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サイ 煙突掃除

 「おいこら、くそガキ。こんなところへ入り込んで何をやっていやがる」


 尻に激烈な痛みが走るとともに、サイは寄りかかっていた茂みから転がり出て目を覚ました。痛むところを撫で擦りながら顔を上げると、はや夜明けの光が空の色を変えつつあった。

 武装した恐ろしげな男三人の顔が、白く浮かぶ。道を教わった門番達とは、顔も格好も別人であった。


 「わ、私は人に頼まれて」


 「なにい? 人に頼まれて忍び込んだ、だと。こいつは、見逃す訳にはいかなくなったな。さては、お前、近頃世間を騒がせる盗みの手引きでもしやがったか」


 「違います」

 「とにかく引っ立てろ」


 話を聞こうとする者はなく、サイは男二人がかりで、その場から連れ出された。彼女は必死で振り返ったが、ホウが出てくる様子はなかった。

 サイがもがくのを、逃げ出そうとしている、と思った男達は、ますます彼女を締め上げた。彼女が連れてこられたのは、屋敷とは別に建てられた警備の詰め所のような一角であった。

 男達に放り出されたサイの腕には、彼らの指の跡がくっきりと残った。


 「何だ」


 部屋には何人かの同じような格好をした男達と共に、一人だけ机に向かって腰掛ける男がいた。

 床に投げ出されたサイを一瞥(いちべつ)して、口を開いた。サイを連れて来た男達は姿勢を正し、巡回中に召使い部屋の外に彼女が潜んでいたことを報告した。


 「誰ぞに依頼を受けて忍び込んだ、と白状したため、盗賊の一味である可能性も考慮して、連行した次第であります」


 「ご苦労だった。任務に戻れ」


 三人の男達は、(きびす)を返した。男は三人を見送ると、改めてサイを見た。


 「名前と住まい、主人の名を言え」


 一見してどこかの召使いである、と判ったようであった。サイは先程の三人に対してよりも落ち着いた気持ちで、素直に問いに答えた。

 男は傍らに立つ男を呼び寄せ、小声で命じた。命を受けた男は、数人連れ立って部屋を出て行った。


 「サイとやら。夜も明けないうちから、当屋敷に入り込んだ理由を言え。隠し立てすると、お前のためにならないぞ」


 隠す理由もないので、サイは、チャに頼まれてホウへ手紙を届けにきた顛末(てんまつ)を話した。

 間もなく、ホウが連れてこられた。

 ホウは、部屋の中にサイが立たされているのを見ても、何の感動も表さなかった。まるでサイを見知らぬ体であった。


 「ホウ、この子を知っているか?」

 「いいえ」


 サイは目を見張った。驚きの余り、抗議の声も出なかった。ホウは用は済んだとばかりに、落ち着きなく手足を動かした。


 「もう持ち場へ戻ってもいいでしょうか。ご主人様から言いつけられた仕事が、途中になっておりますもので」


 「行ってよし」


 ホウはサイに興味を示すこともなく、そそくさと立ち去った。入れ替わりに、先刻出て行った男たちが戻った。代表格の男が、机にいる男へ耳打ちする。机の男は大きく頷いた。


 「ご苦労。さて、サイ。お前が申し立てたソオン様の屋敷では、夜中に抜け出すような召使いの事など知らない、と言うことだ。見たところ、盗賊の仲間とも思えない。城へ突き出すことだけは、勘弁してやろう。しかし、もう孤児院に入る年でもなさそうだ。お前を周旋屋(しゅうせんや)へ、下げ渡すことにする」


 サイには、男の言っていることが半分も判らなかった。ただ、ソオンの屋敷へ戻れなくなったことだけは、理解できた。

 ほどなく周旋屋と称する男がやってきて、幾ばくかの金と引き換えに、サイを部屋から連れ出した。



 周旋屋に連れられて、サイは町並みというものを、じっくり眺める機会を初めて得た。

 孤児院にしても貴族の屋敷にしても、一つの建物に幾部屋もあるような、立派な建造物である。外へ出ることを許されない身分であったサイは、世の中には小さな家がたくさんあることを知らなかった。


 物珍しそうにきょろきょろするサイの足は遅れがちで、周旋屋からはぐれそうになっては、叱られた。周旋屋はサイの様子を観察し、すぐさまひどい世間知らずと悟った。


 「ひでえ買い物しちまった」


 ちょうど、市場を通り抜けるところだった。道の両脇に多彩な品が山積みになり、様々な人が行き交っていた。

 サイの足取りはますます遅くなったが、顔の広い周旋屋もあちこちから声をかけられ、歩調を緩めざるを得ず、その間は叱られずに済んだ。


 「おう、久しぶりじゃねえか」

 「おやおや。こんなところで会うとは、思わなかったぜ」


 周旋屋は珍しい顔を見つけて、立ち止まった。遅れがちだったサイは、すぐに追いついて、すぐ後ろで立ち止まった。

 サイが背後にいるのをちらりと確かめると、周旋屋は遠来(えんらい)の客と立ち話を始めた。


 歩みが止まったのを幸い、サイは辺りを眺め渡した。


 その辺りは、食べ物を売る店が並んでいた。そちらに生きた鶏や鴨が籠に入っているかと思えば、こちらに魚の干した物が並んでぶら下がる。色合いや太さ長さの異なる腸詰めが、飾り玉のようにぶら下がる店もあった。


 チーズの塊が、積み上がった場所もある。それぞれは食欲をそそる香りを持っていても、あれやこれやが混じり合うと、鼻の具合がおかしくなるような臭いに生まれ変わるのであった。


 サイは見た事もない食材に囲まれ、ただただ目をみはった。

 と、せかせか歩いてきた男が、いきなりサイを横抱きにして脇道へ入った。


 あっという間の出来事であった。周旋屋は話に熱中し、サイの姿が消えたことに気付かなかった。

 (さら)われたサイ自身、思いがけない出来事に、声を出すのを忘れた。


 男は脇道へ入るなり、サイを抱えたまま走り出した。

 サイは(ようや)く攫われたことに気付いたが、男が強く体を抱きかかえているので、苦しくてやはり声を出す事ができなかった。


 男は裏道でも、特に人気のない道ばかりを選んで休まず走り続けた。どこをどう走ったのか、もともと町の地理を知らないサイには、最初から見当もつかなかった。

 やがて男はふい、とどこかの建物に入ると、サイを置物のように床へ立たせた。


 「お帰り。まあ、また小汚いガキを連れてきて」


 鍋をかき混ぜていた女が、手を止めて二人に向き直った。

 サイは女の険しい顔つきも、男の言い訳も気に留めなかった。彼女の五感は、湯気の立つ鍋に集中していた。

 前夜遅くまで動き回った挙げ句、朝から何も口にしていなかった。

 女は目敏(めざと)くサイの様子に気付いた。


 「ふん、今更御託(ごたく)並べたって仕方ないやね。この子、腹を空かせているみたいだ。とにかく、食べさせてやろうじゃないの。どうせ、金なんて持っていやしないだろう。お代に働いてもらうよ。名前あるかい?」


 「サイ」


 サイは、粗末な器に盛られた得体の知れない食物を、たちまち平らげた。見た目も味も、ソオンの屋敷はもちろん、孤児院での食事よりもひどい代物であったが、食の細いサイの空腹を満たすには充分であった。

 満足がサイの顔に表れたのを読み取り、女も満足そうに頷いた。


 「なかなか、よさそうな子じゃないか。サイって言うんだね。今日は休んで、明日からこの人について働きな。そうしたら、毎日食べさせてやるよ」


 「ありがとうございます」


 サイは丁寧にお辞儀をした。女は鷹揚(おうよう)に頷き、男はふん、と鼻で笑った。



 翌日からサイは男について、町を回ることになった。

 男はエエンと言った。サイに食事をさせた女はバイといい、エエンの妻であった。


 エエンは煙突掃除の仕事を請け負っていた。彼は大きすぎて、煙突へ潜ることができない。実際に掃除の仕事をするのが、サイの役目であった。

 風呂はなくとも、大概の家には煙突があった。エエン夫妻の家は、玄関と台所と洗面所と居間を兼ねた空間と、寝室とトイレを兼ねた二部屋だけで成り立っていた。


 ソオンの屋敷と比べたら全部併せてもひと部屋、それも物置と呼び習わすしかないような広さしかなかったにもかかわらず、そこにも煙突はあった。

 だから、エエンは仕事をたくさん請け負うことができた。しかし、細い煙突一本を掃除したところで得られる賃金は僅かである。そして、いくら仕事を請け負っても、掃除できなければ、報酬(ほうしゅう)は貰えない。

 エエン夫妻とサイが食べていけるだけの稼ぎを得るためには、実に多くの煙突を掃除しなければならなかった。


 サイの前にエエンと組んでいた相棒は、これもまた年端もいかない子で、やはりエエンが適当な場所から攫ってきた子であった。

 彼は余りに仕事が忙し過ぎたため、とうとう寿命が尽きてしまったのであった。


 サイはすぐに仕事を覚えた。煙突の内側にこびりついた煤を落とし、それを集めて運べばよいのである。

 (もっと)も、仕事のやり方を理解できたところで、上手に仕事をこなせるかは、また別の話である。毎週、少なくとも毎月、日を決めて煙突掃除をするような家からは、エエンにお呼びがかからなかった。


 そうした家の煙突は何本もの通路が縦横に繋がっていることも多い。もし初心者が掃除すれば、迷った挙げ句、詰まりの原因となる場合もある。

 簡単な造りの煙突しか任されなかったのは、サイにとって幸運なことであった。


 その代わり、何を燃やせばこのようになるのか、煤と呼ぶには余りにも変化を遂げた頑固な物質が、(あな)の幅を狭めるほどこびりついた煙突を、元通りの広さにしなければならなかった。


 そうした家では、普段から煙突掃除に金を払う考えなど毛頭なく、調子が悪いと気付いて初めて、エエンを呼ぶのであった。

 そうなると、只でさえすり減った毛のブラシなどでは歯が立たず、金属製の道具を使って突き崩すしかない。

 小さな体が必須の割には、体力も不可欠な仕事であった。

 加えて、落ちてきた煤をまともに被る。サイは、頭のてっぺんからつま先、爪の奥まで真っ黒になった。


 サイは一度もエエン夫妻が入浴するところを見た事がなかった。そもそも、彼らの住居には浴室が存在しない。建物に共用のシャワーが存在するかどうかも、サイは知らなかった。従って、彼女は煙突掃除の仕事を始めてから、一度も風呂に入らなかった。

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