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リイ 首飾りのロケット

 近頃、ユアンは城の教会へ足を運ぶことが多い。

 リイの気のせいではない。つられるように、リイも城の教会へ顔を出す機会が増えた。


 見物客も一巡し、城外からの礼拝が減りつつあった。現在まで通うのは、トウ司祭や修道士と縁のある者が大方である。

 ヨオンは更に例外であった。彼らと親しい仲でもないにも関わらず、熱心に通い詰めていた。彼の所在が知れない時、教会へ行けば、ほぼ必ず会うことができた。


 仕事に手抜きはない。

 それも、通い詰める先が盛り場ではなく、神聖な教会である。

 加えて彼の場合、教会の建設前から信仰に厚かったことは、リイも知っている。


 何故、と問うたところで、リイの知りたい答えは返ってこない。


 同じ理由から、ユアンを責めることもまた、できなかった。

 そもそも、一家のために造られた教会である。無駄遣いの(そし)りを(まぬが)れるためにも、大いに通うべきなのである。


 リイに疑心を生じさせた当のサイは、常に分厚い修道服に身を包み、黙々と祈りを捧げていた。

 彼女を招く理由となった仕事は、ほとんどしていないようである。


 礼拝者が減りつつあるのだから、当然の成り行きであった。初めてリイが顔を出した時、サイが遠慮がちに近寄ってきたが、世話を断った。

 以来、サイはリイの姿を見つけると、黙礼だけして祈りに戻った。そこは毎回聞くべき気もしたが、実際用のないリイは、(わずら)わしさを避け、そのままにしていた。


 今となっては、司祭を通じて指導すればよかった、と悔やまれる。

 ヨオンやユアンの動向を、さりげなく聞き出すことができたかもしれない。

 リイが見る限り、サイが彼らに関心を示したり、近付こうとしたりする様子はなかった。



 リイは、いつもより早く目が覚めた。

 昨夜遅くまで書類に目を通していたため、体の調子が狂ったようであった。よくあることで、もう一眠りするよりも起き上がって体を動かした方が、次の眠りで調子を取り戻せる。


 そこで、隣室に控える侍女の目を覚まさないよう、静かに寝台から抜け出した。

 身支度を整えるのに、消えかかったランプの芯を掻き立てる手間を惜しみ、リイは鎧戸(よろいど)の隙間から漏れる光で用を済ませた。

 音を立てないよう慎重に鎧戸を開けると、もう朝の光が、夜空をほとんど駆逐(くちく)していた。


 新鮮な空気を吸い込むリイの視界に、見覚えのある影が現れた。ヨオンである。


 城の屋根の平らになった部分に立ち、リイに背を向けて、どこかを眺めている。

 まさか、飛び降りるつもりでもあるまい、と思った瞬間、ヨオンが急にしゃがみ込んだ。


 リイは部屋を飛び出した。寝ぼけ(まなこ)の侍女が、挨拶するのに応えるのもそこそこに、城の全体図を頭に描きつつ最短距離の通路を駆け抜けた。

 普段は用のない場所だけに、分かっていても、実際辿るのには時間がかかった。もどかしい思いで(ようや)く追いついたリイを、ヨオンはからかうような微笑で迎えた。


 「戦の指揮も執れそうな機動力ですね」


 百年経っても、飛び降りそうになかった。リイは寝不足で判断力が落ちたことを、認めざるを得なかった。


 「朝早くから、このような人気のない場所で何をなさっておいでなの?」


 腹立ち(まぎ)れにリイは語調を強め、ヨオンの立つ場所まで近寄った。


 そこは屋根の端の部分に当たり、バランスを崩しただけで落下の危険がある場所であった。

 下を覗けば、目眩(めまい)がしそうだった。リイは敢えて遠くを見た。


 城の教会が見通せた。高い位置から、これだけ近くで全体像を見たのは、初めてであった。つい内側の豪奢(ごうしゃ)に目を奪われるが、こうして見ると外観も、城との調和を崩さず、教会単独でも美しい形を成しており、優れた建築であることを改めて感じさせた。


 「皆さんは、派手な内側ばかり話題になさるけれども、私はこの外観にも、思い入れがあるのです」


 ヨオンが、リイの考えを読み取ったように言った。リイは、今日までここに人が立っていることに、全く気付かなかった腹立ちを込めて尋ねた。


 「いつもここからあちらを眺めていらっしゃるの?」


 「それほどいつも早起きはできません。おや、ご覧なさい。リイ様のご夫君は、朝から信仰に熱心なことですね」


 ヨオンが指した先に、教会から出てくるユアンの姿があった。リイの心臓が、早鐘を打ち始めた。

 リイとユアンは、寝室を別にしている。貴族には普通のことである。

 従って、夫がいつからそんなことをしていたのか、まるで知らなかった。


 ユアンも多忙な身である。ひと気のない朝のうちに、礼拝を済ませようと考えても、おかしくはない。

 それでも、リイは不安を覚えた。もしやサイとの密会か、と思う(そば)から、彼女が城に寝泊まりしていることを思い出す。

 加えて、教会にはトウ司祭と修道士たちが住んでおり、密会などする余地がないことも、思い出した。目まぐるしく変わる胸の内が落ち着かないうちに、ユアンの姿は視界から消えた。


 「遅いな」

 「はい?」

 「いいえ。独り言です」


 聞き返したリイに答えたヨオンの顔は、心なしか強張っていた。

 ヨオンも、彼女と同じ想像を巡らせたのであろうか。教会で不祥事が起きれば、教会の評判はもとより、サパ領の地位にも影響を及ぼす。


 領主としてはもちろんのこと、建設に心血を注いだヨオンにも、堪え難い事態となる。それとも、他に理由があろうか。

 内心の不安を押し殺し、リイは()いて笑顔を向けた。


 「朝食はお済みですか? よろしかったら、ご一緒に如何でしょう。用意させますわ」

 「軽く済ませはしましたが、少し、お相伴(しょうばん)させてもらいましょう」


 ヨオンはリイの誘いに応じ、すぐに社交的な笑顔を取り戻した。



 同じ日、リイは礼拝にユアンを誘った。


 「喜んで、お供しましょう」


 (そつ)のない笑顔は、自然なものに感じられた。(やま)しい思いを抱えているようには、見えない。

 礼拝堂は、いつも通り壮麗であった。城外からの聴衆が、まばらに座っている。


 壇上では、トウ司祭が説教を行っていた。左右に、修道士たちが並び控えている。

 サイは、修道士たちから更に一歩引いた場所に立っていた。

 俯き加減に祈りを捧げていたのが、リイの姿を目敏(めざと)く見つけて会釈(えしゃく)をした。


 リイはいつもと違って黙礼を返さなかったが、サイは元の姿勢に戻った。

 聴衆の注意を引かぬよう、後ろの席へ腰掛けようとするユアンを尻目に、リイはつかつかと前へ進んだ。


 説教中のトウが、目だけでリイの姿を追う。聴衆もまた、次々と頭を巡らせリイに視線を注いだ。動かぬのは、修道士とサイばかりである。

 彼らはまるで、彫像のように立ち尽くしていた。同様に、リイが側に立つまで、サイはまるきり周囲の異変に気付かぬ様子であった。


 「何かお役に立てますでしょうか?」


 リイの思わぬ出現に驚きつつも、周囲を気遣い、囁き声で話しかけられた。

 その屈託(くったく)もない顔を見て、彼女は黙って首を振り、近くの席へ腰を下ろした。ユアンがすぐ隣に来た。妻の後を追ったのだ。

 リイはサイの顔を盗み見たが、既に彼女は祈りへ没頭(ぼっとう)しているようだった。そして、夫にも怪しい素振りはない。


 「妬気(とき)もまた大罪です。妬気は、他の大罪を美徳に見せかけ、そしてあらゆる美徳を堕落(だらく)させるという点において、最も厄介(やっかい)な罪であります。そのような()()()()は、すぐに見破ることができるように思われます。下手な盗人を捕えるように簡単だ、と皆さんお考えになるでしょう。ここで、大罪の一つである憤怒(ふんぬ)について考えてみましょう‥‥」


 「‥‥妬気が、見せかけをもっともらしく形作るのです。また、美徳を堕落させるについても同じように言うことができます。美徳は謙譲、貞操、忠実、孝養、仁慈とありますが、妬気はすべての美徳の皮をかぶることができることに注意を致さねばなりません。人々の上に立ち、よき方へ導かねばならない責務を(にな)われる皆様こそ、妬気という罪には心してかからねばならないのです。云々(うんぬん)


 折しも、トウは嫉妬について説教していた。リイは己を名指しで非難されたように感じ、心の中で恥じ入った。


 だから、夜にユアンがヨオンの屋敷へ出かける、とわざわざ言付(ことづ)けてきた時には、自分の心を見抜かれたようにすら思ったのである。

 


 その夜遅く、ユアンがリイの部屋を訪れた。召使いを下がらせるや否や、激しく求められた。

 彼に、そうした激しさが存在するとは、意外であった。


 リイは昼間に感じた後ろめたさもあって、懸命に応じた。

 ことを終えると、彼はそのまま寝入ってしまった。

 寝顔も起きている時と変わらず美しいが、少しやつれたようにも見えた。リイは、互いの上に過ぎた時間を思った。


 次期領主として、跡継ぎは重大問題である。彼に余力があるうちに手を尽くさねば、後で悔やむ結果になりかねない。

 ()()()()となる召使いを自分で選べば、夫婦の間の亀裂も僅かで済むかも知れない。


 リイがお手つきをする選択肢はなかった。

 血統を考えるとおかしな気もするが、教会が黙認するのも、世間が認めるのも、男性側の()()のみであった。


 リイとユアンは結婚によって結びつき、彼は領主の一族となった。従って、彼の子は母親の如何を問わず一族の子となる。

 恐らく、これが教会の考えだ。あれこれ物思いをするうちに、すっかり眠気が覚めた。


 彼女は夜着を探して寝具をまさぐった。手が異物に触れた。引き出してみた物は、ロケットのついた首飾りである。

 ユアンの手が、しっかりと端を握り締めていた。


 初めて見る品であった。古いデザインで、リイへの贈り物とも思えない。彼に一方を握らせたままロケットを開くと、(わず)かな髪の毛らしきものがあった。


 暗い室内では、色合いなど細かい点まではわからない。内蓋に、ユアンの家の紋章が彫られていることだけは、見分けがついた。


 亡き生母の形見であろうか。父が召使いに手をつけたことを、ユアンは今も許していない。

 そんな夫が、妻以外の女性に目移りするとは、考えるだに愚かであった。

 リイは、そっと首飾りを戻した。

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