見ても女性としか思えなかった。

 リイは(つつし)みを取り戻し、彼女から目を逸らした。


 疑問はたくさんあった。何故女性の振りをして生活しているのか。ジンとはどういう関係なのか。

 いずれも立ち入った質問であった。


 リイは話題を変えようとジンを見たが、会話の続きをするには機を逸した感があり、他に話すことも思い浮かばなかった。

 結果、三人はそれぞれに沈黙を抱えたまま、馬車の時を過ごした。



 ドンはアン地方の一地区で、コンの隣にある。サパ地方のチン地区に似て、特に何があるという話を聞かない。


 ドンの教会は、ワ教の施設としてはアン地方随一の規模と聞く。

 ハルワ国王までもが信奉するワ教の本格的教会が、このような場所にしかない事実は、アン領主に一定の不利益をもたらしているに違いない。


 不毛としか形容し難い荒れた景色を眺めながら、リイはとりとめもなく考えた。しかし、教会自体は不毛の荒野に孤立してはいなかった。


 ドンに入って間もなく、早くも姿を現した建物群は修道院や孤児院までも併設し、緑なす田畑に囲まれ、そこだけ別の世界を作り上げていた。


 サパのメン地区のように、豊かでのどかな田園風景とはいかない。修道士たちの開墾(かいこん)の苦労が、未だに(しの)ばれるような有様であった。


 それでも彼らが逆境にめげず精進を続けた成果を目の当たりにし、リイは同じワ教信者として誇らしく感じた。

 すぐに、自分たちが異端のイル派とみなされている事実を思い出す。


 ジンの目的は何か。改めて問う前に、馬車は速度を緩めた。


 蹄の音を聞きつけたのだろう。建物の中から数人が出てきた。


 彼らの前に馬車が止まるころには、ジアはすっかり女性らしく、しかも堅気の身に支度を整えていた。

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