リイ 追悼
リイの子は、定められた墓所へ葬られた。
天寿を全うした父祖たちとは、別の扱いであった。そこには、他にも幼くして命を落とした、多くの亡骸が埋められたことを示す文字が、連なっていた。
そして、本来ならば神の元へ赴く筈の魂もまた、遺体と共に留まっていると思わせるような、陰鬱な鬼気が漂っていた。
サパの町も悲報に接して一時的に沈んだが、すぐに領民は日常の営みに復した。
城は、火が消えたようであった。ライとユアンは領主の仕事を続けた。
仕事が途切れず続くためでもあり、仕事に没頭して悲しみを紛らわそうと努めるようにも受け取れた。
リウもまた、控え気味にしていた修道院訪問を少しずつ再開した。リイだけが、失望の沼から抜け出せず、一人取り残された。
仕事に逃げ場を求めるにも、政務に戻ろうとする気力が、まず湧かなかった。
ベッドから起き出すことができたのは、亡き子に祈りを捧げるよう勧めた侍女の言葉がきっかけであった。
動けるようになると、毎日城の教会へ通った。リイが教会へ通うためだけに生きているように、周囲には見えた。
この時、歩いて行ける距離に教会があることを、リイだけでなく、領主一家は心から感謝した。
教会では、トウ司祭も子のために祈祷を続けていた。
しかし、リイには不満があった。
司祭は、決まりを曲げて名付けの儀式をすることを、許さなかったのである。
ワ教の信者として名を授かる儀式は、生後一年を生き延びねば、受けられない決まりであった。
そこで彼女は、心の中で勝手に、リンという名をつけた。つけたと言うより、自然と心の中に浮かんだのである。
リイにはまるで、生まれる前から、その名前に決まっていたような感じを受けた。
リイとユアンの子として、ふさわしい名であった。
リイは、心の中の名付け以来、遂にリンが目にすることのなかった子ども部屋へ入っては、お腹の中にいた頃の思い出に浸ったり、生きていれば使ったであろう産着や食器や揺りかごを見たり触れたりして、あるべき姿を夢想したりした。
そして最後には、必ず泣き崩れた。
リウは、娘を案じて子ども部屋を閉鎖した。子ども部屋へ行けなくなっても、彼女の状態は変わらなかった。
ただ座っているだけで、前触れもなく涙がこぼれた。
食欲も出ず、妊娠で蓄えた脂肪はたちまち底をつき、更にリイを細く侵食した。
彼女にとっては、周囲の慰めは単なる言葉以外の何物でもなく、現状を変える力とはなり得なかった。それでいながら、当人に悪気がなくとも、毒に変わりうる要素を含んだ言葉は、確実にリイを傷つけた。
「子どもなんて、また産めばいいのよ。あなたはまだ若いのだから、いくらでも産めるわ。わたくしだって、あなたの前にも後にも子どもを死なせているのよ。いつまでも落ち込んでいる暇があったら、自分たちのためにも領民のためにも、次の子を準備する気概を持つのが、領主たる者の務めでしょう」
リウもまた、リイを育て上げるまでに、二人の子を失っていた。リイの兄は産まれて間もなく死に、リイの弟となる筈だった子は、生まれ落ちる前に流産した。
リイは死産をして、初めてその話を聞いた。幻の弟についても、リイが幼い頃の話で、記憶になかった。
両親はリイを気遣って、これまで口に上せなかったと言う。
リウにとっても、未だに思い出すのが辛い話であった。
かつてライが母以外の女性と交際を試みたという話も、最初の子の死と関係しているらしかった。
娘を慰めるために、重い口を開いて昔の傷を掘り起こしたのに、リイははかばかしい反応を示さなかった。
多少腹立ち紛れではあっても、リウは発奮を促すつもりで言ったのだ。そこには間違いなく、娘に対する愛情があった。
しかし結果として、母の思いは、リイの傷を広げる結果となった。
リイにしてみれば、最初の子は、ともかくも生きてこの世に誕生した訳である。そして、後の子は人となる前に死んだのだ。
その上、リイは無事に育ったのである。一人の子の母親となれた人間と、自分とを同列には考えられなかった。
しかも、子を失うという同じ悲しみに直面した筈なのに、そのような言い方をされては、却って裏切られたという思いが募るばかりであった。
リウは、娘の回復を簡単には諦めなかった。
放置して回復する保証はなく、万が一回復しなければ、子孫は絶える。リウの必死も道理であった。
彼女は、リイを修道院の慰問に再び同行させた。
成果は思わしくなかった。
修道院に併設された孤児院で、哀れな子どもたちを見る度に、リイの涙腺が緩み、子どもたちを戸惑わせ、修道士たちを慌てさせた。
リイにも、領民の前では泣くまい、という気持ちが残ってはいた。止めようとして止められれば、苦労もなかった。これにはさすがのリウも、修道院巡りを諦めざるを得なかった。
次の手段として、ユアンにリイを連れ出させた。
夫婦で新婚旅行よろしくサパ地方を周遊させようとの目論みである。さすがに周遊は無理であったが、ユアンは忙しい政務の間を縫って、サパ地方の北端から南端まで、視察の日程を挟み込んだ。
義母に頼まれて渋々承知したのではなく、彼は夫として彼なりにリイを案じていた。
貴族は夫婦別寝室が普通のところ、彼女が嫌がらない限り、毎晩同じ床で添い寝したり、どんなに疲れていても、彼女のくどい話に根気よく付き合ったり、彼女が気分のましな時に考えると、婿であることを差し引いても、相当に献身していた。
迷惑をかけている、と理解しながらも、同じことを繰り返してしまう。
リンを失った辛さもさることながら、リイには、思うようにならない心もまた辛かった。
リン亡き後、ユアンとリイが最初に出かけたのは、ホン地区であった。
ホンはサパの北端に位置し、険しい山岳地帯の向こうに隣国ドゥオが迫る国境沿いの村であった。
現在ハルワ国は、どの隣国とも平和裡な外交関係を結んでおり、今のところ何処の政情も安定していた。
従って、国境沿いを警備する軍隊はあっても、極めて小規模で直轄でもなく、サパ領主が国王から委託を受けて設置した部隊であった。
基地もライ直轄領にあって、普段は密出入国者の取り締まりを任務とする。
山脈には人の通る道がなく、安全な回り道があるのに、危険を冒してまで密かに国境を行き来しようとする人間は、滅多にない。
そこで、密猟者の取り締まりや、教会が解決できなかった地元民同士の紛争を仲裁したり、地元の祭りに駆り出されたりすることが実際の仕事だった。武術訓練は、その合間に適度に実施している、と報告書にはあった。
ホンは、サパの他の地区と比べるとやや気候が厳しく、牛や羊などの家畜数が人口より多い。
大人の遊び場がごく限られるため、町に住む親が、息子の教育を目的として入隊させることもあった。
部隊員の大半は、地元か近隣の地区出身者が占める。
リイたちは、ここで国境警備隊による閲兵式を観覧した。普段のんびりとした兵士たちも、式の最中は引き締まった表情で、一糸乱れぬ隊列行進などで、本領を発揮した。
報告書通り、定期的に訓練を積んだ成果であろうと思われた。
剛毅な殿方の世界を前にしては、リイも涙ぐむ要素が見出せなかった。国を分ける山々の荒涼とした尾根は、リイの心象風景に似て、親近感から僅かながらも落ち着きを与えられた。
ホンへの小旅行の間、リイが小康状態を示したことは即座にリウの知るところとなり、彼女は畳み掛けるように娘に要求を繰り出した。
リイがたちまち元の具合に落ち込むと、リウは叱咤激励のつもりで彼女を怠け者呼ばわりさえして、ますます娘の気力を失わせた。
さすがにライが割って入り、リウの干渉は休止した。
この間、ユアンは義父母の方法に異を唱えるでもなく、尻馬に乗りもせず、以前と変わらぬ態度でリイに接した。
彼の平坦な態度は、リイにも意外なことに、少しではあるが、安心感をもたらした。
ユアンは始めに立てた予定通り、他の地区へもリイを連れ出した。
突然疲れて動けなくなることを除けば、大体において、夫との外出は、状態が悪化しないという意味で、まずまずの成果を収めた。
南端のメン地区を訪れた際には、銀細工の店へ足を運び、自ら選んだ品物を買い上げもした。
メンはサパの穀倉地帯で、ほとんどを農地が占める。
のどかな田園風景には、粉ひき小屋の水車が似合う。若者が道を踏み外すような盛り場は、見当たらない。
銀細工職人のウーは元々鍛冶屋で、農家の求めに応じて鋤や鍬などの農具、蹄鉄や鐙といった馬具を作る傍ら、小遣い稼ぎを兼ねた手慰みに銀細工の髪留めなどを作っていた。
次第に細工物が評判を呼び、城下の店を押さえてサパ地方でも指折りと称されるほどになった。
結婚式でも、リイはウーの細工したブローチを身につけた覚えがある。ウーの店といっても、そこは基本的に仕事場で、出来合の品は見本程度しか置いていなかった。
「リイ様が結婚式でお使いいただいたお陰で、次々と依頼が入りまして。今は注文を捌くので精一杯なんですよ」
長男の妻という女性が、愛想よく説明した。
田舎職人の妻の割にはこ綺麗な格好で、自らも夫の手になる銀の髪留めを付けている。
仕事場では、一応の挨拶を済ませた父子がユアンの意向に従い、黙々と細工を続けていた。
ウーは、いかにも頑なで偏屈そうな田舎職人に見えた。その外見からは、ハルワの都においても引けを取らないほど、洗練された意匠を生み出す人物とは、想像もつかない。
もしかしたら、先ほどの妻や、他の誰かの意見を聞いて、作品に活かしているのかもしれなかった。
リイは、慰労の意も込めて、鳥の羽を組み合わせた形の髪飾りを買った。