リイ 勧誘
ジュウ国はハルワ国の東に位置し、北方でドゥオ国、東方でフェル国と境を接し、チュン海に南面する。
気候はサパに似て、多少寒暖の差はあっても、年中温暖と称される程度である。
別名、河の国とも呼ばれる。ドゥオ国からツォ河、フェル国からディ河という二つの大きな河が流れ込み、国土を分断するように走る。
ディ河はやがてツォ河と合流し、チュン海に注ぐ。
これらの河はサパを流れる川と異なり、大型船が余裕を持ってすれ違えるほど幅が広く、底も深い。
一度に大量の荷を運ぶには、船が最適である。
そこでジュウ国は、国境で二つの河に関門を設け、船の大きさに応じて通行料を徴収している。
頻繁に国境を行き来する船には、有料で通行証を発行する。
これは事前にまとまった金額を出すことになるものの、毎日通行料を払うより割安になる。
余裕のある商人には、通行の手間を省く利点と併せて重宝される。
ジュウ国にとって、河川の通行料は、主要な収入源である。
そのため、二つの河の整備ばかりでなく、支流や水路の手入れも怠らない。
商人たちの度重なる要望にもかかわらず、支流を拡張しないのは、周辺住民の保護よりも、軍事上の問題であろう。
領土を占める大河からは、様々な物が採れる。
川魚や貝といった水産物のうち鰻は特産物とされ、水を引き込んだ養殖場まである。水鳥も多い。
ハルワ国との国境付近には、鉄鉱石と石炭を産出する鉱山がある。
炭坑については、ハルワと同一層との疑いから、長い間両国が緊張関係にあったが、互いに譲らず掘り進めていくうちに、どうも違うらしいということになって、一応の解決を見た。
更に掘り尽くす過程で、再び揉める可能性が残る。
そうした風土にあって、ジュウ国では水神教の信者が多い。
呼称からして、他の宗派からは海神教の亜流と思われがちであるが、両者は全く別の宗教である。
水神は河に住む神で、水のある場所を自由に移動することができる。雨や雪も水神の業とされ、雲は移動手段の一つと考えられている。
ただし、水神の姿は人に見えない。どのような姿をしているのか、誰も知らない。
勝手に姿を想像するのは自由でも、偶像化した物を拝むことは禁じられている。
河のほとりに多くある祠にも、人物像は見当たらない。
信者は日頃水神を拝むに当たり、合わせた両掌にすっぽり収まる大きさの壷へ水を汲み、祭壇に祀る。
庶民が用いる壷の多くは木製であるが、陶製や金属製、貝殻や石を磨いて作られた物もある。
平らな底から上に向けて幅を広げ、最後にややすぼめて口を開ける。
把手は付かず、蓋がないことも多い。表面には様々な紋様が施され、時には内側にも及ぶ。
紋様は抽象に留まらず、まるで水神の姿を描けぬ鬱憤を晴らすかのように、人物を始め動植物も織り込まれる。
それらは水神壷と呼ばれ、ジュウ国の特産物としても扱われる。
他宗派の信者が、飾り物として買い求めることもしばしばである。
水神教の信者は、壷がそのように扱われることに無頓着である。水の入った水神壷を土産として売り買いするならともかく、空の壷はただの壷に過ぎない、という理屈らしい。
ワ教と比べると、水神教の規律は緩いように思われる。
また、水神教の祠には、御使い、と呼ばれる聖職者が住む。
祠は立派な建物ではなく、祭壇のある大きな部屋、といった印象である。
祭壇しかない祠もある。
御使いは祭壇に間借りするように寝泊まりし、信者から施しを受ける代わりに相談に乗るなどして暮らす。
そもそも御使いは水神の使いであるが、それを決めるのは信者である。
水神が力を分け与えた、と認められることが唯一の条件であり、特定の修行を必要としない。
従って、修道院のような施設は全くない。御使いの身分は恒久ではなく、水神が力を引き上げたと信者に認識されれば、終わる。これを、水神が去る、という。
御使いには長年苦労を重ねたような老人が多く見られる。中には、流れ者らしい得体の知れない人物もいる。怪しげな者も紛れ込んでいるに違いない。
それでも水神教の信者は、水神が去るまでせっせと御使いの面倒を見、相談を持ちかける。
いずれの宗教にも当てはまることではあるが、水神教もまたワ教の信者には馴染みにくい信仰であった。
リイがジュウ国に落ち着いて、二年近くになる。男装がすっかり板に付き、一人で出歩けるようにもなった。
水神教徒の多いこの国においても、ワ教は一定の勢力を誇っている。
法王お膝元のハルワ国には及ばないものの、教会や修道院が幾つも建ち、聖職者が求心力を常に高めている。
結束の度合いは、リイが入国した当初より強まっているように感じられた。
原因は、イル派勢力の台頭である。司祭たちは、ワ教の一派とみなされるのを嫌い、イル教と呼ぶらしい。
リイはイル派と呼ばれるものが、ジンの活動の結果であることを知っている。
彼はリイを連れてジュウ国へ入ると、彼女を残したまま、一人で何やら活動し始めた。
朝早くから夜遅くまで外出し、あちこち飛び回っているようであった。
そのうち、ジンがワ教の元神父や元修道士などを使って、ワ教の信者に働きかけていることが、リイにも薄々わかってきた。
初めのうち、彼女は彼の行動の意味が理解できなかった。
リイはその間、ほとんど実のある活動ができなかった。
ツァオからサパに対する法王の野望を聞き、それを挫く方法も授かりながら、具体的な手段を考えつかぬまま、ドゥオ国を後にしたのである。
何もしようとしなかった訳ではない。
彼女はまず、ユアンに相談しようと思った。ツァオは彼を疑ったが、彼女にしてみれば、いざという時に頼る相手も彼しかいない。
敵か味方かは、会って確かめた上で決めればよい。しかし、ジンは彼女の考えを一蹴した。
「今帰ったって、旦那と話す暇なんかねえよ。法王の手下どもに捕まって、即刻処刑だな」
幽閉先から遁走したからといって、領主の娘を法王が即処刑するなど、国王が許すものか、という反論は、口に出す前に消えた。
国王が法王のサパ領有に賛成ならば、よい口実が出来たとばかりに、自ら処刑を買って出るかもしれない。
悔しいが、彼の言う通りである。
故郷に戻るのをひとまず諦め、次に彼女は、ワ教の動きを探りに出ようとした。
これもジンに止められた。
「あんた、お尋ね者だぜ。人前に出たけりゃ、まずバレない方法を覚えなきゃ」
彼がどこからか連れてきたジアという女性に、リイは男装を教わった。
髪型や着こなしから、立ち居振る舞いに至るまで、女性ながらも腕は優れて確かであった。
リイよりも艶っぽい彼女が、男装術に詳しいのは、不思議なことであった。
ジアはもう若くはないが、これまで独り身を通していた。女性が結婚に頼らず独力で生計を立てている実例を目の当たりにし、リイは心を動かされた。
彼女は起居をも共にした。リイには他にも何人か護衛がつき、外出には常に同行した。
護衛というより、監視と呼んだ方がしっくりくる。
ジンには、こうした仲間が幾人もいるようだった。
男装が不十分な間、彼女は変装して出かけたが、この変装もジアが担当した。
召使いに囲まれ、人目のある生活には慣れている筈のリイであったが、ここでの生活は、幽閉された時よりも窮屈に感じることが、ままあった。
故郷の危機に追い立てられながら、実際の行動に移せない焦りもあった。
リイの考えに反対するジンの言うことは、いちいちもっともで、尚更自らの非力がもどかしく情けなかった。
終いに彼女は、ワ教の聖職者を片端から暗殺すればよいとまで考えた。それを聞いて、彼はげらげら笑った。
「おもしれえ。ワ教信者の姫様がここまで過激になるとは思わなかった。だがよ、そいつはいけねえ。殺しはどうしたって足がつく。奴らだって、命が懸かれば必死で反撃する。俺らが捕まるまでに、一体何人殺せると思う?」
男装がジアも認める域に達したせいもあろうが、そこから間もなく、ジンはリイを少しずつ彼の活動に参加させ始めた。
行ってみれば何のことはない。人の悩みを聞くだけのことであった。
水神教の御使いと同じような仕事である。
ただし、ジンが掴まえるのは主にワ教信者で、彼らは悩みを吐露した後、聖職者からイル派と呼ばれる教義を身につけ帰宅するのであった。
端から見ると、ジンは大層な聞き上手であった。
「とにかく相手の話を聞け。忠告してやろうなんて思い上がるな。まず聞け」
リイも彼の見よう見まねで幾人かの話を聞いたが、自分でも上出来とは思えなかった。
彼の腕前には敵わない。秘術でも使っているかのようであった。
イルはリイの変名と同じであるが、ワ教イル派にしてもイル教にしても、何故イルの名が冠されるのか、謎である。
その名を広めるのはジンとしか思えないのに、見る限り彼は潔白であった。
リイを連れて信者に会う時、彼は殊更イルという名を強調しはしなかった。むしろ、リイとイルを結びつけないよう気を配るように感じられた。
彼女も出先で名前を言う必要がある時には、無関係を装った。
「ワ教イル派のイル?」
「そうなんですよ。参っちゃいますよね」
さほど珍しい名前でもないらしく、彼女が怪しまれたことは一度もなかった。
おおらかな水神教徒の多い、ジュウ国ならではの反応とも考えられた。
リイ自身も信じられぬほど、イル派の勢いは止まらない。ねずみ算式に増えている。
その多くがワ教からの転向とすれば、ワ教に与える打撃は、暗殺などよりよほど大きい。
効果のほどは、目に見えて現れた。ワ教の教会に神父が増え、司教も派遣されてきた。
その分ハルワティアンが手薄になる。サパを乗っ取るどころではなくなる、というツァオの読みは当たるだろうか。
リイとしては、もう一つ確実な手を打ちたいところである。
ただ思いつくのは、ハルワティアンへ乗り込み、弱みを押さえる、といった現実味の薄い案ばかりで、平和裡な術策は浮かばない。
持てる力が弱いほど、考えることが過激になるような気がした。