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リイ 潜入

 ジンがリイを伴う回数は少なかった。彼が留守の間、彼女はしばしば町へ出かけた。

 時間が経つにつれ護衛の数も減り、せいぜい一人か、まるっきりいないことさえあった。


 町を歩くのは面白かった。道行く人は、誰もリイに目を留めなかった。

 常に注目される身分であった彼女は、自分の姿が見えなくなったのかと疑った。


 人びとに姿が見えると納得すると、今度は自分で思うほどには美しくなかったのではないか、と悩ましくなった。

 確かにリイは、絶世の美女とは言えなくとも、そこそこ美しいぐらいには考えていたような気がする。

 周囲は、リイの地位に注目していたのに、彼女は自身の魅力であると勘違いしていたのだ。


 「そんなこと、ないわよ。イルは美人よ」


 思い余って相談すると、ジアは大袈裟(おおげさ)に慰めた。

 彼女は、リイを化粧台へ引っ張って行った。

 ジアの手は、ごつごつとした硬い感触で、苦労の跡が忍ばれた。彼女は手早くリイの髪を整え、顔に簡単な化粧を(ほどこ)した。懐かしいリイの顔が現れた。


 「ほうら、ご覧なさい。ちょっと手入れしただけで、こんなに綺麗になるなんて、元が美人じゃなくちゃ、できないことよ」


 そう言って鏡のリイを覗き込むジアも、なかなか美しかった。


 「それだけ、あたしの腕がいいってこと。美人を目立たなくさせるのだって、結構大変なんだからね」


 「そうね。ジアは確かに凄腕ね」


 互いに笑って、リイの気も晴れた。


 ジアは、決してリイと一緒に外出しなかった。

 理由について、彼女はそれは自分の仕事ではない、という言い方をした。


 リイは単なる散歩に誘ったつもりだったが、そう言われると、怠けていると非難されたような気持ちになった。


 以後、彼女はジアを誘わず、勝手に出かけることにした。


 彼女たちは、ツォ河口近くに住んでいた。

 河口には巨大な関所が設けられ、河を遡上(そじょう)するには、決まった手続きを取らねば通過できない。

 チュン海に面した港でも、似た手続きを取る筈であるが、関所のような封鎖目的の建物がないせいか、開けた印象を受ける。


 広がる海を(ふさ)ぐ建物を、作ることはできない。

 ちょうどアン地方のコンと同じように、ここでも人と物の往来が激しかった。


 (うなぎ)を入れた(つぼ)、羽毛を詰めた袋、水神壷を並べた箱がずらりと並ぶ様は、この地ならではの光景であろう。


 市場も、散歩には楽しい場所であった。海産物を売る店の他に、(あし)を使った敷物の店も目立った。

 暑い地方では、貴賎(きせん)を問わず必需品(ひつじゅひん)なのだそうである。


 町をぶらつくうち、市場の外れに人だかりを見つけた。近寄ったリイは、どきりとした。

 ワ教の司教が、辻説法(つじせっぽう)をしていた。


 「唯一絶対神は、あなたがたの行いを、至大漏(しだいも)らさず、ご照覧(しょうらん)なさいます」


 立ち去りたいが、(きびす)を返した途端に見咎(みとが)められそうな気がした。

 リイは異端の宣告を受け、本来幽閉中の身である。ワ教は、追っ手をかけているに違いない。

 彼女はこっそり周囲を(うかが)った。

 当の司教を始め、見知った顔はない。男装していることもあり、彼女は一安心した。


 「私たちワ教の教会では、司祭に、いつでも安心して悩みを相談することができます。彼らは唯一絶対神との強い結びつきにより、あなたの心配を取り除く助けとなるでしょう」


 司教の辻説法など、以前にはおよそ考えられなかった。それだけ法王が、イル派を警戒しているのだ。


 リイは元々ワ教信者である。異端とされようが、彼女の神は唯一絶対神である。

 イル派の中心人物は、ジンである。新しい宗教を始めたつもりはなかった。法王がサパを(あきら)めた確証があれば、すぐにでも手を引きたい。


 ただ、これだけ事が大きくなると、簡単には引けそうにない。イル派が消滅すれば、法王は再びサパへ食指(しょくし)を伸ばすだろう。彼女は先の手を考えねばならない。


 「ご一緒に、教会で祈りましょう」


 聴衆が散り始めた。司教自らの呼びかけにも、残る者はなさそうである。

 胸の痛みを感じつつ、リイも人びとに(まぎ)れてその場を去った。



 ジュウ国とハルワ国は、チュン海で(つな)がる。ツォ河口からアン地方のコンまでは、上陸時間を除くと、早い船を使えば一日で往復する距離である。


 リイは数週間前、ジンにコンへ行きたいと話していたが、本当に実現するとは思わなかった。更に、ジアも同行すると聞き、二度驚いた。


 「俺とあんたがのこのこ出かけたら、怪しまれるに決まっているだろうが。ジアが踊り子になって、俺は召使いになる。あんたが俺たちの主のふりをして、上手いこと潜り込むんだよ」


 ジンがいつもの調子で言った。リイは未だに彼の顔を、()()で思い出せなかった。


 「どこへ?」

 「領主の息子の披露宴だよ。あんた、元の身分で堂々と会うつもりだったのか」


 まさに彼の言うつもりであったので、彼女は言葉に詰まった。

 アン領主のシュイは、ヨ教信者である。だからといって、ワ教に追われる人物を(かば)い、敢えて法王の気分を害する理由はない。

 ワ教信者の国王に仕える異教徒領主としては、捕らえて突き出すくらいの忠誠心を見せてもおかしくない。


 「披露宴に潜り込みさえすれば、会ってくれるの?」


 周囲に感化され、リイの言葉遣いも崩れてきた。


 「当ったりめえだろ。今まで、俺が間違ってたことないだろ」


 ジンの言は、今のところ正しい。しかしながら、見たところ貴族でもなさそうな彼が、何故アン領主と会う手筈(てはず)を整えられたのか、疑問が残る。


 訪問に当たってリイが元の身分を念頭に置いたのは、サパの元次期領主であれば、門前払いはない、と考えたからである。

 彼女は疑問をぶつけた。


 「へっ。これだからワ教信者は頭が固いっつうんだ。そんなもの、俺より奴に聞いてみな」


 奴、とはシュイを指すらしい。リイは追及を諦めた。


 三人は、港からコン行きの船に乗った。船足の遅い小舟であるが、一日に一便の割合で定期便があった。

 桟橋(さんばし)で所定の料金を払うだけで、検査もなく船に乗ることができた。


 ジンは旅回りの役者のような格好が、天職のように似合っていた。リイは身分の高い男性の()()である。

 ジアは踊り子の割には地味な出で立ちで、大きな袋を背負っていた。


 客の人数が少ない割に、船は満杯であった。各々荷物を抱えている。


 どうやら、商人たちと乗り合わせたようであった。自前で船を買ったり雇ったりでは商売にならない小商(こあきな)いであろう。

 彼らの多くは互いに顔見知りらしく、親しげに言葉を交わしていたのが、リイたちの姿を見て一斉に口を(つぐ)んだ。


 「おう。あんたらも、結婚式でひと(もう)けを企んでるんだな」


 沈黙を全く意に介さず、ジンが誰にともなく声を張り上げた。

 近くにいた老婆が応じた。彼女の背丈ほどもある袋から、およそ人間の物とは思われない大きさの、男性の一部がはみ出していた。

 コンの岩にちなんだ彫り物を売りに行くらしい。コンの岩は、授産に(げん)ありとて、半ば観光地化している。


 「あたしらは、毎日こまめに稼いでるよ。見かけない顔だけど、何の商売だい?」

 「俺らは、毎日やったら飽きられちまうからなあ」


 ジンの大声に、船内から笑いが漏れた。ジアもくすくす笑う。リイは別におかしくもないので、澄ましていた。


 「お祝い事で財布の紐が緩んだところへ、芸を見せて、おこぼれに預かるつもりだ」

 「へええ。そうかね」


 わかったようなわからないような説明であったが、彼らは納得したようである。再び船内にお喋りが満ちた。

 ジアが、リイにしなだれかかる。


 「船酔い?」

 「馬鹿ね。小芝居よ」


 彼女はくすくす笑いながら(ささや)いた。傍目(はため)には男女の仲と見えるであろうか。

 リイは男装を改めて意識した。これから行く場所は、領主の館である。散歩では済まない。


 船は絶え間なく揺れ続けたが、酔いを訴える者は出なかった。程なく見覚えのある景色となった。

 ハルワ国に入った。やがてコンの岩が見えてきた。例の有り難い形は裏側にあって、全く見えない。

 出帆する船とすれ違う度に、船は横波を受けて大きく揺れた。


 入港待ちの大きな船を抜いて、先へ進む。恐らく、慶事(けいじ)に普段より多くの船が集まり、入港制限がかかっているのであろう。


 アン領主の息子の結婚式は、相当盛大に行われる様子であった。

 息子も恐らくヨ教信者である。法王が特使を派遣することはない。

 ワ教関係者は、せいぜい地元の司祭である。リイはほっとしたが、すぐまた緊張した。

 アンはサパと隣り合う。ユアンが来ているかもしれない。


 「着いたぜ。さあ、ひと儲けだ」


 ジンが立ち上がりざまに伸びをした。ジアが離れ、リイは我に返った。

 船は桟橋に(いかり)を下ろしていた。身軽な彼らが先に下船しなければ、荷物の多い乗客の邪魔になる。

 三人は急いで岸に渡った。


 港は大混雑であった。人も多いが荷も多い。通路であるべき場所にも荷が山積みとなり、足の踏み場もなければ見通しも利かない。


 後から入った船は荷を降ろす場所がないと見るや、既にある他人の荷に無理矢理積み上げるか、他人の荷を脇へ投げて空けた場所へ積み降ろした。


 誤ってか故意か海へ落ちる荷もあった。たちまち怒号が(ひび)き渡る。

 飛び交う音の量と大きさに、耳が麻痺しそうであった。


 鼻もおかしくなりそうであった。売り物とは思えない臭いが、鼻を不意打ちすることもしばしばあった。

 一つ一つの品はよい香りでも、入り交じれば不快に感じることもある。


 人の熱気が、積荷の温度を上げるのだ。

 三人は人と荷と罵声とにもみくちゃにされながら、港を移動した。リイは、二人とはぐれないよう必死であった。

 知った顔があったとしても、見分ける暇はなかった。


 「ふへ。思ったより凄えなこりゃ」


 人いきれでかいた汗を拭き拭き、ジンが息をついた。三人は港の混雑を抜け出し、町の裏通りに来ていた。


 猫でも避けそうな陰鬱(いんうつ)な路地にすら、人影が見え、喧噪(けんそう)が聞こえてくる。

 徒歩では、リイには方角が掴めない。果たして無事に領主の元へ辿(たど)り着けるのか、心配になった。


 「おい、ジア。ここで着替えちまえ」

 「えっ」

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