サイ 元の部屋
「ここには、農産物ばかりでなく、意外な名物があるのですよ」
修道院の食卓で、院長が言った。
「銀細工です。銀は採れませんが、アン地方から安く仕入れることができます。ハルワの職人にも劣らない腕前を持つ者がいるのです」
ほおお。とマオが控えめに興味を示した他は、サイもシャオも儀礼上の相槌しか打たなかったので、院長はがっかりした。
案内役を買って、自慢したかったらしい。
食後、一行は個人の所有する礼拝室を何箇所か訪れた。
貴族や富裕の家に限らず、暮らし向きに余裕のなさそうな家にも、きちんと手入れの行き届いた礼拝の場が備えてあることに、サイは驚いた。
大きさは各家様々であったが、どの家も、ワ教の形式に則った点は同じであった。
行く先々でサイたちは歓迎され、祈りや記念の品を求められた。
母の形見以外に装身具を持たないサイは、彼らの求める品を与えることができなかった。代わりに、どの家でも家人と共に祈りを捧げた。
礼拝室には家人ばかりでなく、近所の人も詰めかけていた。
ある商家で、サイの祈りに感銘を受けたのか、婦人が失神する騒ぎがあり、誰かが彼女は銀細工職人の妻だ、という意味のことを叫んでいた。
修道院長が案内したがったのも、ワ教信者の彼女が、教会に貢献した返礼の意味があったかもしれない。
サイは、マオに彼女を家まで送り届けるよう命じた。彼があまりに嬉々として承知したのを不安に思ってか、シャオが付き添いを申し出た。
サイには司祭の案内がついていた。彼女は彼らが二人して行くことを許した。
イル教徒らしき人物を見つけたのは、シャオたちが不在の間のことであった。訪問先から出ようとした際、集まった人びとの中から、質問が飛んだのである。
「司教様。洗礼をもうちょっとばかり、早くしてもらう訳にはいかんのかね。うちの末っ子は、明日って時に逝っちまったんだけど、どうせなら、洗礼してもらってから逝った方が、よかったんじゃないかって思って」
その場で緊張したのは、司祭とサイばかりであった。
居合わせた人びとは、その問いに何の疑いも持たなかった。彼女は一瞬、そこにいる全員が、実はイル教の信者ではないか、という疑心に駆られた。
「命の長さはそれぞれです。洗礼の時期をいくら早めても、再び生まれ変わるべき定めの命を枉げることはできません。限られた命の間、慈しまれたという思いは、その子が次に生まれ変わる時の糧になるでしょう。唯一絶対神の思し召しに従えば、いずれ洗礼を受け、その御許へ近付く日が来るのです」
できるだけさりげなく、笑顔さえ作ったサイの答えで、人びとは納得したらしい。和やかな雰囲気が、場に生じた。
司祭が気を利かせ、質問した女性を馬車に招待する名目で、彼女を他から引き離すことに成功した。
彼女は、粉引きの妻で、名をフウといった。
サイは幾つか質問をして、彼女がイル教徒であることを確かめた。ただし、フウは自らをワ教信者と頑なに信じていた。
更に、サイは問いを重ねた。
フウはその考えを自分で考え出したのではなく、誰かから教わったには違いないことを認めた。だが、結局誰から教わったのか、具体的な名前や人物の特徴を思い出すには至らなかった。
「お客さんから教わったのかしら?」
「死んだ子の話なんて、知り合いは口に出さないよ。お互い気を遣うからね」
彼女の朧げな記憶を繋ぎ合わせると、その考えを吹き込んだのは、粉引きの夫や近所の誰彼ではなく、通りすがりのよそ者らしかった。
他にも同じ考えを持つ者がいるかどうか尋ねてみたが、フウは首を傾げるばかりであった。
「洗礼をいつするかなんて話、子供でも生まれなきゃ、する必要ないだろ? あたしだって、司教様がいらしたから、聞いてみようと思ったのさ」
もし彼女が典型的なイル教徒とするならば、信者同士の連携がないことになる。
それは、彼らの勢力を削ぐのが困難であることを表していた。
例えば、彼らが集会を開くならば、そこへ潜り込んで、一気に集団改宗させる方法も試すことができる。組織があれば、その中心を叩き、力を失わせる。一度に多くの改宗者を出せれば、ワ教の威信を広く知らしめる効果もある。
イル教徒には、そうした方法を用いることができない可能性があった。
まだ断定はできないが、現状では、見つけた端から個別に信者を取り戻すしかない。異端撲滅は、果てしなく遠い道のりであった。
ここに来て、ピセ地方で聞いたカオ司教の言葉が、実感を伴って思い起こされた。彼は、イル教徒改宗の仕事を、底なし沼に例えたのだ。
サイは、ひとまず目の前のイル教徒の改宗を試みた。
慎重に言葉を選びつつ、彼女の考えを、ワ教本来の考えに修正するよう話を続けた。
馬車の中で異端信者を改宗に導くため言葉を尽くすサイの脇を、のどかな田園風景が流れていく。とても奇妙な取り合わせだった。
ガラス一枚隔てた外側に広がる美しい景色に対し、薄暗い筺の中で言葉を操り、人の信じるものを変える行為はいかがわしいような気がして、サイはふと言葉を途切らせた。
幸いフウの方は、司教と対面して言葉を交わす貴重な機会に心躍らせ、サイの様子に気が付かずにいた。
「そうですよねえ。やっぱり洗礼は、生まれてから一年経ってするのがいいんだ。皆、ちゃんと考えて決まっているんだねえ」
フウは素直な質のようだった。サイとやり取りするうちに、元のワ教の教えに自然と立ち返っていた。
彼女を降ろした後、入れ替わりに、シャオとマオを馬車に乗せた。
倒れた婦人は、興奮しただけで心配いらないとのことで、サイは安堵した。
サイがフウの話をすると、二人とも驚いた。
「本当に、油断のならないことですね」
マオが言った。彼は送りついでに銀細工工房を見学できたので、機嫌がよかった。
気に入りの品を買い求めたかもしれない。相槌は打ったものの、上の空のように感じられた。
彼と対照的に、シャオは表情を曇らせた。司教補として、事の深刻さに気付いたと見えた。
サイは、実際にイル教徒と対面し、似た主張をどこかで聞いたような気がしていた。
しかし、揺れる馬車の中で記憶を辿っても、思い出せなかった。
メン地区でサイたちは、なお幾人かのイル教徒を見つけた。彼らは全て元ワ教信者であった。
信者同士で集まりを持たないことも、フウと同様だった。
一方で、彼らにイル教を吹き込んだ者を見つけることはできなかった。
イル教徒をそれぞれ改宗させた後、サイたちはハルワティアンへ報告書を送る兼ね合いもあって、一旦サパ地区へ戻った。
ガルの修道院長は、拠点を城へ移せ、という法王の意外な命令を預かっていた。
異端者を出したからこそ、司教が出入りしてさりげなく監視せよ、とのお達しであった。言われてみれば、もっともな理屈であった。彼女らは、すぐに移動の準備を始めた。
法王は同時に領主へ依頼を済ませており、既に城側は受け入れ準備を整えていた。
ユアンもクインも、サイの一行を歓迎する風であった。領主の方は、監視が目的であることを知らされていないのかもしれなかった。
一行に城の空き部屋を提供され、サイは以前と同じ部屋をあてがわれた。
部屋は時の流れを止めたように、記憶と寸分違わぬ有様に整えられていた。驚いたことには、召使いまで以前と同じ人物で、その上に一人増えていた。
「此の度は司教となられてのご帰還、おめでとうございます。またお側でお仕えできることを、嬉しく思います」
「ご立派になられて。大変なお仕事の中、お変わりなく過ごされたようで、よろしゅうございました」
ムウとワンは、それぞれ年を経て相応の貫禄を備えていたが、昔の面影を残していた。修道女時代から世話をした二人は、サイに親戚の娘のような気持ちを抱いている様子であった。彼女にとっても、それは心地よいことであった。
三人のうちで年少のヤンは最初、緊張していたものの、先輩二人から温かい励ましを受けて、終いには笑顔を見せた。
城へ移った早々、サイの一行はユアンから晩餐会に招待された。
長い食卓には、大臣たちと並んでヨオンの席もあった。彼だけは、年月に逆らい若返って見えた。
食事の席で、彼らはハルワの様子を聞きたがった。
サイはハルワティアンに籠って研究をし、奉仕活動で外の世界と触れ合う程度の生活だった。貴族が関心を持つような話題は持ち合わせていない。
マオも、大人しく食べることに集中していた。いきおい、シャオが話題を引き受けることとなった。彼は法王の活動ばかりでなく、国王や主だった貴族の動向にも詳しかった。
「メン地区へお出でになったそうですが、あちらの銀細工はご覧になりましたか?」
隣り合わせた大臣が、サイに話しかけた。
「いいえ。残念ながら、訪れる暇がございませんでした」
「それは惜しい事を。是非ともハルワからいらした方に、ご覧になって欲しかったですな。ウーという職人の腕前は、見事なものですよ」
「あそこの銀細工は、領主ご一家も、愛用なさっておられましたな」
反対側の席に着いた大臣が、口を挟んだ。ライは逝去し、リイは行方不明の中、リウの健康は未だすぐれないらしく、彼女は今宵もまた食卓に姿を現さなかった。
自然、一同の頭にそのことが浮かんだのだろう、気まずい沈黙が落ちた。
「そうそう。ついこの間、ヨオン殿も結婚式でお使いになりましたね」
向かいの席にいた大臣が、上手く話題を変えた。自分の名前を耳にしたヨオンが、娘のように顔を赤らめ、俯いた。
「大層若い奥方でしたな」
「また非常にお綺麗な方で」
「ヨオン殿が、可愛がられるのも無理ありませんな」
たちまち大臣たちは、明るい話題に飛びついた。長く独り身で過ごしたヨオンは、ごく最近になって結婚したのであった。
相手はクインの紹介で知り合った、ハルワの貴族である。
話の肴にされたヨオンは、恥ずかしがりつつも、満更でもなさそうであった。
ユアンも大臣たちも、努めて重い話題を避けた。自然、イル教徒の話は、全く俎上に載らなかった。




